小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ゲームセンター回顧録 セガの中の人の時代 セガワールドホリデイスクエア その1

時は1997年。

就職後名古屋へ配属された私は、その時求人広告紙に度々目を通していました。

 

良く新卒が会社を辞めるタイミングで「3日、3か月、3年」と言われますが、丁度3年目に突入していた当時の私には色々と魔が差していたのかもしれません。

 

その広告紙内に、セガの東海地域(愛知、岐阜、三重県)のエリア店舗社員の募集を見つけてしまった私は、それに応募して内定をもらい、アルバイトスタッフとして勤務してからおよそ4年振りにセガの店舗で今度は社員として働くこととなります。

 

当時名古屋市名東区にあったセガの事務所で数日の研修と店舗見学を経て、最初に配属されたのが豊橋市にあった「セガワールドホリデイスクエア」でした。

 

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2020年6月6日撮影(以下写真は全て同一日撮影)

このブログの「キャノン最前線&オレンジペコ その6」のエントリーで、「とある事情で北名古屋市から豊橋市に移った」と記しましたが、その理由は他でもなく、セガへ転職して豊橋市の店舗に配属されたためです。

 

写真の後方に高層建築物が見えていますが、これが当時は「ホリデイ・イン豊橋」というホテルで、その後「ホテル日航豊橋」→「ロワジールホテル豊橋」と経営母体と名称が変更されつつ現在も営業が続いています。基本はこのホテルを核とした商業施設なのですが、名前の元となったホリデイ・インが撤退後も施設名称は「ホリデイスクエア」のままとなっています。

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現在の施設入口サインポールと施設案内図。
写真に写っている情報に違和感を感じる方もいらっしゃると思いますが、その理由は追って説明します。

 

施設案内図で黄色にて表示されている、現在のアミューズメント棟は1999年に新築オープンしているのですが、新築前の同じ場所にセガワールドホリデイスクエアは存在していました。

 

その建物は元々スケートリンクとして使用されていたため、平屋の広いフロア(確か500坪程度)に異常に高い天井が特徴的でしたが、建物自体が1997年時点で相当老朽化が進んでいたため雨が降ると外壁部分から漏水、雪が降った際には漏水個所から店内に降雪が起こるというありさまで、店舗の気密性は最悪。また天井の高さも相まってフロアの空調の効きが極度に悪く、夏場はフロアの気温は普通に30℃を超え、冬場は20℃に届かないことからスタッフは特例として店内でもジャンパーを羽織ることが認められていました。正直客として長時間店内に滞在するのは厳しい店舗だったと思います。

 

営業的には商業施設内に立地している大型店ということもあり、当時のセガ東海地域管轄店舗においても売上は上位に属している基幹店でした。平日に比して圧倒的に売上が高い週末に訪れる一般客層がメインターゲットのため、プライズ機やメダルゲームが主流の「当時のセガワールドっぽい」機種構成でしたが、ゲーム好きな社員やスタッフが週末を中心に対戦モノやバーチャロンを中心としてゲーム大会を実施しており、ささやかですがゲームファンを呼び込もうという施策も行っていました。

まあ私は対戦モノを一切プレイしない人間だったので殆ど関与はしませんでしたがw

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また、敷地内に大型ホテルが立地していたため、夜間になると宿泊客の団体が店舗にやってくることが多々ありました。圧倒的に多かったのは外国人観光客で、インバウンドの概念が無かった20年前から外国人宿泊客の割合が大きかったのは、当時の「ホリデイ・イン」が収容力のある外資系ホテルであったこともそうですが、成田で入国した団体観光客が観光バスで京都等関西方面へ移動する際、豊橋という場所が東京と関西のほぼ中間に位置するため、中継地として選ばれやすかったことも起因していたようです。

 

当時の外国人団体で圧倒的に多かったのは中国系および中東系。

おおよそホテルカジノと勘違いして大騒ぎでメダルゲームをプレイし、最後に換金しようとカウンターへメダルを持ってくるものの換金出来ないため言い争いになるまでがセットで、換金不可の旨を説明するのが非常に面倒くさかった覚えがあります。日本だけですからねメダルゲームのシステムは。

 

こうして最初に配属されたセガワールドホリデイスクエアですが、大型店ということもあり事務専属のスタッフも在籍していたため伝票作成等の事務作業は専属スタッフが行い、アルバイトのシフト作成も別の社員の仕事だったため、営業時の金銭管理やスタッフ指導のような業務を除いては仕事内容はアルバイト時代とそれほど大きく変わったという印象はありませんでした。まだ入社したてだということもあり、他の社員の指導や監視が可能な店舗で仕事振りを確認しようという意図だったのだろうと思います。

 

その2へ続きます。

ゲームセンター回顧録 セガの中の人の時代 ハイテクランドセガシントク その2

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2020年9月3日撮影(以下写真は全て同一日時)

 

前回は店舗がオープンした頃の秋葉原事情の話が殆どでしたが、今回は実際の勤務や店舗内の話を中心に内容を進めていきます。

 

1992年11月新規オープンだったため、夏休みが明けた9~10月頃には採用面接を受けていました。建屋の5階事務所で数人単位で集団面接を行った記憶が残っています。

 

5階が事務所だったということから伺えますが、オープン時は地下1階~4階までが店舗として使用されていました。6階から上は立ち入った記憶はありません。当時のフロア構成は以下のようになっていました。

 

地下1階:ビデオゲーム

1階:プライズ機及び大型筐体

2階:大型筐体及びカーニバルゲーム(エレメカ系)

3,4階:メダルゲーム 

 

特に秋葉原という立地を考慮してフロア構成や設置機械が他のセガ店舗から大きく変更されるということはなく、当時の標準的な機種構成だったのではないかと思います。まだ秋葉原という市場が未知数だったということでしょう。

 

しかし前述したように、特に週末になると地下1階のビデオゲームコーナーには客があふれている一方で、2階のカーニバルゲームや3階、4階のメダルコーナーには人影が少ない状況が多く、秋葉原という市場で売上が期待できる機種の傾向がはっきりしてくるにつれ順次フロア構成も変化していったように思います。

 

とは言え私がスタッフとして働いていた期間には大きなフロア構成の変化に当たることはありませんでした。

日頃から別のゲームセンターへ通い詰めていた私はおおよその仕事の内容を把握していたため、他のスタッフの殆どが未経験の中で卒なく仕事をこなしていましたが、ハイテクノーベル神保町のアルバイト退職の影響でそちらからお声が掛かり、バイト先をノーベルへ移すことになります。そのためシントクでの勤務歴は半年程度で終了しました。

 

そしてこの記事をまとめるにあたり、先日20云年振りにセガ1号館に入店したのですが、当時は事務所だった5階を含め7階までがフロアになっており驚いたものです。「秋葉原史記事」のブログによれば2018年に大規模改装が実施されているようなので、その際にフロア化されたのでしょうか。

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現在のフロア構成は写真のようになっており、当然ながら私が働いていた頃と比較すると全く異なるものとなっています。

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(現在の2階フロア。オープン時はカーニバルゲームと一部大型筐体があったフロアです。)

オープン時のフロアだった1~4階までが全てプライズ機になっており、昨今のゲームセンターが何で売上を立てているのかはっきりとわかるフロア構成であり、30年という時間の流れを感じざるを得ません。

 

店舗がオープンした1992年当時は、最初のUFOキャッチャーブームが始まった頃とは言え、まだゲームセンターにおけるビデオゲームの売上比率が大きかった時代です。

しかしながら80年台には比較的ゲームファンに寛容であったセガナムコの直営店は、90年台に入ると一般層にアピールする方針から、急速にゲームファンを店舗から排除する方向へ舵を切ります。店舗のことを「ゲームセンター」と呼ばれることを忌諱し、内部では盛んに「アミューズメントセンター」と呼ぶように指導されていました。

 

余談ですが、結局「ゲームセンター」を「アミューズメントセンター」と呼ぶことは定着せず、ゲームセンターという言葉自体に以前のネガティブ感が薄れた現在はメーカーも普通に「ゲームセンター」という呼称の使用に戻り、「アミューズメントセンター」はむしろパチンコ業界が使用する呼称になっています。

 

そんな時代背景もあり、例え秋葉原と言えども市場は未知数であること、またオープン時のフロア構成を見てもわかるように特にゲームファンの集客は志向されませんでした。

ゲームファンやスコアラーを集客するためにコミュニケーションノートを設置したり、連射装置を取り付けるようなサービスは、フロアも大きくスタッフ数も多いため管理が出来ないことを含めてむしろご法度で、私も仕事は仕事と割り切って勤務していました。そのため仕事のオフ時やプライベートでは一切店舗には近寄らず、ハイテクノーベル神保町をホームとする日常には一切変化はありませんでした。仕事と遊びは別ということですね。

 

今回20数年振りに店舗の中へ足を踏み入れた状況からもお分かりいただけるように、スタッフを辞めた後もほぼ近寄らなかったシントクですが、退職後最初のうちは仲の良かった残留スタッフから店舗動向情報を入手する機会はありました。

その最たるものは、「秋葉原史記事」ブログ内にも記載されていますが、オープン翌年の1993年に起きた共同経営先のシントク電気倒産。建屋はサトームセンが購入しましたが、立地が良かったことと当時ですら建物の老朽化が目立っていたため、ゲームセンターは閉店して同じ場所に新たな家電量販店を建設する計画が浮上しているという情報を耳にします。

 

しかしながらゲームセンターとしての売上があまりにも良好だったこともありなかなか実現には踏み切れなかったようで、営業が続けられるといつに間にか建て替えの計画は霧散し、「ハイテクランドセガ秋葉原」「セガ秋葉原1号館」と名称を変えつつ30年近く経過した現在でも引き続き営業が続いているのは皆様ご存じの通りです。

 

この店舗の成功により、秋葉原はゲームセンターが商売として成立する場所という認識が広がったことで、現在セガが最大5店、またタイトーやレジャーランド、アドアーズ等がこぞってゲームセンターを出店する礎になったことは疑いのない事実でしょう。秋葉原の風景を変えることになったきっかけとなる店舗だったと思います。

 

そして私のアルバイトスタッフとしてのセガ勤務歴は半年程度で終了したのですが、その後4年後には再度、今度は社員としてセガに戻ってくることとなるのでありました。

ゲームセンター回顧録 セガの中の人の時代 ハイテクランドセガシントク その1

ブログの冒頭説明書きにも記載しておりますが、私にはゲームセンターの中の人だった時期があります。1997年から2005年までのおおよそ8年間の間、セガ社員としてゲームセンター店舗運営職に従事いたしておりました。

 

ここから暫くは、そのセガ勤め時代の話にお付き合い頂ければと存じます。

 

東京の大学を卒業し、就職で名古屋に戻ったのが1995年、最初の会社を3年弱にて退職しセガに移ったのが1997年なのですが、実はその前に布石があります。

 

時は1992年。

当時大学2年生の私は神田淡路町付近でゲームセンターではないアルバイトを行っており、バイト先近くの「ハイテクノーベル神保町」をホームゲーセンとし、バイトの帰りは最寄の秋葉原駅から電車に乗って帰る生活を送っていました。

 

そのバイト帰りに偶々見つけたのか、ハイテクノーベル神保町の常連経由から情報を得たのか経緯ははっきりとは覚えていませんが、秋葉原に新規オープンするゲームセンタースタッフ募集に応募することになります。その店舗が現在も営業を続けている「秋葉原セガ1号館」、当時の「ハイテクランドセガシントク」でした。

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 2020年9月3日撮影

blog.livedoor.jp

上記「秋葉原史記事」ブログ内に秋葉原セガ店舗の歴史が刻まれており、「ハイテクランドセガシントク」はもともとこの建屋のオーナーで、この場所で家電量販店を営んでいた「シントク電気」とセガがゲームセンターの共同経営を開始したことがルーツとなっています。

 

当時のセガ店舗は、「ハイテクセガ〇〇」という名称と、「ハイテクランドセガ〇〇」という名称が混在していましたが、「ハイテクセガ」はセガが建物と賃貸契約を結んで営業する純然たるセガ直営店舗で、〇〇は場所を表していることが多い一方、「ハイテクランドセガ」の場合は店舗オーナーが別に存在するセガとの共同経営店舗で、〇〇は店舗オーナーに関する文言が入る場合が多かったように記憶しています。そのルールにのっとり、店舗名称に「シントク」の名前が入っていたものと思われます。

 

オープンした1992年当時は、まだ秋葉原が純然たる「電気街」だった時期ですが、石丸電気サトームセンを代表とした大型家電量販店がまだ幅を利かせていた中、シントク電気は家電量販店としてはマイナーな存在で、この頃から徐々に増加してくるサブカルチャー路線の店舗増加と歩調を合わせるかの如く、セガと組んでゲームセンター運営への業態変化へ舵を切ったという状況が想像されます。

 

しかし当時は家電量販店だけでなく、秋葉原に多数存在していた電気、電子関係の商店や、増加傾向にあったPC、ソフトショップ等も18時を過ぎると次々と営業を終了し、20時を過ぎる頃には営業している店舗はほぼ皆無。まるでゴーストタウンのような光景が広がっていました。

 

そんな中では遅くまで営業している飲食店も少なく、付近のオフィスから退勤する人々もシャッターを下ろした店舗ばかりの電気街を素通りして駅へ向かうだけだった当時の秋葉原でゲームセンターをオープンさせるということはかなりのチャレンジだったのではないかと思います。

 

そのような当時の秋葉原の夜間事情が考慮されたのか、オープン当初の営業時間は10時~22時までであり、都心部にありながら24時まで営業をしないという非常に稀有な店舗でした。

 

私はここでのアルバイトシフトの殆どを遅番でこなしましたが、実際オープンしたての頃は20時を過ぎると特に平日の店内は都心部の店舗とは思えないほど閑散としていたものです。しかし平日夜間の閑散っぷりとは裏腹に、週末の昼間は秋葉原に徐々に集積しつつあったサブカルチャー系顧客の集客に成功、まだ電気街のメインストリートである中央通り沿いには他のゲームセンターが一切存在しなかったため、秋葉原に最初に出店したガリバーとしての恩恵を存分に受けることとなります。

 

特に地下1階のビデオゲームコーナーはフロアを歩き廻ることさえ困難なくらいごったがえすこともありました。セガとシントク電気の目論見は見事に的を得ることとなります。

 

その2へ続きます。

私のアーケードゲーム履歴書 エレベーターアクションリターンズ

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タイトー 1994年発売

 

1983年に発売された初代エレベーターアクションのリメイクタイトル。

初代は1983年当時ではかなりヒットしたタイトルでしたが、一回りに近い年月が経過していたこともあり、続編ではなくリメイクとしてリリースされました。タイトーアルカノイドが成功したこともあってヒット作のリメイクには積極的でしたね。

画面の色使いや音楽のせいでコミカルチックな印象があった初代と比べると、こちらは完全に硬派に寄せた造りになっており、ゲームシステム以外は全く別物といっても過言ではないでしょう。

 

半面派手さには欠けていたため、初代ほどヒットしたという感じはしなかったのですが、現在でも地味に稼働している店舗が残っているタイトルではないかと思います。

分かりやすいゲーム性と、低めの難易度で比較的長時間遊べることで支持されているのではないでしょうか。インカムとしては微妙なのでしょうが...

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ゲーム内容は「ギミックが増えたエレベーターアクション」です。

Aボタンでガンを発射、Bボタンはジャンプ、AB同時押しで手榴弾を投擲、また敵と至近距離の場合は近接攻撃となり敵を殴り倒します。

 

この「近接攻撃」が稼ぎにはとても重要で、ガンでは2発以上ヒットさせないと倒せない耐久力のある敵も一撃で倒せます。

そのため、近接攻撃で1,000点を獲得できる敵が一定間隔で湧いてくる扉の前でスタンバり、クリア可能な残り時間まで粘って稼ぐ。正直重要な稼ぎはこれだけです。

 

そしてハイスコアは初回集計で999,999点のカウンターストップにて終了。そのためスコア的には盛り上がりに欠けるゲームとなってしまいました。

自分は初月にカンストが間に合わず、全国〇名様とは言えトップを取り逃しています。

 

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ゲーメスト 1995年6月30日号より)

 

 タイトル画面は1994年の表記なのに、集計がされたのは1995年6月30日号と半年も経過しています。開発進捗や販売の都合でタイトル表記と実際の稼働開始時期が異なる場合は時折ありますが、半年もずれたのは何か理由があったのでしょうか…

 

以上、エレベーターアクションリターンズは終了。

今回追加タイトルはこれで打ち止めです。また取り上げたいタイトルがありましたら随時紹介することにします。

私のアーケードゲーム履歴書 ハイパーデュエル

ちょうどこのエントリーを書いている時、世間はコロナ禍の真っ最中でハイスコア集計店の跡地を巡ることがままならない状況となってしまいました。

現地調査無くともエントリー可能な題材は無いかと探したところ、昔スコアを狙っていたのに届かなかったゲームタイトルをいくつか思い付きましたので、これを機に取り上げたいと思います。

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テクノソフト 1993年発売

テクノソフトと言えば「サンダーフォース」シリーズが有名ですが、「サンダーフォースAC」でアーケードデビューの後、アーケードオリジナルタイトルとして発売された十八番の横スクロールシューティングです。移植はセガサターン版のみで、アーケードの基板も含めて今では結構プレミアムなタイトルになっている模様。タイトーロケでは結構見掛けたんですけどね。

内容はオーソドックスで、難易度もクリアだけであればそれほど高くはありません。

キャラは2枚目画像のように3機からの選択で、それぞれに特性があります。自分は右端のオッさんキャラ「LLOYD(ロイド)」を使用していました。スペルにLが2つ並んでいるので、「エルロイド」と当時のハイテクノーベル神保町では思われており、「エルロイド」→「エロジジイ」という如何にもな渾名で呼ばれておりました…

 

ハイスコア争いですが、当時は格闘ゲームにおいてはキャラ別集計が一般化していたものの、シューティングにおいては一部人気タイトル以外はキャラ別が行われていない時代で、このゲームのキャラ別も実施されませんでした。

ロイドは火力は最も高いものの移動スピードは最遅。このゲーム、普通に進むにおいては移動速度はそれ程重要ではないのですが、破壊すると最大1万点のアイテムが出るブロックが出現する5面で回収可能なアイテムの数が自機スピードで決定的に異なるため、スコアを狙うためにはキャラ選択は移動速度最速のLISA(リサ)一択となります。そのためスコア争いは箸にも棒にも掛からないまま終了となりました。

 

その他マメな稼ぎとしては、

・ストックボーナス

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アイテムによって装着されるオプションキャラを面クリア時に残すと1機につき1万点が加算されます。オプションは、

T:トレース 戦闘機タイプで自機の動きにある程度追従

G:ガンナー ロボットタイプで敵にオートで向かっていく

の2種類から選択可能ですが、敵を自動追尾するため道中は楽になる反面ステージクリアまで残すことがほぼ不可能なガンナーではなく、トレースを取ってオプションに敵弾が当たりそうになると自機のボムでオプションを守るという謎な行動で面クリアまでオプションを持ち越していました。

よく1面でオプション消失して捨てゲー繰り返してました。

 

ちなみにパーフェクトボーナスは道中の敵全滅、スペシャルボーナスはクリア時のボム残量に比例して加算されます。

 

・3面ボスの岩

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3面ボスで地面に転がっている岩が壊せます。1個1,000点。

この岩をボスにダメージを与えないように最も壊せるキャラのためロイドを選んでいたようなものです。たかだか数千点の違いなので5面ですべて吹っ飛びますがw

 

またこのゲーム、自機が止まっている時に点数のカウンターが10点単位ですが廻っているため、余計な動きを極力避けることで地味なスコアアップとなります。すべて5面で吹っ飛びますがw

 

 あとこのゲームを語るならBGMですかね。サンダーフォースで名を馳せたテクノソフトだけに結構聴き応えある曲が揃っています。

個人的には6面の曲が好きなのですが、世間一般では4面の評判が高いみたい。

以上、ハイパーデュエルは終了。

次回はエレベーターアクションリターンズ(タイトー、1994)を予定しています。

ゲームセンター回顧録 金山&神宮前&伝馬町 その5

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場所を神宮前の隣、金山へ移します。

 

3.金山駅エリア

私が初めて名古屋に来たのは1983年ですが、当時の金山駅は当時の国鉄中央線と地下鉄のみで、東海道線にはまだホームが無く、名鉄は少々東へ歩いた場所に金山橋駅が別に存在していました。

それが1989年に「金山総合駅」として、JRは東海道線にホームを設置、名鉄の駅を移設し現在の姿となることで、駅周辺も名古屋の副都心として大きく変わって行くこととなります。

 

①コムテックスクエア

写真のビルの2,3階で営業する現役のゲームセンター。

1階は元々はパチンコ店で、「DAITOKAI」のサインはパチンコ店の店名でしたが、パチンコ店閉店後もそのままになっています。

2フロアに渡る店内には最新機種が豊富にラインアップされており、パチンコ店系列ならではの資金力を感じさせますが、本業だったパチンコ店は残り1店のみのようで、3店残っている系列のゲームセンター(金山、名古屋駅日進市赤池)の方が本業のようになってしまっているようです。

 

②店名不詳

現在イオン金山店がある場所の裏手の写真のビルにあったゲームセンター。店内は殆どが汎用ビデオゲームで占められていました。店名は確認していません。

1階入り口にある螺旋状の階段が特徴的だったため、外観ですぐに場所を認識できました。

写真では地下1階を収めていますが、中2階がゲームセンターだった覚えもあり、正式な記憶は曖昧になっています…

私がここを見つけたのは恐らく90年代初めですが、当時から場所が悪いため長くは存在しなかったと思います。

 

③アリス金山店

このお店、過去に雑誌に店舗欄が存在したり、スコア集計を行った履歴は一切ないのですが、名古屋のオールドゲーマー御用達ゲーセンを語る上では外せない店舗の一つです。

 

2000年代に突入後、特に名古屋市内においては基板タイトルを良い環境でプレイ可能な店舗が非常に少ない状態でしたが、こちらは特に歴代グラディウスシリーズを中心としたシューティング系タイトルの品揃えで名を馳せておりました。

写真のビルの、現在は飲食店街になっている地下1階全てが店舗となっており、音ゲーや対戦格闘もラインアップされていたものの、少なくとも10台程度は設置されていたシューティングゲームのエリアが当時既に貴重であり、場所も良いため名古屋付近のオールドゲーマーが多数来店されていたようです。

 

2012年4月に閉店。閉店以降既に8年が経過していますが、それ以降名古屋市内は「オールドゲームをプレイしたければここへ行け!」と呼べるような店舗にはあまり恵まれていないように思えます。(矢場町のVAMOSが僅かな期間その任を背負ってましたね…)

 

また「アリス」という名前のゲームセンターは愛知県内に複数展開されており、私の知りうる範囲では名古屋市内に3件(金山、吹上、新瑞橋)、西春日井郡豊山町、岡崎、豊川とかなりの数が存在していました。

 

④ハイテクセガ金山→セガ金山

 名古屋市内にいくつか存在した「ハイテクセガ」をルーツとする店では、セガ運営のまま残っている最後の店舗になるのではないかと思われます。中央線と名鉄の線路が分かれる場所に建っていて金山駅のホームから見えることをご存知の方も多いのではないでしょうか。

 

建物の1~3階までフロアが占めており、都心にしては比較的面積が大きい店舗。セガ内部では「ゲームファン向け店舗」の位置付けがあったようですが、近隣他店と比較すると製品ラインアップでは及ばず、ゲームファンの要望を満たせる運営を行っていたとも思えない(対応できる人材がいない)ため、正直あまりプレイヤーから支持される店舗ではなかったと思います。まあこれは最近のメーカー系店舗全般に言えることですが。

結果的には店舗面積が広いことを生かし、オールドパチスロコーナーを設置したりと迷走している時期を経ながらも、強かに製品構成や客層を変化させてきたことで生き残ってきたのではないでしょうか。

 

⑤ハイテク金山

店舗名を見るとセガの店みたいですが、タイトー系列店舗です。小規模な汎用ビデオゲーム中心の店舗でした。

付近は駅前からは外れており周囲は飲み屋と風俗店ばかりで、ここの跡地も現在は風俗店になっていますが、金山総合駅になる1989年以前は名鉄金山橋駅が付近にあり、線路沿いの道を乗り換え客が多数行き来していたため周辺は結構振るわっていました。

 

しかし駅が移転すると人通りもまばらとなり、ただでさえ奥まっていたこの場所では店舗は長続き出来なかったのではないかと思います。閉店時期は不明です。

 

この店舗は個人的に少々思い入れがあります。

愛知県に引っ越しした際に最初に住んだのは豊田市で、WE'LL  TALK TAITO豊田店に結構出入りしていたのですが、そこに当時恐らく30代くらいの女性の店長?がいらっしゃり、まだゲームセンターに行くことが社会的に認められていなかった時期に店にやってくる当時中学生の私にいろいろと目を掛けて下さいました。

その後異動されたのか、その方は店から姿を消してしまったのですが、その後名古屋へ出掛けた際にたまたまこのハイテク金山を覗いた所、恐らくこちらに異動されたその女性店長と偶然再会することとなります。向こうも私のことを覚えていて下さり、感無量だった遠い日の記憶です。

 

オレンジペコ金山店

既に過去にエントリーしているオレンジペコ杁中店の姉妹店。

杁中が、キャノン最前線の実質後継店舗としてスコアラー向けに特化していたのに対し、こちらは対戦系プレイヤーが中心だったようです。そのためスコアラー界隈ではほとんど話題になることはありませんでした。

金山総合駅開業後にオープンしているはずなので、当初から駅前好立地とは言えない場所だったのですが、一度だけ夜に立ち寄った時には対戦ゲーム中心に結構な数の客がいた記憶が。杁中店同様に基本プレイ料金が50円であれば周辺店舗よりも安いため、場所の悪さを補って余りあるプレイヤーの支持があったのかもしれません。

 

正確な時期は把握していませんが、杁中店同様に90年代末期には閉店している模様です。こちらも跡地は風俗店のようです。

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金山地域は副都心だけにまだ大型店が残ってはいますが、我々の世代が愛すべき個性的なゲームセンターは全て姿を消して久しくなりました。また熱田地域は既にゲームセンターが全滅。名古屋市内で初めてゲームセンター目的で足を踏み入れた場所だけに個人的な思い入れの深いエリアなのですが、昔の痕跡が着々と消えていく現状を目の当たりにすると、やむを得ないとはいえ淋しい気持ちになります。

ゲームセンター回顧録 金山&神宮前&伝馬町 その4

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続いて、名鉄神宮前駅から少々離れた地下鉄伝馬町駅付近を紹介します。

2.地下鉄伝馬町駅エリア

神宮前駅から駅前の大津通熱田神宮の境内に沿って南下すること10分程度。国道1号との交差点に地下鉄名城線の伝馬町駅があります。

旧東海道における宿場町が起源のため、周囲には歴史的施設が多数ある場所なのですが、専門学校の電波学園名古屋工学院専門学校)の関係施設が駅付近に多数立地しているため、学生をターゲットとしてゲームセンターが幾つか店舗を構えていました。

ただ、私がこのエリアの存在を知ったのは1980年代後半ですが、当時は地下鉄名城線新瑞橋までしか線路は無く、今のように環状運転が開始されるのは2004年と20年近く後。また新瑞橋で接続する桜通線も開通は1994年のため、駅前とは言え地下鉄で向かうには相当不便な場所でした。結局は名鉄神宮前駅から歩いて向かうことになるのですが、その不便さ故にどうしても足が遠のきがちな場所でした。

 

⑥シグマレジャック

伝馬町交差点の北東部に、1階が宝交通不動産部、2階より上が立体駐車場になっている写真の建物があり、1階に店舗が存在していました。

最初に神宮前へ出入りしていた時には存在を知らなかったのですが、高校生の頃に名古屋駅界隈に出入りするようになり、イエローハットにて知り合ったこちら出身のスコアラーの方に存在を教えて貰ったのが伝馬町の存在を知ったきっかけだったと記憶しております。

 

スコアラーが出入りする店舗だけあって、店内にハイスコアボードが掲げられておりました。ただ、ベーシックマガジンやゲーメストのハイスコア集計店としては掲載されなかったため、ゲーメストの個人申請にその面影を留めるのみとなっています。

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 (ゲーメスト1990年6月号より。ネームは伏せさせて頂きました。)

名古屋周辺のスコアラーでは、星ヶ丘キャロットやイエローハットにあまり出入りしていない勢力が集まっている店舗というイメージでしたが、90年代に入ってイエローハットにも徐々にシグマレジャック出身の方が増えていったように思います。

 

ビデオゲームのプレイ代金は基本50円で、一部新作のみ100円だったと記憶。連射装置等の装備もあり、名古屋工学院専門学校の授業終了後の時間帯を除けば比較的落ち着いてプレイできる環境だったと思います。

また、熱田神宮の門前という場所柄、大晦日だけ終夜営業を行っていたりしたため、「年越しテーカンワールドカップ対戦」と銘打って仲間内で出向いたことがありました。ただその際に途中でトラックボールが不調となり店員氏に直訴したのですが、その時の対応が今一つでゲームを継続出来なくなり拍子抜けして撤収。

それ以降この店に出向いた記憶がありません。丁度シグマレジャック出身のスコアラーがイエローハットに流れてきていた時期とおおよそ一致するため、恐らくはその前後からスコアラーにとってあまり居心地が良い場所では無くなっていたのでしょう。正確な閉店時期は不明ですが、私が名古屋へ戻ってきた90年代後半には既に店舗はありませんでした。

 

加えて、系列店が私の知る限りではここを含めて4店(名古屋市中川区、天白区、及び三重県桑名市)に存在していましたが、他の店舗は特にゲームファンにベクトルが向くことは無かったようです。現在は全て閉店しており存在しません。

 

⑦ビッグ5

シグマレジャックと国道1号を挟んで向かい側付近に存在しました。オープンは恐らく90年代に入ってからではないかと思います。

2階建ての至って普通のゲームセンターで、正直特筆すべき点は思い付きません。学生以外にあまり人通りも無さそうな場所の割にはプレイ代金は全て100円で周辺の相場から離れており、あまり振るわっているイメージは無かったのですが、2000年代頭までは存在していたようです。現在は建物ごと無くなり写真の回転寿司屋となっています。

 

次回は金山へ場所を移します。

その5へ続きます。

ゲームセンター回顧録 金山&神宮前&伝馬町 その3

神宮前駅周辺で唯一紹介していない「UFO M1」ですが、尺を取るためここだけ別枠にさせて頂きます。

 

④UFO M1

2020年時点では全滅した名鉄神宮前駅前のゲームセンター群で、最後まで残っていた店舗です。告知されての閉店ではなく、ある日を境に営業されなくなり、そのまま再開することなく幕を閉じました。

写真は建屋撤去後の跡地で、現在は駐車場になっています。

https://matome.naver.jp/odai/2135876355879831601/2135877879881562403

以前にその外観は写真に収めていたのですが、データを紛失してしまったため、上記サイトから在りし日の外観を確認下さい。

 

私が神宮前に初めて降り立ったのは恐らく1986年、当時の友人にプレイ代金が安い店として最初に連れてこられた店がここでした。

当時は1階が新製品、大型筐体、そしてメダルゲームを設置。プレイ代金はオール50円で、大型筐体も50円で営業していたと記憶しています。2階は型落ちタイトル中心の構成で、10~30円での営業。

店内はともかく暗い、汚い、タバコ臭いと昭和のゲームセンターの雰囲気満点。またプレイ代金が安い反面メンテナンスは最悪で、特に2階はまともに遊べる環境にさえない場合も多々ありました。ラッシュ&クラッシュ(カプコン、1986)をプレイしていたらレバーが引っこ抜けたことが有ったくらいのレベルといえばご理解頂けるでしょうか。

しかしお金のない中学生にとってプレイ代金の安さは代え難いものがあり、また周辺店舗群では最も面積が大きく製品の入荷が良かったことも手伝って、神宮前に来た際には必ずと言って良い程足を運んでいました。

 

その後店舗は1階のメダルゲームが撤去されたり、テーブル筐体がアップライト筐体に変わるなどの機械の変遷はありましたが、30年以上経過しても、基本的に外観や内装、営業形態に全く変化はありませんでした。

そのあまりにも時代と乖離した店舗は、それが故に「名古屋の貴重なレトロゲーセン」として知れ渡っていくことになります。そして以下の内容にて新聞記事としても取り上げられるに至ります。

(該当記事は既に閲覧が出来ないため、2CHまとめサイトにて残っていたテキストをスクショしたものをアップします。)

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この記事が中日新聞に掲載されたのが2013年8月。

記事からは閉店の気配は全く感じられませんが、その年の9月には「店が営業していない」という情報が流れだします。

店舗内の機械はそのままで営業していない状態だったため、いずれ再開されるという期待もあったのですが、結局再開されぬまま敷地は更地となり現在に至ります。

 

店舗が更地になる前に、不動産情報で底地・建屋・設置機械全て込みで1億円という売却情報が出ていたようです。オーナーに続ける意思が無くなってしまったんでしょうかね…

 

次回は伝馬町駅付近の店舗を紹介します。

その4へ続きます。

ゲームセンター回顧録 金山&神宮前&伝馬町 その2

まず紹介するのは、自分が最初にこの界隈で出入りするようになった名鉄神宮前駅周辺です。

地下鉄伝馬町駅は神宮前駅から少々離れていますが、位置関係を把握して頂くためにマップは共通としてあります。

1.名鉄神宮前駅エリア

名鉄の幹線である名古屋本線(岡崎、豊橋方面)と、常滑線常滑、半田方面)が分岐するターミナルである神宮前駅ですが、地図を見ての通り、駅西側は道路を挟んで熱田神宮の敷地が広がっているため、駅ビル以外の大きな商業施設が付近にはありません。

そんな事情が影響したのかどうかは定かではありませんが、ゲームセンターは全て駅北側に面する「山手グリーンロード」の沿道に立地していました。

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駅付近の跨線橋から山手グリーンロード方向を眺めます。

隣の金山との間に大型のイオンショッピングセンターが出来た影響でしょうか、今では小さなパチンコ店1店を除いてお店は少なく、マンションばかりになってしまいましたが、以前は小規模な商店街を形成していました。

 

余談ですがこの写真を撮影した跨線橋の下に2012年までは踏切が有ったのですが、名鉄・JRを同時に跨ぐため典型的な開かずの踏切で、今や貴重な踏切警手が手動で操作していたり、遮断機が半開きになって人は通れるけど車は通れない状態があるという独特な踏切で有名でした。

踏切在りし日の動画が結構上がっているので、興味がある方は是非ご覧頂ければと思います。


名鉄神宮前駅手動踏切

 

 ①きょうらく

駅付近に展開していた5店のゲームセンターのうち、唯一線路の反対側である駅西口に面していました。踏切や跨線橋を渡らないと到達出来なかったため、東口の店舗に比べるとどうしても向かう頻度は少なくなりがちで、記憶にある限りでは1回行ったことがあるのみ。イエローキャブデータイースト1984)をプレイした覚えがあります。

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店舗は1990年代前半には既に閉店していたようですが、建物は残り続けており現在でも写真のように外装は営業時のままで存置されています。ただ隣接する商店街を含め再開発計画があるようなので、近い将来に周辺も含めて取り壊しされる可能性が高くなっています。

 

②店名不詳1(名鉄神宮前駅内)

丁度駅舎が工事中のため、写真では矢板で塞がれていますが、駅入口階段の右隣に店舗スペースがあり、 正面に名古屋のソウルフードである寿がきや、そして通路を奥に進んだ場所にゲームセンターがありました。

いかにも空いているテナントスペースに一時的にゲーム機を設置していただけの店舗で、程なくして閉店しており私も神宮前駅に降り立った際に1回行ったきりでした。

 

③シルバースター

駅前に唯一残っているパチンコ店の隣に写真の3階建て建物があり、ここがゲームセンターでした。

私が初めて訪れた際にはまだ写真の建屋ではなく平屋の小さなゲームセンターでしたが、小さいだけに良く効いていた空調と、近隣の店舗の中では最もメンテナンスがまともだったこともあり、比較的良く訪れていました。グラディウスはもっぱらここでプレイしていたような。

そして80年代後半あたりで写真の建屋に建て替えられたのですが、当初は1、2階共にゲーム機が設置してあり、新製品は1階、型落ちした製品は2階に設置され、2階は50円以下のプレイ料金で地元の中高生が大量に来店していた覚えがあります。

しかし2階は徐々にビリヤード台の設置面積が増えて行き、最後はビリヤードのみとなった後に閉鎖。1階のみで細々と営業が続いていましたが、末期はビートマニアⅡDXのバージョンアップ以外の新製品が全く入荷していない状況で、店内はいつも閑散としていました。そんな状態が2000年代前半まで続いた後に閉店。建物のオーナーが惰性で続けていたような状況だったのでしょう。

 

⑤店名不詳2

山手グリーンロードから少し奥に入ったこの写真の建物。今では1階は車庫になっていますがかつてゲームセンターだった時期があります。

駅から最も離れており場所も悪かった影響か、設置されていたゲームは全て30円以下のプレイ料金だったため、お子様が多かった記憶があります。反面設定は全てハード以上、メンテナンス放置というプレイ代金の安い店にありがちな状況だったため、一度行って以降は付近の別の店舗で用が足りたため全く近寄らなくなりました。閉店時期は不明です。

ここの店でプレイしたことを確実に覚えているのが、「カロリー君vsモグラニアン(セガ/VIC東海、1986)」

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先程のイエローキャブといい、どうして自分はこういう「伝説的クソゲー」をプレイしてしまうのでしょうか…

 

④のUFO M1のみ、記事の尺を取るため次回で別に紹介します。

その3へ続きます。

ゲームセンター回顧録 金山&神宮前&伝馬町 その1

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名古屋市内におけるゲームセンター密集地では、名古屋駅太閤通口・いりなか-八事-塩釜口の地下鉄鶴舞線沿線とエントリーしてきましたが、3エリア目として名鉄名古屋本線沿線の金山-神宮前エリアを取り上げたく思います。

 

地下鉄鶴舞線沿線は、隣接している3駅にそれぞれ付近に大学や高校が多く、学生街という点で共通していましたが、今回の金山、神宮前エリアは駅は隣接しているとはいえ、場所ごとにその性格は大きく異なります。

 

金山エリア:元々乗り換え駅としてある程度の人の流れがありましたが、1989年に「金山総合駅」としてJR、名鉄、地下鉄の駅を一体にしてからは、名古屋の副都心としての地位が高まったエリア。

神宮前(伝馬町)エリア:名前が示す通り熱田神宮の最寄り駅。年始は参拝客でごった返すものの、熱田神宮の敷地以外は小規模な商店ばかりの比較的閑静な場所です。

伝馬町は名鉄神宮前駅から少し離れた国道1号の交差点で地下鉄名城線の駅だけがあり、繁華街とは程遠い場所なのですが、付近に専門学校の名古屋電気工学院関係施設が多数立地しているため学生向けとしてゲームセンターが立地していたのであろうと推測されます。

 

このうち最初に訪問した場所は神宮前。中学校時代、名古屋市内に住む友人から「ゲーセンが密集してかつプレイ料金が安い場所が有る」と教えてもらい、時折遊びに向かうようになったのがきっかけでした。駅付近に最大で5件の店舗が連なり、その殆どが1プレイ50円以下のプレイ代金だったため当初は頻繁に足を運んでいた記憶があります。

その後、名古屋駅界隈の店舗へ向かうようになるとあまり神宮前には足を運ばなくなるのですが、神宮前から少し離れた伝馬町に、当時のベーシックマガジンやゲーメストには掲載されていないもののハイスコアを集計している店舗がある、という情報を入手。場所が不便なため頻繁に通うまでは至らないものの、伝馬町もゲームを遊びに行く場所としての選択肢に加わることとなります。

 

一方金山は副都心的な場所であり、ゲームセンターも比較的多数あったとは言え乗り換え等で通過するだけのことが圧倒的に多かったのですが、トピック的に取り上げておきたい店舗がいくつかあるため、神宮前エリアと隣接していることから一緒にまとめることとしました。

 

その2へ続きます。