小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

私のアーケードゲーム履歴書 コットン 特別編

このブログでも最初に取り上げ、私のスコアラーとしての代名詞となっているコットンですが、多少のリハビリの結果ある程度まともなプレイ動画を撮影出来ましたので、YOUTUBEへアップしました。

youtu.be

撮影場所:蕨 デイトナ

1周クリア ノーミス シークレットボーナスパーフェクト 

連射装置(シンクロ30連)付き 

スコア:1,696,560

 

ベストスコアからは10万点以上落ちていますが、稼ぎに必要な部分はほぼ網羅されているため、内容としては十分かなと思います。

2周クリア動画は…気が向いたらいつか撮影するかもしれませんw

 

今回アップを機に、コットンの動画を色々見てみましたが、バリア稼ぎを行なっているプレイは皆無。

ゲーム自体は結構メジャーですが、稼ぎプレイは非常にマイナーですね。行われていたのは関東の一部と名古屋位でしょうか。

某ミ○ドの動画でもバリア稼ぎには全く触れず。

そりゃあのボタン配置でバリア稼ぎやれと言われても私には無理ですw

スコア狙いにはインフラが大事なんですよ...

ゲームセンター回顧録 星ヶ丘キャロットハウス その3

私が初めて星ヶ丘キャロットハウスに来店した際に行われていたゲーム大会のタイトルは、「ファンタジーゾーン

そう、セガのあまりにも有名な名作シューティングゲームです。

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対戦ゲームであれば、1試合3分程度で順次進行して行きますが、1周クリアで終わらないループゲームがまだ多かった当時、しかもプレイヤーによってはプレイが長時間継続して大会が進行しない恐れすらあるこのゲームで、どのようにゲーム大会を行っていたのか?

ファンタジーゾーンのゲーム大会においては、「ボムボタン使用禁止」という制限が加えられていました。(残機0の1機勝負という条件もあったように思いますが、ここは記憶が曖昧です。)このレギュレーションで参加者同士のハイスコアを競うというルール。

通常ではまず行わない状況を演出することにより、大会を成立させると共にプレイヤーの参加動機を高めるというゲーム大会で、店舗スタッフのアイデアが凝縮されておりました。

その時は既に参加を締め切った後だったのですが、また実施するという話を聞いて参加賞のグッズ欲しさに次回は必ず参加しようと心に決めたものです。

 

その後自分が参加できた初めてのゲーム大会は、「妖怪道中記

このゲーム対戦ではないことは勿論のこと、スコアさえないゲームですが、じゃ大会のルールは?というと、「スタートして3分でどこまで進めるか、進んだ距離で順位を決める」というもの。

筐体の前には印刷したマップが貼り付けてあり、参加者の到達地点が一目で判るようになっておりました。

参加賞も貰った筈なのですが、何を貰ったか全く覚えていない…

妖怪道中記の缶バッジが家にありましたがこれは違う気がする…

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これは後で知った話ですが、ファンタジーゾーンは2回目の大会で、初回のタイトルはグラディウスとのこと。

そのレギュレーションがなかなか面白く、「画面を上下反転させ、かつ4方向レバーにて得点を競う」というものだったそうです。

ブラウン管のモニター基板には、差し替えると画面が反転するコネクタか付いており、その機能を使って反転させていたと想像されます。ただそのままではレバーの上下も逆になってしまうため、レバーをばらして上下方向の配線を逆に取り付け、合わせてレバーのベースを8方向から4方向に変更したのでしょう。画面は反転していますが、ビックバイパーはきちんとレバーを入れた方向に動く。(斜めには進めないけど…)

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そして1面最後にいきなり逆火山が炸裂する訳ですね。

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ビッグコアは必ず画面上方から現れると。

そして画面上に飛んで行くミサイル!

想像するとかなりエンタメ性に富んでいるレギュレーションと思われます。

 

ただやはりネタを続けるのが難しかったのでしょうか。

その後は、ドラゴンスピリットを特に制約なく1機勝負で争う大会を最後に実施されなくなったと記憶しております。

ただ、ゲームは工夫次第で面白い遊び方を模索出来るということ、制約もゲームを面白くする要素と成り得ることを、当時は意識していませんでしたがなんとなく私の感覚に植え付けてくれたのではないかと感じています。

 

そして、中学時代は友人宅に行くことも兼ねて時折遊びに向かった星ヶ丘も、高校になるとその友人と別の高校となり、また予備校の絡みで名古屋駅方面へ出向く機会が増えてからは、訪れることは殆ど無くなってしまいました。

 名古屋におけるハイスコアの中心的地位も移り、それでも店舗は2000年位までは存続していたようですが、結局存続中に再度店舗を訪れることは叶わず。大して行っていない店舗でおこがましくはありますが、もう一度は行っておくべきだったと後悔しております。

 

「ゲーセンは行ける時に行っておけ」

続々と店舗が閉店していく現在、改めてこの言葉を噛みしめるのであります。

ゲームセンター回顧録 星ヶ丘キャロットハウス その2

星ヶ丘キャロットハウスは2階建ての店舗で、1階が新作及び大型筐体ゲーム、そしてピンボールが数台設置されており、プレイ料金は全て100円。

正面入口を入ると、向かって左側にピンボールが並べて設置されており、その奥の左隅にカウンターが設置されていました。

1階中央付近は新作、人気作を中心にテーブル筐体が設置。

そして入口向かって右側に大型筐体ゲームが設置され、右手奥に2階へ昇る狭い階段がありました。

階段を昇って2階は1階よりも広くなっており、型落ちしたゲームを中心にこちらは1プレイ50円。2階にはアップライト筐体もジャレコポニー筐体を中心に設置されていました。

 

昔のゲームセンターは、特にテーブル筐体中心の時代は画面への照明映り込みを防ぐ意味からも店内は暗いのが一般的でしたが、星ヶ丘キャロットハウスは写真を見ればお分かり頂けるように外観はロッヂ風で、内装もそれに合わせたと思われる木目調となっており、非常に落ち着いた雰囲気を醸し出していました。第一印象から明らかにそれまでのゲームセンターとはかけ離れていました。

 

カウンター脇には、ベーシックマガジン仕様のハイスコア記入用ホワイトボードが設置。ゲーメストでハイスコアの集計を行っている事実は知っていましたが、実際に集計している店舗を訪れたのはここが初めてでした。そしてカウンターではナムコグッズの販売も行われており、ありとあらゆる光景がこれまでの自分が経験してきたゲームセンターの印象を覆すのに十分なものでした。

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当時星ヶ丘で購入したリターンオフイシタ―のポスターと、ナムコオリジナルグッズの証。ただしポスターは復刻版でした。流石に30年以上の年を経て痛みや汚れが目立っております...

これも当時の星ヶ丘で入手したイシタ―のパスワードリスト。

落書きがあるのはご愛敬。

私が初めて星ヶ丘に行った時の最新作がイシタ―だったので、販促ツールとして当たり前のように設置してあったのですが、こういったツールを入手できたこと自体が当時は貴重な経験でした。

実はナムコ系列の店舗とはそれまで全く無縁だったため、イシタ―はおろかドルアーガの塔を見たのもここ星ヶ丘が初めてだったりします。

 

そして、私が初めて来店した日には、丁度ゲーム大会が行われており、対象のゲームの前にその結果が張り出されておりました。

現在でこそ対戦ゲームを中心にごく当たり前のように実施されているゲーム大会ですが、スト2の大ヒットによる対戦ブームが起こる5年も前のこと。その時どのようなことが行われていたのか…

 

その3へ続きます。

ゲームセンター回顧録 星ヶ丘キャロットハウス その1

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(店舗外観画像は、ゲームハウス グラインドクラッシャー様より拝借致しました。)

名古屋市営地下鉄東山線星ヶ丘駅徒歩1分。

駅を出ると市バスのバスターミナルがあり、その裏手にありました。

建物は閉店後、写真のように不動産屋が入居していましたが、現在は取り壊されている模様です。


押しも押されぬ名古屋ハイスコア店舗界の雄。

80年代から著名なスコアラーの方を多数輩出しておりました。

私は常連でも何でもなく、実際にここへ足を運んだのは恐らく10回にも満たないのですが、この店舗の存在が自身に与えた影響があまりにも大きいため、回顧録として最初に取り上げることにしました。

 

小学校6年から大学入学まで、愛知県豊田市に住んでおりましたが、中学2年の時に同級生からゲーメストの存在を教えてもらうことでゲームへの取り組み方が大きく変化しました。

その同級生は名古屋市は地下鉄東山線一社が最寄駅で、隣の駅である星ヶ丘に存在したナムコ直営店「星ヶ丘キャロットハウス」の存在も教えてもらうこととなります。

その店舗の特徴を聞いて最初に驚いたことが、「ゲームにヘッドホン端子が付いている」という情報。

丁度PSGからFM音源にゲームの音楽が進化し、ゲームミュージックのCDが店舗に並び始めた頃で、後にヘッドホン端子を標準装備したナムコの「コンソレット」や、セガの「エアロテーブル」といった筐体が世に現れる前から、店舗独自に改造を施すことでゲームミュージックを聴きながらゲームに没頭できる環境を用意していました。

 

昔からゲームミュージック好きの私はヘッドホン端子の話を聞きつけ、自宅から電車とバスを乗り継いで約1時間、片道600円以上の交通費を掛けて星ヶ丘を訪れることとなります。

そこで私が目にした光景は、テーブル筐体はおろか一部大型筐体にまで取り付けてあるボリューム付きのヘッドホン端子付き筐体で、追ってオスーオスのステレオピンジャックと録音機能付きウォークマンを持参してプレイ中の音声を録音するというグレーな行為を行うこととなるのですが、それ以上に当時の私には衝撃的な光景の数々を店舗で目撃することとなるのでありました。

 

その2へ続きます。

ゲームセンター回顧録 過去の栄光を求めて 序章

ゲーム業界もかれこれ40年以上の歴史を持つようになり、最近は業界の歴史や推移、回顧録をコンテンツとしてアーカイブする動きが増えつつあるように思います。

例えば、特にアーケード業界の黎明期から発展期を中心とした記事でアプローチしているゲーム文化保存研究所や…

HOME - ゲーム文化保存研究所(IGCC)

メーカーも自社タイトルの歴史や逸話をコンテンツとして公開する動きが出て来ました。

アソビモット | バンダイナムコエンターテインメント公式サイト

セガ・アーケードゲームヒストリー | 株式会社セガ・インタラクティブ

 

ただ、そこで語られる内容はもっぱらゲームそのもの、開発者、キャラクターや演出、そしてプレイヤーであり、ゲームセンターという空間にスポットを当てた記事は、一部の有名店に関するものを除いて殆ど存在しないのではないでしょうか。

また、昔あれほど入り浸っていたゲームセンターも着々と姿を消し、今のように簡単に画像を残せない時代でわざわざ普段のゲームセンターの光景を記録した話題や画像は皆無に等しい中、せめて自身が見聞きした範囲でゲーセンにまつわる話を残しておきたいものです。

 

ただ、ゲーセンにまつわる話も時期や場所によって内容の捉え方に違いが生ずる可能性があるため、最初に、私のゲーム遍歴を記しておこうかと思います。

 

1972年埼玉県大宮市(現在のさいたま市大宮区)産まれ

物心付いた時には既にゲームをやっていたため、初めてプレイしたゲームは不明。おそらく家族旅行で泊まった宿泊施設のゲームコーナーあたりが最初と思われる。記憶として確実に残っているゲームで最も古いのはギャラクシアン。小学校時代は近所の駄菓子屋や、大宮駅付近のまだ子供でも近寄れる範囲のゲーセンで遊ぶ。

 

1983年に、親の転勤で愛知県豊田市へ引っ越し。

中学校から電車通学を開始するが、ゲームを一緒に遊ぶ友人からゲーメストやメーカー直営店の存在を教えられ、ゲームへの接し方と行動範囲が一気に変化する。

名古屋市のゲーセンにも足を運ぶようになり、1年浪人した1990年はイエローハットを中心とした名古屋駅界隈のゲーセンがホームグラウンドとなる。

 

1991年、なんとか大学に合格し埼玉へ戻る。

当初は通学途中の池袋プレイランドラスベガスをホームゲーセンにしていたが、神田でバイトを始めたことでジョイランドタロー→ハイテクノーベル神保町とホームが推移。

1992年にはオープンしたハイテクランドセガシントク(現セガ秋葉原1号館)のオープニングスタッフとして半年ほど働いた経緯あり。その後ノーベルのスタッフとなり、大学卒業まで勤め上げる。

 

1995年に大学卒業。新卒で入社した会社からは当然のように名古屋勤務を命ぜられ、再び愛知県へ戻ることとなる。

当初はイエローハット中心で出入りしていたが、程なくオレンジペコをホームとして活動するように。ただこの頃からゲームよりもパチンコや呑みの方がウエイトが高くなってくる。

 

1997年9月、名古屋で募集していたセガの地域社員に唐突に応募し、セガに転職する。

ここから約8年は、バイトではなく社員として店舗運営に関わることとなる。ちなみに新卒の時はナムコの会社案内取り寄せた程度でゲーム業界には全く就職する意思は無かった。

勤務履歴は、愛知県豊橋市(1年)→三重県四日市市(4年半)→長野県上田市(2年半)

毎日仕事としてゲーセンに出入りはするが、スコア活動に直接関与することはほとんど無くなってしまった。

 

2005年9月、セガを退職し、埼玉へと再び戻る。

丁度その頃はアーケードのオンライン麻雀に嵌っている時期で、ゲーセンに行ってもレバーとボタンを触らない日々が続いていた。

ingressを熱心にやっていた時期も有ったが、5年位前から空いた時間でゲーセンに再び足を運び、昔クリアまでプレイできなかったタイトルを中心にレバーとボタンに触れる日々を送っている。

 

プレイヤーだったり、アルバイトだったり、運営サイドだったり。

ゲームの時流には背を向けつつ、時には流行りものを追いかけ、稀にスマホゲームに手を出したりしたものの、一貫して業務用ゲーム及びゲームセンターと過ごした40年余の備忘録をこれから書き留めます。

私のアーケードゲーム履歴書 フリップメイズ

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MOSS/タイトー 1999年発売

 

タイトーのシステム基板「G-NET」と言って思い付くタイトルは、レイクライシスサイヴァリアシリーズとか初代式神の城といったシューティング系になるのでしょうか。

一方で、スーパーパズルボブルやお手並み拝見といったパズル系ゲームも比較的多数リリースされましたが、その中でも群を抜いてマイナーなタイトルがこちら。

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ゲームシステムはぷよぷよに近似しています。

同じ絵柄の表マークを3枚以上並べるとカードが消えて、消えたカードに隣接したカードが裏面の場合は表面に反転します。反転した際に再び表が3枚以上並べば連鎖となり、連鎖数に比例してスコアがアップします。

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フィールドは縦×7マス、横×6マスのため、上の画像の様なカード配置にして14連鎖以上を狙うのが稼ぎプレイの基本となります。

更に点効率を上げるためには、カードをピックアップした際に下に隠れているカードの図柄を確認可能なため、隠れているカードも含めて連鎖を仕込む必要がありますが、そこまで突っ込んでプレイするまでは至らなかったですねえ。

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画面上に透明なブロックが有りますが、時間の経過でブロックが画面上方から押し出されてきます。このブロックに動きを阻まれてフィールド最下段から押し出されるとゲームオーバー。

ブロックは、ブロック下のカードを消すことで同時に破壊されます。また、ブロックの上下左右に空間があれば空いている方向にブロックを押してずらすことが可能です。(フィールドの外には押し出せません。)レベルが上がってくるとブロックが横一列になって出現したりするため、常に連鎖を早く仕込んでブロックを消してゆくことが求められます。

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ゲームモードは3つありますが、自分がプレイしたのはとことんフリップのみでレベル99までのスコアを争うモード。

ハイスコアですが、当時このゲームの設置を確認出来たのが名古屋付近ではトンガ王国だけで、集計店ではなかったためスコアが出たら個人申請するつもりでしたが、締切日最後に繋がったプレイはクリア寸前でゲームオーバー。

結局申請はしないままだったのですが、後日初回集計スコアを確認したところ、全国トップのスコアよりも自分の未クリアのスコアの方が高かった事実が判明...クリアが優先されるため負けは負けなのですが、勿体ないことをしたものだと思います。

 

以上、フリップメイズは終了。

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(旧トンガ王国の現在:2019年2月)

この後もゲーセンに出入りすることは多々ありましたが、スコアラーとしてプレイしたゲームは実質このタイトルが最後となりました。

今では退役スコアラーとして、往年のプレイヤーの方々と昔話を楽しませて頂いたり、中途半端で終了したゲームを少し齧ったりするアーケードゲームライフです。

 

そしてここ数年、ただでさえ景気の良い話は皆無に等しいアーケードゲーム業界において、特に旧来のビデオゲームを楽しめる環境は危機的状況になりつつあります。

 

時代の流れと言えばそれまでですが、長く業界と付き合ってきた人間の一人として、これからはこの場でアーカイブ的にアーケードゲーム関係の色々な話題を残すことで少しでも流れに抗って行こうかと思っています。元スコアラーだけに記録として。

私のアーケードゲーム履歴書 ティンクルスタースプライツ その3

その2より)

肝心のスコアアタックの結果ですが、二回目集計で私331万に対し、339万で負けたんです。まあ負けるのは良くあることなのですが、よりによって、

「ハイテクノーベル神保町に負けた」

という笑うに笑えない状況。

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ゲーメスト 1997年4月30日号より)

ノーベルのプレイヤーはネームからは分かりませんが、あのMr.まさし君です。あなたこのゲームやってたんかい!

相手が悪かったとしか言いようがないんですが、締め切り日閉店間際でぎりぎり繋がったスコアだったので今まで負けた中では最も悔しかったですね。

ちなみに住所の、「木入中」という表記は「杁中」を無理矢理表したのか、ゲーメストお馴染みの誤植かは不明。(最寄り駅は「いりなか」で平仮名)

また、バトルガレッガミヤモトのスコアはまだ若き頃のホームステイアキラ君なのは内緒です。

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そういえばこのゲーム、最初はスコア狙いでプレイしていましたが、対戦が面白いという流れになり、オレンジペコでもいつしかシングル筐体からバーサス筐体に移設されスコア狙いの合間に常連間で対戦もやっておりました。

 

そのうち、名古屋は大須に存在した「ゲーマーズパシュト」という店舗で対戦大会やるのでヘルプ求む、という話がオレンジペコに舞い込みます。

お付き合いしますか、と出場したら準決勝敗退。

でもそれをきっかけに一時は結構対戦にハマって遠征もしたりしておりました。

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恐らく参加賞でもらったと思われるテレカ。

対戦格闘を一切プレイしない私が生涯で対戦にハマった3タイトルのうちの一つです。

(後の2タイトルはテーカンワールドカップガンバスター

 

余談ですが、このゲームのキャラであるメヴィウスのスペルがMEVIUSではなくMEVIOUS。

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そしてステージクリア時に出るこの台詞。

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あからさまにゼビウスのパロディなんですが、ナムコから怒られなかったんでしょうかw

 

以上、ティンクルスタースプライツは終了。

次回はフリップメイズ(MOSS/タイトー 1999)を予定しています。

私のアーケードゲーム履歴書 ティンクルスタースプライツ その2

その1より)

スコアアタックについて必要な要素については、以下に大別されます。

①パーフェクトボーナス

通常時はひたすらにパーフェクトボーナスを重ねます。

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フィールドに現れる雑魚敵は、必ず編隊を組んで登場します。

編隊中の雑魚どれか一匹のみを倒し、連爆で編隊を全滅させた場合に、パーフェクトボーナスが加算されます。

パーフェクトを取り続けると8連続でボーナスが最大の2万点まで伸びますが、バグで9連続目からは不規則な点数しか入らなくなるので、一度パーフェクトを切る必要が出てきます。

②連爆数

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1回の連爆で巻き込んだ雑魚敵(攻撃ザコも含まれる)の総数により、連爆が切れた時点でボーナスが加算されます。

加算されるスコアは、50×連爆数×(連爆数+1)。

連爆数は画面上は32連まで表示し、それ以上はMAXとしか表示されませんが、内部ではそれ以上もカウントしています。

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パーフェクトを重ねて素点を上げると共にフィールド上の攻撃ザコ総数を増やし、オーブが出現した際に大連爆を起こしてステージクリアするのが稼ぎスタイル。

また、残機ボーナスが1機10万点ですが、ラス面のメモリー女王はそれ以上余裕で稼げるため、残機潰しを行う必要があります。

 

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このゲームの稼ぎプレイでともかく厄介なのは、

「相手キャラを倒す(倒れる)タイミングが自分では調整出来ない」

この1点に尽きます。

全然稼げていない状態で相手がやたら淡白に攻撃の直撃を喰ったり、通常雑魚に体当たりして無為に体力ゲージを減らしたりしている光景が起こるとイライラが募ってきます。また特に残機潰し中にあっさり倒れてしまうとそれまでの努力が水の泡。

どれだけ生き残ってくれるかは運の要素が大きいですが、攻撃ザコやエキストラ・ボスアタック直撃で一発死亡のリスクを回避するため、相手の体力が3以下になったら敢えてこちらも攻撃を喰らったり雑魚に体当たりをして体力を送り、相手の体力ゲージを3.5以上にしておくテクニックが有効となります。

 

その3へ続きます。

私のアーケードゲーム履歴書 ティンクルスタースプライツ その1

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ADK/SNK 1996年発売

 

名古屋に赴任した後は、学生時代の古巣であるイエローハットで旧知の店員氏と呑みながら細々とゲームをやってましたが、近隣で今でも「ゲームボックスQ3」として現存する「トンガ王国」という店舗があり、昔から「イエローに入荷しないゲームをトンガでプレイする」という不文律が存在しました。

 

丁度、このゲームがトンガにのみ入荷しておりスコアを狙いたくなったのですが、生憎連射装置が付いていない。

そこで、昭和区いりなかの「オレンジペコ」に連射装置付きで設置されているという話を聞きつけ、会社への通勤ルートからは外れてしまうもののそちらへ通ってプレイするようになります。

1プレイ100円が基本だった名古屋駅界隈の店舗に対して、学生街のいりなかは1プレイ50円。交通費を払っても財布に優しいことや、何故か元々のオレンジペコ住人にも私が名古屋でプレイしているという話が伝わっていたらしく、程なく住人に加えて頂いた私は以後こちらに入り浸るようになるのでありました。

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ゲームとしては対戦シューティングという前例のないジャンルの意欲作でしたが、楽しめる良作として評価が上がってきたのはずっと後のこと。

当時はネオジオといえば対戦格闘ゲームという時代で、マザーボードをこのゲームのために費やしてくれる店舗は少なく、また今のような萌えキャラ文化が一般的ではなかったため見た目で敬遠されていたこともあり、正直流通は良くなかったんじゃないでしょうか。勿体ないゲームだったのではないかと思います。

 

 次回はスコアアタックについて掲載します。

その2へ続きます。

私のアーケードゲーム履歴書 ナムコクラシックコレクションVol.2

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ナムコ 1996年発売

 

1995、96年に掛けて発売されたナムコ旧作のリメイクシリーズ。

Vol.1がギャラガゼビウスマッピーに対して、Vol.2はラリーX、ディグダグパックマンというラインアップ。私がプレイしたのはディグダグアレンジのみです。

Vol.1の特にゼビウスアレンジが、「スコアを繋げるには一生掛かる」とまで言われ未だに一部で根強い人気がありますが、Vol.2は至って地味であまり人気も出なかったようで、こちらでシリーズ打ち止めとなってます。

1995年に就職直後、名古屋へ赴任となったためノーベルを離れ、古巣だったイエローハットに出入りしていたのですが、その時に一人でコツコツとプレイしておりました。

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ゲーム内容はディグダグですので説明不要ですが、アレンジとして異なる点は、

・アイテム取得で自機がパワーアップする。

・敵の種類が増えている。

・ステージを構成するギミックが増加。

・ボス面がある。

ナムコクラシックコレクション - Wikipedia

ぶっちゃけ上記wiki見て頂いた方が早いですハイ…

 

稼ぎも特に決定的なネタがあるわけではなく、

・ベジタブルターゲットは点数が高いので、きちんと回収する

(最大20,000点まで伸びるので敵よりも点数が高い)

・岩、コズモボール等でまとめて倒せるパターンを作る

(大岩やコズモボールはただの岩より倒した時の点数が低い)

死ぬと錠前を取っていない限りパワーダウンしますが、とりわけ足がデフォルトだと非常に苦戦する(特に後半面)ため、結果的にノーミスが求められます。

また、クリア時に残機ボーナスに加え、落下物を落とした総数で加算されるロックボーナスがあるため、ベジタブルターゲット取得の目的と合わせなるべく落下物を多数落としておく必要があります。

 

現在のトップスコアが260万点なのですが、私がプレイしていた時はまだ100万点台だったと記憶しているので、恐らく相当に煮詰まっているスコアでしょうね。

 

以上、ナムコクラシックコレクションVol.2は終了。

次回はティンクルスタースプライツADK、1996)を予定しています。