ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1988年7月号)
ゲーメスト1988年7月号(第3巻第7号)のハイスコア集計店マップとなります。
掲載店総数は103店。1店の新規店が追加されました。
・その他
ファミリーランド(北海道)
(ゲーメスト 1988年7月号より)
ゲーメスト創刊号に近隣の百貨店内ゲームコーナーである「まるい店」が掲載されて以来となる北海道北見市に集計店が再登場。こちらは住所を確認するとまるい店近傍の別の百貨店なのですが、1986年7月でまるい店の入居していた「まるいいとう百貨店」は閉店しているため、両店が併存していた可能性は低いと思われます。
当然ながら札幌に最も集中していた北海道の集計店ですが、道内主要都市にはベーシックマガジン集計店も含めて比較的満遍なく集計店が点在しており、地域ゲーマーの拠点になっていた印象があります。
以下スコア欄を掲載します。
【めざせハイスコア 1988年7月】
(ゲーメスト 1988年7月号より)
今号及び次号にて誌面に「ハイスコア座談会」という記事が掲載されています。
(ゲーメスト 1988年7月号より)
ゲーメスト創刊から約2年、そしてベーシックマガジンのチャレンジハイスコアが開始されて4年半という年月が経ち、当時のゲーマーに「ハイスコア争い」が浸透してきたタイミングで、両誌のスコア担当に加えプレイヤーも交えて「ハイスコアに対する諸問題」が議論されました。
ゲーメストとベーマガのスコア担当者が、いずれかの誌面主催で一堂に会して議論された機会はこれが唯一(プレイシャトー店における座談会は店舗主催のため含みません)だったため、ハイスコアの歴史として貴重と判断し全文を掲載しています。
ゲームの楽しさを犠牲にしたスコア狙いが過激化しているとの意見が垣間見られますが、競技化の方向性を自ら打ち出しておきながらそれを否定するような意見は今眺めると違和感があります。以後の歴史でも、ハイスコア争いが盛り上がったタイトルの方がゲームとしても評価されている傾向があるように思えるのです。
トピック店舗:ゲームセンタースカッシュ/エースインターナショナル
続いてトピック店舗へ移ります。
ゲーメスト初期は東京都内ハイスコア掲載店より「ゲームスカッシュ」「エースインターナショナル」の2店をピックアップします。
【ゲームセンタースカッシュ】
(ゲーメスト 1987年3月号より)
2021年12月29日撮影
【エースインターナショナル】
(ゲーメスト 1987年8月号より)
2022年1月22日撮影
ゲーメスト初期に東京都内のスコア掲載店が非常に少なかったことは1988年6月号の記事内でも記載しましたが、その中で多摩地区の小金井市に2軒の掲載店が確認されています。
「ゲームセンタースカッシュ」は、小金井市の代表駅である武蔵小金井駅前が最寄です。現在ドン・キホーテになっている長崎屋小金井店の裏手に存在しました。
長崎屋裏手付近の交差点角に「大沢ビル」1階に「インベーダースカッシュ」の存在が確認出来ます。
ビルはテナントは入れ替わっていますが2022年時点で現役で、写真1階の自転車店の場所が跡地ではないかと思われます。
1987年3月号にて初めて掲載され、6月号までは漏れなく掲載されていたものの7,8月号と店舗欄なし、9月号で再度掲載されたのが最後となっています。
もう一方の「エースインターナショナル」ですが、誌面記載の住所は小金井市と武蔵野市の境界付近であり、場所的には東小金井駅と武蔵境駅のほぼ中間となります。行ってみたところ住宅地内のアパートでした。写真のアパート銘板住所と誌面の住所は完全に一致しています。
当時の住宅地図では、丁度「梶野町2丁目」の表記左の「コーポマルエ」の場所が該当します。アパート自体は建て替えられていると思われますが区画は変わっておらず、アパートの先は袋小路です。
付近に東京電機大学や亜細亜大学があり学生需要がありそうではありますが、この場所自体は袋小路に加えて周囲は完全な住宅地で他に商店も無いため、この場所にゲームセンターがあったとは全く思えません。恐らく「エース・インターナショナル」というのは運営会社名であり、店舗は別の場所にあったのではないかと想像されます。
こちらは1987年8月号が初掲載ですが9,10月号と掲載されず、11月号に掲載された後に姿を消しています。ゲームセンタースカッシュと掲載が一度も重なっていないことからスカッシュの運営会社がエースインターナショナルである可能性も考えられますが、誌面からはそれを確認出来ないため、もし店舗に関する情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら是非ともコメントを頂きたくお願い申し上げます。
【前記事】
ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年6月号
ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年7月号
【次記事】