ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1991年5月号)
マイコンベーシックマガジン1991年5月号(第10巻第5号)のハイスコア集計店マップとなります。
掲載店数は102で先月比+2となり3桁をキープ。
掲載店募集の効果は継続しており、今月は11店もの新規掲載店があります。
・ナムコ系
・セガ系
・その他
ガリバー熊谷(埼玉県)
ゲームインダイエイ(千葉県)
スター5(東京都)
ファンタジアキャロットたまプラーザ店(神奈川県)
プレイランド柏崎店(新潟県)
キャノン最前線(愛知県)
チャレンジバンバン(愛媛県)
(マイコンベーシックマガジン 1991年5月号より)
この頃になると新規掲載でもゲーメストへの掲載履歴がある店舗が増加してきます。
今号から掲載の11店のうち、ベーマガ単独の掲載店は「ハイテクセガ武蔵小山」「スター5」「プレイランド柏崎店」の3店のみで、他の8店は時期が異なる場合もあるもののゲーメストへの掲載履歴を持っています。
以下スコア欄を掲載します。
【チャレンジハイスコア 1991年5月】
(マイコンベーシックマガジン 1991年5月号より)
今号から装丁が一部変わり「今月の注目ゲーム」としてトップページに新作や話題のタイトルを大きく扱うようになりました。
この欄は以降「デカ文字」とスコアラーの間で呼称され、ここにスコアが掲載されることが一つの栄誉とみなされることとなります。
伴って誌面にはトップスコア欄が2ページ確保されることとなり、スコア掲載タイトルが増加したことからこれまでスコア解説欄外への掲載となっていたタイトルも無事スコア欄が確保されるに至ります。
また、先月のチャレハイ通信欄においてとあるキャロットにおける一部ゲームマニアの行動がスコア掲載を中止に至らしめた件が取り上げられていましたが、その一方で店舗の側も客に対する対応が以前と比べて冷ややかになり、居心地が悪くなっていることを問題提起しています。
特に都心店においてその傾向が強いことが指摘されていますが、不特定多数の来客が見込める都心店では一部マニアを囲い込むことのメリットが薄く、80年台後半頃から徐々にマニア排除へ舵を切った店舗が増えたことは事実です。
こればかりは程度の問題なので、プレイヤーは各々居心地の良い環境を求めて店舗を変え、ひいてはハイスコア集計店の推移として歴史に刻まれていくことになります。
トピック店舗:ビッグキャロット高松店→プレイシティキャロット高松店
トピック店舗です。
高松市3軒目のキャロット系店舗「ビッグキャロット高松店→プレイシティキャロット高松店」をピックアップします。
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年3月号より)
2023年5月2日撮影
80年台の最盛期、高松市は「プレイシティキャロット常盤店」「プレイシティキャロット藤塚店」そして今回紹介する「ビッグキャロット高松」が3軒同時に営業されており、ナムコフリークからすると非常に贅沢なエリアでした。
場所はアーケード街北部の片原町商店街に位置しており、ことでん片原町駅が最寄となります。
1988年の地図にて所在を確認しています。
常盤店へは片原町から瓦町まで一駅、歩いても15分程度ですがその間はアーケード街が連続しており、日本一の総距離を誇る高松のアーケード街の大きさを実感できます。また常盤店から藤塚店までも15分程度のため、30分も歩けば3店舗すべてを周遊可能です。
誌面への掲載はベーシックマガジン1984年3月号からスタート、オリジナル26店には入りませんでしたが最初に追加掲載された16店には名を連ねています。
こちらも常盤店同様、ゲームマシン誌1984年2月15日号の記事「全国縦断ゲーム場ルポ」にて店内写真が掲載されていました。
(ゲームマシン 1984年2月15日号より)
ゲームマシン誌によれば、PCC常盤とBC高松は共に店舗面積20坪程度で、元々居抜き店舗をナムコが改装の上引き継いだ常盤店に対しBC高松は「店内は明るく清潔」と評されています。80年台当時、ジャスコやダイエーといった大型店が軒を連ね煩雑な印象の常磐町商店街に面した常盤店よりも、地元商店が中心の片原町商店街に位置するBC高松の方が落ち着いた雰囲気の店舗だったのかもしれません。
しかしスコアの掲載については常盤店閉店よりも早いベーマガ1988年6月号にて一旦ストップします。
その後は潜伏をしていたのですが、5年後のベーマガ1993年7月号から店舗名を「プレイシティキャロット高松店」と変え再度掲載が開始されました。
ゲーメストにも1993年8月号にて誌面初登場となりダブル掲載店となります。
(マイコンベーシックマガジン 1993年7月号より)
(ゲーメスト 1993年8月号より)
ビッグキャロットからプレイシティキャロットへの名称変更の時期は不明ですが、80年台後半~90年台初頭にかけて「ビッグキャロット」「キャロットハウス」の名称がかなりの割合で「プレイシティキャロット」に改められており、その流れに沿ったものと思われます。掲載のなかった期間中もスコアの集計は続けられていたのでしょうか。
しかしベーマガは約1年後の1994年9月号を最後に誌面から姿を消しました。
ゲーメストは少々後の1994年10月15日号まで掲載が継続していますが、大きな差異ではありません。掲載終了に関するコメントは両誌共にありませんでした。
(マイコンベーシックマガジン 1994年9月号より)
(ゲーメスト 1994年10月15日号より)
掲載は終了したものの、営業は継続しており2000年の住宅地図でも存在を確認しています。しかしナムコ広報誌「NOURS」No.35 2001年冬号の「全国ナムコ店舗ガイド 高知・愛媛・香川・徳島編」には店舗の記載がないため、2000~2001年にて閉店しているようです。
(ゼンリン住宅地図 高松市2000年より)
現在は「細谷ビル」自体が取り壊されており、写真のように矢板で囲われた空き地となっていました。
【前記事】
ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年4月号
ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年4月号
【次記事】