小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年4月号/トピック店舗:プレイシャトー(神奈川県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1988年4月号)

ゲーメスト1988年4月号(第3巻第4号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は96となり前月比-9と大きく減少、新規掲載店も無く7か月振りに100を下回ります。この号の掲載が抜けている店舗が比較的多いためですが、履歴を辿ると毎月律儀に掲載が続いている店舗が突然掲載を止める場合は多くなく、歯抜けになりつつそのまま掲載が止まることの方が圧倒的に多いと思われます。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1988年4月】

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ゲーメスト 1988年4月号より)

 

上記最終頁に新店オープンの紹介記事が記載されている山梨県甲府市のニュースターグループ。

これまで一度もスコアの掲載を欠かしたことは無く、今回の新店オープンで店舗欄も5店での合同集計となっています。

そしてゲーメスト創刊直後においては主要広告主として誌面を支える存在であったと言えます。

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ゲーメスト 1987年10月号より)

 

この広告内に記載されている「甲府市城東2-10-22」という住所はグループ本社の所在地であり、実際の店舗住所ではないようです。(マップ上でも本社位置をプロットしています。)

広告内に「ニュースター、ゲームプラザ、上高地、京王」の4店の名称が記載されていますが、いずれもこれまでの誌面に各店舗住所が記載されたことは無く、今回掲載の新店である「ゲームセンター・スターライト」以外の所在地が不明となっています。

もし各店舗の住所についてご存知の方がいらっしゃいましたら情報をお寄せいただきたくお願い申し上げます。

 

トピック店舗:プレイシャトー

続いてトピック店舗です。

 

一時は横浜市の代表的スコア掲載店として名を馳せた「プレイシャトー」をピックアップします。

 

ゲーメスト 1986年9月号より)

2022年2月12日撮影

 

横浜市随一の繁華街である伊勢佐木町通りに面したハイスコア掲載店は、ベーマガには「プレイシティキャロット伊勢佐木町店」「ビデオインイセザキ」の2店が登場していますが、ゲーメストでは上記2店のスコアは掲載されずこちらの「プレイシャトー」が唯一となりました。ベーマガでは1986年4月号から掲載が開始されていましたが、ゲーメストでは少々遅れて第2号である1986年9月号から掲載がスタートしました。

マイコンベーシックマガジン 1986年4月号より)

 

1985年の住宅地図では「泰光ビル」の2階に店舗名を確認出来ます。

ゼンリン住宅地図 横浜市中区1985年より)

 

現在の写真のビルには表記や銘板を確認出来なかったのですが、建て替えはされておらず泰光ビルのままであることを不動産情報から確認しています。撮影時は2階に上る階段は封鎖されており、また1階はテナントが撤退した状態で、入口や看板の形状から直近ではカラオケ店だったと判断しています。

 

この場所は関内駅方面から伊勢佐木町モールを10分程度進む必要があり、到達する前に上記2店の集計店や他のゲームセンターの前を通過することとなります。奥まった場所且つビルの2階という立地は必ずしも有利ではなかったと思われますが、その分プレイ代金を50円メインにしたり、ハイスコア集計やゲームグッズの販売を行うなどゲームファン層の集客に積極的だったことがゲーメストの横浜シールハイクの記事から確認出来ます。

ゲーメスト 1987年1月号より)

 

またゲーメストベーマガのハイスコアコーナー担当者、スコアラーを交えた「ハイスコア座談会」の会場となっていました。ゲーメストベーマガ共にその際の様子や討論の内容が記載されています。

ゲーメスト 1987年8月号より)

 

マイコンベーシックマガジン 1987年7月号より)

ベーマガの記事内に記されていますが、討論会の提案者が店舗の社長であったということに当時のお店の方向性が現れています。

 

ベーマガにてハイスコア集計が開始され、追ってゲーメストも創刊され軌道に乗りつつあった当時、どちらにもスコアを掲載していた店舗として主要顧客であったゲームファンやスコアラーに配慮しつつも、長時間プレイや永久パターンの使用といった店舗の売上に直結する問題とも向き合う必要があるため、スコアを管理するベーマガゲーメストの担当者から方針を明示してほしいという意思表示だったのではないでしょうか。もしハイスコアが「なんでもあり」というスタンスであれば店舗としてスコア集計を続ける価値はない、と思われていたのかもしれません。

 

実際にはハイスコア集計という競技性を担保するため、「設定は工場出荷時とする」「永久パターン発覚の場合は集計打ち切り」と言った現在まで続く普遍的なルールが確立していくことになります。

 

しかし「月1回実施予定」との記述がある座談会がこの後行われたという形跡はありませんでした。騒がしいゲームセンター店内で討論会を行うということに無理があったのかもしれせんが、「あまり活発な意見が出なかった」とあるように殆どが10代のプレイヤーにとってはまだテーマが重かったのかもしれません。皆若かったということですね…。

 

こうした店舗の活動や運営方針もあって、プレイシャトーは80年台後半の横浜の代表的ハイスコア集計店として全国トップスコアも度々輩出される店舗となります。1987年12月号の時点でゲーメストの全国トップ☆数は9個を数えています。(最終は23個)

 

1987年末には隣の川崎市に姉妹店がオープンしているようです。しかしこちらは掲載店とはなりませんでした。

マイコンベーシックマガジン 1988年3月号より)

 

ただこの頃からゲームファンに対するアピールは徐々にトーンダウンしていたようです。

 

ゲーメスト1987年3月号以外でベーマガも含めて店舗欄を欠いたことがなかったのですが、ベーマガは1990年2月号、ゲーメストは同3月号を最後に姿を消しました。ほぼ同時であることからスコアの集計掲載自体を中止したと考えられます。ハイスコア集計について熱弁を振るっていた社長が交替したのか運営方針が変わってしまったのかもしれませんが、こういう意欲的なお店はもっと大事にしなければならなかったのでは、と今更ながらに思うのです。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年3月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年4月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年5月号