小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年6月号/トピック店舗:ハイテクランドセガ五所川原店/プレイランドチャンプ(青森県)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1990年6月号)

マイコンベーシックマガジン1990年6月号(第9巻第6号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は102となり先月比-7と大きく減少していますが、新規掲載店は1店存在しています。

 

セガ

ハイテクセガ高崎(群馬県

マイコンベーシックマガジン 1990年6月号より)

 

ゲーメストには1989年7月号から既に掲載されていましたが、ベーマガへは1年遅れての開始となりました。

 

ゲーメストでは高崎市の掲載店はセガ以外にウィルトークモンテカルロが存在していましたが、ベーマガでは1986年末の「ゲームシティジル」掲載終了後3年半振りとなります。また群馬県全体でも高崎以外に桐生や太田といった両毛地域のお店が掲載を続けていたゲーメストに対し、ベーマガでは1988年1月号で終了した前橋市の「ファンフル」以来の掲載となっています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1990年6月】

マイコンベーシックマガジン 1990年6月号より)

 

SNK初の直営ゲームセンターという情報を頂いた尼崎市の「ゲームインウエスタン」、そして同じく東大阪市の「ゲームセンターキャンディ」が揃って今号が最後の掲載となっています。ウエスタンは通信欄にコメントがある位なので今号が最終掲載のような雰囲気が無く、また2店同時であることから何か会社側の意向があったのかもしれません。

 

また仙台の名店であった「プレイシティキャロット仙台店」が今号で掲載を終了。同時掲載であったゲーメストよりも3か月早くなっています。前後して仙台市内の「ブックセンタースクラム」や「宮城野原キャロットハウス」も掲載を終了しており、仙台市から一気にナムコ系掲載店が姿を消すことになります。

 

トピック店舗:ハイテクランドセガ五所川原店/プレイランドチャンプ

続いてトピック店舗へ移ります。

 

青森県五所川原市で同時期に掲載履歴のある「ハイテクランドセガ五所川原店」及び「プレイランドチャンプ」の2店をまとめて取り上げます。

 

【ハイテクランドセガ五所川原店】

マイコンベーシックマガジン 1988年10月号より)

2022年10月23日撮影

【プレイランドチャンプ】

マイコンベーシックマガジン 1990年11月号より)

2022年10月23日撮影

津軽平野の中心都市弘前からJR五能線で1時間弱の五所川原市は人口約5万、津軽鉄道のストーブ列車や吉幾三の出身地として有名ですが、「俺ら東京さ行ぐだ」の歌詞のような極端な光景はもはや無く、市中心である五所川原駅前には地方都市の街並みが広がっています。

 

この五所川原にかつてベーマガスコア集計店が2軒併存していた時期がありました。

最初に掲載を開始したのがセガ系店舗の「ハイテクランドセガ五所川原店」で、1988年10月号のスタートとなっています。

マイコンベーシックマガジン 1988年10月号より)

 

同号のチャレハイ通信欄に初掲載にあたってのコメントがアップされています。まだオープンから1か月程度しか経過していないようで、女性店長の意気込みが感じられます。

当時青森県セガ系店舗は、ゲーメストでは1987年からハイテクセガ青森、弘前の両店が既に掲載店となっていましたがどちらもベーマガへは掲載されませんでした。新規店の五所川原は集客策として同一県内の青森や弘前に倣ったのかもしれませんが、ゲーメストではなくベーマガを選択したのは差別化の意図があったのかもしれません。

 

店舗の場所は中心市街地内ですが、駅からは少々離れた場所になります。

ゼンリン住宅地図 五所川原市1991年より)

1991年の住宅地図で場所を確認していますが、該当する建物は現存しておらず現在も営業が続く「マルコーセンター(鮮魚店)」の向かいにある写真の「山本水産」付近が跡地と認識しています。

 

周囲の区画は当時と異なっており店舗に面した道路も1991年では一方通行ですが、現在は拡幅され対面通行となっています。また近隣にある(株)丸友デパートは「立佞武多の館」という観光施設、またイトーヨーカドーがあった場所は更地となっており商業的には厳しい場所になっていますが、セガ営業当時は単独のゲームセンターが営業可能な程度に街に活気があったのでしょうか。

 

誌面への掲載はベーマガ1992年5月号まで3年半程度継続しました。閉店時期は判明していません。オープン時の女性店長がいつまで店舗にいらっしゃったのか気になります。

 

そして同市内2店目の掲載店として登場したのが「プレイランドチャンプ」です。

こちらは五所川原駅前通りに面していました。

ゼンリン住宅地図 五所川原市1991年より)

住宅地図上で隣接している「朝日会館」はパチンコ店で、建屋は写真のように残存していますが2020年11月閉店と判明しています。

 

その朝日会館に隣接して並ぶ3軒のうち一方通行の路地に面した端の建屋に「プレイランドチャンプ」の文字を確認していますが、写真では2軒しか残存しておらず該当場所は駐車場となっています。この駐車場が跡地と思われるのですが、4枚目写真を見ると隣接する建屋の駐車場に面した出入口に軒があるため、元々ここは駐車場であり今も残る隣の建屋が跡地なのでは、という疑念もあります。継続調査案件ですが詳細をご存じの方は是非コメントをお寄せ下さい。

 

誌面への掲載は1990年11月号から開始され、この時点で市内に2店の掲載店が併存することになります。こちらもベーマガのみの掲載で、近隣にあったセガへの対抗意識があったのかもしれませんが掲載は長続きせず1991年11月号を最後に掲載はストップし、2店併存期間は1年程度に留まっています。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年5月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年6月号