小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ゲームセンター回顧録 スコアラー不遇の街大宮 その3

2.南銀座(通称:南銀)エリア

今度は大宮駅東口正面を出て右側、通称「南銀」と呼ばれる南銀座地域を紹介します。

 

大栄橋より先の特殊浴場街は別として、普通の商店や大型店が軒を連ねる北銀座(銀座通り)とは異なり、南銀座は昔から危険なエリアという位置付けで、自宅から場所も遠くなることも含めて子供の頃は近寄り難い場所でした。このエリアに出入りするようになったのは、大学に入って名古屋から再度埼玉へ戻ってきてからとなります。

 

①スーパーマン

南銀座商店街に入って最初に向かって右側にあった店。特に表に出てはいませんでしたが、機器構成やお店の造りで恐らくはタイトーの息が掛かった店舗と想像されます。

昔はメダルコーナーがあったような記憶がありますが、最後はビデオゲームと入口付近のプリクラがメインとなっておりました。

2011年に閉店。建物は撤去され長い期間更地のままでしたが、最近になって写真のビルが建ちました。

 

②Spica

北銀座の「ゲームガレージ大宮」が2012年に閉店後、この場所に元々あったパチンコ店の跡地に店舗名を変えて移ってきました。

元パチンコ店の建物を全て使用しても、かつてのゲームガレージのラインアップを全て揃えるには面積が足りなかったのか、メダルコーナーは廃止されプライズ、プリクラ、ビデオゲームの構成。ガレージの時代と比べるかなり小規模となってしまいました。現在も営業中です。

  

キャロム大宮店→APINA大宮店

元々「金馬車」というパチンコ店が入っていた場所が撤退し、後釜としてゲームセンターがオープンした経緯があります。パチンコ店の居抜きで内装をそのまま使っていたこともあり、オープン当初はやけに豪華な店舗に見えたものです。

昨年にキャロムとしては閉店し、そのままAPINAが運営を引き継ぎました。昔長野県に住んでいた身としては、当時は長野県だけに店舗を構えていたAPINAが遂にここまで進出してきたか、と複雑な心境になります。

現在も南銀座でゲームセンターとして営業が続いているのはこことSpicaの2店のみ。双方とも元々パチンコ店の居抜きという所も共通しています。

 

④SOS

専用のメダルをビデオゲームコイン投入口に入れてプレイする、風営法的にはかなりグレーな店舗。メダルゲームのカテゴリーになるのはBET式麻雀や8ライン系の所謂「違法賭博系」機種だけで、その他はほぼビデオゲームで構成されていました。

メダルのレートが100円→2枚(実質1プレイ50円)で周辺店舗より安くプレイできたため、対戦メインの客層が多かった記憶があります。

2005年に店舗から火災が発生、しばらくその跡を晒していましたが、復活することなく閉店しました。

 

タイトーイン大宮

大宮は伝統的にタイトーの力が強かったようで、前述のスーパーマン、後述するハタボウル内のゲームセンターと並んで南銀座に直営店も構えていました。地図および写真は閉店時の場所ですが、ここに移る前は近隣の別位置にあり、途中からこの場所へ移ってきました。

 スーパーマンのような半直営(建物オーナーと契約して売上分配)店舗が近隣にあったため、オーナーに配慮してそちら以上にゲーム機に投資してラインアップを揃えることが難しかったのでしょう。製品の入荷には恵まれていなかった印象があります。

製品の入荷が厳しい分、移転前はコミュニケーションノートを設置しておりゲームファン層を取り込むことに積極的だったようです。移転後は正直殆ど行った覚えがなく、いつの間にか姿を消していました。移転後の場所は写真のようにセブンイレブンとなり、移転前の建物は恐らく建て直されているものと思われます。

 

 ⑥大宮オリンピアスクウェアワン大宮オリンピア

 南銀座のゲームセンターにパチンコ屋居抜きの大型店が増える以前は、店舗面積はここが最も大きかったのではないでしょうか。赤羽にとある事件でスコアラー界隈では有名になった同名の店舗がありましたが、大宮との関係性は不明。ひょっとしたら系列店だったのかもしれません。

途中から店舗名はそのまま運営会社がゲームモアイ系に変わったようで、後述するゲームモアイ大宮店と実質2店体制のようになっていました。

その後、再度運営が変わり最後はスクウェアワン大宮オリンピア店として営業していたようですが、その期間は短く2016年に閉店。

 

 ⓻ゲームファンタジア大宮→アドアーズ大宮→モアイ大宮店

名前を見ればお分かりの通り元々は旧シグマ系店舗。3階より上はカプセルホテルとなっており、その1,2階を使用していました。

南銀座商店街の最深部、ここまで来ると周辺の店舗も居酒屋系からスナック系に変化し、夜でも人通りはそれ程多くないエリアになりますが、店舗が大型化する1990年代後半位までは大宮中心部でまともにメダルゲームを遊べる店はここくらいしかなかったため、場所が悪い割に需要はあったのかもしれません。

マクロス2(バンプレスト/NMK,1993)があって、捨てゲーのため筐体の電源切っていたら店員に見つかって怒られたことは時効でお願い申し上げます…

 

シグマからアドアーズに経営が変わった後も、店舗名称を変え生き残っていましたが、いつからかゲームモアイに運営が変わり、ゲームモアイ大宮店となっておりました。この時に当時モアイ系の店舗が強かった音ゲー中心の構成となり、近年まで営業が続いていましたが、オリンピアと同じく2016年に姿を消しました。

 

 南銀座はその性格上店舗の入れ替わりが激しく、上記以外でも短期間でゲームを置いていた店舗はいくつか存在していますが、今となっては全て捕捉することは不可能に近いのではないかと思われます。

その4へ続きます。