小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ゲームセンター回顧録 スコアラー不遇の街大宮 その1

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名古屋が2回続いたので、今度は生まれ故郷でありまた現在も暮らしている埼玉県へと場所を移します。

 

埼玉県さいたま市

浦和、与野、大宮の3市が合併し誕生した政令指定都市で、後に岩槻市も加わりました。私は旧大宮の生まれで、12歳の時に愛知へ移りましたが、その後戻ってきた際も場所は変われどまだ旧大宮のエリアに住んでおります。

 

大宮は9路線が集まるターミナルで、JR大宮駅の年間乗車人員は2017年度で約25万人とJR東日本内で第8位。それだけ人が集まる環境であれば必然的に埼玉県最大の繁華街が形成され、ゲームセンターも全盛期は多数立地していました。

 

ただその数とは裏腹に、特にハイスコアラーにとって大宮という街は非常に不遇な環境であったと言わざるを得ません。それは、

「ゲーム雑誌のハイスコア欄に掲載された店舗が過去に1店も無い」

ここに全てが凝縮されています。

それは人口的には大宮市とほぼ互角であった旧浦和市においても同様で、ハイスコア黎明期に全国規模で有名になったサークル「ACU」のホームタウンでありながら、浦和市内にあった雑誌掲載店は90年代に存在した武蔵浦和駅近くの「ゲームプラザことぶき」のみではないかと思われます。

 大宮浦和ですらそのような状況ですから、与野や岩槻は言わずもがな。つまりは現在政令指定都市にありながら過去に雑誌掲載スコア集計店はほぼ存在しなかったこととなります。

 

それが結果的にどのような状況を生んだのか、となると集計店がある場所へ出向いて行くことになります。埼玉県南部のプレイヤーが向かう場所は製品入荷、店舗数、情報量、日常的行動範囲を鑑みれば東京都心へ向かうのは必定。

私がスコアラー的なことに目覚めたのは80年代後半に名古屋へ移ってからのことなので、それ以前のスコアラー視点での大宮の状況ははっきりとは分かりませんが、90年代に戻ってきた際でも地元のスコア集計店には恵まれず、結局は通学やバイトの関係で都心の集計店をホームとする状況。そしてその状況は現在まで変わることはありませんでした。

 

その2へ続きます。