ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1988年12月号)
マイコンベーシックマガジン1988年12月号(第7巻第12号)のハイスコア集計店マップとなります。
掲載店総数は102と先月比-2で2ヵ月連続の減少となりました。今月も新規掲載店はありませんが、1986年10月号に単発で掲載された新潟県の「ビデイオンセガ万代店」が2年以上の間を空けて復活掲載されています。
以下スコア欄を掲載します。
【チャレンジハイスコア 1988年12月】
(マイコンベーシックマガジン 1988年12月号より)
この頃に発売されたタイトーの「サイバリオン」、斬新なゲームシステム、トラックボールを使用した独特の操作、高解像度モニター使用、そしてプレイヤーの操作や技量等によっても変化するシナリオやマルチエンディング採用と当時はかなりプレイヤーの期待値が高かった一作です。
しかし今月のプレイシティキャロット巣鴨店のコメントにもありますがナムコは全国で導入された店舗がたったの2店、セガ系店舗でも私の知る範囲では見掛けたことがありませんでした。結果としてタイトー系の店舗稼働が中心となるのですが、その流通度の低さ故に期待度の高さの割にはヒットしたとは決して言い難いタイトルとなってしまったと思われます。
そして流通度が悪かったことがもたらした別の影響として、特にナムコ系店舗において「プレイヤーの間で期待度の高い新作が直営店に殆ど入荷しない」という印象が特にこのゲームをきっかけとして付いてしまった感があります。それは既に一部店舗で始まっていたゲームマニア排除の店舗方針と合わせ、徐々にナムコ系店舗からプレイヤーが離れていくことに繋がっていく一因となったのではないかと考えます。
トピック店舗:プレイランド赤い風船→ハイテクランド赤い風船/ジョイプラザ上大岡→ウィルトークタイトー上大岡店
そしてトピック店舗は前回に引き続き神奈川県は横浜市内から。
港南区のターミナルである上大岡駅付近に位置した「プレイランド赤い風船」「ジョイプラザ上大岡」の2店を取り上げます。
【プレイランド赤い風船→ハイテクランド赤い風船】
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年7月号より)
2022年2月12日撮影
【ジョイプラザ上大岡】
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)
2022年2月12日撮影
今回紹介する両店は京浜急行、及び横浜市営地下鉄ブルーラインが交わる上大岡駅前を挟んで北側と南側の位置関係となっています。
駅の南側に立地していたのが「プレイランド赤い風船」。
駅を出て鎌倉街道を南下すると程なくボウリングのピンのオブジェが乗った「赤い風船」の建物サインが目に付きます。
現在はゲームセンター、ボウリング、飲食等の複合レジャービルですが、かつてはパチンコ店がキーテナントだったようです。当時の住宅地図にテナント一覧が記載されています。
メインテナントだったパチンコ店は現在は建屋内には無く、隣接している元ダイエー上大岡店の場所がパチンコ店「ジアス上大岡」となっています。現在は旧ダイエーの敷地も含めて総合レジャーゾーンを形成しており、1階にあるクレーンゲーム王国、及び2階のアカフ―アミューズメントもジアスにて運営されています。
かつて1階にあったプレイランド赤い風船はセガ系の店舗だったようです。
ハイスコアはベーシックマガジンのみの掲載でしたが、ゲーメストの横浜シールハイクでこちらも取り上げられています。
(ゲーメスト 1987年1月号より)
記事では店名が「ハイテクランド赤い風船」として紹介されていますが、ベーマガスコア欄も1985年6月号からハイテクランドの表記となっていました。また写真は伏せていますが当時の店長と共に映っている看板にSEGAの文字が確認出来るため、セガ系であったことが把握出来ています。
住宅地図では中3階にも「ゲームタイムトンネル」の記載があり、同一建屋内で複数のゲームセンターが運営されていたようですが、こちらはセガが関係していたのかは定かではありません。
スコアの掲載は1984年7月号からスタートしましたが、前回紹介した「ビデオインイセザキ」「パソピック」と合わせて横浜市内のセガ系3店が同時であることから管轄営業所の意向で掲載が開始された可能性があります。掲載終了時期も類似しており、1985年11月号を最後として誌面から姿を消しています。
一方の「ジョイプラザ上大岡」は赤い風船とは逆方向の駅北側にありました。
「ジョイプラザ」の店名から想像できるようにタイトー系の店舗です。
写真の「桂ビル」1階が該当し、住宅地図でも「ゲームジョイプラザ」の文字が確認出来ます。同一建物内の吉野家は1986年時点で存在しているため、3枚目写真のシャッターが降りている飲食店の場所が跡地ではないかと思われます。
そしてビルのテナント案内には4枚目写真のように「GAME TAITO」の文字が残っており、途中で「ウィルトークタイトー上大岡店」の名称を経て最後は「タイトーインアミューズメントクラブD3」として2012年まで営業が続いていたことを確認しています。
こちらのスコア掲載開始は1984年8月で、同じ上大岡の赤い風船が比較的短期間で姿を消したのに対し1988年5月号まで掲載は継続しました。ゲーメストへの掲載履歴は無く、横浜のシールハイクでも同じ横浜市内の日吉のタイトーは取り上げられたもののこちらは紹介されませんでした。
【前記事】
ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年11月号
ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年11月号
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