ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1990年8月号)
マイコンベーシックマガジン1990年8月号(第9巻第8号)のハイスコア集計店マップとなります。
掲載店総数は107となり先月比-6と大きく減少。先月に5店追加されたこともあってか今月は新規掲載店はありません。
以下スコア欄を掲載します。
【チャレンジハイスコア 1990年8月】
(マイコンベーシックマガジン 1990年8月号より)
チャレハイ通信欄に「NEOGEO入荷しました」コメントがちらほらとありますが、NEOGEO発売当初は6タイトル選択の筐体販売だけだっと記憶しているので小規模ロケーションにとっては結構な初期投資だったのではと推察されます。正直餓狼伝説がリリースされるまでのNEOGEOはヒットと言えるタイトルに乏しかったため、入荷当初の店舗での光景が何となく思い浮かんでしまいます。
また、「チャレハイ担当者の名を語りデマを流していた者がいる」との担当者からのコメントがあります。
SNSや携帯電話すら無い当時は、プレイヤー間の情報伝達と言えば直接店舗に出向いて設置されているコミュニケーションノートを用いることがポピュラーでしたが、ことハイスコアの状況確認においては店舗に直接電話を掛けることが普通に行われていました。内容から察するに「特定の地域の店舗にチャレハイ担当者の名前を騙って電話連絡を入れ、ハイスコアに関するデマ情報を流布する」といった行為があったようです。
ただ、上述のようにスコアの状況を確認するために電話連絡を入れるということであれば理解出来るのですが、チャレハイ担当者の名を騙ってどのようなデマ情報を流すのかが今一つピンときません。文面からは「担当者がスコアを改竄している」という情報を流していたと推察されますが、それを行うことでデマ情報を流した当人にどのようなメリットがあったのかが理解できないのです。自店のスコアが他店に敗北したので、「他店のスコアは嘘スコアで、特定の店舗(プレイヤー)にトップを取らせるために担当者が便宜を図った」あるいは「自店のスコアが担当者に嘘スコア認定され、トップに掲載されなかった」といった所なのでしょうか。
トピック店舗:ゲームプラザニュー日の出/タイトーイン706
トピック店舗へ移ります。
長野県は東信地域の集計店から、上田市の「ゲームプラザニュー日の出」及び「タイトーイン706」の2店をピックアップします。
【ゲームプラザニュー日の出】
(マイコンベーシックマガジン 1986年4月号より)
2022年9月10日撮影
【タイトーイン706】
(マイコンベーシックマガジン 1991年5月号より)
2022年9月10日撮影
真田氏の城下町として知られる上田市。ここに2店の掲載店履歴があります。
上田駅の付近に元城下町らしい細い路地の市街地が広がっていますが、その中に存在したパチンコ店「ニュー日の出」の2階が最初に紹介する「ゲームプラザニュー日の出」となります。かつて多く見られたパチンコ店共存型の店舗だったようです。
住宅地図はベーマガへの掲載開始から少々時間が経過した1991年のものですが、パチンコニュー日の出の箇所に「2Fゲームプラザ」の文字が確認出来ます。
2022年時点では住所の場所は写真のようにキャバクラになっていますが、建屋はパチンコ店のものがそのまま使用されている模様です。スモークが貼ってあるため分かりませんが右側の入口が2階へ通じていたのではないでしょうか。2階がフルでゲームセンターとして使用されていれば当時としてはかなり広い部類の店舗だったのかもしれません。
地図を見ると近隣には「モナコ会館」というパチンコ店もあり、こちらの2階もゲームセンターとなっていたことがわかります。現在も残る映画館「上田映劇」も含めかつては歓楽街が構成されていたようですが、現在は夜にならないと営業されない店舗ばかりのようで昼間は写真のように人通りもまばらになっています。
誌面への掲載は長野県では松本キャロットに次いで2番目となるベーマガ1986年4月号からスタート、1996年6月号が最後の掲載となったため10年以上の長期掲載店となりました。
ゲーメストにはなかなかエントリーされなかったのですが、2部集計店としてようやく掲載された履歴があります。
(ゲーメスト 1996年5月15日号より)
こちらもベーマガとほぼ同一の1996年5月15日号が最後の掲載。スコア集計終了と記載されているため閉店ではなかったようですが、いつまで営業が続いていたのかは確認出来ていません。私がセガワールド上田に赴任した2002年には既に店舗は無かったと記憶しています。
そしてもう一軒の掲載店「タイトーイン706」は上田駅前に立地していました。
駅前ロータリーの向かいに以前は飲食店や土産物店が入居していた「上田駅前ビル」が当時ありましたが、その裏手に隠れるように存在した「シティプラザビル」1階に「ゲームタイトイン」の文字を確認しています。
しかし駅前は北陸新幹線開通以後大きくその姿を変えています。
上田駅前ビル、シティプラザビルを含めた一角は拡幅された駅前広場に飲み込まれ、新しい上田駅前ビル「パレオ」につながるペデストリアンデッキ及びタクシープールとなっています。そのため建屋や店舗の存在を窺わせる形跡は何も残っていません。「パレオ」が上田駅前ビルを名乗っているため紛らわしいですが新たな建屋は道路1本分北側に移っており、1991年の地図における天神1丁目の交差点から上田公共職業安定所の場所となっています。
誌面への掲載はベーマガ1991年5月号から。こちらの登場で上田市に2店の集計店が併存することになります。双方徒歩で充分移動可能なためプレイヤーもかなり被っていた印象です。
ただ同年後半で早くも度々店舗欄を欠き、12月号を最後に以後掲載はされませんでした。実質半年程度の掲載に留まっています。10年掲載が続いたニュー日の出とは対照的です。
平成14年(2002年)3月に現在の駅前広場工事が着工しているためそれ以前には閉店していると思われますが、2002年からの上田勤務時代に駅前のタイトーの件を一切見聞きしていないため、もっと早い時点で閉店していたと思われます。
【前記事】
ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年7月号
ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年7月号
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