小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年6月号/トピック店舗:タイトピア木屋町店/ウィルトークタイトー市駅店(愛媛県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1991年6月号)

ゲーメスト1991年6月号(第6巻第6号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は87となり先月比-4となっています。今月は新規掲載はありません。

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1991年6月】

 

ゲーメスト 1991年6月号より)

 

遂にゲーメストにおいてもストリートファイターⅡのスコア集計が開始されました。ベーマガ同様に初回からキャラ別集計という対応がとられています。

 

また通常のハイスコア通信とは別にストⅡ単独の通信欄が設けられるという異例の措置が取られています。まだ対戦に関するコメントは少数で、1人プレイでも台の空きがなかなか発生しない人気振りを垣間見ることが出来ます。

 

その他個別のタイトルで取り上げておきたいのが「ゆうゆのクイズでGO!GO!」です。

このタイトル、電源投入後最初のプレイで問題配置が毎回同一となるいわゆる「電源パターン」が発覚し、ベーマガではその使用はハイスコアに相応しくないとの理由で集計対象となりませんでしたが、ゲーメストではパターンの存在を匂わせつつ集計は行われました。

 

電源パターンの存在が確認されたタイトルは恐らくこれが最初で当初は物議を醸したようですが、以後同様のタイトルが次々と発覚したため、結局はテクニックとして装置使用と同様に電源パターンも受容されていくことになります。

 

トピック店舗:タイトピア木屋町店/ウィルトークタイトー市駅店

続いてトピック店舗です。

 

ゲーメストにて四国初掲載店となった松山市の「タイトピア木屋町」、および同じく松山市の「ウィルトークタイトー市駅店」の2軒をピックアップします。

 

【タイトピア木屋町店】

f:id:annaka-haruna:20200301212450p:plain

ゲーメスト 1986年9月号より)

f:id:annaka-haruna:20200301212916p:plain

2023年5月1日撮影

 

【ウィルトークタイトー市駅店】

f:id:annaka-haruna:20200326225033p:plain

ゲーメスト 1987年1月号より)

f:id:annaka-haruna:20200326225011p:plain

2023年5月1日撮影

 

松山の集計店はタイトー系店舗が存在感を示しており、同時に掲載された履歴はないもののゲーメストには4店舗(木屋町、市駅、大街道、空港通り)もの集計店が登録されています。その中でゲーメスト誌面に最初に掲載されたのが「タイトピア木屋町」となります。

ゼンリン住宅地図 松山市1988年より)

 

1988年の住宅地図にて存在を確認しており、入居していたフジファニチャービルは写真のように現存しています。営業当時は1階フロアの半分を使用していたようですが、現在は同一のテナントが1階をフルに使用しているようです。

 

場所は伊予鉄道市内線の木屋町電停が程近いですが、停留所から付近の広い道路まで抜ける路地の途中にあるお店という感じで、あまりゲームセンターが存在するような場所には思えないのですが、徒歩圏内に愛媛大学があるため学生の需要があったのかもしれません。

 

こちらはベーマガと重複掲載となっていますが、開始はゲーメストより早い1986年1月号からとなっています。

f:id:annaka-haruna:20210525074417j:plain

マイコンベーシックマガジン 1986年1月号より)

 

1986年のベーマガでは休載履歴は無く、同年9月からゲーメストへも掲載が開始されるものの1987年に突入すると両誌共に掲載は不定期気味となります。ゲーメストは1987年4月号の次は10月号となり5か月間、そしてその次は更に伸びて1988年6月号と実に8か月もの間隔が開きますが、ここからようやくコンスタントな掲載が開始され、1991年1月号まで継続しました。

 

一方のベーマガは1987年4月号にて一旦掲載がストップ、再登場は1989年11月号まで待つことになります。その後ゲーメストとほぼ同時期の1991年2月号を最後に掲載を停止しています。いずれも1987年~88年に掲載を欠いている時期があることから、店舗側の事情で常連が離れた等の不安定が時期が存在していたのかもしれません。また1991年頭で揃って掲載がストップすることから閉店が疑われるのですが、誌面には特にその旨の記述はありませんでした。

 

そして松山市タイトー系集計店でジョイランド松山、タイトピア木屋町に次いで3番目に掲載が開始された店舗が「ウィルトークタイトー市駅店」です。

松山市愛媛県、そして四国全体でも最も乗降客数が多い伊予鉄道松山市駅前にあったため、「市駅店」を名乗っています。

ゼンリン住宅地図 松山市1988年より)

こちらも入居していた建物は現存しています。住宅地図から1階で営業されていたことがわかりますが、写真のように1階は半地下の構造となっています。

 

店舗前の交差点東側は、大街道と並ぶ商店街である銀天街の入口があり人通りが多数あるのですが、交差点真下に地下道が通っているため人通りは殆どそちらに流れてしまい、駅前とは言え動線からは微妙に外れてしまっている感じがします。

 

こちらも木屋町と一緒で掲載は不定期でした。

当初から2~3か月程度間隔が空いての掲載が続いていましたが、1987年10月号から7か月間掲載が開き、1988年5月号で復活するものの長くは続かずに同年7月号を最後に姿を消すことになります。その後は木屋町及び大街道と、まだこの時点では現れていない空港通り店が掲載店として残って行くこととなります。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年6月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年6月号/トピック店舗:ジョイランド松山→ウィルトークタイトー大街道店(愛媛県)

イスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1991年6号)

マイコンベーシックマガジン1991年6月号(第10巻第6号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は98となり前月比-4とまた100店を割り込んでしまいました。

新規掲載店は1軒あります。

 

ナムコ

ゲームスポット市川店(千葉県)

マイコンベーシックマガジン 1991年6月号より)

 

ゲーメストでは1987~88年に掲載されていましたが、2年半の期間を経てベーマガに復活掲載となりました。今回ゲーメストへの掲載はされていません。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1991年6月】

マイコンベーシックマガジン 1991年6月号より)

 

遂にストリートファイターⅡが登場し、スコアの集計が開始されました。

先月から開始された冒頭の今月の注目ゲーム欄が早速威力を発揮し、初回集計から全8キャラクター別のハイスコア集計が行われています。

 

稼働開始直後は2台の筐体を対面配置するような「対戦台」は登場しておらず、対戦と言っても友人同士で隣に座ってプレイするレベルで、1人でクリアを目指したりスコアを狙うプレイスタイルが中心だったため、ハイスコア集計においても当初はプレイヤー層拡大の恩恵を受けることになります。

 

トピック店舗:ジョイランド松山→ウィルトークタイトー大街道店

続いてトピック店舗です。

 

舞台を愛媛県へ移し、松山市タイトー店舗群から「ジョイランド松山→ウィルトークタイトー大街道店」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)

2023年5月1日撮影

 

松山市中心部には銀天街、大街道という2つの大きなアーケード商店街が有りますが、店舗名が示す通り大街道アーケード街の中にありました。地方の商店街はシャッター街化が進行して久しいですが大街道や銀天街は現在でも賑わいがあり、テナントが空いても比較的短期間で次の店舗が見つかる様で、ここの跡地も写真のように現在はスマートホンケース専門店が入居しています。

ゼンリン住宅地図 松山市1988年より)

 

1988年の住宅地図ですが、隣接しているカメラのキタムラが2023年時点で健在のため、写真の場所で間違いないと認識しています。

(注:以前は「カメラのキタムラ」の場所を跡地して記述しておりましたが、住宅地図確認の結果「スマートラボ」の場所が正式な場所と判明したため訂正しております。)

この店舗が現役時代に一度訪問したことがあります。恐らくは1990年代前半ではなかったかな…。現在の店構えでは2階への階段は恐らく店舗正面左側の独立したシャッター部分と思われますが、営業当時は店内に2階に上がる階段があり、2階のビデオゲームをプレイした記憶があります。

 

また、アーケード天井から吊るされている逆L字型のサインは商店街共通で、「WE'LL TALK TAITO」の文字が入っていたような覚えが薄っすらとあります。

 

誌面への掲載は、同時にタイトー系列の店舗が12店ノミネートされたベーマガ1984年8月号からスタートしていますが、その直前にAMライフ誌でも掲載が確認されています。

アミューズメントライフNo.18 1984年6月号より)

 

そしてゲーメストも創刊第3号である1986年11月号から掲載開始されダブル掲載店となります。

f:id:annaka-haruna:20200311225800p:plain

ゲーメスト 1986年11月号より)

 

この時点で、AMライフ、ベーマガゲーメストの3誌全てに掲載履歴を残したことになり、ハイスコア集計掲載に対する店舗のモチベーションの高さを感じます。

 

その後タイトーのCI戦略としてウィルトークの店名が登場しますが、ここも変更の対象となり店名が「WE'LL TALK TAITO大街道店」となります。ここで初めて店名に「大街道」の名称が現れることになります。

 

変更に関してはゲーメストが1987年3月号から、ベーマガはひと月遅れて4月号からとなっています。

f:id:annaka-haruna:20200311225854p:plain

ゲーメスト 1987年3月号より)

マイコンベーシックマガジン 1987年4月号より)

 

その後はベーマガゲーメスト共に大きな休載期間はなく、短期掲載に留まることが多いタイトー系店舗にあっては老舗の貫禄でコンスタントに掲載が続きますが、1991年12月にまずゲーメスト、追って1992年7月にはベーマガが同じ松山市内の「ウィルトークタイトー空港通り店」と合同集計となります。

ゲーメスト 1991年12月号より)

マイコンベーシックマガジン 1992年7月号より)

しかしベーマガは合同集計になったのも束の間、翌8月号を最後に空港通り店の単独掲載となり誌面から姿を消しました。ゲーメストは12月号まで合同が継続したものの、1993年に入るとこちらも空港通り店のみとなり、AMライフ誌から数えて10年弱続いた誌面へのスコア掲載を終えています。閉店時期は判明していません。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年5月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年5月号/トピック店舗:ウィルトークタイトー高松店→タイトーイン高松店(香川県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1991年5月号)

ゲーメスト1991年5月号(第6巻第5号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店数は91で先月比-1。

新規店はありませんが、相模原市の「ゲームセンターUFO」が今号から町田市へ住所が変更となっています。ベーマガ1991年4月号と同様です。

ゲーメスト 1991年4月号より)

 

ゲーメスト 1991年5月号より)

 

ベーマガゲーメスト共に合同集計開始の表記はありませんが、ゲーメストでは備考欄に本店、町田店、八王子の記載があるため実際には合同集計化していたようです。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1991年5月】

ゲーメスト 1991年5月号より)

 

今号で最も眼を引くのは「ハイスコア通信」欄なのではないでしょうか。

80年台におけるスコアラーの聖地であった「プレイシティキャロット巣鴨店」がスコア掲載をストップする旨の告知がされています。

ゲーメスト 1991年5月号より)

 

90年秋に店舗改装を実施していた巣鴨店ですが、その後91年1月号のハイスコア通信欄に「ハイスコア集計は今後とも続行いたします」と少々思わせぶりなコメントが掲載されていました。そこから僅か4か月で掲載ストップに至ることになります。

 

ただベーマガへの掲載は継続されました。

そのためスコア掲載そのものが中止されたわけではなく、ゲーメスト編集部と巣鴨店の間で何らかの軋轢が発生したことが原因と後に聞き及びます。

 

ゲーメスト 1991年3月号より)

ゲーメスト 1991年4月号より)

ゲーメスト 1991年5月号より)

そして掲載中止と前後して、かつてゲーメスト編集長を務めた植村伴北氏による全盛期のプレイシティキャロット巣鴨店を回想する記事が3回に渡って掲載されるのですが、記事の冒頭に「巣鴨店が新しい方針の下に大きく変貌した。私たちのとどまるべき場所はない。さらば巣鴨キャロット」と綴られており、この記事が両者を分かつ決定打となったのではないかと推察されます。

 

トピック店舗:ウィルトークタイトー高松店→タイトーイン高松店

 

トピック店舗となります。

香川県タイトー系店舗から「ウィルトークタイトー高松店→タイトーイン高松店」をピックアップします。

ゲーメスト 1987年9月号より)

 

2023年5月2日撮影

ナムコ系キャロット店舗が中心部に3軒存在した高松市ですが、タイトー系店舗も掲載店としてノミネートされています。

場所は「プレイシティキャロット常盤店」と同じくことでん瓦町駅前から延びる常磐町商店街内で、キャロットは商店街から折れた先に位置しているのに対しこちらは駅からも近い好立地でした。

ゼンリン住宅地図 高松市1988年より)

 

1988年の住宅地図ですが、隣接してパチンコ店の建屋があるもののパチンコ店のテナントという訳ではなさそうです。常盤キャロットは地図の左上ぎりぎりの位置にあり、歩いても2分程度の距離となります。

 

店舗から3軒隣に位置している「都まん本舗(地図上では「都まん」)」が健在のため、都まん本舗の場所から起算すると現在は隣接した「パチンコ トキワホール」同様に更地となっていることになります。上記写真3枚目が該当します。

 

ただ取り壊されたのはトキワホールのみで、住宅地図上で隣接している「リトルマーメイド さくらんぼ」と同一の建屋ということであれば4,5枚目写真のOVERS(古着屋)の場所が該当するのではないかと思われます。そのため地図と現地確認では正確な場所を特定できていないため、御存知の方がいらっしゃればコメントを頂きたくお願い申し上げます。

 

誌面への掲載はゲーメスト1987年9月号から開始されました。

時折休載を挟みつつ1989年1月号まで掲載が続いた後、8か月の長期休載を経て10月号にて復活するのですが、翌11月号のハイスコア通信欄に以下のコメントが掲載されます。

ゲーメスト 1989年11月号より)

 

「初めまして」のコメントがありますが、既に掲載履歴があるため初登場ではありません。一度掲載を終了したものの店舗管理者が変わり再開されたという所でしょうか。

 

そしてビデオ90台に加えメダル36台を設置していたとなると、5枚目写真のOVERSの場所では収まりきらないような気がします。

 

こうして復活掲載を遂げたにも関わらず、1990年4月号を最後としてゲーメスト誌上からは姿を消すのですが、店舗営業は継続しており3年後の1993年8月号から、今度はベーマガにて3回目のスコア掲載が開始されます。

マイコンベーシックマガジン 1993年8月号より)

 

そして1994年2月号からは店名が「タイトーイン高松店」に変更となりました。

ウィルトークという店舗名称が急激に姿を消しつつあった時期です。

マイコンベーシックマガジン 1994年2月号より)

 

そしてベーマガへの掲載は1995年5月にて終了しました。途中に複数回掲載中止期間が存在したものの、7年以上に渡りスコア集計を行っていたことになります。

ゼンリン住宅地図 高松市2000年より)

 

掲載終了後ですが2000年の住宅地図では存在を確認しています。隣接しているパチンコ店もまだ健在、向かいのダイエーはイオン系のファッションビルOPAとなっていますが、更に20年以上を経過した2024年現在ではOPAの跡地にマンション建設中、トキワホールの場所は更地となっており常磐町商店街の商業地としての地盤沈下が浮き彫りになっています。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年4月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年5月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年5月号/トピック店舗:ビッグキャロット高松店→プレイシティキャロット高松店(香川県)

イスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1991年5号)

マイコンベーシックマガジン1991年5月号(第10巻第5号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店数は102で先月比+2となり3桁をキープ。

掲載店募集の効果は継続しており、今月は11店もの新規掲載店があります。

 

ナムコ

弘前ハイローザスペースランド(青森県

 

セガ

ハイテクセガ東松山(埼玉県)

 

ハイテクセガ武蔵小山(東京都)

 

・その他

ガリバー熊谷(埼玉県)

 

ゲームインダイエイ(千葉県)

 

スター5(東京都)

 

ファンタジアキャロットたまプラーザ店(神奈川県)

 

プレイランド柏崎店(新潟県

 

キャノン最前線(愛知県)

 

チャレンジバンバン(愛媛県

 

ホワイトハウス箱崎店(福岡県)

マイコンベーシックマガジン 1991年5月号より)

 

この頃になると新規掲載でもゲーメストへの掲載履歴がある店舗が増加してきます。

今号から掲載の11店のうち、ベーマガ単独の掲載店は「ハイテクセガ武蔵小山」「スター5」「プレイランド柏崎店」の3店のみで、他の8店は時期が異なる場合もあるもののゲーメストへの掲載履歴を持っています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1991年5月】

マイコンベーシックマガジン 1991年5月号より)

今号から装丁が一部変わり「今月の注目ゲーム」としてトップページに新作や話題のタイトルを大きく扱うようになりました。

この欄は以降「デカ文字」とスコアラーの間で呼称され、ここにスコアが掲載されることが一つの栄誉とみなされることとなります。

 

伴って誌面にはトップスコア欄が2ページ確保されることとなり、スコア掲載タイトルが増加したことからこれまでスコア解説欄外への掲載となっていたタイトルも無事スコア欄が確保されるに至ります。

 

また、先月のチャレハイ通信欄においてとあるキャロットにおける一部ゲームマニアの行動がスコア掲載を中止に至らしめた件が取り上げられていましたが、その一方で店舗の側も客に対する対応が以前と比べて冷ややかになり、居心地が悪くなっていることを問題提起しています。

 

特に都心店においてその傾向が強いことが指摘されていますが、不特定多数の来客が見込める都心店では一部マニアを囲い込むことのメリットが薄く、80年台後半頃から徐々にマニア排除へ舵を切った店舗が増えたことは事実です。

 

こればかりは程度の問題なので、プレイヤーは各々居心地の良い環境を求めて店舗を変え、ひいてはハイスコア集計店の推移として歴史に刻まれていくことになります。

 

トピック店舗:ビッグキャロット高松店→プレイシティキャロット高松店

 

トピック店舗です。

 

高松市3軒目のキャロット系店舗「ビッグキャロット高松店→プレイシティキャロット高松店」をピックアップします。

 

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年3月号より)

2023年5月2日撮影

 

80年台の最盛期、高松市は「プレイシティキャロット常盤店」「プレイシティキャロット藤塚店」そして今回紹介する「ビッグキャロット高松」が3軒同時に営業されており、ナムコフリークからすると非常に贅沢なエリアでした。

 

場所はアーケード街北部の片原町商店街に位置しており、ことでん片原町駅が最寄となります。

ゼンリン住宅地図 高松市1988年より)

1988年の地図にて所在を確認しています。

常盤店へは片原町から瓦町まで一駅、歩いても15分程度ですがその間はアーケード街が連続しており、日本一の総距離を誇る高松のアーケード街の大きさを実感できます。また常盤店から藤塚店までも15分程度のため、30分も歩けば3店舗すべてを周遊可能です。

 

誌面への掲載はベーシックマガジン1984年3月号からスタート、オリジナル26店には入りませんでしたが最初に追加掲載された16店には名を連ねています。

 

こちらも常盤店同様、ゲームマシン誌1984年2月15日号の記事「全国縦断ゲーム場ルポ」にて店内写真が掲載されていました。

(ゲームマシン 1984年2月15日号より)

ゲームマシン誌によれば、PCC常盤とBC高松は共に店舗面積20坪程度で、元々居抜き店舗をナムコが改装の上引き継いだ常盤店に対しBC高松は「店内は明るく清潔」と評されています。80年台当時、ジャスコダイエーといった大型店が軒を連ね煩雑な印象の常磐町商店街に面した常盤店よりも、地元商店が中心の片原町商店街に位置するBC高松の方が落ち着いた雰囲気の店舗だったのかもしれません。

 

しかしスコアの掲載については常盤店閉店よりも早いベーマガ1988年6月号にて一旦ストップします。

 

その後は潜伏をしていたのですが、5年後のベーマガ1993年7月号から店舗名を「プレイシティキャロット高松店」と変え再度掲載が開始されました。

ゲーメストにも1993年8月号にて誌面初登場となりダブル掲載店となります。

マイコンベーシックマガジン 1993年7月号より)

ゲーメスト 1993年8月号より)

ビッグキャロットからプレイシティキャロットへの名称変更の時期は不明ですが、80年台後半~90年台初頭にかけて「ビッグキャロット」「キャロットハウス」の名称がかなりの割合で「プレイシティキャロット」に改められており、その流れに沿ったものと思われます。掲載のなかった期間中もスコアの集計は続けられていたのでしょうか。

 

しかしベーマガは約1年後の1994年9月号を最後に誌面から姿を消しました。

ゲーメストは少々後の1994年10月15日号まで掲載が継続していますが、大きな差異ではありません。掲載終了に関するコメントは両誌共にありませんでした。

マイコンベーシックマガジン 1994年9月号より)

ゲーメスト 1994年10月15日号より)

 

掲載は終了したものの、営業は継続しており2000年の住宅地図でも存在を確認しています。しかしナムコ広報誌「NOURS」No.35 2001年冬号の「全国ナムコ店舗ガイド 高知・愛媛・香川・徳島編」には店舗の記載がないため、2000~2001年にて閉店しているようです。

ゼンリン住宅地図 高松市2000年より)

現在は「細谷ビル」自体が取り壊されており、写真のように矢板で囲われた空き地となっていました。

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年4月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年4月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年4月号/トピック店舗:プレイシティキャロット藤塚店(香川県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1991年4月号)

ゲーメスト1991年4月号(第6巻第4号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は92で先月比-2となりました。今月は新規掲載店はありません。

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1991年4月】

ゲーメスト 1991年4月号より)

 

さてこれまで「ビデオゲームパラダイムシフトを起こした1991年登場のあるタイトル」の名前を伏せていましたが、そのゲーム名は殆んどの方が理解されているのではないかと思います。

 

ストリートファイターⅡ(スト2)」です。

 

ゲーメスト誌上では1991年3月号の「てあたりしだいゲームリスト」にて初めて名前が登場していましたが、AOU全日本アミューズメント施設営業者協会連合会:当時)ショーにおける展示前に誌面にて紹介記事が組まれました。

ゲーメスト 1991年4月号より)

当時ゲーメストカプコンの蜜月関係があったとはいえ、発売前から誌面トップに紹介記事を置くほどに力点が置かれており、期待度の高さが窺えます。

 

そして発売後の人気度は30年以上が経過した現在でも良く知られるところですが、ハイスコアの世界においてもいろいろな意味でこのタイトルの影響を大きく受けることになります。

 

トピック店舗:プレイシティキャロット藤塚店

続いてトピック店舗です。

 

前回に引き続き四国のハイスコア掲載店から「プレイシティキャロット藤塚店」を取り上げます。

ゲーメスト 1987年5月号より)

2023年5月2日撮影

 

政令指定都市クラスを除いて、ナムコ系キャロット店舗が同一市内に3軒存在した場所が3箇所あります。山梨県甲府市静岡県静岡市(合併前)、そして香川県高松市です。

 

「プレイシティキャロット藤塚店」は高松市3軒目のキャロットとして誌面に登場しました。市内の他の2店「プレイシティキャロット常盤店」「ビッグキャロット高松」はベーマガの掲載からとなりましたが、藤塚店はゲーメストへの掲載からスタートしています。

 

場所は高松市中心部アーケード街のひとつである田町商店街を抜け、少々南に下った所です。既に紹介したプレイシティキャロット常盤店からは徒歩10分程度の距離です。まだ中心部からは近いですが周辺は雑居ビルと住宅の割合が大きく、人通りも多くはなさそうでゲームセンターがありそうな雰囲気には見えません。

ゼンリン住宅地図 高松市1988年より)

 

1988年の住宅地図にて所在を確認、ビルの名称は当時から変わっていないことがわかります。1階フロアは現在写真のように介護施設となっていました。

 

店舗のオープンは1986年11月とのことです。

当時の店内写真がナムコミニコミ誌「NG」に掲載されていたため、引用させて頂きます。

 

NG掲載の写真は店内から入口側を臨んでいますが、天高や扉の形状が現在の建屋と一致していることが確認出来ます。

 

そして誌面への掲載はゲーメスト1987年5月号からスタートしたため、オープンから半年程度経過しています。

 

その後1989年末から掲載を欠くことが増え、更に1990年5月号からは休載が連続し掲載終了を予感させましたが同年12月号にて店舗欄復活を遂げます。しかし長続きはせず1991年10月号を最後に姿を消しており、二度目の復活は叶いませんでした。

 

またキャロット系店舗にしては珍しくゲーメストのみの掲載店となっており、ベーマガへの記載履歴はありませんでした。

ゼンリン住宅地図 高松市1996年より)

 

閉店時期は不明ですが、1996年の地図ではゲームセンターではあるもののナムコが運営から既に撤退していたことが確認されています。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年3月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年4月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年4月号/トピック店舗:プレイシティキャロット常盤店(香川県)

イスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1991年4号)

マイコンベーシックマガジン1991年4月号(第10巻第4号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は先月比+8の100丁度となり、7か月ぶりに3桁の大台に復活しました。

参加店募集が続けられたこともあり、先月に続いて今月も4店の新規掲載があります。

 

ナムコ

プレイランドナムコ(長野県)

 

タイトー

ウィルトークタイトー空港通り店(愛媛県

 

・その他

ゲームスポット(千葉県)

 

ゲームセンターUFO(神奈川県)

 

プレイランド長岡駅前店(新潟県

マイコンベーシックマガジン 1991年4月号より)

 

「プレイランドナムコ」は先月の諏訪に引き続き長野県内ジャスコ(当時)のインストア店舗です。両店で掲載が示し合わされたりしたのでしょうか。

 

「ウィルトークタイトー空港通り店」は、ゲーメスト掲載店も含めると松山市で4軒目のタイトー系掲載店となります。

千葉県鴨川市の「ゲームスポット」は、同一市内で約1年前から掲載が開始されている「ゲームコーナーヤングパレス」から至近距離。青森県五所川原市もそうですが、決して大きな商圏ではない場所に複数のハイスコア掲載店が存在していた時期でもあります。

 

マイコンベーシックマガジン 1991年3月号より)

マイコンベーシックマガジン 1991年4月号より)

 

また、前号まで掲載されていた相模原市の「ゲームセンターUFO」が、店名欄はそのままで住所が町田市に変更されています。住所が変更になっているためマップには新たに位置をプロットしていますが、新規掲載店の扱いとはしていません。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1991年4月】

マイコンベーシックマガジン 1991年4月号より)

 

今号で目を引くのがコーナー末尾の「チャレハイ集計後記」です。

某キャロットからの掲載打ち切りの件が記載されていますが、その理由が、「マニアが群がってゲームを見る」はまだしも「店でチェックしたスコアに対してウソスコアと難癖をつける」そして挙句に「店内でハーモニカを吹く」といった振る舞いによるものであったという内容。

 

「常連の扱い」というのはゲームセンターに限らず客商売におけるテーマでもありますが、特にハイスコア集計店においては、「新作を一部の常連が独占」「ゲームをプレイせず長時間店内に滞在」と言った店舗側に不利益な行為が目立っていたことも事実です。

挙句に店内で傍若無人な振る舞いを起こせば店舗から煙たがられてもやむを得ない面もあり、ひいてはスコア集計中止に至る店舗が増えてしまったことは今思い起こせば非常に残念な部分です。

 

トピック店舗:プレイシティキャロット常盤店

トピック店舗は場所を四国へと移します。

 

まずは香川県高松市ナムコ系店舗から「プレイシティキャロット常盤店」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年1月号より)

2023年5月2日撮影

2023年5月4日撮影

高松市は中心部に総延長約2.7㎞の長さを誇る日本一のアーケード商店街があります。アーケードの街区はことでん高松琴平電気鉄道)のターミナルである瓦町駅から隣の片原町駅付近まで広がっていますが、瓦町駅前から延びる常磐町商店街の街区に店舗は存在しました。

ゼンリン住宅地図 高松市1988年より)

1988年の住宅地図です。薄くなっていますが赤枠の箇所に「(株)ナムコ キャロット」の文字が確認出来ます。

 

こちらはゲームマシン誌1984年2月15日号の記事「全国縦断ゲーム場ルポ」にて高松のロケーションが取り上げられた際、営業当時の貴重な写真が掲載されています。

(ゲームマシン 1984年2月15日号より)

 

また、@Area51_zek氏のX(旧twitter)には、季刊NGに掲載された店舗正面の写真が掲載されていたのでこちらも引用します。

 

ゲームマシンの写真は、記事中に「奥フロアの床が一段高くなっている」との記述があるため、店内奥から入口に向かって撮影されたものと思われます。2階がナムコの事務所となっていたようなので、店内写真に見える階段は事務所への出入りに使用されていたと想像します。

 

誌面へのスコア掲載ですが、こちらはベーマガ1984年1月号から掲載されたオリジナル26店のうちのひとつで、市内に3軒存在したナムコ系キャロット店舗のうち最初に誌面に登場しました。

マイコンベーシックマガジン 1989年5月号より)

 

しかし閉店は3軒中最も早く、1989年5月号のチャレハイ通信欄にメッセージが残されています。既に閉店から30年以上が経過しており店舗の形跡は一切残っていないものの建屋はまだ当時のまま存続しているようで、2023年時点では写真のように青果店として使用されていました。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年3月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年3月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年4月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年3月号/トピック店舗:ダイエー福山店(広島県)/カジノ丸亀1・2号店(香川県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1991年3月号)

ゲーメスト1991年3月号(第6巻第3号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

店舗総数は94となり先月比+7と戻しました。

先月の減少を受けてかは定かではありませんが、早速2店新規掲載店が追加されています。

 

・その他

ダイエーレジャーランド八木店(奈良県

 

チャレンジバンバン(愛媛県

ゲーメスト 1991年3月号より)

 

ダイエーレジャーランド八木店」はベーマガにて1988年10月~1989年11月まで掲載されていましたが、ゲーメストにて復活掲載となりました。奈良県の掲載店は「ダイエーレジャーランド大和高田店」が1987年12月号で姿を消して以来2軒目となります。

 

「チャレンジバンバン」は90年台の愛媛県を代表する集計店と思います。ゲーメストから最初に掲載が開始され、追ってベーマガと重複掲載店となります。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1991年3月】

ゲーメスト 1991年3月号より)

 

ゲーメストはハイスコアの個人申請を認めているため、時折目を疑うような店舗から申請が上がっていることがあります。

 

今月の「リーグボウリング(SNK)」スコア部門トップの申請店舗名が「健康サウナ南大門ゲームコーナー」となっており、こちらは施設名称こそ変わっているものの店舗は現役のようです。

spa-nandaimon.com

サウナや健康ランドに併設されているゲームコーナーは入泉料を支払った先の館内にある場合が殆どだと思いますが、プレイヤーが館内ゲームコーナーにわざわざスコアを出しに行くとは考えにくく、「サウナに行ったついでに遊んだらスコアが出てしまった」という線なのでしょうか。

それにしても申請用紙を常に持ち歩いていなければならず、また店側もよく確認サインをしてくれたなあと思わずにはいられません。

 

トピック店舗:ダイエー福山店/カジノ丸亀1・2号店

トピック店舗へ移ります。

 

中四国地域のゲーメスト初期掲載店から「ダイエー福山店」「カジノ丸亀1・2号店」の2軒をピックアップします。

 

ダイエー福山店】

ゲーメスト 1986年5月号より)

(東館)

(西館)

2023年11月4日撮影

【カジノ丸亀1・2号店】

ゲーメスト 1986年5月号より)

 

2023年5月2日撮影

 

両店共にゲーメスト創刊号である1986年5月号のみの掲載となっています。

 

ダイエー福山店」ですが、広島県福山市のJR福山駅前に位置していました。

駅南口を出た所には高層の「福山ニューキャッスルホテル」がそびえていますが、その東隣及び裏手にダイエーの「東館」及び「西館」の2つの建屋が存在したようです。

2023年11月4日撮影

 

駅付近に市街地の変遷を記録したパネルがあり、昭和62年の写真には中央で目立つ福山キャッスルホテルと隣接して「TOPOS」の黄色い看板が二つあるのがわかります。

双方が元ダイエー福山店となり、二つの建物は連絡通路で結ばれていました。

 

「TOPOS」はダイエーのディスカウントストアブランドで、福山店は1986年4月にダイエーから業態転換がなされています。ゲーメストへの掲載は1986年5月号のみのため、雑誌販売時には既にダイエーからTOPOSへブランドが変わっていたことになります。

TOPOSに変わってからゲームコーナーが館内に存在したのかは判明していません。

 

またダイエー店内に存在したゲームコーナーは、ダイエー系列会社のダイエーレジャーランド(DLL)による運営が多く、過去に誌面へ掲載された店舗もほとんどが「ダイエーレジャーランド〇〇店」となっているのですがここは当てはまらないため、DLLによる運営店舗だったのかどうかも不明となっています。

 

その後TOPOSは2001年に再度店舗名をダイエーに戻しますが2005年に施設閉鎖され、先行して西館がマンション「サーパスシティ福山駅前」に、東館はフタバ図書アニメイトサブカル系テナントが入居していましたがこちらも老朽化により2017年に閉鎖され、撮影時点ではダイワロイネットホテルとなっています。

 

続いて場所を四国に移し、香川県丸亀市の「カジノ丸亀1・2号店」を紹介します。

「丸亀」と聞くと「丸亀製麺」が思いつく方も多いと思われますが、丸亀市内には本社はおろか2024年現在店舗は一つも存在していません。

 

誌面住所を検索すると、JR丸亀駅前から丸亀城址へ続いているアーケードの「通町商店街」から脇道に入った場所になります。

ゼンリン住宅地図 丸亀市1986年より)

1986年の住宅地図にて所在を確認しています。

撮影時点で該当場所は駐車場になっており、周囲の建物の状況からこの場所が跡地であろう箇所にて撮影しています。アーケード側にある自転車店生花店は営業が続けられていました。

 

しかしこの場所が1号店なのか2号店なのかは判別不能です。

店舗住所情報は一つしかなく、店舗面積も決して広くはなさそうなので近隣商店街内にもう一軒店舗があるのでは、と思い住宅地図とにらめっこしてみましたが発見には至らず。情報をお持ちの方は是非ともコメントをお願い申し上げます。

 

前述のようにゲーメスト創刊号において四国唯一の掲載店となりましたが、再度店舗欄に登場することはありませんでした。以後香川県の掲載店は全て都市規模の大きな高松市に集中したため、丸亀市を含んだ他の地域にはベーマガを含めて掲載店は現れていません。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年2月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年3月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年4月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年4月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年3月号/トピック店舗:旭サービス都城店6Fプレイランド/ウィルトークタイトー都城店(宮崎県)

イスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1991年3月号)

マイコンベーシックマガジン1991年3月号(第10巻第3号)のハイスコア集計店マップとなります。


掲載店総数は92となり先月比+4、何とか90の大台に戻しました。

先月から参加店募集を再開した効果で、今号は5店の新規掲載があります。


ナムコ

ナムコジャスコ諏訪店(長野県)


タイトー

ハーフタイム(兵庫県


・その他

ゲームランドスバル(千葉県)


ゲームセンターIC砧店&千歳船橋店(東京都)


ゲームセンターピノキオ(兵庫県

マイコンベーシックマガジン 1991年3月号より)


ベーマガナムコ系新規掲載は1989年1月号の「プレイシティキャロット表町店」以来実に2年3か月振りとなります。この頃になると「キャロット」ブランドの店舗展開はほぼ行われなくなっていました。


兵庫県に新たに2店登場していますが、西宮市の「ハーフタイム」はタイトー系店舗であることを確認しています。また明石市の「ゲームセンターピノキオ」は、ゲーメスト1987年6月~1988年1月に掲載された「ゲームプラザピノキオ」とは別店舗で、住所も僅かに異なっています。


ゲームプラザピノキオ:明石市本町1-1-26

ゲームセンターピノキオ:明石市本町1-1-28


ゲームプラザピノキオが閉店後、間を置いて隣の場所にゲームセンターピノキオがオープンしたのですが、両店の間に関連はないとの情報です。


以下スコア欄を掲載します。


【チャレンジハイスコア 1991年3月】

マイコンベーシックマガジン 1991年3月号より)


誤植と言えばゲーメストの専売特許ですが、ベーマガにも時折誤植らしき事象が散見されます。

今月は「プレイシティキャロット佐世保店」の欄が何故か2つ存在しています。


タイトルのラインアップを見ると両者の間に大きな差異がなく、プレイヤーも共通しているように思えるため店舗名の誤植ということではなさそうです。

前月の1991年2月号では佐世保店のスコア欄が欠けていたことから、恐らく2か月分のスコア欄を同時に掲載したというラインが有力ですが、特にその旨についての説明はないため主旨は不明です。


たまたま該当店舗からトップが輩出されていないので問題とはなりませんでしたが、月間単位でトップを集計している中説明もなく2か月分をまとめて掲載していることはあまり好ましいことではなく、この頃からプレイヤーがハイスコアを出すウエイトがベーマガからゲーメストへ変わって行く理由を垣間見るような気がします。


トピック店舗:旭サービス都城店6Fプレイランド/ウィルトークタイトー都城

続いてトピック店舗へ移ります。


宮崎県は都城市から「旭サービス都城6Fプレイランド」及び「ウィルトークタイトー都城店」の2店を取り上げます。


【旭サービス都城店6Fプレイランド】

マイコンベーシックマガジン 1986年4月号より)

2022年8月9日撮影

【ウィルトークタイトー都城店】

マイコンベーシックマガジン 1987年8月号より)

2022年8月9日撮影

宮崎県第二の都市である都城市に、かつて2軒のハイスコア掲載店が存在しました。

1軒目の「旭サービス都城店6Fプレイランド」は、市の代表駅であるJR都城駅前に存在した商業施設で、宮崎市に本店を構える橘百貨店が1973年にオープンさせた都城店がルーツとなっています。


しかし僅か2年後に橘百貨店は破綻し、旭化成の関係会社である旭化成サービスが引き継ぎ「旭サービス都城店」として運営が継続されています。

「ハイテクセガ延岡」の紹介でも触れましたが、宮崎県延岡にゆかりのある企業として同じ県内である都城市においても旭化成の影響力は存在したようです。


旭サービス都城店を含めた都城市内における大型商業施設の進出、撤退の経緯は、以下2つのサイトから詳細な内容を確認出来ます。

think-miyakonojo.jp

ja.wikipedia.org


そして1987年の住宅地図において、旭サービス都城店の存在を確認しています。

ゼンリン住宅地図 都城市1987年より)


翌1988年の地図はデジタル化されており、文字輪郭等はっきりしているため合わせてアップします。地図の右上北東方向が都城駅となります。建物の前に「旭サービス」のバス停があることもわかります。

ゼンリン住宅地図 都城市1988年より)


ベーマガ誌面への掲載は1986年4月号から開始されたものの、1年後の1987年4月号が最後の掲載となっています。上記引用の「Think都城」内にもありますが旭サービスは1995年に閉店し、取り壊された跡地はセガワールドタイガーを経て現在は写真のパチンコ店である「Wing都城駅前店」が建っています。旭サービス時代のプレイランドの状況を伺える資料は発見できませんでした。


そしてもう一軒の「ウィルトークタイトー都城店」ですが、こちらは国道10号に面した都城中心市街地である中町にありました。都城駅と隣の西都城駅の中間付近となります。


1988年の住宅地図で店舗を確認しています。1987年の地図にはなかったため87~88年付近でオープンしているようです。

ゼンリン住宅地図 都城市1988年より)


地図中央を縦断するのが国道10号で、中心市街地の象徴である都城大丸と寿屋都城店の2つの百貨店が国道を挟んで対峙、また歩道にはアーケードも懸けられており当時の賑わいを彷彿させます。しかし現在は大丸、寿屋共に撤退、またウィルトーク及び周囲に隣接した複数の建物は写真のようにすべて更地となっており、店舗の形跡を窺い知ることは出来ませんでした。建物の配置から、4枚目写真の場所が該当するのではないかと思います。


ただ周辺を散策したところ、近隣ビルにかつての航空写真が掲示されており、そこにウィルトークの入っていたであろう建屋が写っていました。

2022年8月9日撮影


2枚目写真の赤枠で囲った建屋で間違いないと思います。違っているようであればご指摘をお願い申し上げます。

跡地の探索は場所が特定できれば直接現地へ向かわなくともGoogleMapで可能なのですが、このような発見があることが直接現地を確認することの醍醐味でもあります。


誌面への掲載はベーマガ1987年8月号から開始されたため、旭サービス都城店と期間は重複していません。

ゲーメストへは1988年2月号に掲載されたのですが、掲載はこの号のみとなっています。

ゲーメスト 1988年2月号より)


ベーマガへの掲載はその後も継続していましたが1988年に入ると休載が増加し、1989年5月号を最後に誌面から姿を消しています。閉店時期は判明していません。以降都城市に掲載店が出現することはありませんでした。


【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年2月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年2月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年4月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年3月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年2月号/トピック店舗:ゲームピアチャンス国分店(鹿児島県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1991年2月号)

ゲーメスト1991年2月号(第6巻第2号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は87で先月比-8と1割近く数を減らしています。

今月たまたま欄を欠いている店舗が多数ありますが、先月を最後に以下3店が掲載終了している影響もあります。

 

・タイトピア木屋町愛媛県

・DLL屋内遊園地秋田店(秋田県

・がらん3(長野県)

 

1986年から松山市内で「ウィルトークタイトー大街道店」と並んで掲載が続いた「タイトピア木屋町」が掲載終了。ベーマガも同じタイミングで終了しているため閉店が疑われます。またDLL屋内遊園地秋田店の掲載終了により、東北地方に複数存在したダイエーレジャーランド系の掲載店が全て姿を消すこととなります。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1991年2月】

ゲーメスト 1991年2月号より)

 

最終ページに「ウィルトーク小田原」のみが離れて掲載されています。

先月まで「タイトー小田原周辺」にてエントリーされていましたが今号から「ウィルトークタイトー小田原店」の住所に変更されました。

 

それが原因かは定かではありませんが、これまで全国トップ獲得数である累計50個の☆が記載されず(翌月にはもとに戻ります)、最終ページになんとか店舗欄を挿入したような印象で締切前後の編集の混乱が想起されます。

 

トピック店舗:ゲームピアチャンス国分店

トピック店舗は引き続き南九州の店舗から、鹿児島県の「ゲームピアチャンス国分店」をピックアップします。

 

ゲーメスト 1990年10月号より)

2023年11月24日撮影

店舗欄住所の「国分市」は、平成の合併で現在は「霧島市」となっています。

 

鹿児島市から1時間程度に位置する旧国分市の中心はJR国分駅付近に拡がっており、駅から10分程度歩いた場所に存在する中央通りに面した写真のマンション「グロアール20」1階が跡地となります。

ゼンリン住宅地図 国分市1991年より)

1991年の住宅地図で建物1階に店舗の存在を確認、2階にあるヤマハ音楽教室は30年が経過して健在であることがわかります。

そして現在1階は店舗として使用されておらず駐車場と化しています。
店舗の面影は全くないのかと思いましたが、駐車場部分を覗くと4枚目写真のように奥に床タイルが残存しており、タイルのある箇所が元々の店舗エリアだったであろうことが想定されます。窓やコンセント撤去の痕跡も確認出来ました。

 

国分駅前から続いている旭通りと、店舗が面する中央通り沿道は90年の住宅地図では多数の商店が並んでおり、付近はかつてゲームセンターも立地可能な場所だったのかもしれません。ただ特に中央通りは道幅が若干狭いため、車でアプローチし易くかつ駅からの距離も近くなる隣接した県道472号沿いの国分山形屋付近が現在は振るわっており、建物1階のテナントを確保できず駐車場にせざるを得ない事情が何となく透けてしまいます。

 

誌面への掲載は18店もの新規集計店が登場したゲーメスト1990年10月号からスタート。鹿児島市の「TOPGUN」が単発で掲載店から離脱後空白となり、ベーマガへの掲載店も無かった鹿児島県唯一のハイスコア掲載店となりました。そう考えると鹿児島市は都市規模の割に集計店には恵まれなかった地域と思います。

 

そしてその孤塁を守るが如く90年台前半は掲載継続、ゲーメスト1996年8月30日号までの掲載を確認しています。閉店時期は判明していません。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年1月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年2月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年3月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年3月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年2月号/トピック店舗:ヤング・タウン(鹿児島県)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1991年2月号)

マイコンベーシックマガジン1991年2月号(第10巻第2号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店の総数は88となり先月比-2、7か月連続のマイナスで遂に90も割り込んでしまいました。

1984年7月号の60店→8月号にて101店となって以来、2桁になることはあっても90を下回ることはなく、掲載店数の下落傾向が継続しています。

 

新規店は2店登場しています。

 

・その他

ゲームタウン(福島県

 

ゲームインチェリーズ(鳥取県

マイコンベーシックマガジン 1991年2月号より)

どちらも掲載店としては手薄なエリアで、ベーマガでは福島県ダイエーレジャーランド郡山店に次いで2店目、鳥取県は初の掲載店となりました。鳥取県の登場によりベーマガで掲載履歴のない県は徳島と佐賀の2県のみとなっています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1991年2月】

マイコンベーシックマガジン 1991年2月号より)

 

チャレンジハイスコアは通常8ページの構成でしたが、掲載店の減少で先月1月号は7ページと1ページ減となっていました。

今月は更に減少したものの8ページを回復しているのですが、さすがに危機感が出たのか改めて参加店募集の案内が掲載されています。

 

トピック店舗:ヤング・タウン

続いてトピック店舗へ移ります。

 

南九州のナムコ系掲載店も4店目、鹿児島県の「ヤング・タウン」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年7月号より)

2022年8月8日撮影

「ヤング・タウン」という店舗名称からはここがナムコ系のお店とは判断できないのですが、誌面記載の店舗住所を当時の住宅地図にて確認すると、ナムコの鹿児島事務所が該当します。

ゼンリン住宅地図 鹿児島市1985年より)

ゼンリン住宅地図 鹿児島市1984年より)

 

この場所に営業所と合わせてゲームセンターが併存していたという情報を頂いたため、ヤング・タウンを該当店としてナムコ系店舗として分類しています。

 

所在地である「児島ビル」は現在も存在しています。

現在の1階フロアは写真では駐車場に見えますが、奥が事務所となっており看板を出している不動産店が使用しているようです。

 

1984年のテナント一覧にはフロア階数の記載がないため、ナムコ事務所が何階に存在したのかは判断できませんが、1階の奥を営業所として使用し、現在の駐車場の部分が以前は店舗だったのではないかと想像しています。当時の状況をご存知の方がいらっしゃいましたら是非ともコメントをお寄せください。

 

こちらの誌面への掲載は他の南九州のナムコ系店舗から少々遅れてベーマガ1984年7月号からとなっています。

しかし9月号には早くも休載表記となり、10,11月号とスコア掲載がされたものの12月号に再度休載となった後に誌面から姿を消しているため、掲載期間は半年間のみに留まっています。1988年3月発行である「オールアバウトナムコⅡ」の「ナムコ直営ゲーム・センター一覧」には記載がないことから、それ以前に店舗としては営業を終了していた公算が大きいと思われます。

 

目の前の道路は鹿児島市電が通り、鹿児島大学からも比較的近いことから沿道にはゲームセンターが複数立地しており、ゲーメスト掲載店である「ウィルトークタイトー騎射場店」も比較的近接していますが、この場所は路面電車の停留所のほぼ中間で、付近に商店も少ないことからあくまでも事務所の機能が主であり、店舗として運営維持されることはあまり想定されていなかったのかもしれません。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年1月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年1月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年3月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年2月号