ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1987年12月号)
マイコンベーシックマガジン1987年12月号(第6巻第12号)のハイスコア集計店マップとなります。
先月に引き続き今月も新規掲載は無しとなっています。
店舗総数は101となり前月比-3。
以下スコア欄を掲載します。
【チャレンジハイスコア 1987年12月】
(マイコンベーシックマガジン 1987年11月号より)
今月をもって掲載が終了してしまったのが富山県のダイエーレジャーランド高岡店。
チャレハイ通信欄には11月14日に改装オープンの旨が記載されていますが、改装を機にスコア掲載が止まってしまったようです。改装により店舗管理者やスタッフが入れ替わったりすると、それまでのスコア管理が新しいスタッフに引き継がれず、そのまま掲載がストップしたような例は結構あったのではないかと思われます。
そして富山県におけるベーシックマガジン掲載店は姿を消すのですが、この後チャレハイコーナー終了まで再度掲載店が出現することはありませんでした。ゲーメストでは掲載があったのですが…
トピック店舗:プレイシティキャロット関大前店
トピック店舗は再度関西へと舞台を移します。
ベーマガオリジナル26店から「プレイシティキャロット関大前店」をピックアップします。
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年1月号より)
2022年3月20日撮影
阪急千里線の関大前駅、その名の通り関西大学の最寄駅で、駅前から大学正門までの間に主に学生向けの店舗が連綿していますが、その沿道にナムコのキャロットがありました。駅を出て商店街を線路沿いに進むと「フタバボウル」というボウリング場があり、その隣の1階が大阪王将になっている建物の場所が該当します。
当時の住宅地図では、ボウリング場であるパレフタバビルに隣接した場所に「ゲームセンタープレイシティ」の文字が見えます。地図上では「千里山東1-7-21」が所在となっておりベーマガ誌面住所の「千里山東1-7-20」と異なりますが、1-7-20が地図に存在しないためこの場所で間違いないと認識しています。
1987年2月1日号のゲームマシン誌に営業中の写真が掲載されていました。
(ゲームマシン 1987年2月1日号より)
また@Area51_zek氏のツイートに、過去のナムコ店舗ミニコミ誌「NG」誌に掲載された当時の店舗外観写真がアップされていたので以下引用させて頂きます。
プレイシティ キャロット関大前店(1983年8月頃)。キャロット関大前店は、その名の通り関西大学と阪急電鉄千里線の関大前駅という学生街に溶け込んだロケーション。お店の前にはノックダウン。壁面の外装がバーやスナックっぽいのが特徴的か。『季刊NG3号』より。#ゲーセンを語ろう #懐かしい写真 pic.twitter.com/2MCWJjVzMO
— ぜくう@アーケード没ゲー本 好評発売中! (@Area51_zek) July 6, 2020
プレイシティ キャロット関大前店(大阪府吹田市:1987年8月頃)。前回の掲載分からピッタリ4年の同店の様子。4年前の外観は場末のバーやスナックっぽい装いであったが、CARROTの看板を立体的にし、パックマンのポールを建ててアピール!『月刊NG12号』より。#ゲーセンを語ろう #懐かしい写真 pic.twitter.com/v1zAXArcnO
— ぜくう@アーケード没ゲー本 好評発売中! (@Area51_zek) July 25, 2020
当時の店舗外観と現在の建屋外観が全く異なっているため、現在の建屋は建て替えられたものであることが分かります。また住宅地図を見ると店舗正面の道路と線路の間に建屋が無いことから、以前は電車から店舗の姿がよく見えたのではないかと想像します。
お店は場所柄学生で振るわっていたようで、また当時のナムコのユーザーフレンドリーな店舗運営も手伝ってゲーマーには広く知られた存在だったと思います。ハイスコアも1984年1月の初回から掲載されましたが、この店はスコアラーよりもむしろ同人活動系ゲーマーの方が有名だったような気がします。
ベーマガへの掲載は1991年3月号まで継続しました。関西のキャロット系店舗は80年台で殆どが誌面から姿を消す中で長期に渡ってスコアが掲載されています。
ナムコの店舗情報誌「NOURS」2001年夏号(Vol.33)に関西のナムコ店舗ガイドがありますがその中には存在しないため、それ以前に店舗は閉店していたようです。
【前記事】
ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1987年11月号
ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1987年11月号
【次記事】