小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1989年10月号/トピック店舗:Pasadena茨木店(大阪府)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1989年10月号)

ゲーメスト1989年10月号(第4巻第10号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は98と先月比+1となっていますが、新規掲載店はありません。

ただ、翌11月号の「ハイスコア通信」に以下の記載を見つけています。

ゲーメスト 1989年11月号より)

 

ウィルトークタイトー高松店は確かに今月から掲載されていますが、1987年9月~1989年1月まで既に掲載実績があり、新規掲載ではありません。

 

中断期間中は店舗でのスコア集計自体を行っていなかったのか、誌面への掲載を中止していただけなのかは興味深い所ではあります。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1989年10月】

ゲーメスト 1989年10月号より)

今号で掲載を終了したのが「ダイエーレジャーランド郡山店」。

 

ゲーメスト初期ではアウトランの全国トップを多数輩出したことで、東北地方の代表的集計店としてその名を知られるようになりましたがベーマガは1989年5月号にて、追ってゲーメストも今号で掲載を終了し掲載店の歴史に幕を閉じています。

 

そして「ヒットゲームBEST10」を眺めると、既にデビューから半年以上が経過しているにも拘わらず依然としてトップはテトリスで、このゲームの貢献度を物語っていますが他のラインアップを見るとゲームタイトルとしては「端境期」の感が否めません。

 

鳴り物入りで登場したセガの「スーパーモナコグランプリ」ですが、F1に勢いがあった当時ですらランキングトップを飾るには至らず。既に「体感ゲーム」のジャンルはピークアウトしており、特にスコア集計を実施しているような中小規模店舗では価格や店舗面積の関係で大型筐体を積極的に導入出来ないという事情もありました。現在では評価の高いタイトーの「ナイトストライカー」も流通に阻まれた結果、ゲーメストのランキングには一度も登場していません。

 

他のランクインしている基板タイトルを眺めても、後日を含めて高く評価されている作品は乏しく、テトリスが君臨し続けた状況も止むなきかなという印象です。

 

トピック店舗:Pasadena茨木店

トピック店舗は関西初期のゲーメスト掲載店へと移ります。

 

まずはゲーメスト創刊号から掲載された「Pasadena茨木店」をピックアップします。

ゲーメスト 1986年5月号より)

2022年3月19日撮影

 

ゲーメスト創刊号のハイスコアコーナー「目指せゲーメスト」のに掲載された21店の中の一つです。

 

大阪府茨木市阪急京都線茨木市駅JR京都線茨木駅がありますが、両駅間は1㎞程度離れているためそれぞれの駅付近に商店街が形成されています。こちらはJR茨木駅付近に存在しました。

 

住所欄の「ソアラ―ビル」は、テナントは変わっているものの写真のようにまだ現存しています。

ゼンリン住宅地図 茨木市1988年より)

1988年の住宅地図では1階に店舗の存在を確認出来ます。

また、5軒となりの「マツヤビル」には、ベーシックマガジン1984年9月~1985年11月まで店舗欄を有したタイトー系列店「ゲームプラザUFO(→ウィルトークタイトー)」があり、近接して2軒のハイスコア集計店が存在していたことになります。

 

「ゲームプラザUFO」については以下記事にエントリーしています。

www.inu-inu-yeti.com

そして「パサデナ」という店舗にてハイスコア集計が行われたのはゲーメスト創刊号が最初ではありませんでした。

 

ゲーメストの前身ともいえる日本で初めての業務用ゲーム専門誌「アミューズメントライフ」誌に掲載されていた「今月のハイスコア」コーナーにて、系列店となる池田店が1983年11月号の時点で誌面に登場しています。

アミューズメントライフ 1983年11月号より)

1984年3月号にて追って茨木店も掲載されました。茨木店としては初めての掲載となっています。

アミューズメントライフ 1984年3月号より)

 

1984年6月号では茨木、池田店が並立表記され実質合同集計の体裁となっています。

アミューズメントライフ 1984年6月号より)

AMライフ休刊後はゲーメストへ掲載をシフトさせるのですが、池田店はその後誌面へは出現しませんでした。

そしてゲーメスト創刊号にて掲載された21店のうち、半数以上が次回掲載である1986年9月号において姿を消す中、1987年8月号まで店舗欄は継続されています。

ベーマガへは永らく掲載がなかったのですが、ゲーメスト掲載終了後半年程経過した1988年2月号に初めて店舗欄が登場しています。

マイコンベーシックマガジン 1988年2月号より)

ただこちらも1988年6月号まで継続したもののそこで一旦掲載は途切れ、間をおいて1989年3月号に単発で掲載されたのを最後に姿を消しています。掲載店としては老舗の部類になるのではないかと思いますが、掲載誌を短期間で変えている傾向があり店舗のスコア運営に紆余曲折を感じます。閉店時期は分かっていません。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1989年9月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1989年10月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1989年11月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1989年11月号