小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1989年8月号/トピック店舗:コミュニティスペースNTK(北海道)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1989年8月号)

ゲーメスト1989年8月号(第4巻第8号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は103店と前月比+1でまだ3桁を維持。新規掲載店は先月に引き続いてセガ系列店が2店追加されています。

 

セガ

HIGH-TECH SEGA金沢(石川県)

 

ハイテクセガ長浜(滋賀県

ゲーメスト 1989年8月号より)

90年代前半のハイスコアシーンにおけるセガ系店舗では、先月から掲載開始となったハイテクセガ高崎と並んでハイテクセガ金沢もかなり印象に残っている店舗です。

 

金沢と高崎、元々ナムコのキャロットが地域スコアラー一番店として君臨していたのが、ナムコの閉店や運営方針転換を経てタイトーセガ、そしてメーカー系列店でない店舗へとスコアラーの活動の比重が移っていく経緯が非常に似通っている気がします。

 

そしてもう一つのハイテクセガ長浜。

当時のセガ系店舗としては珍しく「長浜楽市」という西友を核にしたショッピングセンター内の店舗だったのですが、掲載初月にして長浜市の店舗なのに大津市の住所が記載されているというゲーメストお馴染み誤植の洗礼を受けます。

 

この住所、同時に掲載されていた「アスター膳所店」の住所「滋賀県大津市馬場町1-13-9」をコピペしてしまったと想像されますが、「馬場町」ではなく「馬町」とコピペさえも誤植になっており、もはや雑誌以上に有名になってしまい独り歩きしているフレーズ「インド人を右に」には及ばないもののゲーメストの誤植の多さを物語るエピソードと言えそうです。

 

そして初回掲載で早速誤植を食らった影響からか、ハイテクセガ長浜店はこのあと2ヵ月間紙面に掲載されず、次の登場は1989年11月号。ここでやっと本来の住所である「滋賀県長浜市八幡東町9-1 長浜楽市内」が掲載されるのでありました。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1989年8月】

ゲーメスト 1989年8月号より)



「ビデオインセガ船橋店」のスコア担当者、通信欄で新潟へ行くことになったと記されていますが、新潟市の「ビデオインセガ万代」へと異動になられたようで今月の通信欄に記載があります。

 

トピック店舗:コミュニティスペースNTK

トピック店舗へ移ります。

恵庭市のNTKシリーズ2回目、「コミュニティスペースNTK」を取り上げます。

ゲーメスト 1987年7月号より)

2020年9月19日撮影

当時の地図から確認すると少々手狭だったと思われるゲームプラザNTK恵庭店ですが、1987年に同じ恵庭市内に「コミュニティスペースNTK」として移転拡張がされました。その距離は約300m程度、恵庭市役所の横を抜け当時の国道36号(現在は北海道道46号)に面した場所となります。

 

ゼンリン住宅地図 恵庭市1990年より)

移転後3年程度経過している1990年の住宅地図より。店舗に面している幹線道路はまだ国道36号となっています。市役所通線と交わる漁町京町の交差点を恵庭市役所方面へ直進すると旧NTKの店舗があります。店舗面積だけでなく立地も大きく改善したと言えそうです。

 

移転により住所、店名も変更の上、ゲーメストベーマガ共にハイスコア掲載は引き継がれました。

そして移転後の店名「コミュニティスペース」には、店長の「お店をコミュニケーションの場所としたい」という思いがが込められていたようです。

 

マイコンベーシックマガジン1987年10月号 見城こうじのゲームセンター放浪記より)

ゲーメスト1988年7月号より)

1980年台後半という時期は、ファミコンの登場も含めてゲーム全体が脚光を浴びつつあった反面、インベーダーブームの後に付いたゲームセンターに対する世間の厳しい評価が色濃く残っていた時期でもあり、熱意ある店舗側の方々はその悪評を覆すべく日々の運営にあたっていたのではないかと感じます。この「コミュニティスペース」という店舗名もその意志表示であったことが当時の文面から伝わってきます。

 

ゲーメスト誌も創刊直後の80年台後半はゲームの紹介や攻略にとどまらず、店舗のイメージ向上やボタン擦り問題、長時間プレイのようなプレイヤーマナーに関する提言も結構取り上げていました。だた90年代に入るとそういった記事はあまり見受けられなくなってしまったように思います。

 

またゲーメストの店舗紹介記事「札幌シールハイク」において札幌から若干距離は離れているもののこちらも取り上げられています。僅かですが店内の写真も掲載されています。

ゲーメスト 1988年5月号より)

 

上記1987年10月号のベーマガ記事内に、店長の「道内のプレイヤーの集会の場所としたい」との願いが記載されていますが、その体現として毎月末の日曜日に交流会を開催し、道内各地からプレイヤーが集まっていたようです。なかなか一筋縄とはいかなかったようですが…

 

そして移転拡張後からわずか3年後の1990年には恵庭市内に更に2号店がオープン、ゲーメスト1990年3月号からは掲載店名が「コミュニティスペースNTK2店合同」へと変化しました。次回は最後にオープンした2号店について取り上げることにします。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1989年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1989年8月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1989年9月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1989年9月号