ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1989年12月号)
マイコンベーシックマガジン1989年12月号(第8巻第12号)のハイスコア集計店マップとなります。
掲載店総数は108となり先月比+2の増加となりました。新規掲載店は4店を確認しています。
・セガ系
・タイトー系
ハイテクノーベル神保町(東京都)
・その他
(マイコンベーシックマガジン 1989年12月号より)
山口県のゲームランドプールイン以外の3店はいずれもゲーメストとの重複掲載となっています。ハイテクランドセガ藤井寺店はゲーメストとほぼ同時掲載開始ですが、ハイテクノーベル神保町、プレイランドファンタジーの両店は1987年にはゲーメストでの掲載が開始されており、2年以上の間隔を置いてのスタートとなりました。
以下スコア欄を掲載します。
【チャレンジハイスコア 1989年12月】
(マイコンベーシックマガジン 1989年12月号より)
トップページのコメントにおいて連射装置の件が触れられています。
1987年頃から一部の店舗で使用が開始された連射装置ですが、元々は装置普及前に問題となった「ボタン擦り行為」によるボタンやコンパネの破損防止、そして顧客サービスとしての導入だったのに対して、ハイスコアを狙うための必須アイテムの要素が徐々に大きくなってきます。
当時はパッケージとして装置が販売されていた訳ではなく、回路を作成したり回路図を入手して部品を揃え、ハンドメイドで作成していたためそのような能力を持ったスタッフやプレイヤーがいない、あるいは導入において管理者の許可が取れない店舗から「条件が違い過ぎる」との意見が寄せられていたようです。
これについて見城氏は一蹴。連射装置の使用はオフィシャルで認められることとなり、ベーマガでは最後まで連射装置の有無で集計部門を分けることは実施されませんでした。
連射装置や同時押しボタンのレベルであればスコアラー以外でもサービスを享受でき、店舗への満足度を高めたり他店との差別化アイテムとしてアピールできるため、導入を認めたことは適切だったと思います。
ただ、連射が必要なゲームにおいてハードへの対応が出来ない店舗がトップスコアに名を連ねることは難しくなったのは確かです。
またプレイヤーサービスとしての装置ではなく、様々な機能を備えたスコアを出すための装置へと変化して行った際に、「どこまで使用を認めるのか」という新たな問題が追って噴出してくることになります。
トピック店舗:プレイシティドンキーハウス/プレイプラザハスラー(愛知県)
続いてトピック店舗となります。
先月に引き続き愛知県内の初期掲載店舗から2店、半田市の「プレイシティドンキーハウス」及び小牧市の「プレイプラザハスラー」をピックアップします。
【プレイシティドンキーハウス】
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)
2021年5月3日撮影
【プレイプラザハスラー】
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)
2020年7月24日撮影
知多半島に位置する愛知県半田市は醸造業の街として有名で、ミツカンが本社を構えている場所でもあります。市の代表駅である名鉄知多半田駅から歩いて5分程度の場所にスーパーのピアゴ(以前のユニー)半田店があり、その裏手駐車場に面した写真の建屋に「知多文化センター」の文字があり1986年の地図でも確認出来るため場所の特定が出来ています。
(ゼンリン住宅地図 半田市1986年より)
地図では建屋中央がドンキーハウスの場所となっているため、現在の居酒屋の場所が店舗跡地となると思われます。建屋の前は現在ピアゴ半田店の平面駐車場となっていますが、当時の住宅地図を確認すると以前は立体駐車場だったようです。
ここは情報によればナムコのレンタルロケだったようで、ハイスコア掲載がされていたのはレンタル店におけるナムコの販売促進策の一環だったのかもしれません。百貨店やスーパー以外のロケーションではナムコはタイトーやセガと比較して店舗数が少なく、自社レンタル店活性化のためスコア集計のような運営ノウハウも合わせて展開していたと思われます。
1984年9月の開始から知多半島唯一のスコア掲載店として地道に掲載は継続し、1990年1月号まで掲載を確認しています。閉店時期は判明していません。
そしてもう一方の「プレイプラザハスラー」はドンキーハウスと同じく1984年9月号から掲載が開始された同期店です。先月紹介した豊橋市のゲームコーナーUFOや江南市のゲームコーナーエースも同時に掲載開始されており、東海地方の掲載店が一気に増加した時でもあります。
小牧市の中心は名鉄小牧線小牧駅付近に拡がっていますが、こちらは駅からは大きく離れており名神高速の小牧インターが近い国道41号に面した郊外店でした。
また店舗名に「ハスラー」が含まれることからわかるようにビリヤードを併設していた店舗であったことが過去のチャレハイ通信欄において確認されています。
当時の住宅地図と確認すると、「弥生タウン」という小規模店舗が集まった建屋に「プレイプラザハスラー」の文字が見えます。
しかし現在は同じ場所にそれらしき建屋は残っておらず、跡地に3~4件の建物が新たに建てられたように見えます。
住宅地図のプレイプラザハスラーの下に「中華料理 天草」の文字が見えますが、現在地には「中華料理 天華」が営業しており、天草は天華の誤記で弥生タウン建て替え後同じ場所で営業が続いていると考えると辻褄が合うように思います。
こちらも1984年9月スタートから掲載を重ね、一度の休載も挟まないまま1989年6月号まで継続、7月号で初めて休載の後に8月号で復活しますがその号が最後の掲載となりました。
スコアラー欄は1984年当時であれば本名表記も普通だったのですが、時を経てスコアネーム表記が一般化した後もこちらは頑なに本名表記で、後年にローマ字表記にはなったもののその方針は貫かれていました。それだけが原因ではないでしょうがスコアラーからは敬遠されていたのかもしれません。
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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1989年11月号
ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1989年11月号
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