小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年4月号/トピック店舗:プレイシティキャロット八戸店 (青森県)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1990年4月号)

マイコンベーシックマガジン1990年4月号(第9巻第4号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は110となりで先月比-3となっています。新規掲載店が1軒あります。

 

・その他

コミュニティスペースNTK(2店合同)(北海道)

マイコンベーシックマガジン 1990年4月号より)

 

コミュニティスペースNTKの新店オープンに伴い、ゲーメストは1990年3月号から2店合同として掲載が開始されていましたが、ベーマガでも同様の動きとなっています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1990年4月】

マイコンベーシックマガジン 1990年4月号より)

 

ゲーメスト誌においては、ハイスコア欄と平行して「ヒットゲームBEST10」のコーナーを設け人気機種の動向を掲載していましたが、ベーマガアーケードゲーム専門誌ではないというスタンスからか特にそのようなコーナーはこれまで設けられていませんでした。今号からベーマガの誌面が変更されビデオゲームのヒットチャートのコーナーが開始されています。

マイコンベーシックマガジン 1990年4月号より)

 

専門誌であるゲーメストと比較すると個別のタイトルに割けるページ数が少ないという事情もあるのでしょうが、その分ヒットチャート欄は2頁を割いてランキングだけでなくインデックス的役割を持たせていたのではないかと思います。

 

こちらのランキングでも既にトップはファイナルファイトとなっていますが、記事内でファイナルファイトのことは一切触れずにグラディウスⅢの件に終始しています。注目度の高さに対して伴わないインカムという現実があり、非常に扱いずらいタイトルであったことが文面から何となく感じ取れてしまいます。

 

トピック店舗:プレイシティキャロット八戸店

続いてトピック店舗です。舞台を東北は青森県へ移します。

 

青森県初のハイスコア掲載店「プレイシティキャロット八戸店」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年1月号より)

2022年10月22日撮影

 

記念すべきベーシックマガジン「チャレンジハイスコア」初回集計である別冊スーパーソフトマガジン1984年1月号から掲載されたオリジナル26店のうちのひとつです。キャロットの店名から分かるようにナムコ直営店となります。

 

青森県八戸市は人口約22万(2023年)を擁し、青森市に次いで県下2位の人口を誇ります。東北新幹線八戸駅がありますが、こちらは元々は尻内駅と称し八戸の市街地からは約5㎞ほど離れており、八戸駅から分岐する八戸線で2つ先の駅である本八戸駅付近が八戸の中心地に近くなります。

 

市街地は中心を貫く国道340号の周囲に碁盤目状に広がっており、国道沿いには大型商業施設が立地している一方、キャロットの跡地は国道から一本隣の通りに面し、周囲やホテルや飲食店が主体となっています。

ゼンリン住宅地図 八戸市1985年より)

 

1985年の住宅地図では該当箇所に「プレイゲーム」の文字はあるもののキャロットの名称が記載されておらず、また周囲の建物の状況が現況とかなり異なっているため、1993年の住宅地図でも検証してみました。

ゼンリン住宅地図 八戸市1993年より)

 

1993年の地図においてはプレイシティキャロットの名称が確認出来ます。

 

地図がデジタルデータ化されており鮮明、かつ隣接する「ライオンビル八戸館」が現在も存在しているため、ライオンビルとジョイサウンドの入居するアイエスビルの間の場所が跡地であると思われましたが、該当する建物には「大嶋屋」の商号があり、これは85、93年いずれもキャロットの隣に位置する「大嶋(大島)屋呉服店」と一致します。

 

現在のアイエスビルに隣接する「中野ビル」は93年時点で存在しているため、ライオンビル~中野ビルの間がキャロット跡地や大島屋呉服店も含めて取り壊され、新たに現在の大嶋屋ビル及びアイエスビルとして再区画されたものと想像しています。経緯をご存じの方は是非ともコメントを頂きたくお願い申し上げます。

 

ベーマガオリジナル26店はゲーメストとの重複掲載を行った店舗が計6店と少ないのですが、こちらはその6店のうちのひとつとなっています。1987年8月号から掲載がスタートしました。

ゲーメスト 1987年8月号より)

 

その後暫くは重複掲載となりましたが、ベーマガは1991年9月号にて7年以上に渡った掲載を終了。その後はゲーメスト単独掲載店として更に3年半後となる1995年4月30日号まで掲載を継続しました。トータルでは10年以上に渡る長期掲載店となります。掲載終了は閉店によるもののようでハイスコア通信欄にコメントが残っています。

ゲーメスト 1995年4月30日号より)

閉店と入れ替わりで新たにオープンするプラボ八戸店について触れられていますが、こちらは八戸市郊外のロードサイド店のようで、店舗の大型、郊外化により進められた市街地小型店整理の波に飲まれたという印象です。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年3月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年2月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年4月号