小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1993年1月号/トピック店舗:水戸サントピアナムコランド(茨城県)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1993年1月号)

マイコンベーシックマガジン1993年1月号(第12巻第1号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は91で先月比+3となり90を回復しています。

新規掲載店が1軒あります。

 

・その他

TVスポットポテト(大阪府

マイコンベーシックマガジン 1993年1月号より)

 

大阪府のハイスコア掲載店は豊中、吹田、茨木、高槻等圧倒的に阪急沿線が多く、特に近鉄や南海の沿線である河内や和泉方面の店舗は少なかったのですが、貴重な近鉄沿線の掲載店となっています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1993年1月】

マイコンベーシックマガジン 1993年1月号より)

 

1991年3月号から掲載されていた、「ゲームセンターIC砧店&千歳船橋店」ですが、1992年6月号から「ICチェーン4店集計」へと変わった後に、1992年9月号からはコーナー巻末に広告が掲載されていました。

 

今号でも掲載されていますが確認した段階では今回が広告は最後となっています。

気になるのは、コーナー巻末は掲載店数が少ない時に自社広告などで穴埋めとして使用されていたのですが、他社広告であれば広告料が発生しているはずなので、巻末に広告を掲載できる大きさの空欄が発生しなかった場合はどのように処理されたのか、ということ。「今号は欄がないため広告料は返金します」という感じで済まされたのでしょうか…

 

トピック店舗:水戸サントピアナムコランド

 

トピックは茨城県ナムコ直営店舗から3軒目となる「水戸サントピアナムコランド」をピックアップします。

マイコンベーシックマガジン 1986年4月号より)

2024年11月23日撮影

 

つくば→日立と続いた茨城県ナムコ系ハイスコア掲載店ですが、ようやく県庁所在地である水戸市の店舗紹介となります。

 

JR水戸駅から水戸市中心街に向かう銀杏坂(国道50号)を丁度登り切った場所にある水戸中央郵便局のほぼはす向かいの場所に、写真の現在は駐車場となっている敷地があります。

 

かつてその場所には「サントピア」というファッションビルが建っており、その7階にナムコランドが存在していました。

ゼンリン住宅地図 水戸市東部1988年より)

 

1988年の住宅地図です。

テナント一覧もありましたが、ほとんどがファッションテナントのようで7階のナムコランドだけが妙に浮いています。

 

ファッションビルにゲームセンターが出店するという構図は、プライズ機やプリクラが主流の現在では特に珍しいことではありませんが、ビデオゲームが主体の80年台では一般的ではありませんでした。

 

ただ昔から百貨店やショッピングセンター内のテナントが多かったナムコは、若者が集まる施設との位置付けでショッピングセンター同様にファッションビル内店舗を展開した経緯があります。ここ以外でも青森県弘前市の「ハイローザ」や、新潟市の「カミーノ古町」が同様なコンセプトのお店として、またハイスコア集計店として誌面に掲載されるにまで至っています。

 

サントピアのオープンは1978年(昭和53年)なのですが、ファッション専門ビルとしては渋谷パルコに次いで全国2例目と言われています。(諸説あるようです)

 

しかしオープン前からテナント集めは難航、オープン後も最初は売上が上がらず、テナントの撤退が相次いでいたようです。

下記のnoteに、サントピア開業前~開業直後の頃の逸話が掲載されています。

note.com

この中にゲームセンターやナムコといった言葉は出現していません。また1984年のナムコ会社案内にある「直営店一覧」には水戸サントピアの文字はないため、恐らくは1984年以降にテナントとしてナムコが入居したのではないかと思われます。

 

そして誌面への登場はベーマガ1986年4月号から開始されますが、都市型店舗である「キャロット」ブランドではなく、インストア店舗である「ナムコランド」ブランドがハイスコア掲載店となったのは、同時に掲載がスタートした北海道の「西野ナムコランド」を合わせて初めての事例となっています。

 

同時に水戸市初めてのハイスコア掲載店となりますがその期間は短く、1987年3月号が最後となるため1年にて掲載店としては幕を閉じています。こちらの掲載中止以後、同じ北関東の高崎や宇都宮と比較して水戸は掲載店とは無縁の場所となってしまい、以後の歴史でもゲーメスト2部掲載店を1軒確認するのみとなってしまいました。

 

また、1988年(昭和63年)3月発行の「オールアバウトナムコⅡ」の巻末に掲載されていた「ナムコ直営ゲームセンター一覧」にも水戸サントピアの文字はありません。そのため1984~88年の間のごく短期間の営業に留まった可能性が高いです。

 

若者向きとはいえ女性向けファッションテナントが主体でビデオゲームの主要顧客である男子学生と施設の相性が悪く、かつ7階というビル上層だったこともあってか、営業的には残念ながら成功とは言えない店舗だったようです。そのため、水戸市の歴史としてサントピアが取り上げられているブログ等も見てもサントピア内にゲームセンターが存在したということは全く触れられておらず、ベーマガのハイスコア欄にのみ僅かにその存在を確認出来るだけに留まっています。

 

最後に、サントピアは2007年まで営業が続けられた後に2016年に建物が解体され更地となっているのですが、その解体の様子を記録した映像作品がかつて公開されていました。下記リンクからその一部を見ることが可能となっています。

theatre.washingtown.jp

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年12月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年12月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1993年2月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1993年1月号