ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1988年7月号)
マイコンベーシックマガジン1988年7月号(第7巻第7号)のハイスコア集計店マップとなります。
掲載店数は107となり先月比+2となっています。1店の新規掲載はこの店舗です。
・その他
ゲームプラザ(熊本県)
(マイコンベーシックマガジン 1988年7月号より)
ゲーメストへは1987年11月から掲載され既にスコア有力店としての地位を築いていた熊本市のゲームプラザがベーマガへも登場。半年以上遅れての掲載開始となりました。
以下スコア欄を掲載します。
【チャレンジハイスコア 1988年7月】
(マイコンベーシックマガジン 1988年7月号より)
SNSはおろかまだ携帯電話さえ普及していないこの時代、特にスコア集計店にはコミュニケーションノートが設置してある店舗が多かった影響もありゲームサークル活動が活発で、チャレハイ通信欄にサークルミニコミ誌頒布の案内が多数記載されています。
お店で配布される程度でコミケで販売されるようなものでもなかったため、当時の店舗関係者しか受け取ることが難しかったことからこれら当時の店舗ミニコミ誌がまだ残っており且つ今後表で目にすることが出来る機会は非常に稀ではないかと思われます。執筆されていた方々の中には追って有名な漫画家やイラストレーターになっている方もいらっしゃるようですが。
ゲーメストでは誌面上で「同人コーナー」を設けて現在でいう2次元系ゲーマーの購買層にもアピールしていた節がありますが、ベーマガは元来プログラム系雑誌であったこともあり過度に誌面をそちらに寄せることは避けていたのではないかという印象です。
トピック店舗:アポロゲームセンター
続いてトピック店舗へ移ります。
大阪のセガ系店舗から、阿部野橋の「アポロゲームセンター」をピックアップします。
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)
2022年6月18日撮影
大阪は梅田、難波に次ぐターミナルである阿倍野、天王寺に複合レジャービル「アポロビル」が立地しています。建物は1972年にオープンしているのですが、セガは当初からテナントとしゲームセンターを運営していました。
上記「セガの歴史 1960-2020」内でも、1965年にセガが直営ゲームセンターの運営を開始し、1972年に初めてメダルゲーム機を設置した店舗として前身店舗である「アポロベガス」の紹介がされています。50年の歴史を刻む由緒ある店舗です。
当初はビルの6階にて営業がされていたようです。
1981年7月15日号、及び1986年5月1日号のゲームマシン誌に当時の店内写真が掲載されていますが、1986年の写真を以下抜粋します。
(ゲームマシン 1986年5月1日号より)
現在の6階フロアは写真のようにカラオケ店がメインとなっており、ゲームセンター時代のフロア配置は全くわからないのですが、記事を見ると「大きな窓から外の明かりを取り入れ」とあるため恐らくはガラス張りになっているあびこ筋に面した部分が店舗だったのではないかと想像します。
また1992年の住宅地図を確認した所、当時はまだ6階に位置していたようです。
その後はフロアを6階から3階へ移し、「セガワールドアポロ」としてセガによる運営が継続していましたが、セガが店舗運営から撤退している2022年6月時点ではまだ店舗名称は変更されていません。いずれはGIGOへと名称が変更されるものと思われます。
2022年6月18日撮影
またセガ以外にもゲームセンターがテナントとして入居していた時期があり、店舗調査を行った時点ではタイトーが4階フロアにてフランチャイズ店を展開していましたが、調査の翌日に閉店することが告知されていました。記録として写真をアップしておきます。
2022年6月18日撮影
スコアの掲載は1984年8月から開始されました。大阪駅前のロイヤル2店や心斎橋のゲームセンターニュー光と共にスタートしていることから大阪都心部のセガ系店舗で足並みを揃えたことが推察されます。
その後1986年に入ると休載が目立ち始め、1986年7月号掲載の後に1987年4月号にて単発で掲載された後に姿を消しています。大阪都心部はナムコ系も掲載期間の短さが目立っており、80年台末になると大阪環状線の内側にはゲーメストも含めてほぼハイスコア掲載店が存在しない状況になってしまいました。
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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年6月号
ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年6月号
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