小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年7月号/トピック店舗:ジョイランドタイトー草津→遊ingポイントセオラ(滋賀県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1992年7月号)

ゲーメスト1992年7月号(第7巻第7号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は87で先月比-1、新規掲載が4か月ぶりで1店あります。

 

・その他

プレイスポットサン(神奈川県)

ゲーメスト 1992年7月号より)

 

こちらは先月号まで「タイトー小田原周辺」として神奈川県小田原市付近のタイトー系店舗の合同集計となっていました。

 

1992年5月号までは、「ウィルトークタイトー小田原店」の住所である「小田原市栄町2-13-19」が住所となっていましたが…

ゲーメスト 1992年5月号より)

 

翌6月号から「小田原市栄町1-14-57」に住所が変わります。

この住所はこれまで一度も誌面に現れておらず、またこの号で初めて「P.S.SUN店」の店名が備考欄に掲載されます。そのため「栄町1-14-57」は「プレイスポットサン」の住所と推察されます。

ゲーメスト 1992年6月号より)

 

そして今号から他の合同集計店は外れて「プレイスポットサン」の単独掲載へと変更になるという経緯です。

店舗トップ獲得数である☆は「タイトー小田原周辺」の時から継続されており、新規店とすることは相応しくないかもしれませんが、上記経緯から単独掲載となった今月から新規店という扱いとすることにしています。

 

また単独掲載に移行した時点でタイトー運営から外れた可能性が考えられますが、現時点ではその証拠を得ていないため「プレイスポットサン」はタイトー系として区分しています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1992年7月】

ゲーメスト 1992年7月号より)

 

今月もスコア欄に装丁ミスが発生しており、スコア欄トップページである122頁の前に121頁が存在していますがさすがにそのままではわかりにくいため順番を入れ替えています。そのため122→121頁の順となっていることをご了承願います。

 

トピック店舗:ジョイランドタイトー草津→遊ingポイントセオラ

 

トピック店舗は引き続き滋賀県の店舗から、「ジョイランドタイトー草津→遊ingポイントセオラ」をピックアップします。

 

ゲーメスト 1990年10月号より)

2024年8月11日撮影

 

よく草津温泉のある町と勘違いされる滋賀県南西部の草津市は、東海道中山道が合流する古くからの交通の要衝で、宿場町を起源とした市街地が現在はJR草津駅付近を中心に展開されています。

 

その草津駅を降りて、旧市街地側である東口に店舗がありました。

ゼンリン住宅地図 草津市1988年より)

 

1988年の地図にて「ジョイランドタイトー」の存在を確認しています。

縦に延びる「中央商店街」が旧中山道となり、上部に見える「平和堂草津店」の枠外にJR草津駅があります。駅から徒歩で5分程度の好立地です。

 

ただ宿場町起源の古い町並みは防災上問題であり、また地域活性化を阻害しているという観点からか再開発の対象区域となり、タイトーのあった区画付近は2005年に現在の「TOWER111」というマンションが竣工しています。そのため店舗の形跡は全く残っていません。また道を挟んで向かいの区画も2020年に「アトラスタワー草津」というこちらもタワーマンションが竣工しているため、タイトー営業当時と周囲の町並みは全く異なっていると思われます。

ja.wikipedia.org

「TOWER111」のwikiを引用します。111というのはマンションの高さのようです。

 

誌面への掲載はゲーメストに先行してベーマガ1988年6月号からスタートしました。

マイコンベーシックマガジン 1988年6月号より)

 

2年以上ベーマガ単独掲載だったのですが、1990年10月号からゲーメストへの掲載も開始されダブル掲載店となります。

 

しかしゲーメスト掲載開始から1年も経たない1991年7月号にて、ゲーメストのハイスコア通信欄にて以下のコメントが掲載されます。

ゲーメスト 1991年7月号より)

 

店舗改装のための休業予告であれば珍しくはないのですが、「店名も変わる」「新しいお店に生まれ変わる」という文言に「ただの改装ではない」という雰囲気を漂わせています。

 

そしてその翌月である1991年8月号から同一住所にて店名を「遊ingポイントセオラ」に改め掲載が継続されることになります。

ゲーメスト 1991年8月号より)

ゼンリン住宅地図 草津市1992年より)

 

1992年の住宅地図では、ジョイランドタイトー草津と同一の場所が「遊ingポイントセオラ」に変わっていることが確認出来ます。

 

この改装ですが、店名からタイトーの名前が消えたことでわかるように改装を機にタイトー系列店から離脱しています。

 

1991年と言えば「ストリートファイターⅡ」が登場してムーブメントを引き起こしますが、メーカー系店舗において特に他メーカーの人気タイトルは全ての系列店舗に行き渡らず、地域営業所単位で購入数に応じて店舗への基板の割り振りがされていました。

漫画家の後藤羽矢子さんが2024年9月に上梓した「90年台のゲーセンでバイトしていた話」にもエピソードがありますが、ストⅡのような人気タイトル投入で店舗の売上が上がることが分かっていても、店舗への割り振り以上に直ぐに基板が手配され追加投入されることは特にメーカー系店舗では難しく、遅れて投入された時には既に旬を過ぎていた、という状況が多発していたのです。

 

特に店舗オーナーがメーカーと共同経営しているタイプの店舗では人気タイトル投入の遅れがメーカーへの不満につながってしまい、苦情を言って追加投入されるならまだしも契約を切って他メーカーや自主運営に切り替える例も多々あり、こちらではストⅡの入荷が遅れたことがオーナーの不興を買った結果自主運営へ切り替えられた、というのが真相のようです。

ゲーメスト 1992年7月号より)

ちょうど今号のハイスコア通信欄にセオラのコメントがありますが、無印ストⅡが7枚に加えてストⅡダッシュを更に7枚入荷するとあり、正直タイトー運営のままでは都心部の大型店でもない限りここまで台数を確保できなかったのでは、と思います。

 

ちなみに「セオラ」の名前は、「セ〇いおっ〇ん〇して稼ぐ」の略だという情報を頂いております。(非公式、〇の中身はご想像にお任せいたします...)

 

また改装を機にベーマガへの掲載は終了し、以後はゲーメスト単独掲載店となります。

 

セオラへ変更された後のハイスコア掲載ですが、ゲーメスト1993年9月号をもって終了しています。最終のスコア欄とハイスコア通信欄に掲載終了の旨が告知されていました。

ゲーメスト 1993年9月号より)

ベーマガ時代から通算すると約5年の掲載期間となっています。セオラとしての閉店時期は判明していません。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年7月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年8月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年8月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年7月号/トピック店舗:セガセンター京極(京都府)

イスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1992年7号)

マイコンベーシックマガジン1992年7月号(第11巻第7号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は88となり先月比-1となっています。

新規掲載が1店あります。

 

・その他

習志野ゲームコーナー(千葉県)

マイコンベーシックマガジン 1992年7月号より)

 

こちらですが、先月まで掲載されていた「ゲームセンター二和エコー店」が移転の上継続して掲載店となった店舗です。

マイコンベーシックマガジン 1992年6月号より)

前月のチャレハイ通信欄に移転そしてスコア集計継続の旨が掲載されています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1992年7月】

マイコンベーシックマガジン 1992年7月号より)

 

今号から「ストリートファイターダッシュ」の集計が開始されています。

既に対戦ムーブに移行しつつあったとはいえ、人気タイトルであることが約束されていただけにハイスコアを特にベーマガのデカ文字欄に載せることへのモチベーションは非常に高いものがありました。

 

無印ストⅡではドローやダブルKOを駆使して対1キャラ最大10ラウントまで消化できたことが長時間プレイの原因になってしまったこともあり、ダッシュでは最大4ラウンド(4ラウンド目は点数加算無し)というプレイ時間を考慮した仕様に。もっとも無印のスコアアタックでのラウンド消化はどうしても展開が間延びしてしまいプレイヤーにもギャラリーにもなかなか辛いものがあったため、この程度が丁度良い塩梅だったのかもしれません。


トピック店舗:セガセンター京極

トピックは場所を京都市中心部の河原町界隈へ戻し、「セガセンター京極」をピックアップします。

マイコンベーシックマガジン 1989年8月号より)

2024年8月15日撮影

 

京都市中心部の河原町付近において多数林立していたゲームセンターの中で、80年台における唯一のセガ系店舗が今回紹介する「セガセンター京極」です。

 

場所は新京極商店街から折れた路地の先にあった「京極東宝ビル」内となります。

(精密住宅地図 京都市中京区1992年より)

 

東宝」が名前に入っていることからもわかるように映画館併設のゲームセンターで、当時のテナント一覧においても地下1階は映画館となっています。セガはこのパターンの店舗が多く、集計店においても堺東のハイテクセガ103やハイテクセガ青森が同様に東宝のテナントとして営業されていた履歴があります。ja.wikipedia.org

1992年住宅地図では2階までの表記しかありませんが、建物のwikiでは地下1階以外に3,4階も映画館だった旨の記述があります。建築は1973年で、2006年に閉館後解体、跡地は写真のようにスーパーホテルとなっています。

 

ハイスコアの誌面掲載が開始されたのは1989年8月号からですが、それ以前の1985年当時の店内写真がゲームマシン誌に掲載されていました。

(ゲームマシン 1985年8月1日号より)

そしてベーマガにてスコア掲載が開始されたのと同時期のゲーメストにおける店舗紹介記事「ランダムピックアップ 京都編」でもお店が取り上げられています。

ゲーメスト 1989年8月号より)

 

両替機の位置を見るに、ゲームマシンとゲーメストはほぼ同じアングルから撮影されているようです。店内は圧倒的にテーブル筐体が多く、追って普及するエアロシティ筐体が登場する前だったことが想像できます。

 

そしてゲーメスト記事内に店内ハイスコアボードのことが触れられていますが、スコア掲載店としてエントリーされるには至りませんでした。結局ベーマガのみの単独掲載店となりますが1990年9月号をもって掲載終了、掲載期間は僅か1年程度に留まっています。

 

京都中心部の店舗はこれまでタイトー系やビデオシステム直営移行後の京都オリンピアでハイスコア掲載の履歴があるものの、いずれも短期間で掲載終了となっていましたが、こちらも同様の経緯を辿ることになってしまいました。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年6月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年8月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年6月号/トピック店舗:ハイテクセガ長浜(滋賀県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1992年6月号)

ゲーメスト1992年6月号(第7巻第6号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店数は88で先月比±0、先月に引き続き新規掲載もありません。

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1992年6月】

ゲーメスト 1992年6月号より)

 

ハイスコア通信の「プレイシティNASA杉本町店」の欄にて、これから発売されるスト2ダッシュの対戦ツアー予告が載っています。

 

普通は「〇〇店へ行きますのでよろしく」というのが遠征のスタイルだと思いますが、「遠征してほしいゲーセンの方連絡下さい」という言わば逆スカウトな内容です。しかも「3~5人宿泊可能なところ」「交通費が掛かるのでよろしく」とわざわざ条件まで付しているというのは、今改めて眺めると随分失礼な告知のように思えます。これ連絡した店あったんですかね…


トピック店舗:ハイテクセガ長浜

 

トピックは滋賀県セガ直営店舗から「ハイテクセガ長浜」をピックアップします。

ゲーメスト 1989年8月号より)

2024年8月11日撮影

セガがGENDAに店舗事業を売却する直前では、ショッピングセンター内のセガ系店舗はそこまで珍しい存在ではありませんでしたが、1980年台においてはセガがショッピングセンター内に店舗を構えることは稀で、まだ「ハイテクセガ」ブランドを中心とした都市型店舗の出店が主流でした。

 

今回取り上げる滋賀県長浜市の「ハイテクセガ長浜」は、当時セガがショッピングセンター内に出店した稀有な事例です。

まだ郊外型の「セガワールド」が世に出る前の出店のようで、当時のメインブランドであった「ハイテクセガ」の名前が付されています。

 

場所は長浜市郊外の国道8号線沿道で、西友長浜駅前にあった店舗を郊外に移転拡張したショッピングセンター「長浜楽市」内になります。

ゼンリン住宅地図 長浜市1989年より)

 

施設オープンは1988年のため、住宅地図は開業1年後の時のものです。

今でこそ郊外に大規模な敷地を確保するショッピングセンターは珍しくありませんが、当時はこの規模の郊外店は少なく、当時愛知県在住の私でも長浜楽市の名前は聞き及びました。まだ西友セゾングループの中核企業で、勢いがあった時代を象徴する施設です。

 

施設は西友長浜楽市店をキーとして、西友を取り囲むようにテナントが配置されています。セガはそのテナントのうちのひとつで、施設の南寄りに住宅地図上にも単独で掲載されるレベルの敷地を確保していたようです。

 

そして2024年時点でもショッピングセンターは存続していますがそこにかつての栄光はありません。

ja.wikipedia.org

施設のwikiがあったので転載していますが、90年台後半から近隣に別のショッピングセンターがオープンして客足が落ち、2000年以降に2度のリニューアルを経た後もテナントの撤退が続き3階の建屋のうち2階は封鎖中、1階にも所々に空きスペースが目立っています。

 

長浜楽市は長浜駅前の旧市街地が商業的に地盤沈下したことが原因で西友が移転拡張した施設ですが、その旧市街地が歴史的建造物を観光地化した「黒壁スクエア」を中心として息を吹き返し、移転したこちらが時間の経過と共に凋落していく姿に諸行無常を感じずにはいられません。

 

そしてハイスコアの掲載はゲーメストベーマガ共に1989年8月号から揃ってスタートしました。以下はベーマガの初回スコア欄です。

マイコンベーシックマガジン 1989年8月号より)

 

ショッピングセンターの大型店舗でハイスコア集計が行われるのは、80年台中盤はナムコダイエーレジャーランドの店舗に見られましたがこの頃には減少しており、セガの大型店で集計が行われた事例はここ以外は皆無なのですが、集計開始に至ったであろう理由をゲーメストのハイスコア通信欄に発見しました。

ゲーメスト 1989年7月号より)

 

長浜店が集計店となる1月前の通信欄ですが、当時集計店であった神戸市の「ハイテクセガ三宮」から店長が長浜に異動した旨が記されており、恐らくはこの店長の意向でスコア掲載が開始されたのではないかと推察しています。

 

しかしゲーメストは1989年8月号の初回掲載の際、いきなりゲーメスト名物の誤植の洗礼を受けることになります。

ゲーメスト 1989年8月号より)

初回掲載時のスコア欄を再掲しますが、住所欄が「滋賀県大津市…」となっており、初回掲載にして肝心の住所を誤植されるという残念な状態に。

かつこの誤植された住所は前回紹介した大津市の「ゲームセンターアスター」のもの(滋賀県大津市馬場町1-13-9)と思われますが、「馬場町→馬町」と誤植された住所にさえ誤植が混じるというなんともゲーメストらしいエピソードが。

 

この誤植が影響したのかどうかは定かではありませんが、ゲーメストは1989年9,10月号と連続で掲載がされませんでした。

1990年に入ると落ち着いて掲載が継続するのですが長続きはせず、結局ゲーメストベーマガ共に1990年6月号をもって掲載が終了、どちらも1年弱の短期掲載に留まっています。

 

またハイスコアとは無関係ではありますが、ハイテクセガ長浜を語るにあたって外せない要素として「セガ・スーパーサーキット(SSC)」の存在があります。

https://segaretro.org/images/3/3e/SegaSuperCircut_Arcade_JP_Flyer.pdf
(画像は上記より抽出)

当時のセガが店舗の大型化を推進する際の目玉アトラクションとして、CCDカメラを搭載したラジコンカーを操作して疑似サーキットコース上を走らせタイムや順位を競うというもので、そのインパクトの大きさから1988年のAM(アミューズメントマシン)ショーでお披露目された際には大きく話題となった製品です。

ただ当然ながら専有面積が大きく、かつ専属のオペレーターも必要なため一般のゲームセンターに展開されず、添付パンフレットのように大型レジャー施設やショッピングセンター内への設置が目論まれていました。その中でショッピングセンター内設置のモデルケースとして選ばれたのがハイテクセガ長浜だったようです。

 

パンフレット内には当時の長浜楽市のテナント配置、ハイテクセガ入口部、そして一部店内写真も掲載されており、そこから元々は現在の4枚目写真の右端に見えるガラス張りの部分が店舗入口で、フードコートの場所がハイテクセガであったことの裏付けが取れています。

 

鳴り物入りで登場したSSCでしたが、1989年の横浜博覧会のようなイベントにて設置されたことはあったものの店舗に常設されたのは恐らくパンフレット掲載のハイテクセガ長浜及び静岡県の「ジョイスクエア・イン ハママツ」2店のみで、導入に対する高い障壁が仇となってしまったようです。

 

80年台末にこれを世に送り出す当時のセガの着眼、技術、そして意欲が感じられますが、普及の低さゆえに埋もれてしまったこともある意味「時代が早すぎる」セガの一面を表しているタイトルだったのではないかと思います。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年6月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年6月号/トピック店舗:モンテカルロ山科店/ダイエーレジャーランド藤ノ森店(京都府)

イスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1992年6号)

マイコンベーシックマガジン1992年6月号(第11巻第6号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店数は89で先月比-1、新規店は3店あり4か月連続で登場しています。

 

・その他

ゲームコーナー都賀(千葉県)

 

ゲームセンターポパイ旭店(千葉県)

 

ゲームプラザニューヨーク(神奈川県)

マイコンベーシックマガジン 1992年6月号より)

 

90年台前半に、ベーマガは千葉県の掲載店が比較的多数登場、今回登場した2軒も含まれますが、一部を除いてどこも比較的短期間で姿を消してしまっています。

 

またハイスコア掲載店密集地の神奈川県は大船から「ゲームプラザニューヨーク」が登場、ゲーメストからは3か月遅れての掲載開始となりました。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1992年6月】

マイコンベーシックマガジン 1992年6月号より)

 

記事締切時点ではまだ出回っていない「ストリートファイターダッシュ」の入荷告知がハイスコア通信欄に踊ります。

 

雑誌発売日のタイムラグを考慮してまで告知されるタイトルはこれまで非常に稀であり、通信対戦台の普及もあって対戦ムーブでのヒットは約束されたようなものでした。

 

そしてこの頃から対戦格闘タイトルは入荷当初から対戦台にて設置がされることが一般的となり、一人プレイでスコア狙いや練習を行うことが徐々に難しくなってきます。


トピック店舗:モンテカルロ山科店/ダイエーレジャーランド藤ノ森店

 

トピックは前回に引き続き京都市内の初期ベーマガ掲載店舗「モンテカルロ山科店」「ダイエーレジャーランド藤ノ森店」の2店をピックアップします。

モンテカルロ山科店】

マイコンベーシックマガジン 1986年3月号より)

2024年8月12日撮影


ダイエーレジャーランド藤ノ森店】

マイコンベーシックマガジン 1986年4月号より)

2024年8月12日撮影

京都市の中心域を「洛中」と呼ぶのに対して外縁部は「洛外」と呼ばれますが、今回の2店はいずれも所在地が洛外という共通点があります。

モンテカルロ山科店」は、JR京都駅から東海道線琵琶湖線)で東へ一駅の山科駅が最寄です。

(精密住宅地図 京都市山科区1992年より)

1992年の住宅地図ですが、誌面掲載の住所「竹鼻竹ノ街道町39-2」は赤枠の「パチンコ ヤマシナセンター」の場所となります。「テレビゲームコーナー」の併記があるため、パチンコ店隣接、もしくは建屋2階がゲームセンターだったという所でしょうか。

 

2024年時点でも当該箇所ではパチンコヤマシナセンターの営業が継続されていますが、2010年に建て替えがされているようで建屋は平屋となっており、ゲームセンターが併設されていた形跡はありませんでした。店舗背後に見えるタワー式駐車場(使用停止)のみが恐らく当時の面影を残しているものと思われます。

 

また周囲は1997年の地下鉄の開通、および1998年に再開発で出現した「ラクト山科ショッピングセンター」によって景観は大きく変化しており、ちょうどヤマシナセンターとラクト山科が隣接する位置関係となっています。

 

ベーマガ誌面へは1986年4月号から掲載が開始されています。

年1~2回程度の休載を挟んでいたものの1990年までは順当に掲載が続いていましたが、1991年に入ると5~10月まで長期の休載が発生、同年11月号の掲載が最後となっています。

 

また1992年の地図にて、ヤマシナセンターの南東に「ビデオゲーム モンテカルロ2」の文字があります。青色で囲った場所です。

同じ建物に「木下物産寮」があるためパチンコ店の寮と合わせてこちらにもゲームセンターが存在していたようですが、掲載住所は最後までヤマシナセンターの場所となっていたためモンテカルロ2でもハイスコアの集計を行っていたのかは不明です。

またこの場所は現在はラクト山科の敷地内となっており、その形跡は完全に消失しています。

 

そしてもう一方の「ダイエーレジャーランド藤ノ森店」ですが、こちらは京都市南方の伏見区京阪本線藤森駅前にあった「ダイエー藤森店」内に存在したインストア店舗です。

(精密住宅地図 京都市伏見区1992年より)

こちらも住宅地図は1992年です。藤森駅の北側、線路沿いに「ダイエー藤森店」があります。テナント一覧が存在しなかったため建物内のどこに存在したのかは判明しませんでした。

ダイエー店舗は2013年までは存在していましたが、閉店後建物は撤去され、店舗駐車場敷地も含めて写真のマンションが建っています。

店舗の個別のwikiが存在したので引用します。店舗の概要や営業当時の店舗の外観写真が掲載されています。

ja.wikipedia.org

2024年現在の写真と比較すると、3枚目写真に見える駐車場に入るための下りランプや2階出入口へのアプローチ部分に営業当時の面影が残っているようです。

 

誌面にはモンテカルロ山科店の翌月である1986年4月号から登場しました。

 

ベーマガ誌上においてダイエーレジャーランド系の掲載店は北陸の金沢、高岡に次いで3軒目となります。

ダイエーレジャーランド系掲載店はゲーメストも含めて複数存在しますが全て地方の店舗で、京都市内の駅前という都心に近い場所が掲載店となったのは珍しい事例です。

 

特に休載は無く淡々と誌面への掲載は続きましたが1989年1月号をもって誌面から姿を消しています。ショッピングセンターインストアの掲載店は、こちらに限らず1990年前後で急速にその数を減らし、地域のゲームファンが集う場所としての役割を終えて行くことになります。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年5月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年5月号/トピック店舗:ゲームセンターアスター→アスター膳所店(滋賀県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1992年5月号)

ゲーメスト1992年5月号(第7巻第5号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

総掲載店は88で先月比-2、今月も先月に引き続き新規掲載店は0となっています。

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1992年5月】

ゲーメスト 1992年5月号より)

 

この時期のハイスコア通信欄でよく見かけるコメントに「受験生の来店」「受験で店から離れる」というものがあります。

 

当時は受験の際に大学近隣の店舗を訪問し、合格後に通う店舗の下調べを行うことは当然のことでもありました。ゲームセンター通いが生活の一部だったことの証でもあります。

 

また逆に常連が受験で店舗を去ってしまい、特にハイスコア集計店では一気に店舗のスコア熱がトーンダウンしてしまった状況も。

これは固定客が主体のゲームセンターでは泣き所でもあり、受験や就職といった要因でプレイヤーが一気に減ると、ハイスコア集計の中止のみならず一気に店舗存亡の危機に瀕することになりかねなかったのです。

 

トピック店舗:ゲームセンターアスターアスター膳所

 

トピックは場所を京都府から隣の滋賀県へと移し、大津市の「ゲームセンターアスターアスター膳所店」をピックアップします。

 

ゲーメスト 1987年1月号より)

2024年8月15日撮影

 

大津市の中心部である浜大津から琵琶湖沿いに琵琶湖の埋め立てで開発された地区が広がり、そこに沿うように走る県道大津草津線滋賀県道18号線)の沿道に位置しています。最寄駅はJR、京阪の膳所駅となりますが、500m程離れているため徒歩10分程度は掛かると思われます。

 

ゼンリン住宅地図 大津市1987年より)

1987年の住宅地図にて所在を確認しています。1階がゲームセンターで、2階が雀荘となっていたようです。

 

地図左端にバス停「義仲寺西武百貨店前」がありますが、かつてはここに「西武大津ショッピングセンター」が広がっていました。

kenchiku-pers.com

こちらは2020年8月で営業を終了、現在敷地跡にはマンションが建っています。4枚目写真の右端に見えるマンションの場所が西武大津ショッピングセンターの跡地です。

 

そしてこちらアスターの場所も当時の建物は残っておらず、調査時は写真のカラオケ店へと変わっていました。アスター時代は店舗前に駐車場があったようですが、現在は1階部分は入口以外全て駐車場となっており、店舗は2階より上に展開されています。

 

誌面に最初に登場したのはゲーメスト1987年1月号となります。

同号に店舗前で撮影された写真が掲載されていました。

ゲーメスト 1987年1月号より)

バックにハイスコアのホワイトボードが映っていますが、撮影のために店内から持ち出してきたのでしょうか…

 

そしてベーマガへも1987年2月号から掲載が開始されダブル掲載店となります。

マイコンベーシックマガジン 1987年2月号より)

 

ベーマガは当初から「アスター膳所店」の表記でしたが、ゲーメストも1987年6月号かがアスター膳所店表記に統一されています。

 

そして掲載終了はゲーメストが1990年7月号、ベーマガが同年8月号までとなりこちらもほぼ同時期、共に3年半程度の掲載期間となりました。特に閉店等に関する記述はなく、何らかの理由でスコア掲載を中止したと思われますが委細は不明です。

 

大津は京都市に近く、こちらにて掲載されていたスコアネームは京都市内の掲載店で見かけることが多かったため、掲載終了後は京都方面へプレイヤーが流れたものと想像しています。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年4月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年5月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年5月号/トピック店舗:ジョイプラザ21/ドリームイン河原町(京都府)

イスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1992年5号)

マイコンベーシックマガジン1992年5月号(第11巻第5号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は90となり先月比+3となりました。

今月も4店の新規掲載があります。

 

・その他

八千代プレイランドカーニバル(千葉県)

 

アイリン夢空間岐阜県

 

ゲームズウィル(京都府

 

チャレンジャー関大前大阪府

マイコンベーシックマガジン 1992年5月号より)

 

90年台のハイスコア集計店においては著名な4店が顔を揃えています。

 

「八千代プレイランドカーニバル」「チャレンジャー関大前」はゲーメストの後追いとなっていますが、「アイリン夢空間」「ゲームズウィル」の2店はゲーメストに先行して掲載が開始されました。

 

当時のゲーメストは掲載店の入れ替えが少なく安定しており、スコア有力店でも比較的掲載がされ易かったベーマガから掲載をスタートさせ追ってゲーメストの枠を確保するといった光景が時折見受けられました。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1992年5月】

マイコンベーシックマガジン 1992年5月号より)

 

注目タイトルであるハイスコアトップページの「デカ文字」を飾るのはデータイーストの「ウルフファング」です。1989年リリースの「空牙」続編ですが自機は戦闘機からロボットとなり、縦スクロールから横スクロールへと変化しているため実質は全くの別ゲームとなっています。

 

装備のカスタマイズでそれぞれに名称を持つトータル64種類もの機体から自機を選択できる斬新なシステムを持ち、演出も優れていたことで当時の特にロボット好きゲーマーの心を鷲掴みにし、対戦格闘ゲーム一辺倒となりかけていたビデオゲームに新風を起こしましたが、ハイスコア的には程なく永久パターンが発覚したため集計打ち切りとなってしまい、盛り上がりに欠くことになってしまった悲運のタイトルでした。

 

永久パターンがなければともすれば現在でもゲームを嗜み続けている方がいても不思議ではないタイトルです。つくづく永久パターンの発覚(とそれを事前に察知できなかったメーカー)が残念でなりません。


トピック店舗:ジョイプラザ21/ドリームイン河原町

 

トピックは京都市の初期ベーマガ掲載店舗から、タイトー系列の「ジョイプラザ21」および「ドリームイン河原町」の2店を取り上げます。


【ジョイプラザ21】

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年8月号より)

2024年8月15日撮影

 

【ドリームイン河原町

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)

2024年8月15日撮影

 

両方とも京都市中心部の河原町通に面しており、お互いの距離は100m程度しか離れておらず徒歩でも数分は掛かりません。

 

冒頭で2軒ともにタイトー系列に分類するとしていますが、その根拠は以下のゲームマシン誌の記事によるものです。

(ゲームマシン 1985年8月1日号より)

 

ゲームマシン1985年8月1日号の「全国市街地ゲーム場 京都・河原町」によると、今回紹介する2店は赤枠となり、共に運営はタイトーとなっています。また河原町界隈だけでタイトー系列店舗が全部で5店存在していたことがわかります。

 

最初にベーマガ誌面に掲載されたのはジョイプラザ21です。1984年8月号にて初登場となりましたがこの号のみの単発掲載に留まりました。(そのため店舗欄が現状は状態の悪い画像しかありません。ご了承下さい。)

 

場所は四条河原町交差点から河原町通を北上、河原町三条との丁度中間付近となります。

(精密住宅地図 京都市中京区1981年より)

 

1981年時点で店舗は存在しており、またタイトーの関西事業所も兼ねていたようです。

「ドリームイン河原町」もこの時点で既に存在、位置関係把握のためこちらは青枠にて地図上に記載しました。

 

そして1984年9月号から「ドリームイン河原町」の掲載が開始されますが、前述の通りジョイプラザ21は8月号単独掲載のためドリームイン河原町とは重複せず、実質掲載店が代替されたことになります。

 

その後ドリームイン河原町単独での掲載が継続しますが長続きはせず、スコアが記入された店舗欄は1985年7月号が最後、その後8,9,11月号は休載表示となり姿を消しています。スコア掲載は1年程度に留まりました。

(ゲームマシン 1985年8月1日号より)

 

また1985年時点の両店店内光景がゲームマシン誌に掲載されていますが、四条河原町交差点に近く新しめのアップライト筐体の姿も見え、河原町周辺におけるタイトー系店舗の顔とまで記事中で記されたドリームイン河原町に対し、立地的に劣るジョイプラザ21はテーブル筐体オンリーとなっており、常連客が系列店へ流れているようだとの当時のタイトー京都営業所長の回答があります。

 

その影響もあったのか、1988年の住宅地図ではジョイプラザ21の場所は「珈琲 青山」となり店舗は消失、そしてドリームイン河原町は「ジョイランドタイトー河原町店」と名称を変え存続しています。

(精密住宅地図 京都市中京区1988年より)

その後「ジョイランドタイトー河原町店」の時にはゲーメストの店舗紹介記事でも取り上げられました。

ゲーメスト 1989年8月号より)

この頃になると繁華街店舗らしく大型筐体やメダルゲーム中心の構成となっていたようで、1985年当時のビデオゲーム主体の店舗から様変わりをしていたようでした。

 

そして2024年時点では両店共に既に店舗の形跡はなく、ドリームイン河原町の跡地は周囲の複数の店舗も含めて1階が店舗スペースの「ホテルミュッセ京都」となっています。またジョイプラザ21は昔の住宅地図と比較すると恐らくは写真の「サンマルクカフェ」の場所が該当すると思われますが、建物が当時のままなのかどうかは外見からは判断できませんでした。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年4月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年4月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年4月号/トピック店舗:ゲームプラザ京都オリンピア(京都府)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1992年4月号)

ゲーメスト1992年4月号(第7巻第4号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は90で先月比+1、先月に6店登場していることもあり今月の新規掲載店はありません。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1992年4月】

ゲーメスト 1992年4月号より)

 

栃木県の今市ゲームセンターの店内スコアボード写真が掲載されていますが、ハイスコア全盛期のスコアボードはお店のアイデンティティとも言えるアイテムでした。

 

ホワイトボードに書かれているのみではなく、フォントを統一していたりゲームタイトルロゴがイラストになっていたりすると、店舗のスコアボードに対する意気込みが感じられたものです。

 

ただ90年台に入ってハイスコアから対戦ゲームへトレンドがシフトするにつれ、綺麗なスコアボードを店内で目にすることは次第に少なくなっていった気がします。

 

トピック店舗:ゲームプラザ京都オリンピア

 

トピック店舗は京都府の初期ゲーメスト掲載店から2回目、「ゲームプラザ京都オリンピア」をピックアップします。

 

ゲーメスト 1989年4月号より)

2024年8月11日撮影

 

阪急河原町駅付近の四条河原町交差点付近は京都市随一の繁華街が広がっており、数を大きく減らしてはいるものの現在もいくつかのゲームセンターが営業されています。

 

今回紹介する「京都オリンピア」もその一つですが、かつてハイスコア集計店として履歴が残っている店舗で2024年現在でも営業が継続している貴重な店舗です。

 

場所は京都の観光コースでも定番となっている新京極商店街の中にあります。

四条通り側から商店街を北上し、蛸薬師通りと交差する場所に3軒の店舗が並んでおりそのうちの1軒です。飛行機のオブジェが店舗のシンボルとなっており非常に目立つ存在となっています。

(精密住宅地図 京都市中京区1988年より)

 

1988年の住宅地図にて所在を確認しています。

この時点ではオリンピアに隣接した場所に「三和スターダスト」というゲームセンターとパチスロ店の「モナコ」が存在していますが、1981年の地図においてモナコもゲームセンターだったことを確認しているためかつては3軒のゲームセンターが並んでいたようです。

(ゲームマシン 1985年8月1日号より)

そして1985年8月1日号のゲームマシン誌「全国市街地ゲーム場 京都・河原町」において店舗紹介記事及び当時の店舗外観写真が掲載されています。飛行機オブジェは当時から健在でアイキャッチとして効果を上げていたようです。

 

この時点では店舗運営元が「京都オリンピア」となっていますが、その後こちらはゲームメーカー「ビデオシステム株式会社」の直営店として有名となります。恐らくはビデオシステム社が経営権を取得したものと思われます。

ゲーメスト 1989年3月号より)

 

そしてゲーメストへハイスコアが掲載されたのは1989年4月号からですが、その前月に人材募集、および直営店舗である京都オリンピアの紹介記事が掲載されていました。当時から店舗のシンボルだった飛行機オブジェの色は現在の緑ではなくピンクで、羽の部分に「KYOTO OLYMPIA」、そして中央にビデオシステム社ロゴのVマークのネオンサインが映っています。

 

店舗紹介記事を見ると、直営店ならではのロケテスト実施や、店舗サークルの設立といったゲーマー間のコミュニケーションの場として店舗を盛り上げていこうという意識が当時あったと思われます。ハイスコアの掲載もその施策の一環として開始されたと予想しています。

 

しかし初掲載から4か月後の1989年7月号をもってハイスコアの掲載は早々に中止されてしまいました。

1989年8月号では京都のゲームセンター紹介記事がありますが、地図上に店舗の場所は描かれているものの紹介文は掲載されていません。

ゲーメスト 1989年8月号より)

そのため、1985年以降のタイミングでビデオシステム社が京都オリンピアを取得し直営店とした後に、店舗運営の一環としてハイスコア掲載のようなゲームマニア向けの差別化を打ち出したものの効果が薄かったため中止、取材も受けることもしなかったという線が考えられると思います。

 

確かにただでさえ人通りの多い新京極商店街という最高の立地において、わざわざマニア層を店舗に呼び込む意義は低そうです。

ただゲーメスト誌面に広告記事を出してまでアピールを行った顛末については気になるところではあります。

 

その後ビデオシステム社は2000年以降企業としての活動をほぼ停止しており、京都オリンピアも再び経営権が売却されプリクラ専門店となって現在に至っています。また隣接していた三和スターダスト、モナコは共にガチャガチャ、プライズ、カード系のショップとなっており、いずれも風営法上ではゲームセンターへの分類となっているかもしれませんがビデオゲームの存在は皆無となっています。

 

そして店舗のシンボルとなっている飛行機のオブジェですが、珍しさに加えて非常に多くの人の目に留まる場所故に有名となり、一時は商店街の公式ウェブサイトにも紹介がされるほどでした。 

https://www.shinkyogoku.or.jp/store_info/olympia.html

(リンク切れ)

 

以前は上記リンクにて閲覧ができたのですが、現在はページが削除されているようです。また、2024年時点での新京極商店街振興組合公式ウェブサイト内ではオリンピアの存在は一切触れられていません。

www.shinkyogoku.or.jp

また「京都の人気ガチャガチャスポット」で検索すると、プリクラ専門店のはずであるオリンピアをガチャスポットとして取り上げている記事も存在します。

kyoto-information.com

店名は京都オリンピアで、紹介文も飛行機のオブジェを連想させる文言ですが写真はなぜか隣接している「ハリケーン寺町」を写しています。ガチャガチャ店の紹介であれば店舗名もハリケーンにすればよいと思うのですが…

 

新京極商店街HPから店舗紹介ページが消えていることも含め、なにか複雑な事情を抱えているような気がします。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年3月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年4月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年4月号/トピック店舗:ビッグキャロット京都店(京都府)

イスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1992年4号)

マイコンベーシックマガジン1992年4月号(第11巻第4号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

先月号にて掲載店を募集した効果で新たに5店が新規登録されていますが、総数は87で先月比-3とむしろ減少してしまいました。

 

セガ

プレイスポットすーるぽん(東京都

 

・その他

ゲームセンター二和エコー店(千葉県)

 

ゲームパレス(静岡県

 

プレイシティNASA杉本町店(大阪府

 

エグザス(福岡県)

マイコンベーシックマガジン 1992年4月号より)

 

渋谷は山手線高架下にあった「プレイスポットすーるぽん」ですが、セガ系の店舗であることを情報から把握しています。それにしても未だに「すーるぽん」という名称の由来を存じておりません。

 

関西のスコア有力店「プレイシティNASA杉本町」もベーマガへ登場、ゲーメストは1990年10月号から掲載されていたため1年半遅れとなりました。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1992年4月】

マイコンベーシックマガジン 1992年4月号より)

 

ストリートファイターⅡの「乱入対戦台」に続いて「通信台」という表現が登場しました。現在でも設置され続ける「筐体を2台使用して対面(隣接)に配置する」タイプの対戦台がこの頃から登場し、乱入対戦の敷居を大きく下げることによって対戦ムーブが爆発的に拡大することになります。

 

ここから対戦格闘ゲームの「対人対戦」黄金期が始まるのですが、結果的に従来型のタイトルはますます縮小傾向へと向かっていくことになります。

 

トピック店舗:ビッグキャロット京都店

 

ベーマガもトピックを京都に移します。

まずはこの店舗から、ということで「ビッグキャロット京都店」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年6月号より)

2024年8月11日撮影

1984年1月号のベーマガオリジナル26店には名を連ねなかったものの、同年6月号から京都府初のベーマガハイスコア掲載店として登録がされました。それからは京都のみならず関西地区における代表的なハイスコア掲載店としてその名を広く知られることになります。

 

場所は京都中心部の河原町通りと今出川通りが交わう河原町今出川交差点の付近で、今出川通りを東に進み鴨川を渡ると京阪・叡山電鉄出町柳駅があります。

写真の「ジョイシティプランタン」ビルの地下1階に店舗は存在していました。

(精密住宅地図 京都府上京区1990年より)


写真を見てもわかるように3階までが店舗となり、4階から上はマンションとなっています。1990年時点でキャロットの存在を確認していますが、ミスタードーナツ及び2階のインドアゴルフについては2024年時点でテナントが存続していることがわかります。

 

1992年頃に一度店舗を訪問したことがあります。

8枚目の地下1階を降りる階段、そして降りた先の9枚目写真の通路部分にキャロットがあった頃の面影を感じました。地下は現在複数のテナントにて使用されていますが元々はキャロットが全フロアを使用しており、階段を下りた先の廊下左手にある現在のダンススタジオのガラス越しに店内や筐体が見えていたことをうっすらと覚えています。

 

店舗オープンは1984年3月12日との情報です。ベーマガへの誌面掲載は1984年6月号からのためほぼ開店当初からハイスコアの集計、掲載を実施していたことになります。

ただビルの定礎は昭和54年(1979年)のため、ビル竣工当初からナムコが入っていたということではなさそうです。

 

そしてゲーメストが創刊されると、1987年1月号からこちらでも掲載を開始しダブル掲載店となります。この頃から90年台初頭あたりまでが特にハイスコア的に店舗の黄金時代と言えそうです。

ゲーメスト1987年1月号より)

 

最終的にゲーメストにおけるトップスコア獲得数である☆を175個獲得した有力店だっただけに、誌面における店舗紹介記事にも度々登場しています。

以下「ランダムピックアップ」の京都特集(1989年8月号)、および「行った!見た!強者どもの店(大阪、京都、愛知、青森、宮城)」(1990年11月号)の抜粋です。当時の店舗内外観や雰囲気の記録が残っています。

ゲーメスト 1989年8月号より)

ゲーメスト 1990年11月号より)

 

また「ゲーム文化保存研究所」の「ゲームセンター聖地巡礼『1980代 京都』前編」においても跡地の訪問や当時の店舗事情について語られています。

igcc.jp

しかし上記igccの記事内に「店長が交代してスコア集計が無くなるなどの方針転換があり、スコアラーがみな一乗寺の『GAME's WILL』に移った」とあるようにゲーメストは1993年5月号をもって掲載を終了しました。6年半程度の掲載期間となっています。

 

最終掲載となった1993年5月号ですが、ちょうど「GAME's WILL」がゲーメスト初掲載となった号であり、店舗欄も上下で隣接していました。新旧交代を象徴するような光景となっています。

ゲーメスト 1993年5月号より)

 

しかしベーマガへの掲載はその後も継続され、最終掲載は1995年5月号となっています。掲載は11年に及びました。1993年5月号以降に特にスコア掲載が停止していた期間がないことから、igccにおける「スコア集計の停止」という表現は必ずしも正しくない可能性があります。

 

正確な閉店時期は確認できていませんが、ナムコが1996年に京都の繁華街である河原町に6階建ての「ワンダータワー京都店」をオープンさせているため、その前には閉店していたことと予想しています。

web1.kcn.jp

こちらは6階にビデオゲームフロアが設けられ、ゲームファンの集客を志向した運営が行われた時期もあったようですがハイスコア集計店として名乗りを上げることはありませんでした。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年3月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年3月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年4月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年3月号/トピック店舗:ビデオインマツヤ丸太町店/ニューゲームビッグ(京都府)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1992年3月号)

ゲーメスト1992年3月号(第7巻第3号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は89で前月比+2となっています。

今月は一気に6店の新規掲載店が登場しています。

 

セガ

ハイテクセガとやの店&駅前店(新潟県

 

・その他

ゲームセンター101&遊(新潟県

 

アミューズメントスペースハスラー三重県

 

ゲームプラザニューヨーク(神奈川県)

 

ホワイトハウス箱崎店(福岡県)

 

春駒ゲームセンター(佐賀県

ゲーメスト 1992年3月号より)

 

新潟県の「ハイテクセガとやの店&駅前店」ですが、先月まで掲載されている「ハイテクセガ万代」の代替で掲載されたと想像しています。「新潟市花園1-4-6」という住所はJR新潟駅に近接した場所のため、駅前店の住所であろうと思われます。

また「とやの店」については新潟市の郊外に「鳥屋野」という字があることからそのエリアに存在したと思われますが、正確な住所は現時点では確認出来ていません。

 

いずれもこれまで掲載履歴のあるハイテクセガ万代、ハイテクセガ新潟のどちらの所在地にも該当しないため新規店扱いとしています。

 

しかしこの「とやの店&駅前店」での掲載は今号限りとなり、次号からは「ハイテクセガ万代店&駅前店」の掲載となってしまいます。

 

また今回、特に新規店の事前募集告知がされていないにも関わらず一気に掲載店が増加したのですが、「めざせハイスコア」タイトル部分に注釈がありました。

ゲーメスト 1992年3月号より)

 

通算50号(1990年10月号)にて大幅な掲載店の入れ替えが実施された際に、掲載希望を出しておきながら掲載がされなかった店舗があり今回フォローがされたといった所でしょうか。

 

その中でこちらも新潟市の「ゲームセンター101&遊」は、ベーマガではそれぞれ店舗欄を持っていましたがゲーメストでは合同集計として登場しています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1992年3月】

ゲーメスト 1992年3月号より)

 

今月のスコア欄をめくると違和感があったのですが、ページの配置が間違っています。

 

106ページまでは良いのですが、107ページが106ページ末尾が神奈川県の店舗なのに対していきなり大阪府へ飛びます。しかもトップスコア欄の「君こそゲーメスト」は「その2」です。

一方「その1」は109ページに存在しているため、恐らくは107ページと109ページが入れ替わっているのですが、ルビはこの順番のため敢えてそのままアップしています。


トピック店舗:ビデオインマツヤ丸太町店/ニューゲームビッグ

 

トピック店舗は山梨から場所を変え、京都を取り上げます。

最初は「ビデオインマツヤ丸太町店」「ニューゲームビッグ」の2店をピックアップします。

 

【ビデオインマツヤ丸太町店】

ゲーメスト 1986年11月号より)

2024年8月11日撮影

【ニューゲームビッグ】

ゲーメスト 1987年1月号より)

2024年8月11日撮影

京都は学生の街でもあり、伴ってゲームセンターが多数立地していた場所でもあります。

最初に紹介する2軒はゲーメスト最初期において京都市内にてハイスコアを掲載していた店舗です。

 

「ビデオインマツヤ丸太町店」は、京都駅から東へ延び地下鉄も走る烏丸通りと、南北方向に走る丸太町通りの交差する烏丸丸太町交差点の付近にありました。地下鉄烏丸線丸太町駅が最寄となっています。交差点から北東方向には京都御所の敷地が広がっています。

(精密住宅地図 京都市中京区1988年より)

交差点に面して1階がマクドナルドとなっている「アオキ書店ビル」が現在も存在していますが、その隣の建物に「ビデオインマツヤ」を確認しています。2024年時点ではラーメン店になっています。

 

ゲーメスト誌面には1986年11月号から登場し、京都府初のゲーメスト掲載店となりますが、それ以前にアミューズメントライフ誌及びベーマガでの掲載履歴があります。

アミューズメントライフ 1984年8月号より)

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年10月号より)

アミューズメントライフ誌は1984年8月号における単発での掲載。店名が「ビデオインマツダ」となっていますが住所は一致しているため店舗名の誤植と判断しています。

 

またベーマガへは1984年10月号から誌面に登場しています。メーカー系店舗以外ではかなり早くから掲載が開始されていた歴史あるお店です。ゲーメストへの掲載をもってダブル掲載店となります。

 

しかし先行していたベーマガへの掲載は1988年2月号をもって終了、その後はゲーメストの単独掲載店となりますが、ゲーメストでも1988年は3,5,7~9月号において休載を発生させており、この頃は若干不安定な時期だったのかもしれません。

 

その後、ゲーメスト1989年8月号の地域店舗紹介記事「ランダムピックアップ」の京都編にて店舗が取り上げられています。

ゲーメスト 1989年8月号より)

 

当時の店舗内外観の貴重な写真が掲載されていますが、いかにも昔のゲームセンターの出で立ちを彷彿させています。記事内にもあるように改装が予定されていたようで、1989年9,10月は店舗欄を欠いていたことからこの期間にて改装が実施されたものと思われます。改装後の店舗内外観が記録された資料は発見に至りませんでした。

 

そして1990年12月号をもって誌面への掲載をストップしています。ベーマガ3年半、ゲーメスト4年、トータルでは約6年の掲載期間となりました。閉店は1990年台末という情報を発見しています。

 

そしてもう一軒の「ニューゲームビッグ」ですが、こちらは京都市郊外の左京区叡山電鉄一乗寺駅前から延びる通りに面していました。駅を出て通りを西方向へ向かうと程なく跡地に辿り着きます。

(精密住宅地図 京都市左京区1988年より)

 

1988年の住宅地図で所在を確認しています。周辺店舗の構成は変わっていますが、当時から付近は日常使いの商店と宅地が広がっていたようです。

 

現在一乗寺付近はラーメン店が林立し「一乗寺ラーメン街道」と呼ばれ京都随一のラーメン店激戦区として有名になっています。

kyoto-kanko.net

 

こちらもランダムピックアップの京都編にて店舗が取り上げられています。

ゲーメスト 1989年8月号より)

こちらは店舗外観の写真がありました。

 

2024年現在は写真のように鉄板焼き店となっていますが、この1フロアだけだとさすがに狭すぎると現地では思ったものの、2階にもフロア展開されていたことが記事から明らかになっています。2階の窓の形状で現在も建屋はそのままであることが確認出来ます。「向かいの古本店」は既になく、洒落た食堂となっていました。

ゲーメスト 1989年8月号より)

 

ちなみに記事内ではバスで向かったように記載されていますが、当時の誌面に掲載されていた京都周辺交通図を見ると叡山電鉄が孤立しており、まだ京阪鴨東線(三条~出町柳)が未開通だったことが分かります。鴨東線の開通は1989年10月5日のため、この記事が執筆されたのは開業数か月前。その頃は一乗寺へはバスでアプローチする方が便利で、叡山電鉄を使用する選択肢はあまりなかったのかもしれません。鴨東線開業までは駅前とはいえアプローチはあまり良くなかったものと思われます。

 

誌面へは1987年1月号と「ビデオインマツヤ」の次号から掲載されています。こちらはベーマガへ掲載されることはありませんでした。最終掲載は1990年8月号となっています。閉店時期は判明していません。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年2月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年3月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年4月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年4月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年3月号/トピック店舗:プレイシティキャロット甲府中央店(山梨県)

イスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1992年3号)

マイコンベーシックマガジン1992年3月号(第11巻第3号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は先月比+1の90となり90台を回復しています。

新規掲載店ですが、愛知県の「キャノン最前線」がゲーメストに続き岡崎市の住所で掲載されるようになったため新規店扱いとします。

 

・その他

キャノン最前線(愛知県)

マイコンベーシックマガジン 1992年3月号より)

 

ゲーメストでは1991年10月号から岡崎市の住所に変更となりましたが、ベーマガは1992年1月号までは名古屋市の住所にて掲載されていました。今月で両誌共に住所は岡崎市で統一されましたが名古屋の店舗が閉店したわけではなく、実質合同集計となっていたと思われます。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1992年3月】

 

マイコンベーシックマガジン 1992年3月号より)

 

コーナー末尾にチャレハイ参加店募集の案内が掲載されています。1991年3月号以来となります。

 

1991年は90~100店の範囲で推移していた店舗数ですが92年に入ると90を割り込み、再度募集がなされています。

ゲーメストは1年未満で掲載を終える店舗が少なかったのに対しベーマガは短期での掲載終了が結構な頻度で発生しており、伴って掲載店募集も度々行われることになります。


トピック店舗:プレイシティキャロット甲府中央店

トピックは甲府市のキャロット系店舗から3店目、「プレイシティキャロット甲府中央店」をピックアップします。

マイコンベーシックマガジン 1986年3月号より)

2024年7月13日撮影

甲府市中心市街地にある岡島百貨店前から旧甲州街道国道411号)を東に向かうと程なく跡地に到着します。住所は中央町ですが、商店街を抜けた場所にあり周囲は事務所の方が多いという場所です。

ゼンリン住宅地図 甲府市1987年より)

 

1987年の住宅地図にて存在を確認しています。店舗背後のNTT甲府電報・電話局が2024年時点でも健在のため特定しやすい場所になります。ただ周囲は更地となっている箇所が多く、この建屋のみが取り残されている風情です。

 

この店舗、2005年頃に仕事で甲府の町中を歩いていた時に偶然跡地を発見したのですが、その時には店舗の壁面(恐らく5枚目写真の箇所)に「PLAY AND GAME」の文字とキャロットの人参マークを消した跡がハッキリと残っており、店舗調査した際に残っていることを期待したのですが残念ながらその形跡はありませんでした。

 

誌面への掲載は1984年からスタートした甲府市内の他の2店より遅れて1986年3月号から開始されました。そのため他の2店より後にオープンした可能性があります。掲載をしていなかっただけかもしれませんが...

 

繁華街はすぐそこにあるのに微妙に距離を外した場所に店舗を構えるのは当時のナムコの出店方針が現れている印象です。岡島百貨店内にもナムコは店舗を持っていたため、自社競合を避ける意味合いもあったのかもしれません。

 

さてこれまで紹介してきた甲府市内のキャロット3軒ですが、ベーマガには単独で各店舗欄を持っていたもののゲーメストでは合同集計の体裁を取っていました。

ゲーメスト 1987年1月号より)

 

こちらの住所は当時のナムコ甲府事務所となっています。

事務所の住所も調査をしてきました。

2024年7月13日撮影

ゼンリン住宅地図 甲府市1987年より)

 

甲府市の市街地から東へ進み、山梨の景勝地である昇仙峡から流れ出る荒川を渡った場所になります。1987年における機山工業高校は現在は甲府城西高校と名前を変えています。建物はナムコが使用していた時から変わっていないと思われます。

 

そして備考欄にスコアが出された店舗名が記載されていますが、その中に「大丸富士見」の文字が見えます。

こちらはベーマガでも「富士見店」の名称で甲府中央店の備考欄にて登場しています。

マイコンベーシックマガジン 1987年1月号より)

 

住所情報等が一切無いため、「大丸 甲府」で検索してみると、甲府市及び近郊のパチンコ店及びボーリング場である「DAIMARU」がヒットします。

 

しかし現在の甲府市富士見町、もしくは富士見通り沿いにそれらしき施設は見当たらなかったため、以前存在したパチンコ店もしくはボーリング場併設のゲームコーナーだったのではないかと思われますが、当時の地図までは確認していないため要追跡となっています。

 

そしてゲーメストは1990年8月号をもって掲載終了となりました。

丁度掲載店の入れ替えでナムコ系店舗が大幅にゲーメスト誌上から姿を消した時期と重複しますが、朝日町キャロットがベーマガから姿を消したのが1990年8月号のため、合同掲載の解消に伴い誌面への掲載を停止したと考えるのが自然と思われます。

 

一方の甲府中央店は朝日町、善光寺が1991年までに次々とベーマガ誌面から姿を消す中で掲載が継続され、最終的には1993年8月号までの掲載を確認しています。閉店時期は不明ですが1996年の住宅地図には既に店舗は存在していませんでした。

 

最後に甲府市内のナムコ系キャロット店舗3店の位置関係を記した地図をアップします。

近隣にキャロットが存在せずその存在を知ることの叶わなかった地域が多数ある一方で、人口20万の都市にこれだけキャロットが密集していた甲府市はとても贅沢な場所だったと思わずにはいられません。

 

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