ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1987年7月号)
マイコンベーシックマガジン1987年7月号(第6巻第7号)のハイスコア集計店マップとなります。
掲載店総数は102店。再び100店の大台を回復しています。
新規掲載店も2件確認されています。
・ナムコ系
プレイシティキャロット島大前店(島根県)
・その他
コミュニティスペースNTK(北海道)
(マイコンベーシックマガジン1987年7月号より)
「プレイシティキャロット島大前店」が掲載開始。島根県、そして山陰地方初のベーシックマガジン掲載店となりました。ゲーメストへも同時期に掲載が開始されています。
5,6月号の募集地域に該当するお店ですが、この時点で該当地域の純増はここだけとなっており、地域を限定しているという事情はあるものの前回募集時には2ヵ月で27店もの増加があったことと比べると厳しい結果とも言えます。
また、「コミュニティスペースNTK」は「ゲームプラザNTK恵庭店」の拡張移転によるもので、こちらも既にゲーメストとのダブル掲載店だったことから双方ともに店名、住所が変更となっています。
以下スコア欄を掲載します。
【チャレンジハイスコア 1987年7月】
(マイコンベーシックマガジン1987年7月号より)
スコア欄の前に、1987年5月17日に横浜市のハイスコア集計店「プレイシャトー」にて実施された「ハイスコア討論会」のレポートが綴られています。
ベーマガ、ゲーメストそれぞれのハイスコア担当と店舗関係者、そして店舗常連を招いてのもので、テーマが「ハイスコアのありかたについて」。このような機会が店舗側からの提案で実施されたことに当時のハイスコアへの熱量を感じることが出来ます。
黎明期のハイスコア集計は、「永久パターンの使用不可」「工場出荷設定による統一」といった、現在ではある程度普遍的に認知されているルールが確立されておらず、設定未記入が原因の未認定スコアがあったり、噓スコア申請の温床になっていた面があったことは否めないのですが、この頃からベーマガ、ゲーメスト間での壁を取り払った共通ルールの構築がされて来たのではないかと思われます。
ちなみにゲーメスト1987年8月号へも討論会に関する記事は掲載されましたが、ベーマガの1ページまるごとに対してゲーメストは1/4ページ。
(ゲーメスト 1987年8月号より)
どちらかといえば専門誌であるゲーメストの方がこの件を大きく取り上げて然るべきだったような気もしますが、まだ創刊されて日が浅いゲーメストに対してこの時点で既に3年以上の集計実績があったベーマガの方が集計に対して思う所がいろいろとあったと言うべきでしょうか。
トピック店舗:ゲームインJ&B/ゲームファンタジー
続いてトピック店舗となります。
東京都内の初期ベーマガ掲載店から、千代田区の「ゲームインJ&B」及び世田谷区の「ゲームファンタジー」の2店をピックアップします。
【ゲームインJ&B】
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年7月号より)
2021年10月16日撮影
【ゲームファンタジー】
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年7月号より)
2021年10月2日撮影
双方共に1984年7月号が最初の掲載となります。先月紹介した「ゲームコーナーニューオリンピア」「ゲームセンターフェニックス」に次いで都内の非メーカー系店舗として名を連ねました。
「ゲームインJ&B」は、スポーツ用品店街として名高い神田小川町にありました。
スポーツ用品販売大手のヴィクトリアが所有している写真のビル地下1階に存在し、当時から1~4階はヴィクトリアの売場だったことが住宅地図から確認出来ます。
現在は地下も含めて「ヴィクトリアゴルフ館」となっており、ゲームセンターが入居していた頃の形跡は全く残っていません。
「J&B」はおそらく「ジャックアンドベティ」の略称で、同様の店舗名の存在が各地で確認されていますが全てが同一の会社にて運営されていた訳ではなかったようです。
つい最近まで比較的付近であるJR神田駅高架下にも「JACK & BETTY神田店」が存在しましたが、店舗オーナーが変わっても店名はそのままというパターンも多く存在しており、こちらと同一の系列だったのかどうかは確認できていません。
掲載は1986年1月までの約1年半となり、途中で特に掲載中止を挟むことは無かったのですが突如とストップしていました。隣の神田神保町は大学や書店も付近に多いことから学生が多く、ゲームセンターも多数林立していたエリアでしたが、一方の小川町はスポーツ用品店とオフィス街の様相で、ゲームセンターが営業するにはあまり適さなかったのかもしれません。
そしてもう一方の「ゲームファンタジー」は、先日紹介した「プレイタウンユー&ユー三軒茶屋店」と同じ東急三軒茶屋駅が最寄。
当時の住所を住宅地図で追うと「三茶ビル」を指し示します。「パチンコ白鳥」の表記があることから、パチンコ店がメインのビル内に店舗が存在したようです。
(ゼンリン住宅地図 世田谷区1985年より)
ビルに面した一方通行路を東へ進むとその先に「ユー&ユー三軒茶屋」が存在します。
こちらは1987年2月号までの掲載となりました。同年10月まで掲載が続いたユー&ユーより先に掲載を終了しています。
現在はビルごと建て替えられて低層階が商業施設のマンションとなっていますが、ビル名の「SANCHA」に建て替え前の名称が引き継がれています。
【前記事】
ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1987年6月号
ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1987年6月号
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