小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年5月号/トピック店舗:レーザーランド(青森県)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1990年5月号)

マイコンベーシックマガジン1990年5月号(第9巻第5号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は109で先月比-1、新規掲載店はありません。

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1990年5月】

マイコンベーシックマガジン 1990年5月号より)

 

店舗の動向が少ない中、今号で最も目を引くのはトップスコアのコメント欄です。

1986年12月号からスコアの解説を記名にて行っていた見城こうじ氏が、今号にて担当から退く旨の記載がされています。

 

これまでトップスコア欄の解説に加え、全国のスコア集計店行脚などゲームそのものだけではなくお店やプレイヤーについても造詣が深かった氏ですが、1989年11月号からコメントがアシスタントとの連名となります。それがコーナーから降りることへの布石だったのかもしれません。

 

そして「降りる」という表現もそうですが、コメントからはどことなく無念さが感じられます。当時のアーケードゲームやゲームセンター、そしてハイスコア争いを取り巻く環境がどこか氏の思い描いていた方向と異なっていたのかもしれません。

 

トピック店舗:レーザーランド

続いてトピック店舗です。

 

先月に引き続き青森県の初期ベーマガ掲載店舗から「レーザーランド」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)

2022年10月22日撮影

スーパーソフトマガジン1984年8月号にて、掲載店総数が前月の60店から101店へと一気に拡大、タイトー系の店舗も現在判明しているだけで12店もの新規掲載が開始されるのですが、その12店中のひとつが八戸市の「レーザーランド」となります。

 

前回紹介した「プレイシティキャロット八戸店」に次いで八戸市内2店舗目のスコア掲載店となりました。この時点ではまだ青森市弘前市にも掲載店は登場していません。

 

ゼンリン住宅地図 八戸市1985年より)

1985年の住宅地図で場所を確認しています。

八戸のキャロットは市街地中心街に位置していましたが、こちらは郊外の国道45号線八戸バイパス沿いで、85年当時は周囲にはぽつぽつと郊外店が存在しているもののまだ空き地も目立ちます。同時期に掲載が開始された静岡県浜松市の「ビデオインパズル」と同様にドライブイン的な郊外店舗展開の一環だったと想像しています。

 

写真と地図を比較すると、現在の東京書店の建屋がまるまる使用されていたようで、当時としてはかなり大きな店舗だろうと思います。まだ新風営法が施行される以前であれば24時間営業も可能だったためドライブインとして飲食や自販機施設の併設があったのかもしれませんが、詳細な情報の発見には至りませんでした。

 

また85年の地図を見ると、敷地内別建屋に「(株)タイトー」の文字があるのがわかります。青枠で囲った建屋となります。

2022年10月22日撮影


こちらの建屋も現存していますが、写真のように現在は使用されていません。

営業所も併設されていたことから、タイトーの北東北方面の拠点として店舗共々運営がされていたのではないでしょうか。

 

ハイスコア掲載は前述のように1984年8月号から開始されましたが、スコアが掲載されたのは翌85年4月号が最後となり、8,9,11月と休載表記が続いた後にフェードアウトしました。閉店時期は不明です。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年4月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年4月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年5月号