ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1991年8月号)
ゲーメスト1991年8月号(第6巻第8号)のハイスコア集計店マップとなります。
掲載店総数は89で先月日-1となっています。
新規掲載店は1店あるのですが...
・その他
遊ingポイントセオラ(滋賀県)
(ゲーメスト 1991年8月号より)
こちらは先月号まで掲載されていた「ジョイランドタイトー草津」と同一住所。
(ゲーメスト 1991年7月号より)
そして先月号のハイスコア通信欄にジョイランドタイトー草津店の以下のコメントが掲載されていました。
(ゲーメスト 1991年7月号より)
改装で店名が変わるとありますが、運営母体が変わるとは記載されていません。ただ店名からタイトーの文字が消えたことから恐らくは改装を機にタイトー直営店から離脱したものと思われます。
そのため純粋な新規掲載店と言う意味では語弊がありますが、マップ上では新規店舗として扱うこととしています。
以下スコア欄を掲載します。
【めざせハイスコア 1991年8月】
(ゲーメスト 1991年8月号より)
店舗欄末尾にある長崎県は「サミーハウス」へのお見舞い欄ですが、雲仙普賢岳の噴火発生に伴うもの。
https://www.qsr.mlit.go.jp/unzen/outline/hunkasaigai.pdf
最も被害が大きかった場所は島原市街地よりも南側の水無川流域で、島原市南部と現在の南島原市の境界付近となり店舗への直接の被害は無かったようですが、地域への影響は甚大なものがありました。
見舞い文を掲載することは素晴らしいのですが、「平安な日々」という文言が誤植が象徴のゲーメストらしいというか何というか…「平穏」とか「平和」ならわかりますが。
トピック店舗:ゲームスポットキング/ジョイフルATAGO
トピック店舗は高知県初期の掲載店舗2回目。
「ゲームスポットキング」「ジョイフルATAGO」の2店を取り上げます。
【ゲームスポットキング】
(ゲーメスト 1987年10月号より)
2023年5月4日撮影
【ジョイフルATAGO】
(ゲーメスト 1987年10月号より)
2023年5月4日撮影
ゲーメスト初期(1987~1988年)の高知県のハイスコア掲載店4店のうち、残りの2軒はどちらもゲーメスト1987年10月号が初掲載となり、かつ中心繁華街の帯屋町やはりまや橋付近ではなく、JR高知駅から比較的近い場所という共通点があります。
最初の紹介する「ゲームスポットキング」ですが、JR高知駅前からとさでん交通の軌道と一緒にはりまや橋方面へ真っ直ぐ延びるはりまや通り沿いで、市内を横切る江の口川を渡る高知橋の北側袂にありました。駅からは路面電車電停1つ分、徒歩5分程度の距離となります。
1987年の住宅地図ですが、岡本旅館と隣接する「高砂別館」に縦書きで小さく店舗名が並んでおり、見えにくいですがその中に「ゲームスポットキング」の文字が確認出来ます。
1990年の住宅地図では高砂別館のテナント位置詳細があり、はりまや通り沿いに並んでいるテナントの最も高知橋側となる場所にあったことが分かります。
誌面への掲載は前述の通りゲーメスト1987年10月号から開始されますが、年内の1987年12月号を最後に掲載停止、誌面への登場は僅か3回に留まりました。1990年の地図にも残っているため掲載終了=閉店ではありませんが、いつまで店舗が存続していたのかは不明です。
そして現在は隣接していた岡本旅館を含めて取り壊され、跡地はセブンイレブンとなっています。写真に写っている椰子の並木は1987年の住宅地図でも丸印で描かれており昔から変わっていないようですが、それ以外には恐らく面影は残っていないであろうと推察されます。
そしてゲームスポットキングと同じく1987年10月号より掲載された「ジョイフルATAGO」ですが、こちらは高知駅前からJR土讃本線に沿って西へ進んだ場所にある「愛宕商店街」に位置していました。
1990年の住宅地図にて「TVゲームコーナージョイフル」の表記を確認、現在は写真のように空き地となっています。
隣接している「染殿 おがわ」の建物が健在だったことと、向かいのスーパーの場所が同様に空き地となっており、位置関係から写真の場所で間違いないと思われます。
店舗のある「愛宕商店街」は、同じ市内の帯屋町と比べると地元客中心の趣ですが、写真の「あたごまち」のアーチが随所にあり商店街のシンボルになっています。
2023年5月4日撮影
このアーチ、写真では右下部にローマ字で「ATAGO」のネオンがあるのですが、この青いフォントなんか見覚えがあるような…
こちらもゲーメスト1987年10月号から掲載開始され、高知市内におけるゲーメスト掲載店が3軒に拡大、ベーマガへは「高知プレイハウスイン」も掲載されていたため徒歩圏内で4軒ものスコア掲載店が林立することになります。
しかし「ゲームスポットキング」が同年12月号で早くも離脱した後、「メディアインオビヤ」も1988年5月号にて離脱、入れ替えで「ウィルトークタイトー高知店」が加わるものの1988年6,7月号の僅か2回の掲載に留まります。最後まで残った「ジョイフルATAGO」ですがこちらも1988年9月号をもって掲載終了し、4軒にて繰り広げられた高知市内のゲーメスト掲載店は1年程度で全て誌面から姿を消してしまいました。その後高知県のゲーメスト掲載店復活は1993年8月号まで待つことになります。
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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年7月号
ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年8月号
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