ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1991年11月号)
マイコンベーシックマガジン1991年11月号(第10巻第11号)のハイスコア集計店マップとなります。
掲載店総数は先月比±0で93のままなります。
新規掲載店も1991年1月号以来10か月振りで無しとなっています。
以下スコア欄を掲載します。
【チャレンジハイスコア 1991年11月】
(マイコンベーシックマガジン 1991年11月号より)
ストリートファイターⅡに席捲されていたビデオゲーム市場ですが、まだ他社が対戦格闘ゲームで追従してくるには至らない段階で、スコア集計タイトルを見ると「闘神(タイトルは神の下に人)ブレイザーズ(ビデオシステム)」「D.D.クルー(セガ)」「クロスブレイズ(アイレム)」「クライムファイターズ2(コナミ)」「ルナーク(タイトー)」「戦国伝承(SNK)」といったベルトスクロールアクションゲームが目立ちます。
これらタイトルは恐らくファイナルファイト大ヒットの流れで各社からリリースされたのでしょうが、ストⅡでトレンドが完全に変わって以降は遅きに失した感は否めませんでした。
トピック店舗:ブックセンタースクラム(アビリティーズジャスコスクラム、ゲームフィールドキックオフ)
トピック店舗は宮城県のナムコ系店舗から3軒目の「ブックセンタースクラム(アビリティーズジャスコスクラム、ゲームフィールドキックオフ)」をピックアップします。
(マイコンベーシックマガジン 1985年3月号より)
2022年9月18日撮影
この店はまずその店舗名の由来から説明しなければなりません。
「ジャスコ」と言えばイオングループの前身である大手スーパーですが、そのジャスコという名称を含んだ「アビリティーズジャスコ」を検索すると、イオングループの障碍者支援事業特例子会社がヒットします。
現在は障碍者が自立を目指すための訓練や実習を通じて就労支援を行う、いわば職業訓練校のような事業が行われていますが、かつて障碍者が小売店舗の第一線で働くためのモデルストアを作ることを目的として、障碍者支援に取り組むNPO法人「日本アビリティーズ協会」と当時のジャスコによって設立された会社が「アビリティーズジャスコ」であり、そのモデルストア1号店がこの「ブックセンタースクラム」です。
小売業に障害者の雇用を ブックセンター『スクラム』の開店 | アビリティーズ・ケアネット(株)
上記リンクに店舗開店までの経緯や、店舗名称である「スクラム」の由来について記述されています。こちらによれば、元々この場所には閉業した30レーンのボウリング場があり敷地や建物をジャスコが保有していたが、その建物の一部をジャスコから買い取り書店として営業、またボウリング場のうち6レーン分をゲームコーナーとした、とあります。ここで初めて施設内のゲームコーナーについて触れられています。
そして、ボウリング場の残24レーンはジャスコから地元業者に転貸されたものの、「当方のブックセンター、ゲームコーナー」とあるようにゲームコーナーはアビリティーズジャスコサイドで運営されていたと思しき内容となっています。
(オールアバウトナムコⅡ ナムコ直営ゲームセンター一覧より)
ここまでにナムコの名前は一切登場しておらず、アビリティーズジャスコが書店同様にゲームコーナーも直接オペレーションを行っていたように見えますが、オールアバウトナムコⅡに掲載されていた「全国ナムコ直営店リスト」に当店が含まれていることから、ゲームコーナーについてはナムコへ運営が委託されていたと考えるのが自然と思われます。
掲載開始時の店舗住所は仙台市に隣接した泉市で、現在は仙台市と合併し仙台市泉区となっています。場所は仙台市の外縁部をなぞる国道4号パイパスに面しています。
1987年の住宅地図で敷地にブックセンタースクラム及びボウリング場の存在を確認しています。
典型的なバイパス道路沿いの郊外店で、最寄駅は仙台市営地下鉄の八乙女駅ですが1.5㎞程度離れています。その地下鉄も開業は1987年7月のため、1983年のオープン当時は公共交通機関では非常に訪れにくい場所だったことと思います。
ベーマガ誌面への掲載は1985年3月号から開始されました。
当初は「ブックセンタースクラム」の名称にて掲載されていましたが、1986年3月号からは「アビリティーズジャスコスクラム」へと名称が変わります。
(マイコンベーシックマガジン 1986年3月号より)
また1986年12月号、および1987年3月号のみ「ゲームフィールドキックオフ」の名称となっています。
(マイコンベーシックマガジン 1986年12月号より)
住所は同一のため店舗が異なっているということではありませんが、
・ブックセンタースクラム:書店部分の名称
・アビリティーズジャスコスクラム:書店及びゲームコーナー部分を含んだ施設全体の名称
・ゲームフィールドキックオフ:ゲームコーナー部分の名称
上記のような区分なのではないかと思っています。詳細をご存知の方は是非ともコメントをお寄せください。
最後の誌面掲載は1990年2月号となっており、プレイシティキャロット仙台店や宮城野原店よりも早くなっていますが店舗の営業は継続、後に「プリッズスクラム店」と名称を変えています。1999年のナムコ広報誌「NOURS」にプリッズ時代の店舗写真が掲載されていました。
(NOURSバックナンバー No.25 1999年秋号「全国ナムコ店舗ガイド 東北編」より)
その後営業は2003年まで継続していたようです。元々ジャスコ所有の敷地だったこともあり跡地は周辺部分にも拡大の上現在は「イオンタウン仙台八乙女」となっています。スクラムとしての営業は1983年からのため約20年だったことになります。
またスクラムについては東北地方を中心に最大で10店を超える店舗網を構築していましたが2023年までに店舗としては全て撤退しています。また仙台泉店以外にゲームコーナーを擁していた店舗は存在しなかったようです。
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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年10月号
ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年10月号
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