小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年6月号/トピック店舗:ハイテクランドセガ五所川原店/プレイランドチャンプ(青森県)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1990年6月号)

マイコンベーシックマガジン1990年6月号(第9巻第6号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は102となり先月比-7と大きく減少していますが、新規掲載店は1店存在しています。

 

セガ

ハイテクセガ高崎(群馬県

マイコンベーシックマガジン 1990年6月号より)

 

ゲーメストには1989年7月号から既に掲載されていましたが、ベーマガへは1年遅れての開始となりました。

 

ゲーメストでは高崎市の掲載店はセガ以外にウィルトークモンテカルロが存在していましたが、ベーマガでは1986年末の「ゲームシティジル」掲載終了後3年半振りとなります。また群馬県全体でも高崎以外に桐生や太田といった両毛地域のお店が掲載を続けていたゲーメストに対し、ベーマガでは1988年1月号で終了した前橋市の「ファンフル」以来の掲載となっています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1990年6月】

マイコンベーシックマガジン 1990年6月号より)

 

SNK初の直営ゲームセンターという情報を頂いた尼崎市の「ゲームインウエスタン」、そして同じく東大阪市の「ゲームセンターキャンディ」が揃って今号が最後の掲載となっています。ウエスタンは通信欄にコメントがある位なので今号が最終掲載のような雰囲気が無く、また2店同時であることから何か会社側の意向があったのかもしれません。

 

また仙台の名店であった「プレイシティキャロット仙台店」が今号で掲載を終了。同時掲載であったゲーメストよりも3か月早くなっています。前後して仙台市内の「ブックセンタースクラム」や「宮城野原キャロットハウス」も掲載を終了しており、仙台市から一気にナムコ系掲載店が姿を消すことになります。

 

トピック店舗:ハイテクランドセガ五所川原店/プレイランドチャンプ

続いてトピック店舗へ移ります。

 

青森県五所川原市で同時期に掲載履歴のある「ハイテクランドセガ五所川原店」及び「プレイランドチャンプ」の2店をまとめて取り上げます。

 

【ハイテクランドセガ五所川原店】

マイコンベーシックマガジン 1988年10月号より)

2022年10月23日撮影

【プレイランドチャンプ】

マイコンベーシックマガジン 1990年11月号より)

2022年10月23日撮影

津軽平野の中心都市弘前からJR五能線で1時間弱の五所川原市は人口約5万、津軽鉄道のストーブ列車や吉幾三の出身地として有名ですが、「俺ら東京さ行ぐだ」の歌詞のような極端な光景はもはや無く、市中心である五所川原駅前には地方都市の街並みが広がっています。

 

この五所川原にかつてベーマガスコア集計店が2軒併存していた時期がありました。

最初に掲載を開始したのがセガ系店舗の「ハイテクランドセガ五所川原店」で、1988年10月号のスタートとなっています。

マイコンベーシックマガジン 1988年10月号より)

 

同号のチャレハイ通信欄に初掲載にあたってのコメントがアップされています。まだオープンから1か月程度しか経過していないようで、女性店長の意気込みが感じられます。

当時青森県セガ系店舗は、ゲーメストでは1987年からハイテクセガ青森、弘前の両店が既に掲載店となっていましたがどちらもベーマガへは掲載されませんでした。新規店の五所川原は集客策として同一県内の青森や弘前に倣ったのかもしれませんが、ゲーメストではなくベーマガを選択したのは差別化の意図があったのかもしれません。

 

店舗の場所は中心市街地内ですが、駅からは少々離れた場所になります。

ゼンリン住宅地図 五所川原市1991年より)

1991年の住宅地図で場所を確認していますが、該当する建物は現存しておらず現在も営業が続く「マルコーセンター(鮮魚店)」の向かいにある写真の「山本水産」付近が跡地と認識しています。

 

周囲の区画は当時と異なっており店舗に面した道路も1991年では一方通行ですが、現在は拡幅され対面通行となっています。また近隣にある(株)丸友デパートは「立佞武多の館」という観光施設、またイトーヨーカドーがあった場所は更地となっており商業的には厳しい場所になっていますが、セガ営業当時は単独のゲームセンターが営業可能な程度に街に活気があったのでしょうか。

 

誌面への掲載はベーマガ1992年5月号まで3年半程度継続しました。閉店時期は判明していません。オープン時の女性店長がいつまで店舗にいらっしゃったのか気になります。

 

そして同市内2店目の掲載店として登場したのが「プレイランドチャンプ」です。

こちらは五所川原駅前通りに面していました。

ゼンリン住宅地図 五所川原市1991年より)

住宅地図上で隣接している「朝日会館」はパチンコ店で、建屋は写真のように残存していますが2020年11月閉店と判明しています。

 

その朝日会館に隣接して並ぶ3軒のうち一方通行の路地に面した端の建屋に「プレイランドチャンプ」の文字を確認していますが、写真では2軒しか残存しておらず該当場所は駐車場となっています。この駐車場が跡地と思われるのですが、4枚目写真を見ると隣接する建屋の駐車場に面した出入口に軒があるため、元々ここは駐車場であり今も残る隣の建屋が跡地なのでは、という疑念もあります。継続調査案件ですが詳細をご存じの方は是非コメントをお寄せ下さい。

 

誌面への掲載は1990年11月号から開始され、この時点で市内に2店の掲載店が併存することになります。こちらもベーマガのみの掲載で、近隣にあったセガへの対抗意識があったのかもしれませんが掲載は長続きせず1991年11月号を最後に掲載はストップし、2店併存期間は1年程度に留まっています。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年5月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年5月号/トピック店舗:弘前ハイローザスペースランド(青森県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1990年5月号)

ゲーメスト1990年5月号(第5巻第5号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店舗数は96で先月比-2。先月に引き続き今月も新規掲載無しとなっています。

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1990年5月】

ゲーメスト 1990年5月号より)

 

集計店舗にスポットを当てているためあまりハイスコアそのものについてコメントすることが少ない当ブログですが、あれだけの人気を誇りながら集計開始から3か月を経過してもまだファイナルファイト/ハガ―のクリア者が現れていません。

 

攻略される前はどのキャラでもクリアすることすら厳しかったことに加え、シューティングゲームでスコアを出すことへの特別感が強かったこともあってハイスコア的に当初はプレイヤーのマークが比較的甘かったのでは?という印象があります。

 

そして先月に引き続きハイスコア掲載店改訂計画の告知がされています。

ゲーメスト 1990年5月号より)

 

先月は告知のみでしたが、今月は参加における具体的要件が記されています。これまでの掲載店募集時における要件から特に大きな変化は無く、最低条件が提示されたのみとなっています。

 

トピック店舗:弘前ハイローザスペースランド

続いてトピック店舗です。

 

前回に引き続き青森県弘前市の「弘前ハイローザスペースランド」をピックアップします。

ゲーメスト 1987年1月号より)

2021年10月23日撮影

津軽平野の中心都市弘前市

桜の花弁がお濠を埋め尽くすことで有名な弘前城の城下町で、城址公園と弘前駅の間に古くからの市街地が広がっていますが、そこにかつて「ハイローザ」というファッションビルが存在し、テナントとしてナムコがロケーション運営を行っていました。

 

ゼンリン住宅地図 弘前市1989年より)

 

1989年の住宅地図にて存在を確認しています。

中央を横切る主要地方道弘前・岳・鯵ヶ沢線(県道3号、中土手町商店街)が目抜き通りで、建物前の通りを更に西方向に進むと弘前公園となります。JR弘前駅からは若干距離が離れており徒歩だと15分程度は掛かります。弘南鉄道中央弘前駅の方が場所的には近くなります。

 

ビルのオープンは1980年、キーテナントを持たない運営形態でナムコは5階に存在したようです。施設は1998年まで営業されていたようですが、現在は写真のように中心市街地の商業ビルが撤退した後の典型であるマンションが建っています。

 

弘前市のホームページにて「ハイローザの思い出」募集がされており、当時の建物外観や思い出コメントを閲覧することが出来ます。

 

www.city.hirosaki.aomori.jp

 

ちなみに「ハイローザ」という名称は、「弘前→HIROSAKI→HI-ROSA」というのが由来ということは今回調査して初めて知ることとなりました。

 

そしてハイスコアの掲載はゲーメスト1987年1月号からスタート、前回紹介したダイエーレジャーランド十和田店に次いで青森県2番目のゲーメスト掲載店となります。

掲載後は度々全国トップスコアも輩出され、店舗トップ数のカウントである☆獲得は最終的に16個を数えています。東北地方の有力店という印象がありました。

 

ナムコ直営店ではあったものの永らくゲーメスト単独掲載を貫いていたのですが、4年以上経過した1991年になって初めてベーマガにも店舗欄が登場しました。

マイコンベーシックマガジン 1991年5月号より)

 

しかしベーマガへのスコア掲載は僅か5か月後の1991年9月をもって終了、ゲーメストは継続されたものの2か月後の同年11月号が最後の掲載となりました。ゲーメストにおいては約5年の長期掲載店となっています。ビルとしては前述のように1998年まで営業されていたものの、ナムコがいつまで営業されていたのかは判明していません。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年4月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年5月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年5月号/トピック店舗:レーザーランド(青森県)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1990年5月号)

マイコンベーシックマガジン1990年5月号(第9巻第5号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は109で先月比-1、新規掲載店はありません。

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1990年5月】

マイコンベーシックマガジン 1990年5月号より)

 

店舗の動向が少ない中、今号で最も目を引くのはトップスコアのコメント欄です。

1986年12月号からスコアの解説を記名にて行っていた見城こうじ氏が、今号にて担当から退く旨の記載がされています。

 

これまでトップスコア欄の解説に加え、全国のスコア集計店行脚などゲームそのものだけではなくお店やプレイヤーについても造詣が深かった氏ですが、1989年11月号からコメントがアシスタントとの連名となります。それがコーナーから降りることへの布石だったのかもしれません。

 

そして「降りる」という表現もそうですが、コメントからはどことなく無念さが感じられます。当時のアーケードゲームやゲームセンター、そしてハイスコア争いを取り巻く環境がどこか氏の思い描いていた方向と異なっていたのかもしれません。

 

トピック店舗:レーザーランド

続いてトピック店舗です。

 

先月に引き続き青森県の初期ベーマガ掲載店舗から「レーザーランド」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)

2022年10月22日撮影

スーパーソフトマガジン1984年8月号にて、掲載店総数が前月の60店から101店へと一気に拡大、タイトー系の店舗も現在判明しているだけで12店もの新規掲載が開始されるのですが、その12店中のひとつが八戸市の「レーザーランド」となります。

 

前回紹介した「プレイシティキャロット八戸店」に次いで八戸市内2店舗目のスコア掲載店となりました。この時点ではまだ青森市弘前市にも掲載店は登場していません。

 

ゼンリン住宅地図 八戸市1985年より)

1985年の住宅地図で場所を確認しています。

八戸のキャロットは市街地中心街に位置していましたが、こちらは郊外の国道45号線八戸バイパス沿いで、85年当時は周囲にはぽつぽつと郊外店が存在しているもののまだ空き地も目立ちます。同時期に掲載が開始された静岡県浜松市の「ビデオインパズル」と同様にドライブイン的な郊外店舗展開の一環だったと想像しています。

 

写真と地図を比較すると、現在の東京書店の建屋がまるまる使用されていたようで、当時としてはかなり大きな店舗だろうと思います。まだ新風営法が施行される以前であれば24時間営業も可能だったためドライブインとして飲食や自販機施設の併設があったのかもしれませんが、詳細な情報の発見には至りませんでした。

 

また85年の地図を見ると、敷地内別建屋に「(株)タイトー」の文字があるのがわかります。青枠で囲った建屋となります。

2022年10月22日撮影


こちらの建屋も現存していますが、写真のように現在は使用されていません。

営業所も併設されていたことから、タイトーの北東北方面の拠点として店舗共々運営がされていたのではないでしょうか。

 

ハイスコア掲載は前述のように1984年8月号から開始されましたが、スコアが掲載されたのは翌85年4月号が最後となり、8,9,11月と休載表記が続いた後にフェードアウトしました。閉店時期は不明です。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年4月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年4月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年4月号/トピック店舗:ダイエーレジャーランド十和田店(青森県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1990年4月号)

ゲーメスト1990年4月号(第5巻第4号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

総掲載店舗数は先月から変化なく98のまま、今月は新規掲載もありません。

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1990年4月】

ゲーメスト 1990年4月号より)

 

80年台後半のアーケードゲームシーンを語るにおいて外すことが出来ない横スクロールシューティング御三家の後継3作がいずれも期待値以下の結果となってしまった中、ヒットゲームのトップに躍り出たのはカプコンの「ファイナルファイト」です。

1989年がテトリスの年であるならば、1990年はファイナルファイトの年となりました。

 

また、テトリスの長期に渡ってのヒット継続、そして一時代を作ったシューティングゲーム代表作の後継タイトルが全てファイナルファイトの人気に敵わなかったことは、80年台においてゲームセンターの花形機種であったシューティングゲームがその座を譲る時が来たことの証左でもありました。

 

一方、動向が少なかったスコア掲載店について今号から動きがあります。

ゲーメスト 1990年4月号より)

 

この頃はゲーメストベーマガ共にほぼ掲載店の枠が一杯となっており、新たに掲載を希望する店舗は多数あったようですがいずれも要望には応えられない状況となっていたようです。

 

新規掲載希望店舗に対して特段の動きを示さなかったベーマガに対し、ゲーメストは集計店の入れ替えを予め誌面上で告知する方法を取ります。

 

実際に50号でかなりの数の新規掲載店が現れるのですが、この改定計画についてはその内容を追跡して行きたいと思います。

 

トピック店舗:ダイエーレジャーランド十和田店

続いてトピック店舗へ移ります。

 

青森県における初のゲーメストスコア掲載店となる「ダイエーレジャーランド十和田店」を取り上げます。

ゲーメスト 1986年9月号より)

2022年10月22日撮影

青森県十和田市青森県南部地方に位置しており、青森、八戸、弘前に次いで県下第4位である約6万の人口を擁しています。

 

2012年まで「十和田観光電鉄」という鉄道路線が隣の三沢から市中心部の十和田市駅まで伸びており、終点である十和田市駅にダイエーフランチャイズである「ダイエーとうてつ駅ビル店」が併設されていましたが、そのダイエー内に店舗は存在していました。

 

ゼンリン住宅地図 十和田市1987年より)


1987年の住宅地図に「FCとうてつビル(ダイエーとうてつ駅ビル店)」の記載が確認出来ます。電車はここが終点でホームは駅ビルと隣接していましたが、1987年時点では駅ビルの先に線路が続いており、1985年に駅ビルが出来る以前はそちらに駅舎が存在していたようです。

住宅地図にはテナント一覧も付属していますが、その中にダイエーレジャーランドの文字はありません。恐らく一覧はダイエー以外の入居テナントとなっており、ダイエー子会社であったダイエーレジャーランドはダイエー本体と同一の扱いをされていたのではないかと推察します。

 

そして前述のように2012年に十和田観光電鉄は路線廃止、直後に駅ビルの使用も停止されます。その後再開発計画の紆余曲折を経て2016年に現在の「ユニバース十和田東ショッピングセンター」となり現在に至っています。そのため駅ビルの形跡は全くなく、線路も廃線から10年以上経過し柵が僅かに残っているだけとなっています。

 

線路や駅ビルの建屋がまだ残っている時の写真が掲載されているブログがありました。

ameblo.jp

 

そしてゲーメストへの掲載は本格的にスコア集計が開始された1986年9月号からスタート。青森県の掲載店第一号となりました。同じ号ではダイエーレジャーランド郡山店が掲載開始、追って岩手県の一関店、秋田県の秋田店もゲーメスト掲載店となり、東北地方のダイエーレジャーランドから積極的に誌面掲載が展開されていたことが伺えます。

 

初回掲載時には当時の店内写真もアップされていました。

ゲーメスト 1986年9月号より)

 

昔のショッピングセンター内ゲームコーナーはどこもこれに近い光景だったように思います。

 

誌面への掲載終了は1989年5月号となり、掲載期間は2年半程度とショッピングセンター内店舗としては長続きした部類だったのではないかと思います。閉店時期は判明していませんが、2000年頃にダイエーがとうてつビルとのFC契約を終了し撤退しているため、その前後で店舗は存在しなかったのではないかと予想しています。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年3月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年4月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年4月号/トピック店舗:プレイシティキャロット八戸店 (青森県)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1990年4月号)

マイコンベーシックマガジン1990年4月号(第9巻第4号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は110となりで先月比-3となっています。新規掲載店が1軒あります。

 

・その他

コミュニティスペースNTK(2店合同)(北海道)

マイコンベーシックマガジン 1990年4月号より)

 

コミュニティスペースNTKの新店オープンに伴い、ゲーメストは1990年3月号から2店合同として掲載が開始されていましたが、ベーマガでも同様の動きとなっています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1990年4月】

マイコンベーシックマガジン 1990年4月号より)

 

ゲーメスト誌においては、ハイスコア欄と平行して「ヒットゲームBEST10」のコーナーを設け人気機種の動向を掲載していましたが、ベーマガアーケードゲーム専門誌ではないというスタンスからか特にそのようなコーナーはこれまで設けられていませんでした。今号からベーマガの誌面が変更されビデオゲームのヒットチャートのコーナーが開始されています。

マイコンベーシックマガジン 1990年4月号より)

 

専門誌であるゲーメストと比較すると個別のタイトルに割けるページ数が少ないという事情もあるのでしょうが、その分ヒットチャート欄は2頁を割いてランキングだけでなくインデックス的役割を持たせていたのではないかと思います。

 

こちらのランキングでも既にトップはファイナルファイトとなっていますが、記事内でファイナルファイトのことは一切触れずにグラディウスⅢの件に終始しています。注目度の高さに対して伴わないインカムという現実があり、非常に扱いずらいタイトルであったことが文面から何となく感じ取れてしまいます。

 

トピック店舗:プレイシティキャロット八戸店

続いてトピック店舗です。舞台を東北は青森県へ移します。

 

青森県初のハイスコア掲載店「プレイシティキャロット八戸店」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年1月号より)

2022年10月22日撮影

 

記念すべきベーシックマガジン「チャレンジハイスコア」初回集計である別冊スーパーソフトマガジン1984年1月号から掲載されたオリジナル26店のうちのひとつです。キャロットの店名から分かるようにナムコ直営店となります。

 

青森県八戸市は人口約22万(2023年)を擁し、青森市に次いで県下2位の人口を誇ります。東北新幹線八戸駅がありますが、こちらは元々は尻内駅と称し八戸の市街地からは約5㎞ほど離れており、八戸駅から分岐する八戸線で2つ先の駅である本八戸駅付近が八戸の中心地に近くなります。

 

市街地は中心を貫く国道340号の周囲に碁盤目状に広がっており、国道沿いには大型商業施設が立地している一方、キャロットの跡地は国道から一本隣の通りに面し、周囲やホテルや飲食店が主体となっています。

ゼンリン住宅地図 八戸市1985年より)

 

1985年の住宅地図では該当箇所に「プレイゲーム」の文字はあるもののキャロットの名称が記載されておらず、また周囲の建物の状況が現況とかなり異なっているため、1993年の住宅地図でも検証してみました。

ゼンリン住宅地図 八戸市1993年より)

 

1993年の地図においてはプレイシティキャロットの名称が確認出来ます。

 

地図がデジタルデータ化されており鮮明、かつ隣接する「ライオンビル八戸館」が現在も存在しているため、ライオンビルとジョイサウンドの入居するアイエスビルの間の場所が跡地であると思われましたが、該当する建物には「大嶋屋」の商号があり、これは85、93年いずれもキャロットの隣に位置する「大嶋(大島)屋呉服店」と一致します。

 

現在のアイエスビルに隣接する「中野ビル」は93年時点で存在しているため、ライオンビル~中野ビルの間がキャロット跡地や大島屋呉服店も含めて取り壊され、新たに現在の大嶋屋ビル及びアイエスビルとして再区画されたものと想像しています。経緯をご存じの方は是非ともコメントを頂きたくお願い申し上げます。

 

ベーマガオリジナル26店はゲーメストとの重複掲載を行った店舗が計6店と少ないのですが、こちらはその6店のうちのひとつとなっています。1987年8月号から掲載がスタートしました。

ゲーメスト 1987年8月号より)

 

その後暫くは重複掲載となりましたが、ベーマガは1991年9月号にて7年以上に渡った掲載を終了。その後はゲーメスト単独掲載店として更に3年半後となる1995年4月30日号まで掲載を継続しました。トータルでは10年以上に渡る長期掲載店となります。掲載終了は閉店によるもののようでハイスコア通信欄にコメントが残っています。

ゲーメスト 1995年4月30日号より)

閉店と入れ替わりで新たにオープンするプラボ八戸店について触れられていますが、こちらは八戸市郊外のロードサイド店のようで、店舗の大型、郊外化により進められた市街地小型店整理の波に飲まれたという印象です。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年3月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年2月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年4月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年3月号/トピック店舗:岐阜遊園ゲームコーナー(愛知県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1990年3月号)

ゲーメスト1990年3月号(第5巻第3号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

総掲載店舗数は98となり先月比+5と大きく増加しますが、新規は1店のみとなっています。

 

・その他

コミュニティスペースNTK2店合同(北海道)

ゲーメスト 1990年3月号より)

 

弊ブログの1989年7月~9月のトピック店舗でも取り上げていますが、1987年1月号から「ゲームプラザNTK恵庭店」にて掲載がスタート、同年7月号より「コミュニティスペースNTK」として拡張移転の上掲載を継続していました。

今回は移転ではなく既存店舗も営業を継続したまま新店を近隣にオープンさせ2店の合同集計となっています。そのため新規店と分類することは少々相応しくないかもしれませんが、掲載住所が新店となっているため新規掲載扱いとしています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1990年3月】

ゲーメスト 1990年3月号より)

 

80年台後半のゲームシーンを語る上で外せない「横スクロールシューティング御三家(グラディウスダライアスR-TYPE)」の続編が全て出揃っています。(グラディウスⅢ、ダライアスⅡ、R-TYPEⅡ)1989年は殆ど初代テトリス一色だったため、大物タイトル続編に対しての期待度は相当に高かったことが想像されます。

 

しかし3タイトルとも前作、もしくは前々作を人気、営業的に超えることは叶いませんでした。現在一部界隈では人気があるグラディウスⅢですが、登場当時は展開の遅さや数々のバグ発生、そして止めとなった無敵技発覚と続き、その期待度の高さに反してプレイヤーはあっという間に離れてしまったのは事実です。

 

トピック店舗:岐阜遊園ゲームコーナー

続いてトピック店舗へ移ります。

 

前回に引き続き愛知県の初期ゲーメスト掲載店から「岐阜遊園ゲームコーナー」を取り上げます。

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(ゲーメスⅦト 1987年8月号より)

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2020年9月13日撮影

 

名前は「岐阜遊園ゲームコーナー」ですが、所在地は岐阜県ではなく愛知県一宮市。この当時ゲーメストにはまだ岐阜県の集計店は存在していませんでした。

 

JR(尾張一宮駅)、名鉄名鉄一宮駅)の駅東口から徒歩5分程度の場所に、現在も建屋は残っている「ルボテンサンビル」があり、そのテナントだった模様です。

ゼンリン住宅地図 一宮市1987年より)

 

1987年の住宅地図には「テンサンビル」の表記で地下1階にゲームコーナーの存在が確認出来ます。

 

現在はマンションになってしまっていますが、住宅地図でもわかるようにかつてはこの建屋の隣に地元大型スーパーの「グランドタマコシ」があり、また一宮七夕祭りで有名な本町商店街のアーケード入口が建屋の道路を挟んで反対側に控えているため、かつては相当な賑わいを見せていたと想像されます。

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建屋と道路を挟んで反対側に面する本町商店街アーケード入口。

 

しかし、これは隣の岐阜市にも言えることですが、街の基幹産業であった繊維産業が衰退。また一宮は名古屋までJRの快速で約10分という利便性もむしろ災いし、立派なアーケードとは裏腹に商店街内はシャッターを下ろしている店舗が非常に目立ちます。

 

ルボデンサンビルも元々はタマコシの別館テナントビルのような位置づけだったようですが、タマコシ閉店・建て替えで建屋だけ取り残されるような恰好になってしまっています。

 

そのルボデンサンビル、通りに面している1階はまだいくつかテナントが営業を続けていますが、1階以外はその建屋の大きさに比してテナントはまばら。地下1階に降りてみるとフロア内は既にかび臭い匂いが充満しており、残念ながら一般の方が気軽に入れる空間ではありませんでした。


そしてゲーメストへの掲載は1987年8月号から11月号までのわずか4か月間に留まりました。しかしながら後に名古屋市の「イエローハット」にてご活躍される方々のネームが多数見受けられ、愛知県は尾張地区の有力スコアラーが集まった時期もあったようです。こちらは一足早く名古屋へ吸収されてしまったということでしょうか...

 

店舗が建屋内のどこで営業され、またどのくらいまで存在したのかは現地から探ることは出来ませんでした。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年2月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年3月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年4月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年4月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年3月号/トピック店舗:ゲームランドウイング (静岡県)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1990年3月号)

マイコンベーシックマガジン1990年3月号(第9巻第3号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は113で先月比-1。新規掲載店は先月に引き続き存在せずほぼ掲載枠上限で推移しています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1990年3月】

マイコンベーシックマガジン 1990年3月号より)

 

最大で61店の掲載を誇ったナムコ系掲載店ですが、徐々にその数を減らしていき今号時点では41と2/3程度となっています。今号ではプレイシティキャロット笹塚店(東京)が姿を消し、また先月では分大キャロットハウス(大分)、プレイシティキャロット豊橋店(愛知)、ブックセンタースクラム(宮城)の3店が掲載を終えています。豊橋ゲーメストとの重複掲載だったのですが今号以降はゲーメストのみの掲載となりました。

 

また、山口県防府市の「ゲームランド・プールイン」ですが、今回チャレハイ通信欄に「ピエロ(山口)」「ドラゴンボール(徳山)」との3店合同となる旨が綴られていますが、防府以外の2店については現在確認している時点では一度も住所情報が出てこないため所在地が不明となっています。もし情報をお持ちの方が見えましたらコメントをお寄せ頂きたくお願い致します。

 

トピック店舗:ゲームランドウイング 

トピック店舗は前回に引き続き静岡県の店舗から。

 

島田市の「ゲームランドウイング」をピックアップします。

マイコンベーシックマガジン 1986年5月号より)

2021年5月4日撮影

静岡県中部に位置する島田市静岡市浜松市のほぼ中間、お茶の産地である牧之原台地と、江戸時代には「越すに越されぬ」と謡われた大井川に面する旧東海道の宿場町です。

市の中心部はJR東海道線島田駅付近ですが、そこから東へ2㎞程離れた旧東海道沿いに店舗はありました。当時としては珍しいロードサイドの単独店だったようです。誌面への掲載は1986年5月からですが、丁度1986年4月に東海道線六合駅が新たに設置されそちらからは1km程度となるため、掲載店となって以後は六合が最寄駅と言えそうです。

 

ゼンリン住宅地図 島田市1987年より)

写真手前の道路が旧東海道。1987年時点ではまだ国道1号だっとことがわかります。オートスナックの表記もあるため幹線国道沿いのドライブインを兼ねていたようです。

 

そして建屋は現存していますが、現在は地元の大衆演劇の劇場となっています。

左の建屋が劇場で右は駐車場となっていますが、ゲームセンター時代は右の建屋も店舗として使用されていたとの情報を頂いています。

 

前述のように誌面への掲載はベーマガ1986年5月号からスタート。

店舗オーナーがゲームに理解のある方だったようで、ゲームマニアにとっても非常に開放的な店舗だったようです。その影響もあってか掲載は比較的長期となり、確認している時点では1994年9月号まで8年以上に渡って誌面に店舗名を刻み続けました。ゲーメストへの掲載はされませんでした。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年2月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年2月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年3月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年2月号/トピック店舗:東海アミューズメント(グランドハウスマキ)(愛知県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1990年2月号)

ゲーメスト1990年2月号(第5巻第2号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

総掲載店舗数は93と一つ減りますが、新規は1店追加されています。

 

セガ

ハイテクセガ太田(群馬県

ゲーメスト 1990年2月号より)

群馬県太田市に2軒目の集計店として掲載が開始されますが、2ヵ月前の1989年11月号から掲載が開始された「ジャックアンドベティー」とその距離約50m。

 

店舗でハイスコア集計を行うことがまだ集客策として効果があると思われていた時代には、他店との競争のためか至近距離の店舗がこぞって集計を開始する例は時折見られました。店舗の郊外化が進行する以前は地方の駅前商店街にも複数のゲームセンターが存在しており、まだ活気があった時代を象徴しているようです。

 

それにしても1989年後半からこの1990年頭にかけて、新たな集計店の追加はほぼストップしているのに対してセガ系店舗だけは5店もの新規掲載がされています。(高崎、金沢、長浜、藤井寺、太田)セガ系店舗がスコア集計に理解があった最後の時期だったようです。一方で、大阪市の「ハイテクランドセガ杉本町」は今号で掲載店から姿を消します。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1990年2月】

ゲーメスト 1990年2月号より)


今号において「ハイスコア集計方法改正のお知らせ」としてスコア集計における幾つかのルールが明文化されました。

 

ベーマガでは1989年12月号において連射装置の使用が正式に認められる一方装置の有無で集計を分けることはされませんでしたが、ゲーメストベーマガとは異なりタイトルによって差が出る場合は装置の有無に分けて集計を行うこととなりました。連射装置否定派の店舗にも配慮した形となっています。

 

また、申請数が少ないため店舗別トップ数にカウントされなかった「ハイスコア番外地」が廃止され、マイナータイトルについてもトップの扱いは同等となります。敢えてこの番外地を狙っていたプレイヤーもいたようですが…

 

トピック店舗:東海アミューズメント(グランドハウスマキ)

トピック店舗へ移ります。場所を愛知県へ移します。

 

初期ゲーメスト掲載店舗から、高浜市の「東海アミューズメント(グランドハウスマキ)」をピックアップします。

ゲーメスト 1987年1月号より)

2021年5月3日撮影

所在地である愛知県高浜市は旧三河国に属するに人口5万弱の小さな街で、三州瓦の産地として有名です。近隣の衣浦湾は臨海部に大規模なプラントが林立し、またトヨタ自動車やその関連工場が立地する地域に含まれることから工業地帯、及びその衛星都市としての役割が大きくなっています。

 

店舗の前の道は衣浦方面へと続いている交通量の多い県道で、道路に面した駐車場を構えておりドライブイン的店舗であったと思われます。近くに名鉄三河線の線路がありますが最寄駅の吉浜へは徒歩だと20分以上は掛かります。

ゼンリン住宅地図 高浜市1987年より)

1987年の住宅地図に「ゲームコーナーマキ」の表記があります。隣接した喫茶店や敷地内の画廊にも「マキ(真樹)」の表記があるためオーナーが同一だったのかもしれません。

現在は写真のようにカラオケ喫茶となっています。隣接している建物2階の「麻雀 大吉」の文字が残っていたため場所の特定に至っています。

 

誌面への掲載ですが、1987年1月号のゲーメスト初回掲載時は店名が「東海アミューズメント」となっていました。これは運営会社の名称だったようで、翌3月号から「グランドハウス マキ」に店名欄が変更されています。

ゲーメスト 1987年3月号より)

 

店名が変更になった反面住所も本社住所へ変更されており、高浜市の住所にて記載されたのは初回のみでした。

 

そしてこの「名古屋市瑞穂区豊岡通3丁目34-3」という(株)東海アミューズメント本社住所ですが、以前その場所にもゲームセンターがあったことが確認されています。その店名も「グランドハウス」であり高浜と共通していました。

 

以下営業時の光景がアップされているサイトがありました。

geolog.mydns.jp

「グランドハウス」は名古屋市内に複数の店舗を運営していたことが確認されており、高浜の店舗もそのうちの一つであったと想定されます。ただハイスコア掲載を実施したのは高浜の店舗のみでした。その掲載も1987年11月号にて終了しています。また(株)東海アミューズメントにて検索すると豊岡通の住所がヒットしますが2022年時点では既に「ランニングショップステップ」というスポーツ用品店となっており、企業として活動が継続されているのかは不明となっています。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年3月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年2月号/トピック店舗:ビデオインパズル/ウィルトークタイトー三島店(静岡県)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1990年2月号)

マイコンベーシックマガジン1990年2月号(第9巻第2号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は114で枠上限をキープしています。先月に枠が埋まったため掲載希望があっても直ぐには応えられないというコメントがあったこともあり、新規掲載はありません。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1990年2月】

マイコンベーシックマガジン 1990年2月号より)

 

トップスコア欄のコメント、集計タイトルが増加していたこともあり1990年に入ると尺が短くなっているのですが、特に今月のコメントからは少々投げやり感が感じられます。1989年のビデオゲームシーンを支えた初代テトリスの人気も一段落し、スコア欄に並ぶ新作を見ても目立つタイトルに乏しく全体的に停滞感が漂っています。

 

トピック店舗:ビデオインパズル/ウィルトークタイトー三島店

トピック店舗へ移ります。

 

静岡県タイトー系掲載店から「ビデオインパズル」及び「ウィルトークタイトー三島店」の2店を取り上げます。

 

【ビデオインパズル】

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)

2021年2月20日撮影

 

【ウィルトークタイトー三島店】

マイコンベーシックマガジン 1987年8月号より)

2021年5月2日撮影

 

「ビデオインパズル」は浜松市郊外にある佐鳴湖に面した高台に開発された新興住宅地を横切る道路沿いに位置します。店舗前の道路を南下すると前回紹介している「ナムコランド浜松西店」のある現在の「イオン浜松西店」に突き当たります。

ゼンリン住宅地図 浜松市1986年より)

 

1986年の住宅地図に存在を確認しています。周囲は殆どが住宅で、正面道路は片側2車線ありますが郊外幹線道路沿いによく見られるロードサイド型チェーン店の姿はほぼ無く、非常に閑静でここがゲームセンターの跡地とは想像しにくい場所です。

 

Twitterに営業当時の店舗外観写真がアップされていました。

店舗名称からはタイトー系の店舗と判別出来ないのですが、上記資料から店舗をタイトー系として分類することにしています。

 

「ゲーム&スナック」の看板もあるようにオープン時は軽食コーナーも設置されており、ドライブイン型の店舗を指向してしたようです。資料は見つかっていませんが、新風営法施行前は24時間営業が実施されていたのかもしれません。

 

現在は「グリーンジャケット」というゴルフ用品ショップとなっていますが、写真を比較するとパズル時代の建屋ではなく建て替えられているようです。

 

ハイスコアの掲載はベーマガ1984年8月号から開始されました。タイトー系の店舗が同時に多数エントリーされたタイミングです。ナムコ系ロケーション以外の初期掲載店が着々と店舗欄から姿を消す中で1987年2月号まで掲載は継続しました。閉店時期は不明です。

 

そしてもう一方の「ウィルトークタイトー三島店」は静岡県東部地域、三島駅前に面する商店街内に位置した都市型店舗となります。

ゼンリン住宅地図 三島市1989年より)

 

三島駅前から三島市中心市街地である旧東海道沿いの三島本町方面へ伸びる通り沿いに商店街が掲載されており、その途中にある現在の「第2コウワビル」が跡地となります。1989年当時の名称は「第二富士見ビル」となっておりの住宅地図では1階に「ゲームコーナー タイトー」の文字があります。

 

正面から見た建屋正面は写真を見て頂けるとわかりやすいですがかなり複雑な構造となっており、雑然と取り付けられた多数の看板が飲食店やスナックを中心とした駅前雑居ビルの雰囲気を醸し出しています。建物1階の奥へ伸びる通路がありますが、ゲームセンターが入れるような大きな容積の店舗が奥にはなさそうなので、恐らく正面左手の居酒屋「三ツ星マート」の場所に元々存在したのではないでしょうか。

 

誌面への掲載はベーマガ1987年8月号からスタート、87年11月号では初代ストリートファイターの全国トップを輩出する実績もありましたが、翌88年5月号までの短期の掲載に留まっています。三島市は同じ通り沿いに後日再びハイスコア掲載店が現れるのですが、少々間隔が空き90年台中盤まで待つことになります。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年2月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年1月号/トピック店舗:ビデイオンセガ船橋店(千葉県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1990年1月号)

ゲーメスト1990年1月号(第5巻第1号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

総掲載店舗数は94で先月と同数。新規掲載も無くあまり動きがありません。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1990年1月】

ゲーメスト 1990年1月号より)

 

前回は取り上げられなかったのですが、1989年12月号を最後に大阪市の「ゲームハウス999」が掲載を停止しています。最初のハイスコア集計店舗である1986年9月号掲載の35店のうち、初回で集計店から離脱した茨木市の「Pasadena」を除くと唯一関西圏で掲載が継続されていましたが、大学の付近とはいえ最寄駅が遠く、プレイヤーが集まるには少々厳しい立地だったのではないかと思われます。

 

また今月のヒットゲームベスト10にて2位にランクインしているアイレムの「X-マルチプライ」ですが、「メーカーの要請によって特集を組めない」という不穏なコメントが記載されています。

 

ゲーメスト誌とアイレムの関係は、R-TYPEイメージファイトと言ったタイトルが誌面で大々的に取り上げられることでヒットした1987~1988年頃は良好を通り越し蜜月関係とも言えるレベルだったと思われますが、攻略記事が製品寿命を縮めていると判断されたのかこの「X-マルチプライ」から急速に態度を硬化させてしまいました。

 

結果的にX-マルチプライとR-TYPEⅡの両タイトルはゲーメスト誌上で攻略特集記事が組まれることはなく、紹介記事のみの掲載となりました。1991年になると関係が改善したのか再び攻略記事が組まれるようになるのですが、以後アイレムのタイトルが大きく誌面を飾ることは少なくなったと思われます。

 

90年台に入るとアイレムは80年台の勢いを失い徐々に凋落してしまうのですが、ゲーメストとの関係悪化はその切っ掛けとなる出来事だったのではないかという気がします。

 

トピック店舗:ビデイオンセガ船橋

トピック店舗へ移ります。

 

前回に引き続き千葉県のセガ系店舗から「ビデオインセガ船橋店」をピックアップします。

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ゲーメスト 1986年9月号より)

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2020年7月5日撮影

 

現在、JR船橋駅京成船橋駅の間には写真の再開発ビル「FACE」が立地していますが、再開発前に存在したパチンコ店「オリンパス」の2階に存在していた店舗です。

ゼンリン住宅地図 船橋市1987年より)

1987年の住宅地図にて、パチンコオリンパスの建屋に「2F セガゲーム」の文字が確認出来ます。

 

パチンコ店は引き続き再開発ビルの中で営業しているため、元々は地権者であったのだろうと思われます。再開発ビルの定礎は平成15年となっているため、それ以前に取り壊されているはずですが、いつまでセガ店舗が存在していたのかは不明です。

 

ゲーメストが本格的にハイスコア集計を開始した1986年9月号から掲載がされ、1989年6月号まで一度も掲載を欠かさなかったのですが、1989年7月号以降復活することはありませんでした。最後の集計となった1989年6月号のハイスコア店舗通信欄に、以下の記述を発見しています。

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ゲーメスト 1989年6月号より)

 

どうもハイスコアを担当されていた店長が店舗を離れてしまったようで、それに伴い掲載もストップしてしまったようです。他に理解のあるスタッフが存在すれば掲載が続いていたのかもしれませんが...特定の熱意のあるスタッフにのみ支えられているサービスはどうしても継続性に難が出てしまいます。

 

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