小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

私のアーケードゲーム履歴書 ハイパーデュエル

ちょうどこのエントリーを書いている時、世間はコロナ禍の真っ最中でハイスコア集計店の跡地を巡ることがままならない状況となってしまいました。

現地調査無くともエントリー可能な題材は無いかと探したところ、昔スコアを狙っていたのに届かなかったゲームタイトルをいくつか思い付きましたので、これを機に取り上げたいと思います。

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テクノソフト 1993年発売

テクノソフトと言えば「サンダーフォース」シリーズが有名ですが、「サンダーフォースAC」でアーケードデビューの後、アーケードオリジナルタイトルとして発売された十八番の横スクロールシューティングです。移植はセガサターン版のみで、アーケードの基板も含めて今では結構プレミアムなタイトルになっている模様。タイトーロケでは結構見掛けたんですけどね。

内容はオーソドックスで、難易度もクリアだけであればそれほど高くはありません。

キャラは2枚目画像のように3機からの選択で、それぞれに特性があります。自分は右端のオッさんキャラ「LLOYD(ロイド)」を使用していました。スペルにLが2つ並んでいるので、「エルロイド」と当時のハイテクノーベル神保町では思われており、「エルロイド」→「エロジジイ」という如何にもな渾名で呼ばれておりました…

 

ハイスコア争いですが、当時は格闘ゲームにおいてはキャラ別集計が一般化していたものの、シューティングにおいては一部人気タイトル以外はキャラ別が行われていない時代で、このゲームのキャラ別も実施されませんでした。

ロイドは火力は最も高いものの移動スピードは最遅。このゲーム、普通に進むにおいては移動速度はそれ程重要ではないのですが、破壊すると最大1万点のアイテムが出るブロックが出現する5面で回収可能なアイテムの数が自機スピードで決定的に異なるため、スコアを狙うためにはキャラ選択は移動速度最速のLISA(リサ)一択となります。そのためスコア争いは箸にも棒にも掛からないまま終了となりました。

 

その他マメな稼ぎとしては、

・ストックボーナス

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アイテムによって装着されるオプションキャラを面クリア時に残すと1機につき1万点が加算されます。オプションは、

T:トレース 戦闘機タイプで自機の動きにある程度追従

G:ガンナー ロボットタイプで敵にオートで向かっていく

の2種類から選択可能ですが、敵を自動追尾するため道中は楽になる反面ステージクリアまで残すことがほぼ不可能なガンナーではなく、トレースを取ってオプションに敵弾が当たりそうになると自機のボムでオプションを守るという謎な行動で面クリアまでオプションを持ち越していました。

よく1面でオプション消失して捨てゲー繰り返してました。

 

ちなみにパーフェクトボーナスは道中の敵全滅、スペシャルボーナスはクリア時のボム残量に比例して加算されます。

 

・3面ボスの岩

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3面ボスで地面に転がっている岩が壊せます。1個1,000点。

この岩をボスにダメージを与えないように最も壊せるキャラのためロイドを選んでいたようなものです。たかだか数千点の違いなので5面ですべて吹っ飛びますがw

 

またこのゲーム、自機が止まっている時に点数のカウンターが10点単位ですが廻っているため、余計な動きを極力避けることで地味なスコアアップとなります。すべて5面で吹っ飛びますがw

 

 あとこのゲームを語るならBGMですかね。サンダーフォースで名を馳せたテクノソフトだけに結構聴き応えある曲が揃っています。

個人的には6面の曲が好きなのですが、世間一般では4面の評判が高いみたい。

以上、ハイパーデュエルは終了。

次回はエレベーターアクションリターンズ(タイトー、1994)を予定しています。

ゲームセンター回顧録 金山&神宮前&伝馬町 その5

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場所を神宮前の隣、金山へ移します。

 

3.金山駅エリア

私が初めて名古屋に来たのは1983年ですが、当時の金山駅は当時の国鉄中央線と地下鉄のみで、東海道線にはまだホームが無く、名鉄は少々東へ歩いた場所に金山橋駅が別に存在していました。

それが1989年に「金山総合駅」として、JRは東海道線にホームを設置、名鉄の駅を移設し現在の姿となることで、駅周辺も名古屋の副都心として大きく変わって行くこととなります。

 

①コムテックスクエア

写真のビルの2,3階で営業する現役のゲームセンター。

1階は元々はパチンコ店で、「DAITOKAI」のサインはパチンコ店の店名でしたが、パチンコ店閉店後もそのままになっています。

2フロアに渡る店内には最新機種が豊富にラインアップされており、パチンコ店系列ならではの資金力を感じさせますが、本業だったパチンコ店は残り1店のみのようで、3店残っている系列のゲームセンター(金山、名古屋駅日進市赤池)の方が本業のようになってしまっているようです。

 

②店名不詳

現在イオン金山店がある場所の裏手の写真のビルにあったゲームセンター。店内は殆どが汎用ビデオゲームで占められていました。店名は確認していません。

1階入り口にある螺旋状の階段が特徴的だったため、外観ですぐに場所を認識できました。

写真では地下1階を収めていますが、中2階がゲームセンターだった覚えもあり、正式な記憶は曖昧になっています…

私がここを見つけたのは恐らく90年代初めですが、当時から場所が悪いため長くは存在しなかったと思います。

 

③アリス金山店

このお店、過去に雑誌に店舗欄が存在したり、スコア集計を行った履歴は一切ないのですが、名古屋のオールドゲーマー御用達ゲーセンを語る上では外せない店舗の一つです。

 

2000年代に突入後、特に名古屋市内においては基板タイトルを良い環境でプレイ可能な店舗が非常に少ない状態でしたが、こちらは特に歴代グラディウスシリーズを中心としたシューティング系タイトルの品揃えで名を馳せておりました。

写真のビルの、現在は飲食店街になっている地下1階全てが店舗となっており、音ゲーや対戦格闘もラインアップされていたものの、少なくとも10台程度は設置されていたシューティングゲームのエリアが当時既に貴重であり、場所も良いため名古屋付近のオールドゲーマーが多数来店されていたようです。

 

2012年4月に閉店。閉店以降既に8年が経過していますが、それ以降名古屋市内は「オールドゲームをプレイしたければここへ行け!」と呼べるような店舗にはあまり恵まれていないように思えます。(矢場町のVAMOSが僅かな期間その任を背負ってましたね…)

 

また「アリス」という名前のゲームセンターは愛知県内に複数展開されており、私の知りうる範囲では名古屋市内に3件(金山、吹上、新瑞橋)、西春日井郡豊山町、岡崎、豊川とかなりの数が存在していました。

 

④ハイテクセガ金山→セガ金山

 名古屋市内にいくつか存在した「ハイテクセガ」をルーツとする店では、セガ運営のまま残っている最後の店舗になるのではないかと思われます。中央線と名鉄の線路が分かれる場所に建っていて金山駅のホームから見えることをご存知の方も多いのではないでしょうか。

 

建物の1~3階までフロアが占めており、都心にしては比較的面積が大きい店舗。セガ内部では「ゲームファン向け店舗」の位置付けがあったようですが、近隣他店と比較すると製品ラインアップでは及ばず、ゲームファンの要望を満たせる運営を行っていたとも思えない(対応できる人材がいない)ため、正直あまりプレイヤーから支持される店舗ではなかったと思います。まあこれは最近のメーカー系店舗全般に言えることですが。

結果的には店舗面積が広いことを生かし、オールドパチスロコーナーを設置したりと迷走している時期を経ながらも、強かに製品構成や客層を変化させてきたことで生き残ってきたのではないでしょうか。

 

⑤ハイテク金山

店舗名を見るとセガの店みたいですが、タイトー系列店舗です。小規模な汎用ビデオゲーム中心の店舗でした。

付近は駅前からは外れており周囲は飲み屋と風俗店ばかりで、ここの跡地も現在は風俗店になっていますが、金山総合駅になる1989年以前は名鉄金山橋駅が付近にあり、線路沿いの道を乗り換え客が多数行き来していたため周辺は結構振るわっていました。

 

しかし駅が移転すると人通りもまばらとなり、ただでさえ奥まっていたこの場所では店舗は長続き出来なかったのではないかと思います。閉店時期は不明です。

 

この店舗は個人的に少々思い入れがあります。

愛知県に引っ越しした際に最初に住んだのは豊田市で、WE'LL  TALK TAITO豊田店に結構出入りしていたのですが、そこに当時恐らく30代くらいの女性の店長?がいらっしゃり、まだゲームセンターに行くことが社会的に認められていなかった時期に店にやってくる当時中学生の私にいろいろと目を掛けて下さいました。

その後異動されたのか、その方は店から姿を消してしまったのですが、その後名古屋へ出掛けた際にたまたまこのハイテク金山を覗いた所、恐らくこちらに異動されたその女性店長と偶然再会することとなります。向こうも私のことを覚えていて下さり、感無量だった遠い日の記憶です。

 

オレンジペコ金山店

既に過去にエントリーしているオレンジペコ杁中店の姉妹店。

杁中が、キャノン最前線の実質後継店舗としてスコアラー向けに特化していたのに対し、こちらは対戦系プレイヤーが中心だったようです。そのためスコアラー界隈ではほとんど話題になることはありませんでした。

金山総合駅開業後にオープンしているはずなので、当初から駅前好立地とは言えない場所だったのですが、一度だけ夜に立ち寄った時には対戦ゲーム中心に結構な数の客がいた記憶が。杁中店同様に基本プレイ料金が50円であれば周辺店舗よりも安いため、場所の悪さを補って余りあるプレイヤーの支持があったのかもしれません。

 

正確な時期は把握していませんが、杁中店同様に90年代末期には閉店している模様です。こちらも跡地は風俗店のようです。

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金山地域は副都心だけにまだ大型店が残ってはいますが、我々の世代が愛すべき個性的なゲームセンターは全て姿を消して久しくなりました。また熱田地域は既にゲームセンターが全滅。名古屋市内で初めてゲームセンター目的で足を踏み入れた場所だけに個人的な思い入れの深いエリアなのですが、昔の痕跡が着々と消えていく現状を目の当たりにすると、やむを得ないとはいえ淋しい気持ちになります。

ゲームセンター回顧録 金山&神宮前&伝馬町 その4

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続いて、名鉄神宮前駅から少々離れた地下鉄伝馬町駅付近を紹介します。

2.地下鉄伝馬町駅エリア

神宮前駅から駅前の大津通熱田神宮の境内に沿って南下すること10分程度。国道1号との交差点に地下鉄名城線の伝馬町駅があります。

旧東海道における宿場町が起源のため、周囲には歴史的施設が多数ある場所なのですが、専門学校の電波学園名古屋工学院専門学校)の関係施設が駅付近に多数立地しているため、学生をターゲットとしてゲームセンターが幾つか店舗を構えていました。

ただ、私がこのエリアの存在を知ったのは1980年代後半ですが、当時は地下鉄名城線新瑞橋までしか線路は無く、今のように環状運転が開始されるのは2004年と20年近く後。また新瑞橋で接続する桜通線も開通は1994年のため、駅前とは言え地下鉄で向かうには相当不便な場所でした。結局は名鉄神宮前駅から歩いて向かうことになるのですが、その不便さ故にどうしても足が遠のきがちな場所でした。

 

⑥シグマレジャック

伝馬町交差点の北東部に、1階が宝交通不動産部、2階より上が立体駐車場になっている写真の建物があり、1階に店舗が存在していました。

最初に神宮前へ出入りしていた時には存在を知らなかったのですが、高校生の頃に名古屋駅界隈に出入りするようになり、イエローハットにて知り合ったこちら出身のスコアラーの方に存在を教えて貰ったのが伝馬町の存在を知ったきっかけだったと記憶しております。

 

スコアラーが出入りする店舗だけあって、店内にハイスコアボードが掲げられておりました。ただ、ベーシックマガジンやゲーメストのハイスコア集計店としては掲載されなかったため、ゲーメストの個人申請にその面影を留めるのみとなっています。

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 (ゲーメスト1990年6月号より。ネームは伏せさせて頂きました。)

名古屋周辺のスコアラーでは、星ヶ丘キャロットやイエローハットにあまり出入りしていない勢力が集まっている店舗というイメージでしたが、90年代に入ってイエローハットにも徐々にシグマレジャック出身の方が増えていったように思います。

 

ビデオゲームのプレイ代金は基本50円で、一部新作のみ100円だったと記憶。連射装置等の装備もあり、名古屋工学院専門学校の授業終了後の時間帯を除けば比較的落ち着いてプレイできる環境だったと思います。

また、熱田神宮の門前という場所柄、大晦日だけ終夜営業を行っていたりしたため、「年越しテーカンワールドカップ対戦」と銘打って仲間内で出向いたことがありました。ただその際に途中でトラックボールが不調となり店員氏に直訴したのですが、その時の対応が今一つでゲームを継続出来なくなり拍子抜けして撤収。

それ以降この店に出向いた記憶がありません。丁度シグマレジャック出身のスコアラーがイエローハットに流れてきていた時期とおおよそ一致するため、恐らくはその前後からスコアラーにとってあまり居心地が良い場所では無くなっていたのでしょう。正確な閉店時期は不明ですが、私が名古屋へ戻ってきた90年代後半には既に店舗はありませんでした。

 

加えて、系列店が私の知る限りではここを含めて4店(名古屋市中川区、天白区、及び三重県桑名市)に存在していましたが、他の店舗は特にゲームファンにベクトルが向くことは無かったようです。現在は全て閉店しており存在しません。

 

⑦ビッグ5

シグマレジャックと国道1号を挟んで向かい側付近に存在しました。オープンは恐らく90年代に入ってからではないかと思います。

2階建ての至って普通のゲームセンターで、正直特筆すべき点は思い付きません。学生以外にあまり人通りも無さそうな場所の割にはプレイ代金は全て100円で周辺の相場から離れており、あまり振るわっているイメージは無かったのですが、2000年代頭までは存在していたようです。現在は建物ごと無くなり写真の回転寿司屋となっています。

 

次回は金山へ場所を移します。

その5へ続きます。

ゲームセンター回顧録 金山&神宮前&伝馬町 その3

神宮前駅周辺で唯一紹介していない「UFO M1」ですが、尺を取るためここだけ別枠にさせて頂きます。

 

④UFO M1

2020年時点では全滅した名鉄神宮前駅前のゲームセンター群で、最後まで残っていた店舗です。告知されての閉店ではなく、ある日を境に営業されなくなり、そのまま再開することなく幕を閉じました。

写真は建屋撤去後の跡地で、現在は駐車場になっています。

https://matome.naver.jp/odai/2135876355879831601/2135877879881562403

以前にその外観は写真に収めていたのですが、データを紛失してしまったため、上記サイトから在りし日の外観を確認下さい。

 

私が神宮前に初めて降り立ったのは恐らく1986年、当時の友人にプレイ代金が安い店として最初に連れてこられた店がここでした。

当時は1階が新製品、大型筐体、そしてメダルゲームを設置。プレイ代金はオール50円で、大型筐体も50円で営業していたと記憶しています。2階は型落ちタイトル中心の構成で、10~30円での営業。

店内はともかく暗い、汚い、タバコ臭いと昭和のゲームセンターの雰囲気満点。またプレイ代金が安い反面メンテナンスは最悪で、特に2階はまともに遊べる環境にさえない場合も多々ありました。ラッシュ&クラッシュ(カプコン、1986)をプレイしていたらレバーが引っこ抜けたことが有ったくらいのレベルといえばご理解頂けるでしょうか。

しかしお金のない中学生にとってプレイ代金の安さは代え難いものがあり、また周辺店舗群では最も面積が大きく製品の入荷が良かったことも手伝って、神宮前に来た際には必ずと言って良い程足を運んでいました。

 

その後店舗は1階のメダルゲームが撤去されたり、テーブル筐体がアップライト筐体に変わるなどの機械の変遷はありましたが、30年以上経過しても、基本的に外観や内装、営業形態に全く変化はありませんでした。

そのあまりにも時代と乖離した店舗は、それが故に「名古屋の貴重なレトロゲーセン」として知れ渡っていくことになります。そして以下の内容にて新聞記事としても取り上げられるに至ります。

(該当記事は既に閲覧が出来ないため、2CHまとめサイトにて残っていたテキストをスクショしたものをアップします。)

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この記事が中日新聞に掲載されたのが2013年8月。

記事からは閉店の気配は全く感じられませんが、その年の9月には「店が営業していない」という情報が流れだします。

店舗内の機械はそのままで営業していない状態だったため、いずれ再開されるという期待もあったのですが、結局再開されぬまま敷地は更地となり現在に至ります。

 

店舗が更地になる前に、不動産情報で底地・建屋・設置機械全て込みで1億円という売却情報が出ていたようです。オーナーに続ける意思が無くなってしまったんでしょうかね…

 

次回は伝馬町駅付近の店舗を紹介します。

その4へ続きます。

ゲームセンター回顧録 金山&神宮前&伝馬町 その2

まず紹介するのは、自分が最初にこの界隈で出入りするようになった名鉄神宮前駅周辺です。

地下鉄伝馬町駅は神宮前駅から少々離れていますが、位置関係を把握して頂くためにマップは共通としてあります。

1.名鉄神宮前駅エリア

名鉄の幹線である名古屋本線(岡崎、豊橋方面)と、常滑線常滑、半田方面)が分岐するターミナルである神宮前駅ですが、地図を見ての通り、駅西側は道路を挟んで熱田神宮の敷地が広がっているため、駅ビル以外の大きな商業施設が付近にはありません。

そんな事情が影響したのかどうかは定かではありませんが、ゲームセンターは全て駅北側に面する「山手グリーンロード」の沿道に立地していました。

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駅付近の跨線橋から山手グリーンロード方向を眺めます。

隣の金山との間に大型のイオンショッピングセンターが出来た影響でしょうか、今では小さなパチンコ店1店を除いてお店は少なく、マンションばかりになってしまいましたが、以前は小規模な商店街を形成していました。

 

余談ですがこの写真を撮影した跨線橋の下に2012年までは踏切が有ったのですが、名鉄・JRを同時に跨ぐため典型的な開かずの踏切で、今や貴重な踏切警手が手動で操作していたり、遮断機が半開きになって人は通れるけど車は通れない状態があるという独特な踏切で有名でした。

踏切在りし日の動画が結構上がっているので、興味がある方は是非ご覧頂ければと思います。


名鉄神宮前駅手動踏切

 

 ①きょうらく

駅付近に展開していた5店のゲームセンターのうち、唯一線路の反対側である駅西口に面していました。踏切や跨線橋を渡らないと到達出来なかったため、東口の店舗に比べるとどうしても向かう頻度は少なくなりがちで、記憶にある限りでは1回行ったことがあるのみ。イエローキャブデータイースト1984)をプレイした覚えがあります。

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店舗は1990年代前半には既に閉店していたようですが、建物は残り続けており現在でも写真のように外装は営業時のままで存置されています。ただ隣接する商店街を含め再開発計画があるようなので、近い将来に周辺も含めて取り壊しされる可能性が高くなっています。

 

②店名不詳1(名鉄神宮前駅内)

丁度駅舎が工事中のため、写真では矢板で塞がれていますが、駅入口階段の右隣に店舗スペースがあり、 正面に名古屋のソウルフードである寿がきや、そして通路を奥に進んだ場所にゲームセンターがありました。

いかにも空いているテナントスペースに一時的にゲーム機を設置していただけの店舗で、程なくして閉店しており私も神宮前駅に降り立った際に1回行ったきりでした。

 

③シルバースター

駅前に唯一残っているパチンコ店の隣に写真の3階建て建物があり、ここがゲームセンターでした。

私が初めて訪れた際にはまだ写真の建屋ではなく平屋の小さなゲームセンターでしたが、小さいだけに良く効いていた空調と、近隣の店舗の中では最もメンテナンスがまともだったこともあり、比較的良く訪れていました。グラディウスはもっぱらここでプレイしていたような。

そして80年代後半あたりで写真の建屋に建て替えられたのですが、当初は1、2階共にゲーム機が設置してあり、新製品は1階、型落ちした製品は2階に設置され、2階は50円以下のプレイ料金で地元の中高生が大量に来店していた覚えがあります。

しかし2階は徐々にビリヤード台の設置面積が増えて行き、最後はビリヤードのみとなった後に閉鎖。1階のみで細々と営業が続いていましたが、末期はビートマニアⅡDXのバージョンアップ以外の新製品が全く入荷していない状況で、店内はいつも閑散としていました。そんな状態が2000年代前半まで続いた後に閉店。建物のオーナーが惰性で続けていたような状況だったのでしょう。

 

⑤店名不詳2

山手グリーンロードから少し奥に入ったこの写真の建物。今では1階は車庫になっていますがかつてゲームセンターだった時期があります。

駅から最も離れており場所も悪かった影響か、設置されていたゲームは全て30円以下のプレイ料金だったため、お子様が多かった記憶があります。反面設定は全てハード以上、メンテナンス放置というプレイ代金の安い店にありがちな状況だったため、一度行って以降は付近の別の店舗で用が足りたため全く近寄らなくなりました。閉店時期は不明です。

ここの店でプレイしたことを確実に覚えているのが、「カロリー君vsモグラニアン(セガ/VIC東海、1986)」

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先程のイエローキャブといい、どうして自分はこういう「伝説的クソゲー」をプレイしてしまうのでしょうか…

 

④のUFO M1のみ、記事の尺を取るため次回で別に紹介します。

その3へ続きます。

ゲームセンター回顧録 金山&神宮前&伝馬町 その1

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名古屋市内におけるゲームセンター密集地では、名古屋駅太閤通口・いりなか-八事-塩釜口の地下鉄鶴舞線沿線とエントリーしてきましたが、3エリア目として名鉄名古屋本線沿線の金山-神宮前エリアを取り上げたく思います。

 

地下鉄鶴舞線沿線は、隣接している3駅にそれぞれ付近に大学や高校が多く、学生街という点で共通していましたが、今回の金山、神宮前エリアは駅は隣接しているとはいえ、場所ごとにその性格は大きく異なります。

 

金山エリア:元々乗り換え駅としてある程度の人の流れがありましたが、1989年に「金山総合駅」としてJR、名鉄、地下鉄の駅を一体にしてからは、名古屋の副都心としての地位が高まったエリア。

神宮前(伝馬町)エリア:名前が示す通り熱田神宮の最寄り駅。年始は参拝客でごった返すものの、熱田神宮の敷地以外は小規模な商店ばかりの比較的閑静な場所です。

伝馬町は名鉄神宮前駅から少し離れた国道1号の交差点で地下鉄名城線の駅だけがあり、繁華街とは程遠い場所なのですが、付近に専門学校の名古屋電気工学院関係施設が多数立地しているため学生向けとしてゲームセンターが立地していたのであろうと推測されます。

 

このうち最初に訪問した場所は神宮前。中学校時代、名古屋市内に住む友人から「ゲーセンが密集してかつプレイ料金が安い場所が有る」と教えてもらい、時折遊びに向かうようになったのがきっかけでした。駅付近に最大で5件の店舗が連なり、その殆どが1プレイ50円以下のプレイ代金だったため当初は頻繁に足を運んでいた記憶があります。

その後、名古屋駅界隈の店舗へ向かうようになるとあまり神宮前には足を運ばなくなるのですが、神宮前から少し離れた伝馬町に、当時のベーシックマガジンやゲーメストには掲載されていないもののハイスコアを集計している店舗がある、という情報を入手。場所が不便なため頻繁に通うまでは至らないものの、伝馬町もゲームを遊びに行く場所としての選択肢に加わることとなります。

 

一方金山は副都心的な場所であり、ゲームセンターも比較的多数あったとは言え乗り換え等で通過するだけのことが圧倒的に多かったのですが、トピック的に取り上げておきたい店舗がいくつかあるため、神宮前エリアと隣接していることから一緒にまとめることとしました。

 

その2へ続きます。

ゲームセンター回顧録 惜別 ゲームプラザミッキー その2

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正面入口から入店した所。1階は大型筐体中心で、戦場の絆音ゲードライブゲーム、オンライン麻雀とシングルパチスロ機が設置してあります。90年代はパチスロ機の比率がもっと多かった記憶があります。

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入口左手の麻雀格闘俱楽部コーナー。休日のお昼前の来訪でしたが、サテライトは比較的埋まっていました。

ちなみに2階フロアにも麻雀系タイトルは分散して設置されています。

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2階に上がる階段途中から1階を眺めます。

ゲームタイトルや客層別に比較的上手くゾーニングして機械が配置されているのではないかと思います。

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階段踊り場から2階を眺めます。

90年代から2階は汎用ビデオゲーム中心に設置されていました。

1階は天井クロスが張り付けされていますが、2階は鉄骨の柱や梁が剥き出しになっているのが特徴的です。

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 店舗奥から階段方面を望む。

汎用ビデオゲーム中心と言っても、そこは時代の流れでガンダム・鉄拳シリーズが多数を占めています。90年代に比べると筐体サイズか大きくなったことから全体の設置台数は減少している反面、機器配置には余裕が感じられます。

奥にはサービス終了で役目を終えたボーダーブレイクの筐体が電源を落とされ佇んでいます。 

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店内奥の方には少数ですがブラウン管タイプの汎用筐体とオールドタイトルの稼働も残っています。

対戦格闘はともかく、シューティングなどは支持してプレイしてくれる客層がいないとなかなか継続して設置は出来ないと思われるので、オールドゲームファンとしては貴重な光景です。

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 シューティングの反対側は揃ってTGM系。複数あるのは固定層がいる証拠でしょうか。

奥に見えるスパイクアウトも客層は私の知る限りどこも微妙ですが、固定客が付いているのでしょう。これだけ長期に渡って稼働出来るタイトルは少なく、それだけ長く遊んでも飽きない証拠でもあります。

手前のマルチゲーム筐体は写真以外にも複数設置されていましたが、これについてはこれ以上の言及は避けておきます…

 

ところで、今回の写真を撮影したのが2019年9月22日で閉店の約2か月前。この日には店内どこを眺めても閉店を予感させるような光景は一切ありませんでした。

閉店を予感させる兆候としては、例えばゲームの入荷が極端に悪くなったり、スタッフの削減、店舗インフラに投資が及ばないことによる設備の老朽化等が考えられます。

しかしミッキーにおいては、

・フルラインアップとまでは行かないまでも、核となる商品はきちんと導入されており、むしろ最近は地雷が多かったオンラインタイプの高額機械にはあまり手を出していない。

・昔からプライズやメダルと言った「手の掛かる」機械は一切設置されておらず、結果として店舗スタッフもミニマムで対応している。(恐らく店舗オーナーの身内だけで運営していたと想定される)

・所々に古さが目立つ箇所はあれど、写真を見ればわかるように床が綺麗に磨き上げられており、業者による定期清掃が行われている形跡がある。また店舗外装についても看板や道路側のサインを新調したりと、店舗設備にもきちんと投資がされている。

そんな印象を持った私は、「消費増税が控えているとは言え直ぐに閉店ということは無さそう」という感想を持ち、最低限の写真だけを撮影して店を後にしたのでした。そのわずか1か月後に閉店の報を聞くとも知らず…

閉店する可能性を少しでも予見出来れば、もう少し入念に記録を残していたのでしょうが…それは結果論ですね。閉店はしないに越したことはありません。

 

それにしても、隣接して飲食施設はあり、近隣にはショッピングセンターやスーパー銭湯もあり、交通量も多い主要道に面した優秀な立地であるため、正直お金さえあれば自分で運営したいと思える場所でした。

誰が店舗の継続に名乗りを上げてくれないか、と思ったりもしたのですが、個人単位では規模が大きいため、どこかのオペレーターが引き受けるとかでないと継続は難しかったかもしれません。

 

先に紹介した岐阜のオアシスが閉店の可能性があるという噂を聞いて、オアシスを記録するついでに立ち寄ったミッキーでしたが、まさか先に閉店を迎えることになるとは思ってもいませんでした。非常に残念でなりません。9月最後の訪問の時にもあまり時間的な余裕が無く、直前まで立ち寄るかどうかを思慮していたのですが、今にして思えば何か「虫の知らせ」を受信していたのかもしれません。わずかではありますが記録として店舗の存在を残せたことで店舗への恩返しになればと思います。

ゲームセンター回顧録 惜別 ゲームプラザミッキー その1

「ミッキー」と聞くと、神田神保町の「ゲームコーナーミッキー」が余りにも有名なのですが、今回はそちらのミッキーではありません。

(かつて神保町界隈に頻繁に出入りしていた人間として、そちらはそちらでいずれ取りあげる機会はあると思いますが…)

今回取り上げる「ゲームプラザミッキー」の所在地は愛知県稲沢市。私が1990年代後半に就職で名古屋に戻った際、行動範囲内で発見し、以降たまに立ち寄る程度だったお店です。

その「ミッキー」が、2019年11月24日の営業を最後に閉店するとの報を受け、惜別としてこのエントリーをまとめることにしました。

稲沢市というと、JRは稲沢駅名鉄では国府宮駅が中心なのですが、市役所は駅から相当に離れた場所にあり、市役所前を走る県道(西尾張中央道)付近に駅前とは別に店舗が連綿している場所があります。

ミッキーはその店舗並びの中のひとつで、20年前にはまだ珍しかったスーパー銭湯が付近にあったことから、風呂に行くついでに立ち寄るようになったことが出入りするきっかけでした。

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2019年9月22日撮影

県道沿いには写真の看板が掲出されていますが、車の流れが速いため場所を意識していないと通り過ぎてしまうかもしれません。店舗に隣接するパチスロ店や、店舗裏手に構えるヨシヅヤショッピングセンターを目安にすると発見しやすい場所でした。

また県道は中央分離帯のある4車線道路のため、一宮、岐阜方面へ向かう下り車線からは直接入れますが、津島、蟹江方面の上り線は手前信号からヨシヅヤの駐車場敷地を通って入る必要がありました。

敷地内にはココ壱番屋やスパゲッティ店もあり、ゲーム中の給食環境も充実していました。

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店舗正面外観。郊外店で車でないとアクセスしずらい場所のため当初から駐車場は確保されています。店舗は2階建てで、屋上の台形状の看板で控えめにアピールしています。

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店舗正面に対して裏手側にも入口及び駐車場があります。スパゲッティ店は同一建屋となっています。自分は不思議とこちら側の駐車場ばかりに車を停めていた記憶が。

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正面入口に戻ります。完全に色褪せた上に一部もげている「GAME」の文字や外観から感じられる古さは否めませんが、店名看板と入口ビニール屋根は新調されています。

 

次回は店内の光景を紹介します。

その2へ続きます。

ゲームセンター回顧録 岐阜オアシス その8

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現在は建屋①~⑥までとなっているオアシスですが、かつてはそれ以外にも営業していた場所がありました。

【建屋⑦】

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オアシス建屋①正面駐車場の真反対に、現在は焼肉店となっている建屋が有りますが、以前はここもオアシスでした。私が仕事帰りに立ち寄っていた1990年代後半には既に存在しており、その当時はガソリンスタンドやパチンコ店はまだオアシスになる前だったため、最初に拡張された場所と言えそうです。

1階が駐車場、2階が店舗という構造は変わりませんが、オアシス時代は、写真のフェンスの場所がオープン構造で店名看板がある壁面がなく、自販機が数台設置されていたと記憶しています。

店内は普通にゲーム機が稼働していましたが、その中にピンボールが数台設置されていたことは確かです。メンテが非常に悪くまともにプレイできませんでしたが…

また、駐車場と道路を挟んでいたためか、後年の拡張のように増築で無理矢理既存店舗と接続することもされていませんでした。

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【建屋⑧】

こちらは国道バイパスを挟んで反対の上り線側、写真のマッサージ店の建屋がオアシスでした。

同じオアシスとは言え、片側3車線の国道バイパス道路を挟んでおり中央分離帯にはフェンスが張られ、また横断歩道や歩道橋も存在しないことから実質完全な別店舗。ついでに覗きに行ける場所ではなかったため結局こちらには一度も入店せず仕舞で、雰囲気や設置機種については全く不明です。

 

また、国道21号を東に進んだ隣の各務原市にもオアシスの別店舗がありましたが、こちらも既に閉店しておりオアシスの名前を冠しているのは岐南町の本店だけとなって現在に至っています。

 

【オアシスの興亡】

オアシス(岐南各務原)、ゲームプラザ童里夢(ドリーム)、だいおう、アイリン夢空間、岐阜レジャーランド穂積、そして少し外れてAGグランド、ファンタジアン柳津…

私が思い付く限りでこれだけのゲームセンターがひしめき合い、その多くが24時間営業を行っていた国道21号沿線。その最盛期は恐らくオアシスが周辺の閉店店舗を買収してゲーム設置面積を増やしていった2000年代前半ではないかと思われます。

では、何故オアシスを代表としてこのエリアのゲームセンターがここまで拡大を続けたのか。大きく3つの理由があると考えています。

 

①設置ゲーム機の大型化

音ゲーブームあたりから、既に汎用型ビデオゲームは衰退期を迎え、専用大型筐体への製品シフトが始まっていましたが、特にダービーオーナーズクラブから始まったサテライトタイプ大型筐体の収益が高まって以降、機械を設置する広い敷地面積の必要性から周辺閉店店舗の跡地買収と建屋増築、既存建屋の業態変更まで行って対応したのがオアシスと言えそうです。

他の店舗も大型筐体は導入しているとはいえ、オアシスのように半ば強引に店舗面積の拡張まで出来なかったことから、面積を広げることで大抵のゲーム機が設置されたオアシスはそれがアドバンテージとなる一方、周辺他店はバーチャファイター勢の聖地(だいおう)や、スコアラー御用達(アイリン夢空間)になることで店舗の個性化が進んでいきました。

 

風営法解釈の甘さ

ゲームセンターは許可営業制であり、一部を除いては風俗営業法(風俗営業取締法→風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)に規定された範囲で営業する必要があります。詳細は省きますが、その中には営業時間に関する規定があり、一般的な地域では午前0時以降の営業は出来ないため、24時間営業のゲームセンターというのは本来なら存在しないはずです。

ただ、法律の具体的運用については各県警の生活安全課に委ねられている面があり、地域によっては店舗の一部を閉めたり、営業する機種を限定して深夜時間帯や24時間営業を行うことが可能な場合があります。

どうも岐阜県は県警の運用方針が比較的甘かったようで、郊外店においては複合娯楽施設やドライブインの体裁で、店舗の一部を24時で締め切りにすることで24時間営業を行う店舗が比較的多く存在していたため、1990年代頃から「岐阜は深夜でもゲームを遊ぶことが出来る場所」という認知が広まっていたことは確かです。

 

③愛知県からのプレイヤー流入

各務原ー岐阜ー穂積ー大垣という街の並びで人口は約80万人程度。交通量の多い主要国道沿いとは言えそこまで多数のゲームセンターが林立可能な市場なのか?とも思えますが、木曽川を渡れば直ぐの愛知県は岐阜県程規制が緩くなく、0時以降もゲームが出来る店は多くなかったことから、特に深夜帯は愛知県からかなりのプレイヤー流入があったのは確実です。

名古屋市まで全て片側3車線で整備されている国道22号を使用すれは深夜ならおおよそ1時間以内で到達可能な距離のため、以前から知っている人は夜な夜な岐阜までゲームをするため車を走らせたりしていたようですが、特に麻雀格闘俱楽部がブームになってからは長時間プレイしたい層が台確保のため深夜だけではなく昼間から岐阜を目指していた状況もあったようで、岐阜県に入って最初に現れるオアシス本店はもっともその恩恵を受けていたのではないかと想像されます。

 

ただ、栄華を極めた岐阜のゲームセンター群も2005年に突如と逆風にさらされることとなります。そのきっかけは「愛知万博」の開催。

 

国際的なイベントが開催される際には、「来日客のイメージ向上」や「治安維持」を目的とした規制強化が行われることがままありますが、愛知万博実施の際も同様でした。

ゲームセンター業界においては、愛知県内にも少数存在していた深夜営業店舗が相当に規制の対象となり、24時にて閉店を余儀なくされる状況が発生。

その余波が岐阜県にも飛び火した結果、それまでなし崩し的に実施されていた24時間営業を中止する店舗が続出し、大きなウエイトを占めていた深夜営業における売上を一気に失うこととなります。

それ以降、店舗がひしめき合っていた岐阜地域からぽつぽつとゲームセンター閉店の報を聞くようになり、ソーシャルゲームの台頭によるアーケードゲーム業界の凋落で店舗の縮小が加速して現在に至ります。

 

現在聞き及んでいる情報で、国道21号沿いに残ったゲームセンターはオアシス本店と岐阜レジャーランド穂積のみの様です。そして消費税増税の影響が表れている昨今、突然に閉店予告を出す店が続出しており、営業面積の縮小や廃棄機材の放置状況などでわかるようにオアシスも決して安泰ではないと思います。文化財的価値すらあると思われるこの店舗を今のうちに是非一度目に留めて頂ければと思います。

 

特にゲームセンターは閉店後本当に跡形もなくなる場合が多いので…

ゲームセンター回顧録 岐阜オアシス その7

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【建屋外周】

建屋②、③の外周部は既に紹介しているので、その6で垣間見えた建屋④~⑥の外周部を観察します。

f:id:annaka-haruna:20190922122433j:plain写真(54)

正面メイン駐車場に立つ案内ポールで、背後に建屋⑥が見えます。

裏側へ廻ってみます。

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写真(55)

建屋⑥の外観はこのような形状。建屋内を無理矢理二層にしていたことからもわかるように、天井は高く、大きく突き出した屋根とその上に設置してあるネオン及びUFOのサインでバイパス側にアピールしています。

店舗内からも確認出来ましたが、建屋の周りには塗料缶が大量に…建屋の補修や塗装は自前で行っているのでしょうか。

そしてこの屋根の張り出した建屋の形状、なにか見覚えがありますよね。

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写真(56)

張り出した屋根部分を見上げてみると、右側隅に「ESSO」の文字を消した跡がはっきりと。

この建屋は元々はガソリンスタンドで、跡地をオアシスが使用していることで間違いないとの情報を頂きました。ありがとうございます。

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写真(57)

元ガソリンスタンド事務所部分と思われる建屋が左側で、右側は建屋④となります。左側はコナミ音楽ゲームが主に設置してあった場所で、建屋④は窓と扉の配置から艦これアーケードがある場所で間違いないようです。

そして写真55~57を改めて眺めて気付いたのですが…もとガソリンスタンドとなると給油スペースがあったはずなのですが、写真57のあたりに多少は場所があるものの給油車両を取りまわすのに充分な広さとは言えず、そして何より屋根の下に給油機が設置されているのが普通です。

つまり、もともと給油スペースとして屋根だけが存在していたものを、その四方に無理矢理壁を作成し建屋としたものが建屋⑥であるということを、今回このブログをまとめることで初めて気づきました。DDRクイズマジックアカデミーが設置されていた不自然な二階建て部分、もとは給油スペースだったんですね…

閉店したガソリンスタンドの再利用として、屋根の部分はそのまま残して駐車スペースにしたりしているのは良く見かけますが、壁面を作って建屋にしているという例は聞いたことが有りません。法律的に問題はないのか気になります。

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写真(58)

写真(57)でも見え隠れしていましたが、建屋④の前には大量の汎用筐体廃棄部材が積み重ねてあり、ここだけ見るととても営業している店舗の光景には見えません。丁度建屋⑥の陰に隠れる形となり、出入口も無いので人目には付きにくいですが…

汎用筐体も時間の経過で年々その数を減らし、特にブラウン管の修理が難しくなりつつあることから、スクラップ品から使用できる部品だけを取り出して後は廃棄しているのでしょうか。さすがにゲーム基板は捨てられていませんでした。

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写真(59)

そして最後に残った建屋⑤の外観。見ての通りに元パチンコ店そのままです。パチンコ店跡地がそのままゲームセンターになる光景は時折見られますが、わざわざ接続用の建屋④を造り、壁を抜いてまで既存店舗と接続して営業するという光景はあまり見られないのではないでしょうか。

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写真(60)

外装はパチンコ店時代をほぼそのままに、「GAME」と「オアシス」の文字だけを追加するという最低限の対応で済まされています。外装の一部に赤く塗りつぶしている箇所がありますが、これは画像の加工ではなく、元店名等が記載されていたものを隠しているように思われます。

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写真(61)

元々は独立している店舗のため当然入口はありますが、そこにはご覧のような張り紙がされた上で閉鎖されています。他の入口といっても実質建屋①の入口まで戻らなければなりません。

残念ながらネコとは和解出来なかった模様です。

 

これで現在も営業が続いている部分については全て網羅しました。

ゲーム機の設置面積を増やすために形振り構わず店舗を拡張してきた歴史と現状が多少なりとも伝われば幸いです。

そして地図には建屋⑦及び⑧を記載していますが、実は以前にオアシスだった場所が更に存在していました。最後にその建屋の紹介と、岐阜のゲームセンターが何故このような発展を遂げたのかについて触れたいと思います。

 

その8へ続きます。