小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ゲームセンター回顧録 セガの中の人の時代 セガワールドホリデイスクエア その2

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2020年6月6日撮影(以下写真は全て同一日撮影)

 

エントリーその1で掲載した施設案内図の中で、現在「MEGAドン・キホーテ」になっている建屋がありますが、かつてそこはイトーヨーカドー豊橋店でした。

 

実はそのヨーカドー内2階にも「セガワールド豊橋」がショッピングセンター内店舗として営業をしており、同一敷地内にセガ直営店舗が2店存在するという珍しい場所でもありました。

 

このセガワールド豊橋、「セガワールド」の名称を初めて採用した店舗という話を聞いた覚えがあるのですが、真偽は定かではありません。

ショッピングセンターインストア店舗ということもありこちらは完全なファミリー向けで、プライズ機とメダル、あと子供向け乗り物(キッズライド)が中心の機械構成であり、ビデオゲームの類は皆無だったと思います。

 

社員間同士では交流があり、仕事終了後一緒に食事に行ったりしたことはありましたが、スタッフは完全に別々で管理されており、双方の店舗を掛け持ちしたりスタッフを店舗間で融通するようなことは殆どありませんでした。

 

話をセガワールドホリデイスクエアに戻しますが、前述したように建物の老朽化が著しかったこともあって建て替えが計画され、1998年に閉店を迎えることとなります。

そして1年度の1999年、「ホリデイスクエアアミューズメント棟」として新築された現在の建屋に、「セガアリーナ豊橋」及び「ソニックボウル豊橋」として再度オープンするに至ります。新たにボウリング場も併設され、そちらもセガの運営としてスタートしました。

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しかし、その1の写真で既にお気づきの方もいらっしゃると思いますが、現在の建屋には「TAITO STATION」の文字とインベーダーのロゴが踊っています。

 

これは2009年3月にて、セガからタイトーへ譲渡された店舗の中に「セガアリーナ豊橋ソニックボウル豊橋」が含まれていたためで、規模も売上も大きかったこの店舗が譲渡対象に入っていたことに驚愕した記憶があります。

 

ただ、店内を見る限りではセガ時代の内装がほぼそのまま使用されているようです。

隣のセガワールド豊橋も当初は譲渡対象店舗だったようなのですが、結局譲渡はされずにセガワールドのまま営業が続けられていました。2017年のイトーヨーカドー閉店まで営業されていたようです。それでも私が豊橋を去ってから20年間営業が続いていたんですね。

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さて、ホリデイスクエア閉店によりアルバイトスタッフの一部は近隣他店舗に移ったものの基本は雇用を終了、社員は全員他店へ配置替えとなり、私は三重県四日市市の店舗へ異動することとなります。豊橋での勤務は1年程度に留まりました。

 

閉店後の残務終了後、社員及び一部主力スタッフにて温泉旅行に行ったのは、日頃営業時間が長くまた定休日もないため、スタッフ総出でイベントを行うことがほぼ不可能なゲームセンターの勤務においてはなかなか出来ないことだったと思います。

 

それなりに楽しく仕事をさせてもらった豊橋時代ですが、四日市で最初に配属された店舗はうって変わって複雑な事情を抱えていた店舗であり、また当時のセガという会社の情勢にも翻弄される運命が待ち構えていました。