小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ゲームセンター回顧録 キャノン最前線&オレンジペコ その8

 2.塩釜口駅エリア

 地下鉄鶴舞線シリーズの最後は、八事からもう一駅東に進んだ塩釜口名城大学の最寄り駅です。

いりなか-八事-塩釜口と駅は連続していますが、八事と塩釜口の間は小高い丘になっており、ひと山超えて塩釜口へ到達するというイメージのため、ここだけ少し離れていた感覚はありました。

 

①ゲームファンタジア塩釜

 塩釜口の駅を出て名城大学の正門方面へ向かう途中に存在した店舗の姿を飯田街道を走るバスに乗りながら何度も眺めていましたが、結局一度も行かないままでした。

調査した際もそれらしき場所が特定出来なかったため、地図はおおよその位置、写真は名城大学正面から店舗があったであろう場所を向いて収めています。

店舗名称からして旧シグマ→現アドアーズ系の店舗と思われますが、名古屋はもともとシグマ系の店舗が非常に少ないため、本当にシグマのお店だったのかどうかは不明です。

 

②プレイハード50(ファイブオー)名古屋店

名前が示す通り、プレイ料金を全て50円にて提供していた店舗です。この界隈では最も遅い時期(90年代に入ってから?)にオープンしたようで、製品は殆どが汎用筐体ビデオゲームで占められていました。

どうも関西方面から進出してきたチェーン店らしく、私が知っている限りでは愛知県は春日井、三重県は津(江戸橋)、あと京都や岡山にも店舗があったように思います。名古屋市内はここにしか無かったため名古屋店を名乗っていたようです。2000年代までは存在していましたが現在は写真の自転車店へ変わりました。

 

③ハイテクセガ塩釜

飯田街道から入口の存在を確認出来たことと、駅から近かったため一度だけ訪問した記憶があります。ビデオゲーム中心の店舗でしたが、八事同様にセガ店舗の郊外・大型化政策の煽りを受け90年代前半には撤退していた模様。オーライル(ウエストン/セガ、1990)をプレイした記憶があります。

セガ撤退後にAGスクエアになっていた時期があったようですが、視認していないため詳細は不明です。

 

④はるみ

この場所がゲームセンターだったという事実はつい最近知りました。という訳で一度も行ったことが無く雰囲気、設置機種、客層共に不明なのですが、当時の姿を収めた貴重なサイトを発見しました。

 http://my.reset.jp/~yuhto-ishikawa/pinball/gamecenter/harumi.html

現在の写真を見ると、昔の建物が取り壊され1階がコンビニのマンションに変わっていることが良く分かります。

 

 ⑤スペースシャトル

写真ではシャッターが降りているため一見閉店した店舗に見えますが、FGOアーケードの幟で分かるように現役。塩釜口で唯一残ったゲームセンターとなりました。

その存在は知っていましたが、塩釜口駅や飯田街道に面しておらず、駅から狭い路地を入った名城大学の裏手入口に面しているため、場所がなかなか分かりませんでした。今回調査に行って初めて実際の店舗を拝むことが叶いました。

ビデオゲーム中心の店舗が絶滅危惧種となる中、名古屋近郊の主に対戦系プレイヤーの支持を受け生き残っているようです。

 

⑥リバーサイド

他の店舗が全て駅もしくは名城大学周辺に展開していたのに対し、この店舗だけが大学と反対方向に位置していました。写真のマンションの1階で、1枚目写真のアーチを潜って2枚目写真の2つの空きテナントどちらかがゲームセンターとなっていました。

このお店、シューティングゲームに連射装置を取り付けていたなど多少ゲームファン指向があり、プラスアルファ(ジャレコ/1989)に連射が付いていたのでプレイしたのですが、反面エブリ設定が切ってあったという微妙なエピソードがあります。

テナントとして閉店してからは恐らく相当の時間が経過していると思われますが、建物や入口アーチが昔のままなので当時の雰囲気はまだ十分に残っています。

 

名古屋最大の学生街で、最盛期は駅と駅の間にさえゲームセンターが存在したこの鶴舞線沿線エリアも、気が付けば残っているお店は3店のみとなってしまいました。「大学のある所にゲームセンター有り」の感覚は完全に過去のものとなってしまったんでしょう。

ゲームセンター回顧録 キャノン最前線&オレンジペコ その7

タイトルからは外れますが、これまで紹介したいりなか駅付近以外でも、八事-塩釜口と続く地下鉄鶴舞線沿線は学生街ということもあり多数ゲームセンターが立地していた場所でもあるため、この場で紹介してしまおうと思います。

いりなかについては、キャノン最前線、ICマッハ、オレンジペコ以外のゲームセンターは私の記憶にある限りは存在しません。

1.八事駅エリア

 最寄の大学が中京大学と、徒歩では若干離れますが名古屋大学及び南山大学。以前は地下鉄鶴舞線のみが通っていましたが、2004年に名城線が開通し乗換駅となって以降、駅の外へ出てくる客が減ったのか昔に比べて寂れた印象があります。

 

①桃太郎

ゲーメスト広告欄に、独特のコピーを掲載していた「宇宙堂」という基板屋さんがあったことを覚えている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

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ゲーメスト、1990年1月号より)

この広告に掲載されているゲームセンターは宇宙堂の直営店だったのですが、この2店以外に八事に出店したのがここ「桃太郎」でした。

最大の特徴は、ともかくプレイ価格が安かったこと。

新作でも1プレイ50~30円、ちょっと型落ちすると1プレイ20~10円とかがざらで、出店場所も大学が近隣にある場所を狙っていたためいつも学生客を中心に振るわっていました。

反面いつも客が多く、じっくりスコア狙いをする環境ではなかったため私は1回行ったきり。当時はタイトーWGPが置いてあった記憶があります。

2005年に閉店した模様。宇宙堂系列の店舗はそのプレイ料金の安さ故に当時お世話になったプレイヤーも多いようで、検索すると結構な数のヒットがありますね。それだけ愛されていた証拠でしょうか。

 

②ハイテクセガ八事→ハイテク八事→ADX MAMY八事

ルーツはセガ直営店舗。学生街とはいえ裏手かつ狭い店舗のためセガは撤退しましたが、その後も2回店舗名を変え現在も営業を続けています。

セガ時代からビデオゲーム主体の構成が続いていますが、現在は半数がパチスロ機に。また残っているビデオゲームはメインがガンダム、鉄拳等ですが、店舗の外にもプレイヤーの絶叫が聞こえてくる環境ということでお察し頂きたいです…

 

③バサラ→ポート24八事店

八事に2店残るゲームセンターのうち一つ。八事交差点に面して立地も良く、入口付近に面したプライズ機と、奥に設置されている大型筐体、ビデオゲームを含めてバランスの良い店舗じゃないかと思います。丁度訪問した時には対戦ゲームの大会中で、録画環境等も有ったりしたのでプレイヤーの囲い込みも頑張っているようです。

バサラ時代は立地の良さに甘えていたのか放置気味のお店で、特筆すべき点は何も無かったと記憶しています。

 

④店名不詳1

昔、この先の中京大学で模試を受けた帰りにこの付近にゲームセンターがあったのを発見したのですが、結局入店しなかったため正確な店舗位置、店名、ラインアップ等は不明です。中京大学の位置からして写真のミニミニの場所で間違いないと思うのですが…

 

⑤店名不詳2

イオン八事店側の飯田街道国道153号線)沿いに商店が幾つか並んでいますが、その中に一つゲームセンターがありました。狭いペンシルビルで3階までゲームが設置されていたことから、恐らく写真のビルで間違いないと思います。

店舗面積の狭さ故か、設置されていた機械は殆どが小型のアップライト筐体。ロードファイターをプレイした記憶が残っています。

 

⑥プレイランド てくもぴあ

まだイオン八事店がジャスコシティ八事と呼ばれていた時代に、一度だけ中にあったゲームセンターに行った覚えがあります。その際に、

https://retrogamegoods.com/gamegoods_item/flyer/%E3%83%86%E3%82%AF%E3%83%A2%E7%AD%90%E4%BD%93%E3%80%8C%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%88%E3%80%8D%E7%B0%A1%E6%98%93%E3%83%81%E3%83%A9%E3%82%B7

この筐体が設置してあったことをはっきり覚えており、「ひょっとしたらテクモの直営店だったのでは?」と思っていたのですが、やはりその通りだったようです。

晩年はいかにもショッピングセンター内店舗らしくプライズやメダル、子供向けゲーム機が殆どで、ビデオゲームの設置は0だった模様。2014年9月に全館がリニューアルオープンしているようなので、その際に恐らく閉店したのではないでしょうか。

今では名古屋周辺のショッピングセンターはイオンだらけになっていますが、以前の名古屋はユニー(アピタ)の牙城で、名古屋市内にあるジャスコは恐らく八事くらいしか記憶にありません。ただ歴史ある店舗も今の時代では箱が小さく、近隣住民のニーズに合わせたシニア向け店舗にシフトしたようで、ファミリー向けゲームセンターといえどもコンセプトには合わなくなってしまったのでしょうね。

 

 その8へ続きます。

ゲームセンター回顧録 キャノン最前線&オレンジペコ その6

さて、名古屋におけるホームグランドを確立した私ですが、程なくとある事情で北名古屋市から同じく愛知県の豊橋市に移ることとなります。

常連との呑み待ち合わせ場所になりつつも毎週末のように遊びに行っていたオレンジペコですが、豊橋となると片道60㎞位あり、毎週末のように来れる状況ではなくなってしまいます。

また、時を同じくして一緒に遊んでいた学生スコアラーの一部が就職で名古屋を離れることになり、それに伴って私も次第に店舗から足が遠のいて行くことになります。

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ゲーメスト 1998年3月30日号より)

このあたりになると私もオレンジペコで何をプレイしていたかあまり記憶にありません。

そして、このスコア欄のトップを飾っているタイトルが、コナミが1998年にリリースしたドライブゲーム「レーシングジャム」。

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このゲーム、非常に流通が悪かったのですが、何を血迷ったかオレンジペコは、他に大型筐体は殆ど設置していないにも関わらず上記画像のバックギア付き5速シフト及びクラッチペダルまでを装備したスーパーデラックス筐体を真っ先に導入します。

デフォルトのプレイ料金は1プレイ300円だったため、タイムアタックで金が湯水の如く吸い込まれて行く光景は涙無しには見れませんでした(´;ω;`)

 

しかし、この筐体の導入が店舗にとって致命傷になったという説があります。最初こそスコアラーのお布施があるとは言え、結果的にはマイナーゲームを高値掴みさせられた格好になってしまいました。そしてその年の5月末で閉店を迎えてしまうことになります。

 

汎用筐体にコナミ製が多数納入されていたため、コナミ本体もしくはコナミに強い販社との付き合いがあったものと想像されますが、どうもレーシングジャムとビートマニアⅡDXのどちらを購入するか、という選択があったらしく、そこで後者を購入していればもう少し店舗の寿命は延びていたのではないかと思うと残念でなりません。

対戦格闘にあまり積極的ではなく、音ゲーも一切導入しなかった、ある意味硬派な店舗はこうしてひっそりと幕を閉じてしまったのでした。

 

その7へ続きます。

ゲームセンター回顧録 キャノン最前線&オレンジペコ その5

オレンジペコと言えば、丁度私が出入りしていた頃に、ある事件が発生しました。(事件という程大げさなものではありませんが…)

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ゲーメスト、1997年8月30日/9月15日合併号)

ゲーメストが創刊200号を迎えるにあたり、記念として「DAMEST(ダーメスト)」というパロディ付録を作成します。

ゲームの紹介、攻略記事の内容を茶化してタイトルや技名を変な名称にしたりしており、改めて眺めると結構お寒い内容なのですが、その中でハイスコア集計欄である「めざせ、ハイスコア!」のパロディもあり、そのタイトルが「めざせ、ウソスコア!!」。

それは実際のハイスコア集計欄に準じて、全国トップスコア欄と店舗別掲載欄に分かれているのですが、店舗別欄に誰が見てもオレンジペコをパロディに使用しているとしか思えない箇所があります。

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 当時パロディにされたことは認識していましたが、今改めて見ると酷いですねえ…逆に笑ってしまいました。

他の欄は大概はゲーメスト編集者ネタだったり、ゲームとは全く関係がなかったりするのですが、ここだけは露骨に当時オレンジペコでスコアラー活動をしていたとあるプレイヤーだけのネタになっています。スコアネームだけでなくゲームタイトルについても。

 

ただ、当時店舗関係者や、ネタにされたスコアラー本人が特にこの件で騒いでいたような記憶は全く無く、元常連で定期的に飲み会を開いている中で改めてこの件について確認してみたのですが私同様に誰も覚えていませんでした。

本人が内心どのように思っていたのかは既に連絡が途絶えているため定かではありませんが、まあその程度のものとして関係者全員が意識してなかったのかもしれません。改めてここで語るまでも無い話かもしれませんが、オレンジペコという店舗とは切っても切れない部分であるのも事実のため、取り上げさせてもらいました。

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これはダーメストと同じ号の純粋なオレンジペコハイスコア欄。

間違ってもレッドペコではございません。

この欄を見て「そういえばNEO Mr. Doとかやってたな」と思い出しました。クリアした途端に稼ぐ気力が失せて全くプレイしなくなりましたがw

 

 その6へ続きます。

ゲームセンター回顧録 キャノン最前線&オレンジペコ その4

オレンジペコはその3の写真の建物の1階、間口は狭いものの奥行きが長い物件で、店内はフラットでしたがキャノン最前線の当初の姿に近かったのではないでしょうか。

筐体台数は50台程度で、私が通い始めた1997年頃は入口にバーチャロンのツイン筐体があった以外はほぼ基板もので構成されており、コナミドーミーシアター筐体やアイレムのマドンナ筐体を中心に設置されていました。

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コナミドーミーシアター汎用筐体パンフレット

すぐにウインディ筐体に移行したみたいであまり現存してないようです。

 

当時ピークは過ぎていたとは言えまだ対戦格闘ゲームがゲームセンターの中心商品でしたが、あまり対戦系ゲームに力点は置いておらず、結果あまり騒がしくない店舗になったためじっくりと腰を据えてプレイしたいスコアラーには良い環境だったのではないかと思います。

また、ハードウェアに明るい店員氏がいたため、連射装置等の改造について充実していたこともプラスに作用していました。

 

さて、この頃の名古屋市内のスコアラー御用達店舗と言うと、イエローハットは大きくその地位を低下させむしろ隣のトンガ王国の方が主流となりつつありました。

同時に、愛知県全域を含めた東海地方のハイスコアのフロントラインは、岐阜にあった「アイリン夢空間」にシフトしており、以前にイエローハットやキャノン最前線のスコア欄にて見かけたスコアラーのお名前をアイリン夢空間で見つけることが増えていたのですが、岐阜は正直遠かったため、アイリンまで向かっていた元々のキャノン常連層の一部や、近隣の大学に通う学生層を中心としてオレンジペコに新たな勢力が出来ていたのではないかと思います。

 

メンバーには、後にバーチャファイター界で押しも押されぬ有名プレイヤーになるホームステイアキラ君がおり、当時からバトルガレッガ怒首領蜂のプレイで大物の片鱗を見せていましたが、彼以外ではパズルボブル2、対戦とっかえだまマジカルドロップ3といったパズル系やクイズゲームに強い面子が揃っていたため、特に90年代後半以降の名古屋のスコアラーに「パズル、クイズ系」のイメージを持たれている方が多いのではないでしょうか。

どちらかというとハイスコア的にはニッチ分野で強かった店舗でしたが、ハイテクノーベル時代からニッチゲームを主戦場としてきた私にとっては、その波長が丁度良かったのかもしれません。

 

 その5へ続きます。

ゲームセンター回顧録 キャノン最前線&オレンジペコ その3

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2019年7月13日撮影

名古屋市営地下鉄鶴舞線いりなか駅から徒歩2分

 

正確な時期は把握していませんが、1994年頃にキャノン最前線が閉店後にオープンし、結果的にはキャノンの市場を引き継いだ形となったお店です。場所は移転後のキャノン最前線から西へ50m程度ずれただけで、ほぼ同位置と言っても過言ではないでしょう。

 

この店舗の運営会社は「日本ぱちんこ部品」というパチンコの役物等を製造している会社でした。いりなか店とは別に名古屋市中心部の金山にも金山店が存在していました。

http://www.nippachi.co.jp/

 

なぜパチンコ関係の部品メーカーがゲームセンターを運営したのか?

1990年代はパチンコの市場規模が相当に大きかった時代です。ゲームセンターという業態は実は税金対策という側面を多分に持ち合わせており、本業の傍らでパチンコ業界とも関わりの深いゲームセンター運営に「税金対策」として進出したのでは?というのが自分の見立てです。

 

ただ、キャノン閉店と前後していりなかという場所に着目し、実際に市場を掬い上げ後継店舗としての地位を築いたという経緯は、偶然にしては出来過ぎている気がしないでもありません。

 

そして私は1995年に就職で名古屋に戻りますが、昔の伝手でイエローハットに出入りしていた時期には既にハイスコア集計店としてゲーメスト誌面に店舗欄があったため、その存在は認識していました。

 

そしてティンクルスタースプライツのスコアアタックを機に本格的にオレンジペコへ出入りすることになる訳ですが、それとは別に当時住んでいた場所が現在の北名古屋市で、いりなかは通勤経路と方向が違っていたものの、いりなかを通る地下鉄鶴舞線名鉄犬山線と乗り入れを開始しており平日は会社帰りに寄り道しても自宅最寄駅へ直接帰れたこと、また車を入手したことで休日の行動範囲が広がったというきっかけも大きかったのではないかと思います。

 

その4へ続きます。

ゲームセンター回顧録 キャノン最前線&オレンジペコ その2

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2019年5月4日撮影(キャノン最前線移転後、建物2階)


キャノン最前線は、1階入口を入ると階段かスロープで店内奥が低くなっていた構造と記憶しています。筐体台数は少数の大型筐体ものも含めてテーブルメインでおそらく30〜50台程度だったでしょうか。

そして、すぐ隣(同一の建屋内)にICマッハという別のゲームセンターがあり、こちらも同じようにテーブル筐体中心のラインアップでしたが、キャノン最前線がゲームファンに支持されていたのに対し、IC マッハは完全放置で店舗の雰囲気や客層も悪く、ある意味上手く客層の棲み分けが出来ていました。

 

ただ、同じ建物内であったことが災いしたのか、キャノン営業中に機器の電源が突如落ちるなどICマッハからの嫌がらせのような事態があったとの噂を聞き及んでおります。それが直接的な原因であったかは定かではありませんが、キャノンは直ぐ隣の雑居ビル2階へ移転することとなります。

 

キャノン移転後、ICマッハは特に店舗の運営は変わらず、正直寄り付き難い雰囲気のまましばらく営業を続けていましたが、現在は建物ごと取り壊され写真のような駐車場に。

 

そして隣のビルに移転したキャノン最前線ですが、店舗面積は移転前よりも狭くなってしまいました。少数ですが存在した専用筐体タイプのタイトルは無くなり、テーブルタイプオンリーとなります。

 

私が名古屋から離れたのが1991年、再度戻ってきたのが1995年なのですが、1994年頃に閉店してしまったようなので、移転期間は丁度私が名古屋を一度離れた時期と重なるようです。移転後の店舗にも1,2回程度しか足を運んだ覚えがなく、その時のぼんやりとした記憶と建物の形状から推察すると、格闘ゲーム対戦台を対面にて設置するのは厳しかったのではないでしょうか。やむを得ないとはいえ対戦格闘ゲームブームという時流に乗れなかったであろうことが閉店を速めた要因だったのかもしれません。

 

そして、キャノン閉店と前後していりなかに新たな店舗としてオープンしたのがオレンジペコティンクルスタースプライツのエントリーでも述べましたが、私が本格的にいりなかへ通いだすようになるのはオレンジペコのオープン後になるのでありました。

 

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また、キャノン最前線というお店は、いりなか以外に2駅隣の御器所、そして愛知県は岡崎市にも店舗を構えていました。そちらはまた機会があれば紹介したいと思います。

 

その3へ続きます。

ゲームセンター回顧録 キャノン最前線&オレンジペコ その1

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2019年7月13日撮影(キャノン最前線移転前、駐車場が跡地)

 

名古屋市営地下鉄鶴舞線いりなか駅より徒歩1分。

内容的には少々面白みに欠ける現在の地元を離れ、再度名古屋地域の店舗へと話を戻します。

名古屋市の中心部から地下鉄で15分程度、この辺りまで来ると郊外で普段はそれ程人通りも多くない場所になりますが、いりなか(南山大)-八事(中京大、名古屋大)-塩釜口(名城大)の3駅は名古屋市内最大の学生街エリアで、学生を主客層にしたゲームセンターが連綿していたエリアでもあります。

その中でいりなかは、今回取り上げるキャノン最前線をルーツとしてスコアラー文化が根付いていた場所でした。

 

最大の売りは、学生街だけあって1プレイ50円の店舗が多く、財布に優しかったこと。

当然これはプレイ回数をこなす必要があるスコアラーには大きなメリットですが、当時はまだ隣の八事に名城線は無く、また名古屋市営地下鉄は昔から運賃が高かったため名古屋市内とはいえども交通の便が悪く、駐車場も無かったことから広域的にプレイヤーが集まるには少々不便だったことは否めません。

 

私が最初に愛知県豊田市に住んでいた時は、地下鉄を更に東へ進んだ名鉄豊田線の沿線民でしたが、高校の時は通学定期の関係で、名古屋に向かう際は愛知県の知立を回った方が時間は掛かるものの運賃が安いためあまりいりなかを通らず、予備校通いの時は既にイエローハット周辺のプレイヤーと遊ぶことが多くなりいりなかを素通りするようになったため、キャノン最前線時代は数える程度しか訪問していません。

 

その2へ続きます。 

ゲームセンター回顧録 スコアラー不遇の街大宮 その6

大宮駅周辺の店舗紹介は前回で終えましたが、宇都宮線で2駅先の東大宮駅と、高崎線で1駅の宮原駅(共に旧大宮市内)付近にもゲームセンターは比較的多数存在していました。

 

5.東大宮駅、宮原駅周辺

 1)東大宮駅周辺

駅勢圏に大型の団地が立地しており乗降客が多く、また芝浦工業大学の大宮校舎最寄のため、学生が多かったことからゲームセンターが多数あった場所でもあります。

 ①マリヤ

30年位前に、駅西口のロータリーから駅前通りを行くと向かって左側にビデオゲーム20台程度の小さなゲームセンターがあり、たまたま足を踏み入れたところスノーブラザーズ(東亜プラン/1990)が上手い人がいたことをはっきり覚えているのですが、いつぐらいまで存在していたのかは定かではありません。(店舗名が「マリヤ」であることをご教示頂いたため、店名不詳から変更致しました。)

 

②ハイテクセガ東大宮→ウェイピー東大宮

恐らく1988年頃にオープンしたと思われる大宮市2店目のセガ店舗。線路からその姿を確認出来たため、初めて行くまでは物凄く期待をしていましたが、この頃になるとメーカー系店舗でもゲームファン層を積極的に取り込む運営はされず、非常に平々凡々とした店舗でした。ビデオゲームメダルゲームがほぼ半々の構成で、当時まだ登場して間もなかったエアロシティ筐体に入っていたイメージファイトアイレム/1988)をプレイした記憶が残っています。

東大宮駅西口はどちらかというと裏手で、芝浦工業大学も駅東口が最寄のため学生もまばら。いつも店舗は閑散としているイメージで、ほぼ数年でセガは撤退しウェイピー東大宮という店名に変わりました。主にサラリーマン層メインの機種構成で2000年近くまで店舗は残っていたように思いますが、クローズ後しばらく空きテナントのままとなり、現在は飲食店が入居するというお決まりのコースになっています。

 

③スナイパー

東大宮駅東口に最後まで残っていたゲームセンター。2015年まで営業していました。狭い店舗は昔はビデオゲームオンリーでしたが、専用大型筐体ものが主流になると機械構成も変化。コナミ音ゲーやオンライン麻雀の他にも三国志大戦等が設置されていた時期もあり、この規模の店舗でどこにその導入資金があるのかと不思議に思ったものです。

高齢のオーナーらしき方が良くカウンターにいらっしゃいましたが、カウンター内で寝ている光景が目撃されるなど末期の様相を呈しており、客層もお世辞にも良いものとは言えませんでいた。

 

④ゲームとまと

東口の線路沿いにあった店舗。プレハブっぽい簡素な2階建ての建屋で、1階はプライズと大型筐体もの、2階はビデオゲームで占められていました。2フロア有ったため機械台数は豊富で、またビデオゲームは50円以下で提供されていたため、学生中心に結構振るわっていたと記憶しています。

ただあまりお行儀の宜しくないお子様の来店も多かったようで、店内に張り出されていた警告文が印象に残るお店でした。末期は新作が殆ど入荷しなかったようで2009年閉店。

 

セクト

 東口駅前通りを直進した最初の交差点の角、写真のビル1階にゲームセンターがありました。オープンは比較的遅く90年代に入ってからではなかったかと思います。メダルゲームがメインとなっており、ファンタジックフィーバー等の大型メダル機が稼働していた覚えがありますが、店舗としては長続きはしませんでした。(こちらも店名が「セクト」であることをご教示頂いたため変更しました。)

 

2)宮原駅周辺

現在の自宅からは距離があり、日常的にこの界隈に行くことは殆ど無かったのですが、帰省の際親戚へ挨拶に行く時の最寄駅で、時折駅を使うことがありました。東大宮よりは少ないものの、数件のゲームセンターが立地していました。

 ①ファイヤー

東口に降り立つとすぐ左手のロータリーに面した建物の1階に店を構えていました。ロストワールドカプコン/1988)をプレイしたことを覚えています。比較的最近まで営業していたようですが、閉店時期は不明。

 

②宇宙館宮原店

駅前にある雑居ビルの2階に店舗があり、バルトリック(ジャレコ/1986)をプレイした記憶があります。店内にハイスコアが掲示されており、結構ゲームファンを指向したお店だったようですが、それ以降一度も訪れることはありませんでした。

今回駅前を調査してみましたが、住所等の正確な位置を把握できる情報が全く無かったため場所をプロット出来ません。もし明確な場所をご存じの方がいらっしゃればご教示頂きたくお願い申し上げます。 

 

ここには掲載していないのですが、宮原駅からも比較的近い川越線日進駅付近にあったまるひろ百貨店内にはナムコランドがあったようですが、そこまで含めても大宮市内にゲームファンにとって環境の良い店舗はほぼ存在しない、存在しても短い期間であったことがお分かり頂けたのではないかと思います。

結果として環境の良い店舗に宿った往年のゲーマー文化は大宮には発生せず、大宮のゲームセンター群は特に誰からも思い起こされることないまま忘れ去られて行くのではないでしょうか…

ゲームセンター回顧録 スコアラー不遇の街大宮 その5

4.大宮駅付近の大型店舗内

ショッピングモールや百貨店・大型スーパー内にあるゲームセンターと言えば、今でこそファミリー向けの機械構成で、ゲームファンはあまり寄り付かない場所ではあるのですが、80年代はどうだったのかというと当時からお子様向けの乗り物やエレメカ等が多かったとはいえ、普通にビデオゲームも設置されており、大型店内では治安的な不安要素も少ないことから結構ゲームを遊びに行く選択肢となり得る場所でした。

 

大宮はその場所柄多数の大型商業店舗が軒を連ねており、特に小学生の頃はゲームを遊びに行く目的で向かうことも多々。しかし老朽化した店舗から閉店や撤退が進み、また新規でオープンする施設は最初からゲームセンターが無い店舗も増え、今では当時を窺い知れる場所は一つも残っていません。

 

高島屋大宮店

 現在大宮駅東口に残る唯一の百貨店。テナントこそ変わっているものの建物自体は40年以上前から変わっていません。

屋上に昔はペットショップと屋上遊園があり、屋外には乗り物系が、建屋内にはパチンコ等子供向けの機械が設置されていましたが、ビデオゲームについては置かれていた記憶が殆ど無いため、当時から典型的な家族向けの施設だったと思います。今はゴルフ練習場となっています。

 

西武百貨店大宮店

 こちらも高島屋同様40年以上前から店舗を構えていた大宮駅東口の代表的百貨店でしたが、後にloft大宮店となりました。結構振るわっていたと思いますが、建物の耐震強度問題で閉店。「ついに周囲も含めて再開発が実施されるのか!」と思ったのも束の間、建物はそのままでパチンコ店をキーとした現在の姿となりました。西武百貨店が後述するそごうと共にセブン&アイグループになったことで大宮に2店舗を構える状況になったため、古い方の旧西武百貨店側を切ったというのが真相なのではないかと思います。

屋上にこちらも遊園地があったらしいのですが、正直全く行った記憶がありません。むしろ5階にあった鉄道模型売り場にいつも入り浸っていたことの方が記憶に残っています。

 

③中央デパート

中山道沿いにあった地元資本で運営されていた店舗で、百貨店というよりは小規模店舗の集合体と言った方が正しいのではないかと思います。6階フロアが一時期より全面ゲームセンターとなっており、土田晃之もその存在についてコメントしていたとかいないとか。

ただおおよそ北銀座のゲームセンターで所用を満たしていた私はここまで足を運んだことが無く、初めて足を踏み入れたのは2000年以降になってからでした。正直ここはノーマークでしたw

こちらも周辺の大型店同様、パチンコ店にフロアを転貸して生き延びていましたが、再開発計画により2017年に営業終了。現在は写真のように更地になり、跡地には複合ビルが建設されます。

 

④大宮駅ビル群(LUMINE1,2)

 今でこそLUMINEの中にゲームセンターが存在するという状況が考えにくいのですが、駅ビルがLUMINEに改称する以前、東口(LUMINE1)はOSB(大宮ステーションビルディング)→pino→KISS、西口(LUMINE2)はWeという名称で、それぞれビル上層階にゲームセンターが存在していました。

現LUMINE1の東口の店は全く記憶に残っていないのですが、LUMINE2の西口ははっきりと記憶にあり、5階フロアの現在の無地良品の場所がゲームセンターで、普通にビデオゲームも設置されていました。

 

⑤DOMショッピングセンター

新幹線開通後、大宮駅西口に最初に建設されたショッピングセンターで、キーテナントは丸井とダイエー

昭和57年オープンからゲームセンターは全く設置されていませんでしたが、最近になってダイエー側6階テナントとしてタイトーフランチャイズ出店した模様です。

 

⑥そごう大宮店

DOMショッピングセンターに遅れること5年の1987年にオープンしましたが私は大宮を離れており、帰省した際に初めて訪れることとなります。

当時は既にゲーメストの存在を認識しており、札幌のそごう内に集計店舗があったという実績があったため密かに期待していたのですが、オープン後に行ってみるとゲーム機の設置はあったものの、空いている空間に多少の機械が置かれていたゲームコーナー程度の規模でがっかりした記憶がwただ初代ダライアスが設置してあったことだけははっきりと覚えています。

 

4回に渡って尺を取り紹介しなければならない程、大宮という街はゲームセンターの数だけは非常に豊富な場所ではありましたが、ゲームファンやスコアラーにベクトルが向く店が殆ど存在しなかったこともあり、トピック的には非常に乏しいものとなってしまいます。80年代に特にナムコがプレイシティキャロットの1軒でも大宮市中心部に店舗を構えていれば、この界隈の歴史も随分と違っていたのではないか…とアルシェビルに今も灯るナムコロゴを見ながら恨めしく思うのです。

 

 その6へ続きます。