小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1993年1月号/トピック店舗:水戸サントピアナムコランド(茨城県)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1993年1月号)

マイコンベーシックマガジン1993年1月号(第12巻第1号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は91で先月比+3となり90を回復しています。

新規掲載店が1軒あります。

 

・その他

TVスポットポテト(大阪府

マイコンベーシックマガジン 1993年1月号より)

 

大阪府のハイスコア掲載店は豊中、吹田、茨木、高槻等圧倒的に阪急沿線が多く、特に近鉄や南海の沿線である河内や和泉方面の店舗は少なかったのですが、貴重な近鉄沿線の掲載店となっています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1993年1月】

マイコンベーシックマガジン 1993年1月号より)

 

1991年3月号から掲載されていた、「ゲームセンターIC砧店&千歳船橋店」ですが、1992年6月号から「ICチェーン4店集計」へと変わった後に、1992年9月号からはコーナー巻末に広告が掲載されていました。

 

今号でも掲載されていますが確認した段階では今回が広告は最後となっています。

気になるのは、コーナー巻末は掲載店数が少ない時に自社広告などで穴埋めとして使用されていたのですが、他社広告であれば広告料が発生しているはずなので、巻末に広告を掲載できる大きさの空欄が発生しなかった場合はどのように処理されたのか、ということ。「今号は欄がないため広告料は返金します」という感じで済まされたのでしょうか…

 

トピック店舗:水戸サントピアナムコランド

 

トピックは茨城県ナムコ直営店舗から3軒目となる「水戸サントピアナムコランド」をピックアップします。

マイコンベーシックマガジン 1986年4月号より)

2024年11月23日撮影

 

つくば→日立と続いた茨城県ナムコ系ハイスコア掲載店ですが、ようやく県庁所在地である水戸市の店舗紹介となります。

 

JR水戸駅から水戸市中心街に向かう銀杏坂(国道50号)を丁度登り切った場所にある水戸中央郵便局のほぼはす向かいの場所に、写真の現在は駐車場となっている敷地があります。

 

かつてその場所には「サントピア」というファッションビルが建っており、その7階にナムコランドが存在していました。

ゼンリン住宅地図 水戸市東部1988年より)

 

1988年の住宅地図です。

テナント一覧もありましたが、ほとんどがファッションテナントのようで7階のナムコランドだけが妙に浮いています。

 

ファッションビルにゲームセンターが出店するという構図は、プライズ機やプリクラが主流の現在では特に珍しいことではありませんが、ビデオゲームが主体の80年台では一般的ではありませんでした。

 

ただ昔から百貨店やショッピングセンター内のテナントが多かったナムコは、若者が集まる施設との位置付けでショッピングセンター同様にファッションビル内店舗を展開した経緯があります。ここ以外でも青森県弘前市の「ハイローザ」や、新潟市の「カミーノ古町」が同様なコンセプトのお店として、またハイスコア集計店として誌面に掲載されるにまで至っています。

 

サントピアのオープンは1978年(昭和53年)なのですが、ファッション専門ビルとしては渋谷パルコに次いで全国2例目と言われています。(諸説あるようです)

 

しかしオープン前からテナント集めは難航、オープン後も最初は売上が上がらず、テナントの撤退が相次いでいたようです。

下記のnoteに、サントピア開業前~開業直後の頃の逸話が掲載されています。

note.com

この中にゲームセンターやナムコといった言葉は出現していません。また1984年のナムコ会社案内にある「直営店一覧」には水戸サントピアの文字はないため、恐らくは1984年以降にテナントとしてナムコが入居したのではないかと思われます。

 

そして誌面への登場はベーマガ1986年4月号から開始されますが、都市型店舗である「キャロット」ブランドではなく、インストア店舗である「ナムコランド」ブランドがハイスコア掲載店となったのは、同時に掲載がスタートした北海道の「西野ナムコランド」を合わせて初めての事例となっています。

 

同時に水戸市初めてのハイスコア掲載店となりますがその期間は短く、1987年3月号が最後となるため1年にて掲載店としては幕を閉じています。こちらの掲載中止以後、同じ北関東の高崎や宇都宮と比較して水戸は掲載店とは無縁の場所となってしまい、以後の歴史でもゲーメスト2部掲載店を1軒確認するのみとなってしまいました。

 

また、1988年(昭和63年)3月発行の「オールアバウトナムコⅡ」の巻末に掲載されていた「ナムコ直営ゲームセンター一覧」にも水戸サントピアの文字はありません。そのため1984~88年の間のごく短期間の営業に留まった可能性が高いです。

 

若者向きとはいえ女性向けファッションテナントが主体でビデオゲームの主要顧客である男子学生と施設の相性が悪く、かつ7階というビル上層だったこともあってか、営業的には残念ながら成功とは言えない店舗だったようです。そのため、水戸市の歴史としてサントピアが取り上げられているブログ等も見てもサントピア内にゲームセンターが存在したということは全く触れられておらず、ベーマガのハイスコア欄にのみ僅かにその存在を確認出来るだけに留まっています。

 

最後に、サントピアは2007年まで営業が続けられた後に2016年に建物が解体され更地となっているのですが、その解体の様子を記録した映像作品がかつて公開されていました。下記リンクからその一部を見ることが可能となっています。

theatre.washingtown.jp

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年12月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年12月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1993年2月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1993年1月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年12月号/トピック店舗:今市ゲームセンター(栃木県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1992年12月号)

ゲーメスト1992年12月号(第7巻第14号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は83で先月比±0、新規店の掲載もありません。

 

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1992年12月】

ゲーメスト 1992年12月号より)

 

名古屋イエローハットのハイスコア通信欄に「今のオススメはガンバスターの対戦」のコメントがあります。

 

タイトーが1992年に発売したガンシューティングゲームですが、2画面及び最大で2対2の4人対戦まで可能となっています。

筐体外観やゲーム内容の紹介がゲーム基板販売店の「ひげねこ堂」のホームページにありますので以下引用します。

www.higenekodo.jp

ゲーム最大の特徴は「自機とガン照準の操作が別々」なことで、そのため照準移動用のガンとは別に自機移動用のレバーも付いています。筐体外観はこの操作系が4人分並んでいるため横幅が広く、ごつい印象となっています。

 

ガンとレバーの両方を扱う必要があるため操作のハードルが非常に高いのですが、ひげねこ堂の紹介にもあるように操作に慣れると自由度の高いゲームを楽しむことが出来ます。特に対戦モードは1人プレイとは全く別内容となり、固定された4種類のマップ上にて1対1(2対2)で相手と撃ち合うというもので、現在のFPSの始祖とも言えるものでした。

 

当時自分のホームゲーセンだったハイテクノーベル神保町でも常連間で対戦がブレイクし、最盛期はストⅡよりもこちらの対戦ばかりやっていたものです。名古屋に居た際のホームだったイエローハットでも対戦が流行っていたようなので、不思議と縁のあるゲームだと感じています。

 

しかしタイトーの大型筐体は直営店以外で見かけることが少なく、名作との呼び声の高いナイトストライカーでさえも流通に泣かされた経緯がありますが、こちらも操作のとっつきにくさに加えて流通も非常に少なく、結果としてマイナーゲームの域を脱することが出来なかったことは非常に残念です。

 

トピック店舗:今市ゲームセンター

トピック店舗は継続して栃木県の店舗から、今市市(現日光市)の「今市ゲームセンター」をピックアップします。

 

ゲーメスト 1990年10月号より)

 

2024年12月28日撮影

現在の日光市は2006年に周辺5市町村の合併にて誕生していますが、合併前の旧今市市の中心である東武鉄道下今市駅前に立地していたのが今回紹介する「今市ゲームセンター」です。

ゼンリン住宅地図 今市市1991年より)

1991年の住宅地図にて所在を確認しています。駅前ロータリーにほぼ隣接する場所です。

1,2階を両方使用していたことが分かりますが、1階には「いろはにほへと」という店舗が別途存在していたようで、面積的には2階がメインだったと思われます。

 

2024年現在ですが、東武鉄道下今市鬼怒川温泉間にてSLの運行を始めた影響で駅付近が整備されており、1991年時点で駅前に存在していた「東武スイミングクラブいまいち」は建物が存在せずロータリーが拡幅されています。

 

そして今市ゲームセンターの場所には1階が不動産店、2階が美容室の写真の建屋がありましたが、2階店舗への入口が完全に別となっていること、また建屋の外観や造作から定礎は発見できませんでしたがどこかのタイミングで建て替えられているように思えます。情報をお持ちの方は是非ともコメントをお寄せ願います。

 

誌面への掲載ですが、ベーマガ1986年4月号が初となっておりゲーメスト創刊以前からの履歴を持っています。

マイコンベーシックマガジン 1986年4月号より)

 

これで1986年時点では既に店舗は営業されていたことが分かりますが、1986年の住宅地図では今市ゲームセンターの場所に存在を確認出来ませんでした。

ゼンリン住宅地図 今市市1986年より)

 

薄くて見ずらいですが、青枠の箇所には「2F 喫茶カントリー」の文字があります。喫茶店からゲームセンターへ転業した可能性が高いと思われます。

 

その後ベーマガへは1987年4月~10月と長期の休載の後に11月号から復活したものの、翌1988年2月号にて一旦掲載が終了、その後1992年1月号から再掲載を果たした後に1996年2月号までの掲載を確認しています。

 

一方のゲーメストですがベーマガから遅れること4年以上の1990年10月号から掲載が開始されます。こちらは特に大きな休載を挟むことなく1999年3月30日号まで8年以上に渡って掲載が継続されました。ベーマガから通算すると13年に渡る長期掲載店となっています。特にハイスコア通信欄等で告知も無かったため閉店時期は判明していません。

 

ゲーメスト誌面に店内ハイスコアボードの写真が掲載されていました。

ゲーメスト 1992年4月号より)

 

手の込んだボードからわかるようにハイスコア熱が高いお店で、立地的に厳しい地方ながら特に90年台前半は時折全国トップスコアも輩出されており、店舗名を認識していたスコアラーも結構いらっしゃったのではないかと思います。

 

また入場時間に関する案内板がセガの備品タイプとなっており、セガ系列店である可能性を窺わせますが証拠となる情報を確認するには至っておりません。こちらも情報がありましたらお寄せいただきたくお願い申し上げます。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年11月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年12月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1993年1月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1993年1月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年12月号/トピック店舗:日立キャロットハウス→プレイシティキャロット日立店(茨城県)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジント1992年12月号)

マイコンベーシックマガジン1992年12月号(第11巻第12号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は88で先月比-1、4店の新規掲載があります。

 

セガ

渋谷会館B1セガ(東京都)

 

・その他

プレイシティ24(北海道)

 

ガリバー目白店(東京都)

 

タウンスポットプレイランド(大阪府

マイコンベーシックマガジン 1992年12月号より)

 

2013年まで営業が続いた渋谷会館ですが、かつてこの地下1階はセガ運営となっており、ハイスコア掲載を行っていた時期があります。ただ新宿のスポット21同様にスコア掲載店のイメージは全く持たれていないと思われます。

 

そして北海道第二の都市、旭川市に久々に登場したベーマガ集計店が「プレイシティ24」です。

「プレイシティキャロット旭川店」はゲーメスト単独掲載店だったため、1985年11月号にて「アドベンチャー」が姿を消して以来実に7年振りとなります。

 

ガリバー目白店」は、既に掲載されている「ガリバー柏店」「ガリバー熊谷店」と同一系列です。先月号にて熊谷店のスコア担当者が目白店に異動したとチャレハイ通信欄にあるため、異動した担当者によって目白店でも掲載が開始されたようです。

 

「タウンスポットプレイランド」は1990年10月号よりゲーメスト掲載店となっているため、2年遅れで重複掲載店となっています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1992年12月】

マイコンベーシックマガジン 1992年12月号より)

 

チャレハイ通信欄にて気になった店舗が、千葉県市川市の「市川ゲームスポット」です。

1992年というビデオゲームがほぼストⅡ一色の時期に、「ストⅡもストⅡダッシュもない」という店舗はなかなか厳しいものがあります。

 

場所はJR市川駅ダイエー地下で立地は良かったのだろうと思いますが、メーカー系(ナムコ)であることに加え営業時間的な制約もあったためなのか、あまり他社新製品の供給を受けられなかったのかもしれません。

 

トピック店舗:日立キャロットハウス→プレイシティキャロット日立店

 

トピック店舗は引き続き茨城県ナムコ系店舗から、「日立キャロットハウス→プレイシティキャロット日立店」を取り上げます。

 

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)

(ボウリング場)

(別館)

2024年11月23日撮影

日立製作所企業城下町として有名な茨城県日立市

市街地はJR常磐線日立駅と、ひとつ手前の常陸多賀駅付近に分散していますが、丁度その2駅の中間付近に現在も営業が続けられているボウリング場「日立ボールクレーン」があります。開業は1971年と50年以上の歴史を誇ります。

 

ボウリング場のレーンがある建屋(写真1~4枚目)の裏側に駐車場と合わせて別館(同5~10枚目)があり、その別館内にキャロットが存在していたようなのですが…

ゼンリン住宅地図 日立市1985年より)

1985年の住宅地図となります。

誌面への初掲載はベーマガ1984年8月号のため、1985年時点では既に店舗は存在していたはずですが、日立ボールクレーン本屋及び別館の箇所には「ゲームセンター」や「キャロットハウス」といった単語はありません。

 

1991年の地図も参照してみました。

ゼンリン住宅地図 日立市1991年より)

 

こちらでは別館に「キャロット」の文字が確認出来たため、所在の根拠としています。

 

別館ですが、2024年時点で1階は営業を休止しているダンスホール、2階はカラオケ店となっています。

建屋正面側には店舗の存在を窺わせるものはなにもありませんでしが、裏側へ回ると1階への出入口が残っており、そして視線を上に向けたところ建屋壁面にうっすらと「CARROT」の文字を消した跡を確認することが出来ました。アップしたのが10枚目の写真です。

 

こういった残骸を発見できるのが現地調査を行う醍醐味でもあります。

 

ただ前述の通り1985年の住宅地図では別館にキャロットの存在を確認出来ていません。

一般的にボウリング場に併設されているゲームコーナーは、ボウリングの待ち時間に遊んでもらうことが主目的であることから、レーンの場所から大きく離れていないことが普通です。

 

2024年ではゲームコーナーはボウリング場の建屋に併設されています。

2024年11月23日撮影

ビリヤードコーナーの奥にはバーカウンターがあり、かつては飲食の提供があったようです。住宅地図でも「レストラン」の記述があることから、かつてレストランとして運用されていた場所をビリヤード、及びゲームコーナーとして使用していると考えるのが自然ですが、以前からこの場所はゲームコーナーだった、あるいはこの場所がキャロットだったのが別館に移った、というような経緯があれば情報提供を頂きたくお願い申し上げます。

 

そして「日立キャロットハウス」の名称にて開始された誌面への掲載ですが、他のキャロットハウスという名称の店舗同様に1990年3月号から、「プレイシティキャロット日立店」と変更になります。

マイコンベーシックマガジン 1990年3月号より)

 

その後1991年7月号をもって一度誌面掲載が中止されます。

マイコンベーシックマガジン 1991年7月号より)

その時のチャレハイ通信欄ですが、「2階に床がボディ・ソニックのカラオケができた」とあるため、この時点で別館1階がキャロットとなっており、現在のカラオケ店は1991年から存在したということが確認出来ます。住宅地図ではカラオケ店の表記がないため、2階をカラオケ店とする前の一時的な状況において地図作成の調査が行われたのであろうと推察します。

 

ところが1993年1月から誌面への掲載が復活、その後1994年5月号まで掲載された後に誌面から姿を消しています。

気になって掲載が一旦中止される前後のスコア欄を確認したところ、1991年7月号までは連射装置の設置等がされていたのに対し、復活以降はそのような形跡を確認出来ませんでした。憶測ですが店舗管理者によるゲームマニア排除、スコアを管理していたスタッフの退職等の要因で一度スコア掲載が中止され、連射装置等も撤去されたものの、集客や数字に影響が出たため掲載を再開させた、といった所でしょうか。

 

2度目のスコア掲載中止後も店舗の営業は継続されており、2000年のナムコ広報誌「NOURS」に店舗写真が掲載されていました。

(NOURSバックナンバー No.27 2000年春号「全国ナムコ店舗ガイド 北関東編」より)

この写真を見ると、現在のダンスホールの入口は元々キャロットの入口ではなかったことが分かります。ダンスホールにする際に正面側は入口の変更も含めて大きく手が加えられているようです。むしろキャロット文字跡や使用されず傷んだ裏口が残る建物背面側に面影が残っています。閉店時期は不明です。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年11月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年11月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1993年1月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年12月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年11月号/トピック店舗:二荒キャロットハウス→プレイシティキャロット二荒店(栃木県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1992年11月号)

ゲーメスト1992年11月号(第7巻第14号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は83で先月比-4と大きく減少、新規掲載店はありません。

これは1990年9月号にて掲載店大幅入れ替え前にスポットで82店まで減少して以来の小さな数字であり、ベーマガ同様にゲーメストも掲載店は漸減傾向となっています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1992年11月】

ゲーメスト 1992年11月号より)

 

2か月前にハイスコア通信欄にてオールドゲームの長時間プレイに苦言を呈していた静岡県の「ハイテクセガ三島」ですが。今号の掲載をもって閉店の旨が掲載されていました。4か月という短い掲載期間でした。

ゲーメスト 1992年11月号より)

「店舗の契約上の理由」と記されていますが、実際はどうだったのでしょうか。

そして最後の最後まで達人2000万点のような長時間プレイが行われていたようです。まあ閉店が決まっていれば別に構わないのか…


トピック店舗:二荒キャロットハウス→プレイシティキャロット二荒店

ゲーメストもトピック店舗を群馬県から栃木県へ移します。

宇都宮市内に2店存在したキャロットのもう一方、「二荒キャロットハウス→プレイシティキャロット二荒店」をピックアップします。

 

ゲーメスト 1986年9月号より)

2024年11月3日撮影

宇都宮市に「宇都宮キャロットハウス」と並んでもう一軒存在したナムコ系キャロット店舗です。

 

店舗名の「二荒」は近隣に存在する「宇都宮二荒山神社」が由来の「二荒町」から取られていると思われますが、同じ栃木県は日光市にある「日光二荒山神社」は「ふたらさん」と読むのに対して宇都宮は「ふたあらやま」と読むため、こちらの住所も「ふたあらまち」となり、店名も「ふたあらキャロットハウス」が正しい名称になると認識しています。

 

場所は「宇都宮キャロットハウス」がJR宇都宮駅前だったのに対し、市中心部にある東武宇都宮駅に近いオリオン通り商店街の東側手前に位置していました。

ゼンリン住宅地図 宇都宮市北部1986年より)

1986年の住宅地図です。

店舗の入居している「渋田ビル」正面の日野町通りを西へ進むとオリオン通りへと繋がります。

 

この時点では渋田ビルの両隣それぞれに建物が存在していますが、2024年時点では駐車場やレンタカーの営業所となっています。

ゼンリン住宅地図 宇都宮市北部1991年より)


1991年の地図も確認しましたが、この時点で既に両隣共に駐車場と化していました。

しかし1986年時点では「マスト―商事(株)本社」となっている場所の一部に「キャロット駐輪場」の表記があります。渋田ビルには駐輪場はなさそうで、自転車でやってくる客層のため隣接した空き地を確保する必要がある位にかつては自転車での来客が多かったことを想起させます。

そして現在も残る渋田ビルですが、居酒屋になっている1階店舗の入口上部に看板の残骸があり、そこに「PLAY CITY」の文字だけが残っていることが確認出来ました。7枚目写真が看板部分のアップとなります。

恐らくこの看板には「CARROT」の文字が付いていたと思われますがそちらは取り払われ、ダイレクトに描かれた部分のみに店舗の面影を残しています。

 

そして「宇都宮キャロットハウス」がベーマガのみの掲載となったのに対し、こちらはゲーメストのみの掲載となっています。本格的にスコア集計が開始された1986年9月号からスタートしました。両店の距離が近いことから敢えて別々としたのでしょうか。

そのため「キャロット」の名前を冠するナムコ直営店において、ゲーメストのみの掲載となったレアケースな店舗のひとつです。

 

そしてゲーメスト掲載開始時にはこちらの写真が掲載されていました。

ゲーメスト 1986年9月号より)

恐らく中高生の常連と思しき女の子3名とわずかに写る店内光景。

ただこれ以外に営業中の店舗内外を撮影した写真は発見できませんでした。

 

その後1987~89年あたりは時折休載を挟んでいましたが、1990年以降は安定して誌面への掲載が継続します。

 

そして1990年8月号から店名が「プレイシティキャロット二荒」へと変更になります。ハイスコア通信欄にも店名変更の件が掲載されました。

ゲーメスト 1990年8月号より)

 

その後プレイシティキャロット宇都宮店がベーマガ1995年11月号にて掲載中止後も二荒店の掲載は継続、ゲーメスト休刊直前の1999年9月30日号まで掲載は続けられます。

掲載期間は13年に及び、長野県の「プレイシティキャロット松本店」と並んでゲーメストハイスコア欄のほぼ全期間に渡って店舗欄を確認することが出来ました。

ゲーメスト 1999年9月30日号より)

 

しかし、まるでこの号を最後にゲーメストが休刊となることを知っているかの如く、二荒店の閉店告知が掲載されることとなります。

そのため、松本店とは異なりアルカディア誌に跨って掲載はされませんでした。また宇都宮店同様に後のナムコ広報誌「NOURS」の「全国ナムコ店舗ガイド 北関東編」にも店舗は掲載されていません。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年10月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年11月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年12月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年12月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年11月号/トピック店舗:筑波学園キャロットハウス→プレイシティキャロット筑波学園店(茨城県)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジント1992年11月号)

マイコンベーシックマガジン1992年11月号(第11巻第11号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は89で先月比+3、2か月連続で増加しています。

今月も2店の新規掲載があります。

 

・その他

ゲームプラザコトブキ(埼玉県)

 

プレイランドスカイシアター(埼玉県)

マイコンベーシックマガジン 1992年11月号より)

 

「ゲームプラザコトブキ」は、都市規模の割にハイスコア掲載店に恵まれなかった埼玉県浦和市(現さいたま市)初の掲載店となりました。ベーマガが先行しましたが追ってゲーメストにも掲載されることになります。

 

また「プレイランドスカイシアター」は90年台のハイスコア界では著名なお店。こちらはゲーメスト先行でベーマガが後追いの掲載となっています。

 

この2店の追加で埼玉県の掲載店が今号で5軒まで増加しますが、そのうち「ハイテクセガ東松山」は今号が最後の掲載となっています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1992年11月】

マイコンベーシックマガジン 1992年11月号より)

 

スコア解説欄でも触れられていますが、キャラ別集計タイトル専用ベージが追加されたためトップスコア紹介に合計3ページが割かれています。

 

一方で店舗欄は6ページに減少していることから、かつての100店オーバーのような集計店舗数はもはや確保できないという意思表示になっているように感じます。

 

トピック店舗:筑波学園キャロットハウス→プレイシティキャロット筑波学園店

 

トピック店舗です。引き続き北関東方面の初期ナムコ系掲載店から、場所を群馬→栃木から茨城へと移し「筑波学園キャロットハウス→プレイシティキャロット筑波学園店」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年3月号より)

2024年11月23日撮影

筑波大学や国の研究機関が多数立地する筑波研究学園都市

計画都市として整然と配置された街区が広がっていますが、その一角に意図的に集められたような所謂「繁華街」に該当するエリアがあります。

飲食店やスナックが立ち並ぶその区画にナムコのキャロットが存在していました。

研究学園都市の主要施設は、南北方向に走る学園東大通りと西大通りに挟まれたエリアに広がっていますが、その2本を東西方向で繋ぐ学園北大通りに面した場所になります。

ゼンリン住宅地図 桜村1985年より)

 

住宅地図は1985年ですが、この年はちょうどつくば科学万博が開催された年です。

その時はまだ現在のつくば市は誕生しておらず、キャロットの住所は合併前である「新治郡桜村」となっています。つくば市の誕生は1987年となっており、合併に合わせてキャロットの住所もつくば市へ変更されるのですが、合併前は唯一「村」に存在したハイスコア掲載店であり、またここ以外に行政区分が村に存在する店舗は現れませんでした。

 

キャロットの周辺は前述のように繁華街エリアとして小規模なスナックや飲食店が林立した場所で、それは2024年時点でも大きくは変わっていません。

 

ただ既にこの場所に街が出来てから半世紀近くが経過しており、空き店舗や古くなった建物のリニューアルや再建築が所々に見えるようになっています。キャロットの入っていた「河田ビル」も再建築され現在はアパートになっていました。2022年のGoogleMapで建築中の光景が映し出されていたため、2020年頃までは建屋は残っていたものと思われますが、既に跡地から存在を認識できるものは何も残っていませんでした。

 

誌面への掲載は前回紹介した「宇都宮キャロットハウス」と同じく、ベーマガに初めて掲載店が追加された1984年3月号からスタートしています。

そしてゲーメストは創刊号の1986年5月号から掲載が開始。創刊号にて掲載された店舗は次号まで4か月期間が空いてしまう関係で半数以上が掲載店から脱落してしまいますが、1986年9月号以降も掲載が続けられました。

ゲーメスト 1986年5月号より)

 

ゲーメストへ掲載を開始したことの反動か、ベーマガは1987年に入ると3,7月号の2回のみの掲載となりゲーメスト単独掲載へ移行するのかと思いきや、1988年3月号にて復活すると以降は重複掲載店として両誌ともに安定した掲載が続きます。

 

そして1990年10月号にて店名が「プレイシティキャロット筑波学園」へと変更されます。前後して一部を除いて都市型店舗の名称が「プレイシティキャロット」に統一されつつあり、その流れに準じています。

マイコンベーシックマガジン 1990年10月号より)

 

その後、1988年以降1度も休載の無かったゲーメストへの掲載が1992年10月号にて終了し、ベーマガ単独掲載店へと戻ります。

 

最終掲載は1998年10月号となっています。チャレハイ通信欄で閉店の告知が掲載されていました。トータル15年に渡る長期掲載店となっています。

マイコンベーシックマガジン 1998年10月号より)

 

キャロットとしては比較的後年まで残存していた店舗なのですが、店舗の外観や内部が記録された写真は探した範囲では見つかっていません。

唯一、ゲーメスト1991年1月号の「ハイスコア店訪問激走ツアー 筑波、群馬、東京、神奈川編」に店舗が取り上げられていました。(この場合の「筑波」って地域名は自動的にこの店舗を指す言葉ですよね…)

ゲーメスト 1991年1月号より)

 

建屋が消失してしまった現在、掲載されている店舗写真が入口上部の看板しか写っていないのが非常に残念です。

また記事内に「駅からバス」とありますが、つくばエクスプレスが開通したのは2005年のため、1998年の営業終了まで公共交通機関ではバスで行くしか方法がありませんでした。そのアクセスの悪さ故に、筑波大の学生以外にこの店舗をホームとするプレイヤーは少なかったのではないでしょうか。

 

最後に、研究学園都市内のお店という場所柄、筑波大学学生新聞会が発行する「筑波学生新聞」(2007年廃刊、現在も続く「筑波大学新聞」とは異なる)内に店舗広告が掲載されていたため、確認ができたものを以下抜粋します。

(筑波学生新聞 1987年10月号より)

 

(筑波学生新聞 1990年4月号より)

 

(筑波学生新聞 1991年4月号より)

こういった媒体にゲームセンターの広告が掲載されることは非常に珍しいと思いますが、顧客の大半を学生が占めていたであろうこと、また店舗のアルバイトを確保する目的でも広告を掲載する効果が期待できることから、店舗予算として認められていたのではないかと思われます。入荷タイトルの案内に時代を感じることの出来る貴重な資料となっています。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年10月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年10月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年12月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年11月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年10月号/トピック店舗:ジャックアンドベティ(群馬県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1992年10月号)

ゲーメスト1992年10月号(第7巻第12号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は先月と同数の87なのですが、新規掲載店は2店あります。

 

・その他

JOYCOM'S(福島県

 

ゲームセンターピノキオ(兵庫県

ゲーメスト 1992年10月号より)

 

「JOYCOM'S」は茨城県日立市の住所にて既に掲載されていましたが、今号から福島県いわき市に住所が変更になっています。

系列店で恐らくこれまでも合同集計となっていた可能性が高いですが、いわき市の住所は今回初めて登場するため新規店の扱いとしています。

 

また明石市の「ゲームセンターピノキオ」ですが、こちらも1991年5月号から既に「明石ラポス2Fゲームコーナー」と合同集計にて誌面に登場していましたが、今号からラポスは外れてピノキオ単独掲載となっています。

 

また以前にもコメントしていますが、同じ明石市にて1987年6月~1988年1月号にて掲載されていた「ゲームプラザピノキオ」とは別店舗で、両店の間に関係もないことを確認しています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1992年10月】

ゲーメスト 1992年10月号より)

 

縦スクロールシューティングの王道である東亜プランシューティングゲームの文脈で、必ずといって良い程登場する「達人王」がヒットゲームベスト10ランキング最高の3位となっています。

 

ストⅡ全盛期において上位2枚の壁は厚く、3位まで付けたことは当時としては流通、人気共に確保できたことの証ですが、11月号以降プレイヤー人気では7→10位と順位を落とし、1993年に入るとランキングから姿を消します。

 

人気タイトルの後継で期待度が高かったものの発売直後から難易度について懸念され、それ故に店舗からは比較的早く姿を消してしまったことから、グラディウスⅢと並んでブームの火消し役として捉えられることも多い本作でしたが、その難易度故にカルト的人気を維持しているのも事実であり、アーケードゲームの評価はかくも難しいものであると痛感します。

 

トピック店舗:ジャックアンドベティ

 

トピック店舗は前回に引き続き群馬県両毛地域の店舗から「ジャックアンドベティ」をピックアップします。

 

ゲーメスト 1989年11月号より)

2024年10月13日撮影

前回取り上げた「ハイテクセガ太田」と同じく、群馬県太田市東武太田駅前に立地していた店舗です。

 

場所は太田駅北口を出て駅前を西方向に向かい、国道407号線と交差する場所の角地にありました。

ゼンリン住宅地図 太田市1990年より)

1990年の住宅地図ですが、「プレイシティ―ビルディング」という3階建てのビル1階に「J&B」の文字が確認出来ます。名称から鑑みるに娯楽施設で固められた物件だと思われますが、2,3階に何が存在したのかは記載がありません。

また地図引用部右端にハイテクセガの文字も見えます。駅からの距離は双方大差ない感じがします。

 

2024年現在で店舗跡地は写真のように建物が消失し公園として整備されています。

現在太田駅は高架になっていますが、1990年時点ではまだ平面で、現在跡地が面している国道407号は跨線橋にて東武の線路を超えていました。そのため当時店舗は直接国道には面しておらず跨線橋の側道と接していたことが地図から把握できます。

また太田駅前から延びる道は店舗の前を通り、跨線橋をくぐって十字屋太田店方面へ延びていたことも確認出来ます。

 

跨線橋は高架化後に取り壊されているため、店舗の周囲は営業当時の光景から大きく変わっていると思われますが、隣接した建物が残存しており当時の面影を僅かに残しています。

 

誌面掲載はゲーメスト1989年11月号からスタート。

近隣のハイテクセガ太田は1990年2月号から掲載のため若干早くなっていますが、掲載期間が重複するため店舗間では意識しあっていたのではないでしょうか。

駐車場を設け客を広域に集めている現在のアミューズメント施設と比べると、当時の特に地方の駅前ゲームセンターは駅に乗降りする学生が最大の顧客だったため、スコア集計、掲載を行うことで限られた学生客の奪い合いをしていたのかもしれません。

 

そしてハイテクセガが掲載を終了した1992年4月号以降もこちらの掲載は継続しました。しかし1992年まで一度も発生させなかった休載が1993年に入ると度々発生するようになり、1993年11月号をもって掲載が終了しています。こちらの掲載終了後、両毛地域にハイスコア掲載店が再度現れることはありませんでした。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年9月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年10月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年11月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年11月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年10月号/トピック店舗:宇都宮キャロットハウス→プレイシティキャロット宇都宮店(栃木県)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジント1992年10月号)

マイコンベーシックマガジン1992年10月号(第11巻第10号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は86となり先月比+3となっています。

新規掲載店が2店あります。

 

タイトー

タイトーイン608 トロン(沖縄県

 

・その他

プレイタウンYOU&YOU町田店(東京都)

マイコンベーシックマガジン 1992年10月号より)

 

1990年12月号で「ヤングパレスゲームセンター」が姿を消して以降空白県となっていた沖縄県に掲載店が再登場、かつ沖縄県初のメーカー系列掲載店となっています。

 

また「プレジャーキャッスル」と合同集計となっていた「プレイタウンYOU&YOU町田店」が先月号の石神井店に引き続き単独枠として登場。ゲーメストは合同集計が維持されましたがベーマガは別々に店舗欄を確保することになります。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1992年10月】

マイコンベーシックマガジン 1992年10月号より)

今号からSNK/ADK対戦格闘ゲームワールドヒーローズ」が集計開始されているのですが、サンプルバージョンが発売バージョンと比較して点数が高くなるとの理由で集計対象から外されています。

 

サンプルバージョンと言えばコナミの「サンダークロスⅡ」はサンプルバージョンと発売バージョンでランク設定が異なることから、ゲーメストでは別々に集計がされましたがベーマガでは特に分けることはされませんでした。一方今回のワールドヒーローズについてはゲーメストではサンプルバージョンの件について一切言及は確認されていないため、単純に流通度の問題とされたのではないかと思われます。

 

トピック店舗:宇都宮キャロットハウス→プレイシティキャロット宇都宮店

 

トピック店舗です。

場所を栃木県へと移し。「宇都宮キャロットハウス→プレイシティキャロット宇都宮」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年3月号より)

2024年11月3日撮影

政令指定都市クラスを除くと、同一市内にナムコ系キャロットが複数あった場所としては、3店を擁した山梨県甲府市及び香川県高松市が最多ですが、それに続いて2店存在したのが栃木県宇都宮市です。

 

その2店のうち最初に誌面に登場したのが今回紹介する「宇都宮キャロットハウス→プレイシティキャロット宇都宮店」です。栃木県の県庁所在地である宇都宮市の代表駅であるJR宇都宮駅前に位置していました。

ゼンリン住宅地図 宇都宮市北部1986年より)

1986年の住宅地図となります。

宇都宮駅前から中心街に向かう大通りに掛かる「宮の橋」と駅の間に広がる僅かな場所に存在を確認しています。

 

2024年時点においては「クスリ 宝くじ」の看板がある秋元薬局が健在で、住宅地図ではその2軒隣がキャロットとなっていることから、チケット店と宇都宮餃子店「香蘭」の間にある店舗が跡地になると思われますが、建物は既に建て替えられているようです。

現在も間口が狭く奥行きが長い建物で、住宅地図から察するにキャロット営業時も構造は大きくは変わっていないと思われます。

 

宇都宮市の中心街はJR宇都宮駅から1.5㎞程度離れた東武宇都宮駅付近となっており、JR駅付近は最近こそヨドバシカメラが出来たりと商業区域が広がりつつはあるものの東武駅と比較すると賑わいには欠けるのですが、宇都宮駅に乗降りする学生が主なターゲットとして設定されていたのかもしれません。

 

誌面への掲載はベーマガ1984年3月号からとなり、オリジナル26店にはノミネートされませんでしたが初めて掲載店が追加された際の16店には入っています。ゲーメストへの掲載はされませんでした。

 

そして1989年2月号から店名が「プレイシティキャロット宇都宮店」に変更になっています。その前月に改装に伴う店名変更の旨がチャレハイ通信欄に記載されていました。

マイコンベーシックマガジン 1989年1月号より)

マイコンベーシックマガジン 1989年2月号より)

 

その後もコンスタントに掲載は継続し、最終掲載はベーマガ1995年11月号となっています。11年以上に渡る長期掲載店となりました。

 

掲載終了や閉店に関する記載は特にありませんでしたが、最終となったハイスコア欄に意味深なコメントが掲載されていました。

マイコンベーシックマガジン 1995年11月号より)

スコアラー募集に関するコメントですが、サンプルスコアが1億カンストなのはともかくとして、「ハイスカンガルー(注 コアラ―)」という謎の表現や、募集した翌月には掲載が停止するという状況について思いを馳せなければならない状況があったのではないかと推察されます。

 

閉店時期は判明していませんが、後のナムコ広報誌「NOURS」に掲載された「全国ナムコ店舗ガイド 北関東編」には2000年3月現在として掲載が無いため、それ以前に閉店していたようです。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年9月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年9月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年11月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年10月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年9月号/トピック店舗:ハイテクセガ桐生/ハイテクセガ太田(群馬県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1992年9月号)

ゲーメスト1992年9月号(第7巻第9号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は87で先月比-1、新規掲載はありません。

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1992年9月】

ゲーメスト 1992年9月号より)

 

先月から掲載が開始された静岡県の「ハイテクセガ三島店」のハイスコア通信欄のコメントが目に付きました。

ゲーメスト 1992年9月号より)

このコメントを見てから当月のスコア欄を改めて眺めると、非常に味わい深いものとなっていることが分かります。

ゲーメスト 1992年9月号より)

 

4~6項にグラディウスシリーズのタイトルが並んでいますが、備考欄には「10時間ねばる」「開店から閉店まで」の文字が。

当時からオールドゲームを入荷した際の長時間プレイは店舗にとって問題であり、1日で100円しか売り上げがない傍らで格闘ゲームの対戦台が1日10,000円以上を平気で稼ぎ出すことを考えれば、対戦ゲームにタイトルシフトが進むのも宣なるかなという状況でした。

 

ただ特にメーカー系列店は新製品の入荷に限りがあり、対戦格闘ゲームばかりを揃えられないことからオールドゲームも店舗ラインアップに取り込まなければならない事情があったのも事実です。しかし苦言を呈する位ならわざわざスコアを店舗欄に載せなければ良かったのでは?というのが正直な感想です。


トピック店舗:ハイテクセガ桐生/ハイテクセガ太田

 

トピックは引き続き群馬県から、両毛地域の掲載店である「ハイテクセガ桐生」「ハイテクセガ太田」の両店をピックアップします。


【ハイテクセガ桐生】

ゲーメスト 1987年10月号より)

2024年10月13日撮影

【ハイテクセガ太田】

ゲーメスト 1990年2月号より)

2024年10月13日撮影

今回紹介する2店は共に両毛地域の鉄道駅前に位置していたセガ系店舗で、特徴も非常に似通っていたのではないかと思われます。

 

先に誌面に登場したのは、絹織物とパチンコメーカーの街である桐生市の「ハイテクセガ桐生」です。ゲーメスト1987年10月号からの掲載となっています。

ゼンリン住宅地図 桐生市1988年より)

 

1988年の住宅地図ですが、桐生駅前交差点に面している「金子ビル」に「HI-TECH」の表記があります。JR桐生駅から至近距離であり、また4枚目写真に映る矢印案内板にもあるように信号を渡って200m程度で上毛電気鉄道西桐生駅もあります。電車通学の学生であればどちらの駅を利用していても通いやすい場所だと思います。

 

そして2024年現在は建物1階に居酒屋の魚民、及びサウナの2つのテナントにて使用されています。入口は別々に存在していますがどちらをセガが使用していたのかは判断が付きませんでした。また「金子ビル」という名称も確認には至っていません。

 

一方、SUBARUのお膝元で有名な太田市の「ハイテクセガ太田」ですが、こちらはハイテクセガ桐生から遅れること約2年半後の1990年2月号から掲載が開始されました。

 

場所は太田市の中心部である東武伊勢崎線太田駅前で、こちらも桐生店同様に駅前ロータリーを出て直ぐの場所にありました。

ゼンリン住宅地図 太田市1990年より)

 

こちらは1990年の住宅地図となります。

 

現在太田駅は高架になっていますが高架工事が完成したのは2007年であり、1990年当時はまだ地平駅でした。

高架完成後に駅北口は整備され、1990年の駅前ロータリーの場所には現在太田市図書館、美術館が建っていますがセガのあった区画は手が付けられておらず、まだ当時の建物が残存していました。2024年時点では地元社会人サッカーチームである「邑楽ユナイテッドFC」の事務所として使用されているようです。

 

こうして1990年はゲーメスト誌面上に2店並んで店舗欄が存在していましたが、1990年10,11月号で掲載店が大幅に入れ替えられたことを受け、比較的距離が近く店舗の性格も近似していた両店は合同集計へと舵を切ることになりました。1990年12月号から開始されています。

ゲーメスト 1990年12月号より)


その後合同集計は1992年4月号まで継続しますが、翌5月号から太田店が外れて再び桐生店の単独掲載に戻ります。しかしそれも長続きはせずちょうど今回取り上げている1992年9月号が桐生店最後の掲載となっています。太田店は2年程度ですが桐生店は5年以上の掲載期間となり、セガ系の店舗としては比較的長期に渡っています。

 

連射装置の取付やストⅡの大会といった施策も行われていた形跡があり、地域のゲームファンを積極的に取り込む努力が垣間見えますが、90年台以降のセガ店舗の郊外化で地方の駅前や繁華街の店舗は急速に数を減らしており、その波に飲まれたのではないかと想像しています。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年8月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年9月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年10月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年10月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年9月号/トピック店舗:ゲームシティジル/ファンフル(群馬県)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジント1992年9月号)

マイコンベーシックマガジン1992年9月号(第11巻第9号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

今月の総掲載店舗数は83となり先月比-5の大幅減。

この数字は掲載数が60→101店となった1984年8月号以降で最も少ない数字となっています。

 

新規掲載店は1店あります。

 

・その他

プレイタウンYOU&YOU石神井店(東京都)

マイコンベーシックマガジン 1992年7月号より)

 

ジャレコ系の「プレイタウンYOU&YOU」が久しぶりに掲載店に登場しました。

合同集計においては、「プレジャーキャッスル」と合同集計となっていた町田市の「YOU&YOU町田店」がありますが、単独掲載となると1984年5月号の「プレイタウンYOU&YOU三軒茶屋店」「プレイタウンYOU&YOU駒沢店」以来、実に8年振りとなっています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1992年9月】

マイコンベーシックマガジン 1992年9月号より)

 

さて今月号のハイスコア的トピックと言えば何といっても「ストリートファイターダッシュ」の永久パターン発覚です。(ダルシムを除く)

 

既に対人対戦需要の方が大きくなっていたとはいえ、ほとんどの掲載店からスコアの申請が入るタイトルだっただけに集計対象から外れることは、ただでさえ対戦ムーブに押されて斜陽となりつつあったハイスコア集計に水を差す出来事となってしまいました。

 

トピック店舗:ゲームシティジル/ファンフル

 

トピックは先月に引き続き群馬県の店舗から、高崎市の「ゲームシティジル」及び前橋市の「ファンフル」の2店をピックアップします。

 

【ゲームシティジル】

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)

2024年10月13日撮影

 

【ファンフル】

マイコンベーシックマガジン 1985年4月号より)

2024年10月13日撮影

 

「ゲームシティジル」は、ナムコ系店舗以外の店舗が大きく増加したベーマガ1984年8月号から掲載が開始されました。

 

場所は前回紹介した高崎キャロットハウスと同じく高崎中央銀座商店街で、キャロットとの距離は100mあるかないかという程度です。

ゼンリン住宅地図 高崎市1985年より)

 

1985年の住宅地図にて位置を確認しています。

中央銀座商店街のアーケード内ではなく、横道を少し入った場所となっています。

 

2024年時点では写真のように居酒屋となっており、建て替えがされているような印象はないのですが、以前にここにゲームセンターが入居していたという建物にはあまり見えません。またgooglemapにおいてこの場所の住所は「高崎市中紺屋町31」となり、誌面の住所とは異なっています。

 

そのため隣接している建物も含めて周囲も確認しましたが、85年の地図で東側に隣接している「神山ビル」の1階にあるテナント「林ェ門」がまだ健在であったことからこの場所で間違いないと判断しています。

 

そして掲載終了は1986年12月号となり、約2年半の期間となっています。1990年の住宅地図では該当箇所は空き店舗となっていました。

 

気になるのは、既に紹介している「ウィルトークタイトー(高崎1号店)」が1987年1月号から掲載開始のため、こちらと入れ替えとなっていること。

誌面では特にウィルトークへの移行等は触れられていませんが、掲載開始時のゲームタイトルがタイトーに偏っていることや、1984年8月号でタイトー系店舗が多数掲載開始されたという状況から、こちらもタイトー系店舗でウィルトークへ移転して閉店となった可能性が高いとみています。店舗の位置も含めて情報をお持ちの方は是非ともコメントを頂きたくお願い申し上げます。(現時点では確証がないためタイトー系店舗へは分類していません。)

 

そしてもう一方の「ファンフル」ですがこちらは群馬県の県庁所在地である前橋市の掲載店です。

 

場所は中心街の千代田町にある「オリオン通り商店街」に位置しています。前橋市の中心街はJR前橋駅からは若干離れており、上毛電気鉄道中央前橋駅が近くなります。

ゼンリン住宅地図 前橋市1985年より)

 

こちらも1985年の地図ですが店舗の向かいに映画館、また裏手にはニチイも存在しており当時の繁栄が伺えます。しかし2024年現在は映画館やニチイの場所は全て更地となっており、調査した日が偶々前橋祭りの日に該当していたため多数の人通りがあったものの、年季の入ったアーケード商店街から往時を偲ぶことしか出来なくなっています。

 

そして現地には写真のように「タイトー ファンフル」の店舗サインが残っていました。そのため店舗名称からは判断出来ないもののタイトー系店舗であったことの確認が取れています。

 

誌面への掲載は1985年4月号から、時折休載を挟みつつ1988年1月号までとこちらも約2年半の期間となりました。掲載終了時点で店名はファンフルのままで、店舗サインも残っていることからウィルトークタイトーインへの名称変更は実施されなかったと思われますが要追跡調査です。閉店時期は不明です。

 

こちらの掲載終了後、前橋市は追ってゲーメスト2部の掲載店が1店出現するのみとなっており、複数の店舗にて掲載店の命脈が繋がれた隣の高崎市とは対照的となっています。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年8月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年8月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年9月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年8月号/トピック店舗:ウィルトークタイトー→ウィルトークタイトー高崎1号店/ウィルトークタイトー高崎2号店(群馬県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1992年8月号)

ゲーメスト1992年8月号(第7巻第8号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は88で先月比+1、3店の新規掲載があります。

2か月連続の登場ですが、先月号の「プレイスポットサン」がウィルトークタイトー小田原店の代替と考えると純粋な新規店は1992年3月号以来5か月ぶりです。

 

セガ

ハイテクセガ三島(静岡県

 

・その他

ガリバー熊谷店(埼玉県)

 

オキモト(広島県

ゲーメスト 1992年8月号より)

「ハイテクセガ三島」は1991年9月号から登場の「ハイテクセガ東松山」以来1年ぶりのセガ系新規掲載店となるのですが、そのハイテクセガ東松山は今号をもって掲載が終了してしまいます。

 

あとの2店は共にベーマガにて先行で掲載されており、後追いで重複掲載店となっています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1992年8月】

ゲーメスト 1992年8月号より)

 

今月号のヒットゲームベスト10欄を眺めていて気付いたのが、データイーストの「ダークシールⅡ」がナムコ販売であったという点です。

 

80年台後半から90年台前半でナムコはカネコ(エアバスター)やビデオシステム(パイプドリームや闘神ブレイザーズ等)の販売元となっていたことは認識していましたが、データイーストのタイトルにも存在したことは初めて知りました。

game-kanaya.com

確かにインストカードには「総販売元 namco」のステッカーがあります。稼働時の姿を見ていたはずなのですが全く気付きませんでした。

 

ちなみにハイスコア的には、永久パターン発覚でクリア統一となった初代ダークシールの二の轍は踏まない…と思いきやⅡでも発見され集計対象とはならず。ウルフファングに次いでの永久パターン発覚だけに、「うーん、やっぱりデコゲー」というコメントに皮肉が混じっています。

 

トピック店舗:ウィルトークタイトー→ウィルトークタイトー高崎1号店/ウィルトークタイトー高崎2号店

ゲーメストもトピック店舗を群馬県に移します。

最初は「ウィルトークタイトー→ウィルトークタイトー高崎1号店」「ウィルトークタイトー高崎2号店」の2店をまとめてピックアップします。

 

【ウィルトークタイトー高崎店】

ゲーメスト 1987年4月号より)

2014年10月13日撮影

 

【ウィルトークタイトー高崎2号店】

ゲーメスト 1988年11月号より)

2014年10月13日撮影

「ウィルトーク」の名前が示す通り両店共にタイトー直営店です。

 

最初に誌面に登場したのは高崎1号店なのですが、この時にはまだ2号店は存在していなかったようで、店舗名称は「ウィルトークタイトー」のみの表記となっています。

マイコンベーシックマガジン 1987年1月号より)

 

また誌面掲載はベーマガが先行して1987年1月号から開始されており、ゲーメストは若干遅れて1987年4月号からのスタートとなっています。そしてゲーメストは1987年9月号、ベーマガは1988年3月号から「ウィルトークタイトー高崎店」の表記へと変更になっています。

 

場所は「高崎キャロットハウス」と同じく高崎中央銀座商店街に位置していました。

ゼンリン住宅地図 高崎市1990年より)

 

1990年の住宅地図にて所在を確認しています。隣接していた「パチンコ王将会館」は現在建物がなく更地に。また高崎キャロットハウスはこの地図の上部枠外に位置していましたが既に地図上からは姿を消しています。

 

だた1990年時点は既に誌面へのスコア掲載を終了しており、ベーマガは1988年6月号まで、ゲーメストは同年10月号を最後に姿を消しています。ベーマガから通算しても2年弱の掲載期間に留まっています。

 

そして跡地は2024年時点でバー&ライブハウスとなっていますが、写真でもわかるようにアーケード天井から吊り下げられている店舗サインに「GAME TAITO INN」の表記が残っていました。そのためどこかのタイミングで「ウィルトークタイトー」から「タイトーイン」に店名が変更されているのですが、変更された時期やタイトーインとしての閉店時期は不明です。

 

ozuma.txt-nifty.com

ちなみに2006年の高崎中央銀座商店街に存在したゲームセンターの状況を記したブログを発見しましたが、タイトーインの店舗サインの場所には「モンテカルロ」が存在しています。

近隣の店舗が移転でこの場所にやってきたと思われるのですが、この「モンテカルロ」も移転前にハイスコア掲載店だった履歴があるためそちらで改めて詳細を取り上げたいと思います。

 

そしてもう一方の「ウィルトークタイトー高崎2号店」ですが、こちらは中央銀座商店街の一本隣である旧中山道に面した連雀町交差点の付近に存在しました。1号店からは徒歩で5分程度の距離となります。

ゼンリン住宅地図 高崎市1990年より)

こちらも地図は1990年です。テナント一覧でも「ウェルトークⅡ」という表記となっているため2号店であることが何かしら外観から判断できたのではないかと推察されます。

 

2024年現在でビル名称は「イシイビル」から「寿ビル」へと変わっていますが、隣接する「金子園ビル」を取り囲む形状は変わっておらず、ビル躯体自体は当時のままと思われます。ただ2か所ある出入口の階段がどちらも後付けされたような不自然な外観となっており、ビルオーナーが変わり飲食店主体となった際に内外装に大きく手が加えられているであろうことから、ウィルトーク時代の痕跡は全く残っていないのではないでしょうか。

 

スコアの掲載はゲーメストで1号店が掲載を終了した翌月の1988年11月号から開始されました。そのため1号店と重複掲載はされていません。店長の交代やスコアを理解しているスタッフの異動といったなんらかの理由でスコアラーが1号店から離脱してきたのでしょうか。またベーマガへの記載は2号店では実施されませんでした。

 

その後1989年はコンスタントに掲載が続きますが、1990年に入ると休載が増加し、同年9月号が最終掲載となっています。1号店から続いていた高崎のタイトー系掲載店はトータル4年弱で幕を下ろすこととなりました。閉店時期は不明です。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年8月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年9月号