小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1986年9月号/トピック店舗:ゲームプラザ ザ・ゴリラ(東京都)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1986年9月号)

ゲーメスト1986年9月号(第1巻第3号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

創刊号である1986年5月号にて「目指せゲーメスト」とのタイトルでスタートした店舗別ハイスコア欄ですが、紆余曲折を経た後に翌1986年7月号ではスコア欄は掲載されず今後の集計を個人申請と店舗別申請を平行して行うという方針が発表されました。

それに伴って4か月ぶりにコーナー名を「めざせハイスコア」と改めてハイスコア集計が再開されています。

 

【めざせハイスコア 1986年9月】

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ゲーメスト 1986年9月号より)

 

掲載店の総数は35店となり、創刊号の21店よりは大きく増加したものの、前述の紆余曲折の影響もあってか創刊号から引き続き掲載されたのは9店に留まり、あとの26店は新規となっています。

以後のハイスコア掲載欄のベースがこの時点でほぼ出来上がっている印象ですが、この時点ではタイトル別のハイスコアが見開きの左側ページにまとめられているのが特徴的です。また各タイトル3位までのスコアやヒットゲームチャートの掲載などゲーメストの独自色を設けてベーシックマガジンとの差異を打ち出そうとした意図を感じます。

 

ヒットチャートはスコア掲載のゲームセンターからの協力にて実施されたもののようですが、店舗現場からのデータであったこともあり後に多数現れる家庭用を含めたゲーム雑誌のレビューなどと比べても忖度なく信憑性は高かったように思います。

 

また店舗写真が所々に掲載されていますが、当時のゲームセンター写真は殆ど残っていないこともあり貴重な資料です。ゲーメストもベーシックマガジン同様にハイスコア集計欄においては「集計用紙を送ってこない店舗」に悩まされた形跡があるのですが、ベーマガと比較するとこういった写真や広告等を配置して違和感を感じさせない装丁をすることには長けていたのではないでしょうか。

 

トピック店舗:ゲームプラザ ザ・ゴリラ

ベーシックマガジン同様にゲーメストにおいてもトピック店舗をピックアップします。

最初は創刊号から掲載された東京都内の「ゲームプラザ・ザ・ゴリラ」から開始することにします。

 

ゲーメスト 1986年5月号より)

2022年4月3日撮影

 

池袋のランドマークである「サンシャインシティ」ですが、敷地最深部の文化会館地下1階にかつて「サーカスサーカス」という大型のゲームセンターが入居していました。

ゼンリン住宅地図 東京都豊島区1986年より)

現在でも場所ははっきりとわかるサンシャインシティですが、一応1986年時点の住宅地図をアップします。なお文化会館テナント一覧にサーカスサーカスの文字はありませんでした。

 

サーカスサーカスは「ザ・ピエロ」と「ザ・ゴリラ」の2店で構成されており、双方を合わせた店舗面積は約2200㎡。現在ではこのレベルの広さを持つ店舗は珍しくないのでしょうが、サンシャインシティがグランドオープンした1978年から1980年台においては屋内でこの広さを持つゲームセンターは存在せず、「日本一広いゲームセンター」としてその存在が知られていました。

 

そして「ザ・ピエロ」が定置式の乗り物がメインでどちらかと言えば百貨店屋上のファミリー向けゲームコーナーの構成だったのに対し、「ザ・ゴリラ」はアーケードゲームをメインとしていたことから、当時のゲーマーにはサーカスサーカスやザ・ピエロではなくザ・ゴリラとしての認知が高かったことと思われます。ゲーメストへのハイスコア掲載もザ・ゴリラにて実施されています。

 

1987年3月号のゲーメストに店舗の特集記事が掲載されています。

ゲーメスト 1987年3月号より)

 

まだUFOキャッチャー登場前で最近のゲームセンターのようにプライズ機ばかりということはなく、メダルゲームも殆ど設置されていなかったようで、広い店内はビデオゲームを中心に最新ゲームからオールドタイトルに至るまで幅広くラインナップされていたようです。

 

ハイスコア掲載は1986年3月のゲーメスト創刊号から開始されましたが、掲載以前からこちらに足跡を残していたスコアラーが多数いらっしゃったことが記事中にて触れられています。

しかし掲載開始時には既に「プレイシティキャロット巣鴨店」がオープンしており、特に80年台後半のスコアシーンでは全国的な知名度を誇っていたため、こちらからハイスコアで目立った実績が生まれることは正直少なかったと思います。大型店の宿命な部分もありますが、プレイヤーにとって製品ラインアップだけではなくメンテナンス対応や連射装置の装備と言った「痒いところに手が届く」サービスが提供されないとプレイヤーを囲い込む所までは至らなかったのではないでしょうか。

 

それでもスコア掲載は長期に渡って続けられ、確認している時点ではゲーメスト1996年11月30日号まで継続しており、10年以上に渡ってスコア欄に店舗名を刻み続けました。店舗は1999年5月まで営業が続きましたが、現在は写真のようにトイザらスとなっています。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1986年5,7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1986年9月号

 

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1986年11月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1986年10月号