小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年8月号/トピック店舗:ウィルトークタイトー金沢店(石川県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1990年8月号)

ゲーメスト1990年8月号(第5巻第8号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

総掲載店舗数は91となり先月比-1。先月に大量の掲載終了があったにも関わらずほぼ横這いとなっています。

そして今月も先月に続き、1店の新規掲載店舗があります。

 

セガ

ハイテクセガ長岡(新潟県

ゲーメスト 1990年8月号より)

前にも述べましたが、1989年6月号(33号)から1990年10月(50号)にかけての期間は新規掲載店舗が少ない時期なのですが、セガ系店舗だけが新規掲載を増やしています。まだセガ系店舗がスコアラーにも比較的寛容だった最後の時期だったように思えます。

 

一方で今月にて掲載を終了する店舗については先月同様に大量に存在します。

 

ナムコ

プレイシティキャロットIN甲府甲府周辺集計)(山梨県

プレイシティキャロット久留米店(福岡県)

 

セガ

ハイテクセガ平岸(北海道)

 

・その他

ゲームセンターニューチャンピオン(岡山県

ニューゲームビッグ(京都府

TVプレイハウス ミッキーハウス(岡山県

アビニョン宮城県

プレイランドファンタジー宮城県

ゲームプラザサンシャイン(千葉県)

 

 「スーパーハングオンセガ/1987)」のハイスコア争いで名を馳せた「ハイテクセガ平岸」と「ゲームセンターニューチャンピオン」の両店が同時にスコア集計店から姿を消すという事態が発生しています。

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ゲーメスト 1988年5月号より)

 

上記のスーパーハングオン集計打ち切り(ミニライドオンタイプのみスコアラーからの申し入れで翌月から集計続行)以降、ハイテクセガ平岸はどことなくハイスコア熱がトーンダウンしてしまった感がありましたが、ハイスコア集計初回から掲載され特に目立った休載期間も存在せず、コンスタントに全国トップスコアも輩出し続けていたゲームセンターニューチャンピオンは、今号で突如と掲載を中止した形となってしまいました。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1990年8月】

ゲーメスト 1990年8月号より)

 

また、「ハイスコア掲載店改訂計画のお知らせ」については先月の第4弾が最後の掲載となっており、今号には特段の記載はありませんでした。

 

トピック店舗:ウィルトークタイトー金沢店

続いてトピック店舗です。

 

今回も石川県金沢市内のゲーメスト掲載店から、「ウィルトークタイトー金沢店」をピックアップします。

ゲーメスト 1989年2月号より)

2021年7月23日撮影

 

金沢市ゲーメストスコア掲載店は、前回紹介した「プライランド片町」「コスモランドムサシ」が共に1989年中に誌面から姿を消します。またベーマガオリジナル掲載店として最も歴史のある「プレイシティキャロット金沢店」も同年中に誌面への掲載を終了してしまいます。

 

それに代わって89年以降、ナムコ以外のメーカー系店舗が集計店として名乗りを上げるのですが、まず掲載が開始されたのがタイトー系の「ウィルトークタイトー金沢店」でした。

ゼンリン住宅地図 金沢市1989年より)

場所はキャロットのある香林坊から国道157号を少々下った片町の繁華街のほぼ中心で、国道を挟んで反対側は北陸地方の地場百貨店大和の元本店である「ラブロ片町」となっています。立地は抜群となっており、1989年時点では隣のパチンコ店地下にも「ゲームスポットファントム」の文字が確認出来ます。

 

現在は再開発により向かいのラブロ片町は「片町きらら」と名前を変え、ウィルトークの場所はカラオケ店のJOYJOYになっています。隣接したゲームスポットファントムの場所もコートダジュールとなっており、隣接していた2店のゲームセンターは揃ってカラオケ店へと姿を変えていました。

 

なおタイトーは2023年時点で依然片町に店舗を構えていますが、場所は異なっておりちょうどキャロットとウィルトークの中間付近となります。

www.taito.co.jp

 

誌面への掲載はゲーメスト1989年2月号からスタート、1989年8月号からは近隣にハイテクセガ金沢店もスコア掲載店としてエントリーされ、当初はプレイヤーの行き来があった様子がありますが、先にハイテクセガがスコア掲載を停止した後にこちらへスコアラーが流れてくることはなかったようです。

 

そして5年半後の1994年10月15日号から店舗名称が「TILT金沢」に変更となります。当時のタイトー都市部店舗で進められていたCI変更に対応されたようです。

ゲーメスト 1994年10月15日号より)

 

掲載終了は1995年5月30日/6月15日号となっています。最終的には6年以上の長期掲載となりました。閉店時期は判明していません。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年8月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年9月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年9月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年8月号/トピック店舗:ゲームプラザニュー日の出/タイトーイン706(長野県)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1990年8月号)

マイコンベーシックマガジン1990年8月号(第9巻第8号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は107となり先月比-6と大きく減少。先月に5店追加されたこともあってか今月は新規掲載店はありません。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1990年8月】

マイコンベーシックマガジン 1990年8月号より)

 

チャレハイ通信欄に「NEOGEO入荷しました」コメントがちらほらとありますが、NEOGEO発売当初は6タイトル選択の筐体販売だけだっと記憶しているので小規模ロケーションにとっては結構な初期投資だったのではと推察されます。正直餓狼伝説がリリースされるまでのNEOGEOはヒットと言えるタイトルに乏しかったため、入荷当初の店舗での光景が何となく思い浮かんでしまいます。

 

また、「チャレハイ担当者の名を語りデマを流していた者がいる」との担当者からのコメントがあります。

SNSや携帯電話すら無い当時は、プレイヤー間の情報伝達と言えば直接店舗に出向いて設置されているコミュニケーションノートを用いることがポピュラーでしたが、ことハイスコアの状況確認においては店舗に直接電話を掛けることが普通に行われていました。内容から察するに「特定の地域の店舗にチャレハイ担当者の名前を騙って電話連絡を入れ、ハイスコアに関するデマ情報を流布する」といった行為があったようです。

 

ただ、上述のようにスコアの状況を確認するために電話連絡を入れるということであれば理解出来るのですが、チャレハイ担当者の名を騙ってどのようなデマ情報を流すのかが今一つピンときません。文面からは「担当者がスコアを改竄している」という情報を流していたと推察されますが、それを行うことでデマ情報を流した当人にどのようなメリットがあったのかが理解できないのです。自店のスコアが他店に敗北したので、「他店のスコアは嘘スコアで、特定の店舗(プレイヤー)にトップを取らせるために担当者が便宜を図った」あるいは「自店のスコアが担当者に嘘スコア認定され、トップに掲載されなかった」といった所なのでしょうか。

 

トピック店舗:ゲームプラザニュー日の出/タイトーイン706

トピック店舗へ移ります。

 

長野県は東信地域の集計店から、上田市の「ゲームプラザニュー日の出」及び「タイトーイン706」の2店をピックアップします。

 

【ゲームプラザニュー日の出】

マイコンベーシックマガジン 1986年4月号より)

2022年9月10日撮影

 

タイトーイン706】

マイコンベーシックマガジン 1991年5月号より)

2022年9月10日撮影

真田氏の城下町として知られる上田市。ここに2店の掲載店履歴があります。

 

上田駅の付近に元城下町らしい細い路地の市街地が広がっていますが、その中に存在したパチンコ店「ニュー日の出」の2階が最初に紹介する「ゲームプラザニュー日の出」となります。かつて多く見られたパチンコ店共存型の店舗だったようです。

ゼンリン住宅地図 上田市1991年より)

 

住宅地図はベーマガへの掲載開始から少々時間が経過した1991年のものですが、パチンコニュー日の出の箇所に「2Fゲームプラザ」の文字が確認出来ます。

 

2022年時点では住所の場所は写真のようにキャバクラになっていますが、建屋はパチンコ店のものがそのまま使用されている模様です。スモークが貼ってあるため分かりませんが右側の入口が2階へ通じていたのではないでしょうか。2階がフルでゲームセンターとして使用されていれば当時としてはかなり広い部類の店舗だったのかもしれません。

 

地図を見ると近隣には「モナコ会館」というパチンコ店もあり、こちらの2階もゲームセンターとなっていたことがわかります。現在も残る映画館「上田映劇」も含めかつては歓楽街が構成されていたようですが、現在は夜にならないと営業されない店舗ばかりのようで昼間は写真のように人通りもまばらになっています。

 

誌面への掲載は長野県では松本キャロットに次いで2番目となるベーマガ1986年4月号からスタート、1996年6月号が最後の掲載となったため10年以上の長期掲載店となりました。

 

ゲーメストにはなかなかエントリーされなかったのですが、2部集計店としてようやく掲載された履歴があります。

ゲーメスト 1996年5月15日号より)

 

こちらもベーマガとほぼ同一の1996年5月15日号が最後の掲載。スコア集計終了と記載されているため閉店ではなかったようですが、いつまで営業が続いていたのかは確認出来ていません。私がセガワールド上田に赴任した2002年には既に店舗は無かったと記憶しています。

 

そしてもう一軒の掲載店「タイトーイン706」は上田駅前に立地していました。

ゼンリン住宅地図 上田市1991年より)

 

駅前ロータリーの向かいに以前は飲食店や土産物店が入居していた「上田駅前ビル」が当時ありましたが、その裏手に隠れるように存在した「シティプラザビル」1階に「ゲームタイトイン」の文字を確認しています。

 

しかし駅前は北陸新幹線開通以後大きくその姿を変えています。

上田駅前ビル、シティプラザビルを含めた一角は拡幅された駅前広場に飲み込まれ、新しい上田駅前ビル「パレオ」につながるペデストリアンデッキ及びタクシープールとなっています。そのため建屋や店舗の存在を窺わせる形跡は何も残っていません。「パレオ」が上田駅前ビルを名乗っているため紛らわしいですが新たな建屋は道路1本分北側に移っており、1991年の地図における天神1丁目の交差点から上田公共職業安定所の場所となっています。

 

誌面への掲載はベーマガ1991年5月号から。こちらの登場で上田市に2店の集計店が併存することになります。双方徒歩で充分移動可能なためプレイヤーもかなり被っていた印象です。

ただ同年後半で早くも度々店舗欄を欠き、12月号を最後に以後掲載はされませんでした。実質半年程度の掲載に留まっています。10年掲載が続いたニュー日の出とは対照的です。

 

平成14年(2002年)3月に現在の駅前広場工事が着工しているためそれ以前には閉店していると思われますが、2002年からの上田勤務時代に駅前のタイトーの件を一切見聞きしていないため、もっと早い時点で閉店していたと思われます。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年7月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年9月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年8月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年7月号/トピック店舗:プレイランド片町/コスモランドムサシ(石川県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1990年7月号)

ゲーメスト1990年7月号(第5巻第7号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

総店舗数は92で先月比+1。50号の入れ替えを控え新規掲載は0かと思いきや、1店存在します。

 

・その他

扇が丘レジャーセンター(石川県)

ゲーメスト 1990年7月号より)

90年台以降の金沢を代表するハイスコア集計店はここで登場。他に掲載が開始された店舗が殆どないタイミングなので、掲載にプレイヤーの後押しがあったことが予想されます。

2014年まで営業が継続していたため、最近のプレイヤーでも店舗名を聞いたことがある方は結構いらっしゃるのではないでしょうか。

 

また掲載を終了する店舗が急速に目立つようになります。

確認している範囲でこの号が最後の掲載となった店舗は以下の通りです。

 

ナムコ

うすい百貨店ナムコスカイランド福島県

セガ

ハイテクセガ柏(千葉県)

ハイテクセガ新潟(新潟県

ハイテクセガ三宮(兵庫県

・その他

ヒノデベガス(宮城県

ゲームセンターアスター滋賀県

 

ダイエーレジャーランド郡山店から至近距離で、その陰に隠れがちだったうすい百貨店ナムコスカイランドですが、掲載店としてはこちらの方が継続しました。ただ1989年頃からは掲載は不定期気味になっていましたが…

ハイテクセガ新潟は単独掲載としてはこの号が最後ですが、追って同じ新潟市内のハイテクセガ万代と合同という形となって復活します。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1990年7月】

ゲーメスト 1990年7月号より)

そして「ハイスコア掲載店改訂計画のお知らせ」も4回目となります。

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ゲーメスト 1990年7月号より)

この時点で22店の新規掲載希望があったということですが、これが多いのか少ないのかは評価が分かれるところ。100店程度の誌面枠とすれば22店は結構な数ですが、当時のゲームセンターの数から考えると逆に「募集しても22店しか希望が集まらなかった」と捉えることも出来そうです。

 

トピック店舗:プレイランド片町/コスモランドムサシ

続いてトピック店舗へ移ります。

 

北陸は金沢市の初期ゲーメスト掲載店から、「プレイランド片町」「コスモランドムサシ」の2軒をピックアップします。

 

【プレイランド片町】

ゲーメスト 1987年1月号より)

2021年7月23日撮影


【コスモランドムサシ】

ゲーメスト 1987年6月号より)

2021年7月23日撮影

金沢市のハイスコア集計店は、ベーマガは初回の1984年1月号から「ビッグキャロット金沢店」がエントリーされましたが、ゲーメスト掲載店とはなりませんでした。

 

石川県の店舗がゲーメストに出現するのは1987年に入ってからとなりますが、県下初の掲載店として1987年1月号から登場したのが「プレイランド片町」です。

 

ゼンリン住宅地図 金沢市北部1989年より)

 

金沢の中心街は国道157号に沿って武蔵が辻-香林坊-片町と続いていますが、片町よりも香林坊の交差点に近い「片町センタービル」が掲載住所と一致します。ビッグキャロット金沢のある「児玉ビル」は建物の裏手となっています。

 

ただ誌面掲載期間住宅地図の片町センタービルテナント一覧には「プレイランド片町」の文字がありません。ゲームセンターと思しきテナント名も確認出来ませんでした。

(「人参ハウス」というスナックはありましたが…)

1982年の地図も確認してみましたが同様でした。

ゼンリン住宅地図 金沢市北部1982年より)

そのためまだこのビルがプレイランド片町の位置として完全に特定は出来ていません。情報をお持ちの方は是非コメントをお寄せ下さい。

 

掲載は1988年12月号までの2年間となりました。

掲載期間中はまだ金沢キャロットがベーマガへの掲載を継続していたため、至近距離にあってその地位を脅かす程の存在にはなり得なかったようです。閉店時期は不明です。

 

現在は同ビル内に「金沢香林坊郵便局」が存在しますが、1989年の地図では郵便局は存在していません。2006年に現位置へ郵便局が移転しているため、地図情報が誤っているということではないことを確認しています。

 

そしてもう一方の「コスモランドムサシ」ですが、「ムサシ」の名の通り有名な近江町市場にも近い武蔵交差点の付近に位置していました。


現在の建屋写真を見ると、隣接する百貨店「金沢エムザ」と連続している構造となっていますが、1枚目写真の交差点に面した場所の1,2階部分がテナントのエリアとなっており、エムサのフロアと直接は接していません。

 

www.kmza.jp

そのため金沢エムサザの店舗情報欄にもテナントは記載はされていません。

 

ゼンリン住宅地図 金沢市北部1989年より)

 

その構造は昔から変わっていないようで、1989年の住宅地図でも当時の「ニュースカイプラザ」を取り巻くようにテナントが存在していたことが確認出来ます。

 

コスモランドムサシはこのテナント群の中に存在しており、現在の写真では百万石通りに面する3軒のテナントの中央、理美容店の場所の2階が該当することが確認出来ます。上記住宅地図では1階はモスバーガーとなっていますが、現在は海鮮居酒屋となっているようです。

 

こちらはプレイランド片町から遅れること半年の1987年6月号から誌面への掲載を開始。しかし掲載は長続きせず1989年9月号が最後となっています。

 

両店とも掲載期間は2年程度となり、またゲーメストのみの掲載でベーマガへの掲載履歴は無いという点も共通しています。1989年は金沢のゲームマニアの聖地であったプレイシティキャロット金沢店も誌面への掲載がストップし、以後金沢市の集計店は片町のウィルトークタイトー、ハイテクセガに比重が移っていくことになります。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年7月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年8月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年8月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年7月号/トピック店舗:BIG CARROT 松本駅前→プレイシティキャロット松本店(長野県)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1990年7月号)

マイコンベーシックマガジン1990年7月号(第9巻第7号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は113と先月比+9の大幅増となり上限の114に近づいています。掲載店が減少傾向となったためか、5店の新規掲載店が追加されました。

 

セガ

ハイテクセガ広島(広島県

 

・その他

ジョイフルランドヒノーズ下井草店(東京都)

 

荏原ゲームコーナー(東京都)

 

アミューズ&レストメイヨー(兵庫県

 

ゲームセンターJOY呉店(広島県

マイコンベーシックマガジン 1990年7月号より)

 

90年台の東京における代表的ハイスコア集計店である「荏原ゲームコーナー」「ジョイフルランドヒノーズ下井草」が揃って誌面に登場しています。ゲーメストには1987年10月から登場していた荏原ゲームコーナーですが、ベーマガでは3年近く遅れての掲載開始となりました。

 

一方のジョイフルランドヒノーズ下井草がゲーメストに登場するのは、ハイテクノーベル神保町、ジョイランドタローとの3店合同となる1992年5月号まで待つことになります。

 

これでベーマガ誌上には町田、荏原、神保町、下井草の各店が出揃い、90年台のハイスコアシーンで度々その店名をトップスコア欄にて見掛けることになるのですが、その陰で80年台には多数を占めていた東京都内のナムコ系キャロット店舗が、スコアラーの拠点としての役割を終え徐々に店舗欄から姿を消していくことになります。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1990年7月】

マイコンベーシックマガジン 1990年7月号より)

 

スコア欄のトップに「パロディウスだ!」が登場、合わせて「グラディウスⅢ」は永久パターンの発覚で面数集計からも除外されてしまいました。ここで言う「永久パターン」は恐らく無敵技発覚の件と思われます。

流石にこの無敵技発覚は致命的で、2周エンドゲームになったとは言え骨のある2周目攻略が必要なパロディウスにトッププレイヤーは殆ど流れてしまい、グラディウスⅢは急速に店舗から撤去が進んでしまうことになります。

 

トピック店舗:BIG CARROT 松本駅前→プレイシティキャロット松本店

続いてトピック店舗です。

 

ベーマガオリジナル26店のうちの一つにして長野県に存在した唯一のキャロット系店舗「BIG CARROT松本駅前→プレイシティキャロット松本店」を取り上げます。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年1月号より)

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2020年7月23日撮影

 

長野県第二の都市松本市、その玄関である松本駅を出て正面にある繁華街に立地していました。長野県はここ以外には「キャロット」の名前を冠するナムコ直営店舗が誌面上に登場しなかったこともあり、県内を代表するハイスコア集計店として存在感があったお店です。

ゼンリン住宅地図 松本市1985年より)

写真の「セントラルビル」地下1階で現在はカラオケ店のフロアになっています。1985年時点でビルと共にキャロットの存在が確認されています。

 

90年台後半に一度行ったことがあるのですが、階段で地下へ降りた先にあったと記憶しているため、4枚目写真のシャッターが降りている階段が出入口跡かと思いましたが、

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(季刊NG4号より。@Area51_zek 氏のtwitterより転載)

この写真を見るとビル正面右側に地下に直接入れる出入口があったように見えるため、カラオケ店に改装した際にアーチも含めた地下への入口を撤去している可能性が高いと思われます。

 

オープンは1979年とのことで相当に歴史のある店舗です。

1984年1月のベーマガ掲載開始後、追ってゲーメストが創刊されるとそちらにも掲載がされます。

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ゲーメスト 1986年9月号より)

ゲーメスト初回掲載時は「プレイシティ松本店」と表記されていますが、次回以降は訂正されています。

 

その後しばらくはダブル掲載店となっていましたが、1989年2月号でそれまで一度も店舗欄を欠くことがなかったベーマガへの掲載が突如として止まり、ゲーメスト単独の掲載となります。しかし1991年8月号からは掲載を復活させ1997年7月号まで継続しました。

 

一方のゲーメストは休刊前最後の掲載となる1999年9月30日号まで継続、休刊で掲載は途絶えたもののアルカディアへ舞台を移し、閉店に伴い2001年12月号にて掲載が終了するという履歴が残っています。閉店日は2001年9月24日とのことです。

 

そのためゲーメストからアルカディアへの移行に伴う空白期間を含めると、ハイスコア掲載主要3誌に1984年1月から2001年12月まで実に17年間に渡ってスコアを刻み続けて来たことになります。掲載期間が長期になると常連の推移や店舗の運営方針によって掲載が止まってしまう例が多々ありますが、上手く世代交代が進んでいたことが裏付けられています。

 

私は仕事で2002年に長野県は上田市に赴任したのですがその際には既に閉店後だったため、長野赴任後に訪れることは叶いませんでした。しかしここの元常連の方に上田で声を掛けて頂きメンバーとの飲み会に加えてもらい、その後も毎年1回は飲んでいる縁が続いているため、不思議と無関係とは思えない店舗となっています。

 

現在の松本駅前は、キャロット閉店後に残っていたパチンコ店併設のゲームセンターも撤退し、20万都市の代表駅前にゲームセンターが1軒もないという状況になっています。(ここでいうゲームセンターはこのブログをお読みいただいている方々が定義しうるゲームセンターという意味です。)

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年6月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年8月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年6月号/トピック店舗:ハイテクセガ青森&新町/ハイテクセガ弘前(青森県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1990年6月号)

ゲーメスト1990年6月号(第5巻第6号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店舗数は91となりで先月比-5と大きく数を減らしています。掲載店改訂計画の影響が徐々に出始めて来たようです。今月も新規掲載はありません。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1990年6月】

ゲーメスト 1990年6月号より)

 

そしてハイスコア掲載店改訂計画のインフォも3回目。

前回は応募における最低条件の提示程度でしたが、より具体的な条件が掲載されています。

ゲーメスト 1990年6月号より)

 

自身が過去に出入りしていたハイスコア集計店は、どこも店員が常駐し管理も行き届いている店舗が殆どで、それが当たり前と思っていたのですが、現実にはその当たり前が出来ていなかった店舗が多数存在したようです。

 

例えばスコア確認の連絡を店舗に入れたりすると、対応が高齢の店番従業員で話が全く通じなかったとか。管理が行き届いていないため申請されたスコアに対してのチェックも甘く嘘や真偽不明なスコアの温床となってしまい、では確認しようと店舗へ連絡すればけんもほろろな対応をされるという悪循環では、審査を厳しくするのはやむを得ないことと思われます。

 

また、このブログのトピックで店舗跡地を訪ねると、「本当にこの場所で間違いないのか?」という疑念が生まれることが有るのですが、郵送した集計用紙が宛先不明で返送されるということはそもそも店舗から連絡された住所そのものが間違っていたという可能性もあり、誤植の影響も含めて跡地探索を困難にしている要因にもなっています。

 

トピック店舗:ハイテクセガ青森&新町/ハイテクセガ弘前

トピック店舗へ移ります。

 

青森県セガ系列店舗から、「ハイテクセガ青森&新町」「ハイテクセガ弘前」の2店をまとめてピックアップします。

 

【ハイテクセガ青森】

ゲーメスト 1987年6月号より)

2022年10月23日撮影

 

【ハイテクセガ弘前

ゲーメスト 1987年7月号より)

2022年10月23日撮影

 

青森県のハイスコア掲載店はベーマガ八戸市からスタート、ゲーメストでは十和田市そして弘前市と掲載店が登場しますが、県庁所在地の青森市ゲーメスト1987年6月号から掲載開始されるハイテクセガ青森まで待つこととなります。

 

青森市の中心街は青森駅正面から延びる新町商店街沿いに展開されており、その新町通を駅から徒歩5分程進んだ場所にある「青森東映ビル」地下が跡地です。

ゼンリン住宅地図 青森市1990年より)

東映ビルの名の通り、90年時点ではビルの4階より上は映画館となっていました。ゲームセンターは映画館の付帯施設が多かった時代ですが、セガは特にその傾向が強かったのではないかと思います。

 

そして地下1階には「ゲームイン青森」の記載があります。

その店名は店舗欄が初登場してから一月の空白を置いたゲーメスト1987年8、9月号にて誌面でも確認されています。

ゲーメスト 1987年8月号より)

 

ただこの店名で誌面に登場するのは2か月間に留まり、以後はハイテクセガの表記に戻るのですが、1990年10月号から店名が「ハイテクセガ青森&新町」へと変更になります。

ゲーメスト 1990年10月号より)

 

文字だけで判断すればそれまで掲載されていた「ハイテクセガ青森」に加え「ハイテクセガ新町」と合同集計になったと解釈できるのですがその旨の表記はなく、記載されている住所も変更はありません。東映ビルの店舗がハイテクセガ青森とすれば、ハイテクセガ新町も同じ新町内に存在したと思われますが店舗欄の住所は最後まで変更はなく、1990年の住宅地図では場所を特定出来ませんでした。

 

現状では2店の合同集計だったという根拠が無く、また「ゲームイン青森」がハイテクセガ青森とハイテクセガ新町どちらを指しているのかはっきりしていません。事情をご存じの方は是非コメントをお寄せ下さい。

 

誌面への掲載はメーカー系の掲載店が着々と数を減らす中で1995年2月28日号まで8年近く継続しました。セガ系店舗では最も長い部類になります。掲載最終号のハイスコア通信欄に以下コメントが掲載されています。

ゲーメスト 1995年2月28日号より)

この時点ではスコア掲載を中止したのみで閉店ではなく、調査した結果2005年まで店舗は存在しており20年近く営業が続いた長寿店だったようです。

 

そしてゲーメストに掲載された青森県のもう一軒のセガ系店舗が「ハイテクセガ弘前」となります。こちらはハイテクセガ青森に遅れること1か月の1987年7月号に初回掲載を迎えますが同号には青森店の掲載が無く、また弘前店は次回の掲載が半年空いてしまったため、1988年1月号にて初めて両店が揃って掲載されることになります。

 

店舗の場所は以前紹介した「弘前ハイローザスペースランド」よりは弘前駅に近く、イトーヨーカドー弘前店から程近い駅前通り沿いにありました。

ゼンリン住宅地図 弘前市1989年より)

 

1989年の住宅地図で、菱上ビルの場所に「セガ弘前」の文字を確認。写真のようにビルは現存しておりセガのあったであろう場所は手芸店となっています。89年当時はビルに隣接してショッピングセンター兼ボウリング場が立地していますが2004年で営業中止、その後2013年に取り壊され区画整理されたため、ビル横には89年当時は存在しなかった道路が出来ています。菱上ビルは区画整理に伴う退去は免れたようです。

ビルの定礎には1986年11月の文字があり、誌面掲載開始時期を考えるとビル竣工と合わせてテナントとしてセガが入居したと想像されます。

 

弘前ハイローザスペースランドと場所も比較的近く、プレイヤーはかなり被っていた印象があります。ナムコセガで入荷タイトルにより使い分けがされていたのでしょうか。

しかし店舗の寿命は短く1990年4月10日をもって閉店、1990年6月号において閉店の告知が掲載されています。

ゲーメスト 1990年6月号より)

 

1986年末にオープンしたと仮定しても営業期間は僅か3年半程度に留まったことになります。弘前駅イトーヨーカドーが近かったとはいえ、弘前市の商業中心はハイローザのあった土手町エリアのためこの場所は若干外れた場所となり、営業的には厳しかったのかもしれません。中心街に位置し20年以上営業の続いた青森とは対照的になっています。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年6月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年6月号/トピック店舗:ハイテクランドセガ五所川原店/プレイランドチャンプ(青森県)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1990年6月号)

マイコンベーシックマガジン1990年6月号(第9巻第6号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は102となり先月比-7と大きく減少していますが、新規掲載店は1店存在しています。

 

セガ

ハイテクセガ高崎(群馬県

マイコンベーシックマガジン 1990年6月号より)

 

ゲーメストには1989年7月号から既に掲載されていましたが、ベーマガへは1年遅れての開始となりました。

 

ゲーメストでは高崎市の掲載店はセガ以外にウィルトークモンテカルロが存在していましたが、ベーマガでは1986年末の「ゲームシティジル」掲載終了後3年半振りとなります。また群馬県全体でも高崎以外に桐生や太田といった両毛地域のお店が掲載を続けていたゲーメストに対し、ベーマガでは1988年1月号で終了した前橋市の「ファンフル」以来の掲載となっています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1990年6月】

マイコンベーシックマガジン 1990年6月号より)

 

SNK初の直営ゲームセンターという情報を頂いた尼崎市の「ゲームインウエスタン」、そして同じく東大阪市の「ゲームセンターキャンディ」が揃って今号が最後の掲載となっています。ウエスタンは通信欄にコメントがある位なので今号が最終掲載のような雰囲気が無く、また2店同時であることから何か会社側の意向があったのかもしれません。

 

また仙台の名店であった「プレイシティキャロット仙台店」が今号で掲載を終了。同時掲載であったゲーメストよりも3か月早くなっています。前後して仙台市内の「ブックセンタースクラム」や「宮城野原キャロットハウス」も掲載を終了しており、仙台市から一気にナムコ系掲載店が姿を消すことになります。

 

トピック店舗:ハイテクランドセガ五所川原店/プレイランドチャンプ

続いてトピック店舗へ移ります。

 

青森県五所川原市で同時期に掲載履歴のある「ハイテクランドセガ五所川原店」及び「プレイランドチャンプ」の2店をまとめて取り上げます。

 

【ハイテクランドセガ五所川原店】

マイコンベーシックマガジン 1988年10月号より)

2022年10月23日撮影

【プレイランドチャンプ】

マイコンベーシックマガジン 1990年11月号より)

2022年10月23日撮影

津軽平野の中心都市弘前からJR五能線で1時間弱の五所川原市は人口約5万、津軽鉄道のストーブ列車や吉幾三の出身地として有名ですが、「俺ら東京さ行ぐだ」の歌詞のような極端な光景はもはや無く、市中心である五所川原駅前には地方都市の街並みが広がっています。

 

この五所川原にかつてベーマガスコア集計店が2軒併存していた時期がありました。

最初に掲載を開始したのがセガ系店舗の「ハイテクランドセガ五所川原店」で、1988年10月号のスタートとなっています。

マイコンベーシックマガジン 1988年10月号より)

 

同号のチャレハイ通信欄に初掲載にあたってのコメントがアップされています。まだオープンから1か月程度しか経過していないようで、女性店長の意気込みが感じられます。

当時青森県セガ系店舗は、ゲーメストでは1987年からハイテクセガ青森、弘前の両店が既に掲載店となっていましたがどちらもベーマガへは掲載されませんでした。新規店の五所川原は集客策として同一県内の青森や弘前に倣ったのかもしれませんが、ゲーメストではなくベーマガを選択したのは差別化の意図があったのかもしれません。

 

店舗の場所は中心市街地内ですが、駅からは少々離れた場所になります。

ゼンリン住宅地図 五所川原市1991年より)

1991年の住宅地図で場所を確認していますが、該当する建物は現存しておらず現在も営業が続く「マルコーセンター(鮮魚店)」の向かいにある写真の「山本水産」付近が跡地と認識しています。

 

周囲の区画は当時と異なっており店舗に面した道路も1991年では一方通行ですが、現在は拡幅され対面通行となっています。また近隣にある(株)丸友デパートは「立佞武多の館」という観光施設、またイトーヨーカドーがあった場所は更地となっており商業的には厳しい場所になっていますが、セガ営業当時は単独のゲームセンターが営業可能な程度に街に活気があったのでしょうか。

 

誌面への掲載はベーマガ1992年5月号まで3年半程度継続しました。閉店時期は判明していません。オープン時の女性店長がいつまで店舗にいらっしゃったのか気になります。

 

そして同市内2店目の掲載店として登場したのが「プレイランドチャンプ」です。

こちらは五所川原駅前通りに面していました。

ゼンリン住宅地図 五所川原市1991年より)

住宅地図上で隣接している「朝日会館」はパチンコ店で、建屋は写真のように残存していますが2020年11月閉店と判明しています。

 

その朝日会館に隣接して並ぶ3軒のうち一方通行の路地に面した端の建屋に「プレイランドチャンプ」の文字を確認していますが、写真では2軒しか残存しておらず該当場所は駐車場となっています。この駐車場が跡地と思われるのですが、4枚目写真を見ると隣接する建屋の駐車場に面した出入口に軒があるため、元々ここは駐車場であり今も残る隣の建屋が跡地なのでは、という疑念もあります。継続調査案件ですが詳細をご存じの方は是非コメントをお寄せ下さい。

 

誌面への掲載は1990年11月号から開始され、この時点で市内に2店の掲載店が併存することになります。こちらもベーマガのみの掲載で、近隣にあったセガへの対抗意識があったのかもしれませんが掲載は長続きせず1991年11月号を最後に掲載はストップし、2店併存期間は1年程度に留まっています。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年5月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年5月号/トピック店舗:弘前ハイローザスペースランド(青森県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1990年5月号)

ゲーメスト1990年5月号(第5巻第5号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店舗数は96で先月比-2。先月に引き続き今月も新規掲載無しとなっています。

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1990年5月】

ゲーメスト 1990年5月号より)

 

集計店舗にスポットを当てているためあまりハイスコアそのものについてコメントすることが少ない当ブログですが、あれだけの人気を誇りながら集計開始から3か月を経過してもまだファイナルファイト/ハガ―のクリア者が現れていません。

 

攻略される前はどのキャラでもクリアすることすら厳しかったことに加え、シューティングゲームでスコアを出すことへの特別感が強かったこともあってハイスコア的に当初はプレイヤーのマークが比較的甘かったのでは?という印象があります。

 

そして先月に引き続きハイスコア掲載店改訂計画の告知がされています。

ゲーメスト 1990年5月号より)

 

先月は告知のみでしたが、今月は参加における具体的要件が記されています。これまでの掲載店募集時における要件から特に大きな変化は無く、最低条件が提示されたのみとなっています。

 

トピック店舗:弘前ハイローザスペースランド

続いてトピック店舗です。

 

前回に引き続き青森県弘前市の「弘前ハイローザスペースランド」をピックアップします。

ゲーメスト 1987年1月号より)

2021年10月23日撮影

津軽平野の中心都市弘前市

桜の花弁がお濠を埋め尽くすことで有名な弘前城の城下町で、城址公園と弘前駅の間に古くからの市街地が広がっていますが、そこにかつて「ハイローザ」というファッションビルが存在し、テナントとしてナムコがロケーション運営を行っていました。

 

ゼンリン住宅地図 弘前市1989年より)

 

1989年の住宅地図にて存在を確認しています。

中央を横切る主要地方道弘前・岳・鯵ヶ沢線(県道3号、中土手町商店街)が目抜き通りで、建物前の通りを更に西方向に進むと弘前公園となります。JR弘前駅からは若干距離が離れており徒歩だと15分程度は掛かります。弘南鉄道中央弘前駅の方が場所的には近くなります。

 

ビルのオープンは1980年、キーテナントを持たない運営形態でナムコは5階に存在したようです。施設は1998年まで営業されていたようですが、現在は写真のように中心市街地の商業ビルが撤退した後の典型であるマンションが建っています。

 

弘前市のホームページにて「ハイローザの思い出」募集がされており、当時の建物外観や思い出コメントを閲覧することが出来ます。

 

www.city.hirosaki.aomori.jp

 

ちなみに「ハイローザ」という名称は、「弘前→HIROSAKI→HI-ROSA」というのが由来ということは今回調査して初めて知ることとなりました。

 

そしてハイスコアの掲載はゲーメスト1987年1月号からスタート、前回紹介したダイエーレジャーランド十和田店に次いで青森県2番目のゲーメスト掲載店となります。

掲載後は度々全国トップスコアも輩出され、店舗トップ数のカウントである☆獲得は最終的に16個を数えています。東北地方の有力店という印象がありました。

 

ナムコ直営店ではあったものの永らくゲーメスト単独掲載を貫いていたのですが、4年以上経過した1991年になって初めてベーマガにも店舗欄が登場しました。

マイコンベーシックマガジン 1991年5月号より)

 

しかしベーマガへのスコア掲載は僅か5か月後の1991年9月をもって終了、ゲーメストは継続されたものの2か月後の同年11月号が最後の掲載となりました。ゲーメストにおいては約5年の長期掲載店となっています。ビルとしては前述のように1998年まで営業されていたものの、ナムコがいつまで営業されていたのかは判明していません。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年4月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年5月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年5月号/トピック店舗:レーザーランド(青森県)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1990年5月号)

マイコンベーシックマガジン1990年5月号(第9巻第5号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は109で先月比-1、新規掲載店はありません。

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1990年5月】

マイコンベーシックマガジン 1990年5月号より)

 

店舗の動向が少ない中、今号で最も目を引くのはトップスコアのコメント欄です。

1986年12月号からスコアの解説を記名にて行っていた見城こうじ氏が、今号にて担当から退く旨の記載がされています。

 

これまでトップスコア欄の解説に加え、全国のスコア集計店行脚などゲームそのものだけではなくお店やプレイヤーについても造詣が深かった氏ですが、1989年11月号からコメントがアシスタントとの連名となります。それがコーナーから降りることへの布石だったのかもしれません。

 

そして「降りる」という表現もそうですが、コメントからはどことなく無念さが感じられます。当時のアーケードゲームやゲームセンター、そしてハイスコア争いを取り巻く環境がどこか氏の思い描いていた方向と異なっていたのかもしれません。

 

トピック店舗:レーザーランド

続いてトピック店舗です。

 

先月に引き続き青森県の初期ベーマガ掲載店舗から「レーザーランド」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)

2022年10月22日撮影

スーパーソフトマガジン1984年8月号にて、掲載店総数が前月の60店から101店へと一気に拡大、タイトー系の店舗も現在判明しているだけで12店もの新規掲載が開始されるのですが、その12店中のひとつが八戸市の「レーザーランド」となります。

 

前回紹介した「プレイシティキャロット八戸店」に次いで八戸市内2店舗目のスコア掲載店となりました。この時点ではまだ青森市弘前市にも掲載店は登場していません。

 

ゼンリン住宅地図 八戸市1985年より)

1985年の住宅地図で場所を確認しています。

八戸のキャロットは市街地中心街に位置していましたが、こちらは郊外の国道45号線八戸バイパス沿いで、85年当時は周囲にはぽつぽつと郊外店が存在しているもののまだ空き地も目立ちます。同時期に掲載が開始された静岡県浜松市の「ビデオインパズル」と同様にドライブイン的な郊外店舗展開の一環だったと想像しています。

 

写真と地図を比較すると、現在の東京書店の建屋がまるまる使用されていたようで、当時としてはかなり大きな店舗だろうと思います。まだ新風営法が施行される以前であれば24時間営業も可能だったためドライブインとして飲食や自販機施設の併設があったのかもしれませんが、詳細な情報の発見には至りませんでした。

 

また85年の地図を見ると、敷地内別建屋に「(株)タイトー」の文字があるのがわかります。青枠で囲った建屋となります。

2022年10月22日撮影


こちらの建屋も現存していますが、写真のように現在は使用されていません。

営業所も併設されていたことから、タイトーの北東北方面の拠点として店舗共々運営がされていたのではないでしょうか。

 

ハイスコア掲載は前述のように1984年8月号から開始されましたが、スコアが掲載されたのは翌85年4月号が最後となり、8,9,11月と休載表記が続いた後にフェードアウトしました。閉店時期は不明です。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年4月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年4月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年4月号/トピック店舗:ダイエーレジャーランド十和田店(青森県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1990年4月号)

ゲーメスト1990年4月号(第5巻第4号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

総掲載店舗数は先月から変化なく98のまま、今月は新規掲載もありません。

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1990年4月】

ゲーメスト 1990年4月号より)

 

80年台後半のアーケードゲームシーンを語るにおいて外すことが出来ない横スクロールシューティング御三家の後継3作がいずれも期待値以下の結果となってしまった中、ヒットゲームのトップに躍り出たのはカプコンの「ファイナルファイト」です。

1989年がテトリスの年であるならば、1990年はファイナルファイトの年となりました。

 

また、テトリスの長期に渡ってのヒット継続、そして一時代を作ったシューティングゲーム代表作の後継タイトルが全てファイナルファイトの人気に敵わなかったことは、80年台においてゲームセンターの花形機種であったシューティングゲームがその座を譲る時が来たことの証左でもありました。

 

一方、動向が少なかったスコア掲載店について今号から動きがあります。

ゲーメスト 1990年4月号より)

 

この頃はゲーメストベーマガ共にほぼ掲載店の枠が一杯となっており、新たに掲載を希望する店舗は多数あったようですがいずれも要望には応えられない状況となっていたようです。

 

新規掲載希望店舗に対して特段の動きを示さなかったベーマガに対し、ゲーメストは集計店の入れ替えを予め誌面上で告知する方法を取ります。

 

実際に50号でかなりの数の新規掲載店が現れるのですが、この改定計画についてはその内容を追跡して行きたいと思います。

 

トピック店舗:ダイエーレジャーランド十和田店

続いてトピック店舗へ移ります。

 

青森県における初のゲーメストスコア掲載店となる「ダイエーレジャーランド十和田店」を取り上げます。

ゲーメスト 1986年9月号より)

2022年10月22日撮影

青森県十和田市青森県南部地方に位置しており、青森、八戸、弘前に次いで県下第4位である約6万の人口を擁しています。

 

2012年まで「十和田観光電鉄」という鉄道路線が隣の三沢から市中心部の十和田市駅まで伸びており、終点である十和田市駅にダイエーフランチャイズである「ダイエーとうてつ駅ビル店」が併設されていましたが、そのダイエー内に店舗は存在していました。

 

ゼンリン住宅地図 十和田市1987年より)


1987年の住宅地図に「FCとうてつビル(ダイエーとうてつ駅ビル店)」の記載が確認出来ます。電車はここが終点でホームは駅ビルと隣接していましたが、1987年時点では駅ビルの先に線路が続いており、1985年に駅ビルが出来る以前はそちらに駅舎が存在していたようです。

住宅地図にはテナント一覧も付属していますが、その中にダイエーレジャーランドの文字はありません。恐らく一覧はダイエー以外の入居テナントとなっており、ダイエー子会社であったダイエーレジャーランドはダイエー本体と同一の扱いをされていたのではないかと推察します。

 

そして前述のように2012年に十和田観光電鉄は路線廃止、直後に駅ビルの使用も停止されます。その後再開発計画の紆余曲折を経て2016年に現在の「ユニバース十和田東ショッピングセンター」となり現在に至っています。そのため駅ビルの形跡は全くなく、線路も廃線から10年以上経過し柵が僅かに残っているだけとなっています。

 

線路や駅ビルの建屋がまだ残っている時の写真が掲載されているブログがありました。

ameblo.jp

 

そしてゲーメストへの掲載は本格的にスコア集計が開始された1986年9月号からスタート。青森県の掲載店第一号となりました。同じ号ではダイエーレジャーランド郡山店が掲載開始、追って岩手県の一関店、秋田県の秋田店もゲーメスト掲載店となり、東北地方のダイエーレジャーランドから積極的に誌面掲載が展開されていたことが伺えます。

 

初回掲載時には当時の店内写真もアップされていました。

ゲーメスト 1986年9月号より)

 

昔のショッピングセンター内ゲームコーナーはどこもこれに近い光景だったように思います。

 

誌面への掲載終了は1989年5月号となり、掲載期間は2年半程度とショッピングセンター内店舗としては長続きした部類だったのではないかと思います。閉店時期は判明していませんが、2000年頃にダイエーがとうてつビルとのFC契約を終了し撤退しているため、その前後で店舗は存在しなかったのではないかと予想しています。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年3月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年4月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年4月号/トピック店舗:プレイシティキャロット八戸店 (青森県)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1990年4月号)

マイコンベーシックマガジン1990年4月号(第9巻第4号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は110となりで先月比-3となっています。新規掲載店が1軒あります。

 

・その他

コミュニティスペースNTK(2店合同)(北海道)

マイコンベーシックマガジン 1990年4月号より)

 

コミュニティスペースNTKの新店オープンに伴い、ゲーメストは1990年3月号から2店合同として掲載が開始されていましたが、ベーマガでも同様の動きとなっています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1990年4月】

マイコンベーシックマガジン 1990年4月号より)

 

ゲーメスト誌においては、ハイスコア欄と平行して「ヒットゲームBEST10」のコーナーを設け人気機種の動向を掲載していましたが、ベーマガアーケードゲーム専門誌ではないというスタンスからか特にそのようなコーナーはこれまで設けられていませんでした。今号からベーマガの誌面が変更されビデオゲームのヒットチャートのコーナーが開始されています。

マイコンベーシックマガジン 1990年4月号より)

 

専門誌であるゲーメストと比較すると個別のタイトルに割けるページ数が少ないという事情もあるのでしょうが、その分ヒットチャート欄は2頁を割いてランキングだけでなくインデックス的役割を持たせていたのではないかと思います。

 

こちらのランキングでも既にトップはファイナルファイトとなっていますが、記事内でファイナルファイトのことは一切触れずにグラディウスⅢの件に終始しています。注目度の高さに対して伴わないインカムという現実があり、非常に扱いずらいタイトルであったことが文面から何となく感じ取れてしまいます。

 

トピック店舗:プレイシティキャロット八戸店

続いてトピック店舗です。舞台を東北は青森県へ移します。

 

青森県初のハイスコア掲載店「プレイシティキャロット八戸店」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年1月号より)

2022年10月22日撮影

 

記念すべきベーシックマガジン「チャレンジハイスコア」初回集計である別冊スーパーソフトマガジン1984年1月号から掲載されたオリジナル26店のうちのひとつです。キャロットの店名から分かるようにナムコ直営店となります。

 

青森県八戸市は人口約22万(2023年)を擁し、青森市に次いで県下2位の人口を誇ります。東北新幹線八戸駅がありますが、こちらは元々は尻内駅と称し八戸の市街地からは約5㎞ほど離れており、八戸駅から分岐する八戸線で2つ先の駅である本八戸駅付近が八戸の中心地に近くなります。

 

市街地は中心を貫く国道340号の周囲に碁盤目状に広がっており、国道沿いには大型商業施設が立地している一方、キャロットの跡地は国道から一本隣の通りに面し、周囲やホテルや飲食店が主体となっています。

ゼンリン住宅地図 八戸市1985年より)

 

1985年の住宅地図では該当箇所に「プレイゲーム」の文字はあるもののキャロットの名称が記載されておらず、また周囲の建物の状況が現況とかなり異なっているため、1993年の住宅地図でも検証してみました。

ゼンリン住宅地図 八戸市1993年より)

 

1993年の地図においてはプレイシティキャロットの名称が確認出来ます。

 

地図がデジタルデータ化されており鮮明、かつ隣接する「ライオンビル八戸館」が現在も存在しているため、ライオンビルとジョイサウンドの入居するアイエスビルの間の場所が跡地であると思われましたが、該当する建物には「大嶋屋」の商号があり、これは85、93年いずれもキャロットの隣に位置する「大嶋(大島)屋呉服店」と一致します。

 

現在のアイエスビルに隣接する「中野ビル」は93年時点で存在しているため、ライオンビル~中野ビルの間がキャロット跡地や大島屋呉服店も含めて取り壊され、新たに現在の大嶋屋ビル及びアイエスビルとして再区画されたものと想像しています。経緯をご存じの方は是非ともコメントを頂きたくお願い申し上げます。

 

ベーマガオリジナル26店はゲーメストとの重複掲載を行った店舗が計6店と少ないのですが、こちらはその6店のうちのひとつとなっています。1987年8月号から掲載がスタートしました。

ゲーメスト 1987年8月号より)

 

その後暫くは重複掲載となりましたが、ベーマガは1991年9月号にて7年以上に渡った掲載を終了。その後はゲーメスト単独掲載店として更に3年半後となる1995年4月30日号まで掲載を継続しました。トータルでは10年以上に渡る長期掲載店となります。掲載終了は閉店によるもののようでハイスコア通信欄にコメントが残っています。

ゲーメスト 1995年4月30日号より)

閉店と入れ替わりで新たにオープンするプラボ八戸店について触れられていますが、こちらは八戸市郊外のロードサイド店のようで、店舗の大型、郊外化により進められた市街地小型店整理の波に飲まれたという印象です。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年3月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年2月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年4月号