小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年9月号/トピック店舗:富士バッティングスタジアム/パピープレイランド(静岡県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1988年9月号)

ゲーメスト1988年9月号(第3巻第9号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店数は96で先月比-4となりました。先月に引き続き新規掲載店は0となっています。

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1988年9月】

ゲーメスト 1988年9月号より)

 

毎月掲載されている「ヒットゲームBEST10」で今月トップとなるのは先月のグラディウスⅡを抑えてナムコワールドスタジアムファミスタをアーケード向けにリビルドさせヒットしました。

その他にもトップ10に合計4タイトルをナムコが占めており、丁度システム1,2の双方が出揃った1987~89年あたりをナムコの第二次黄金期と捉える向きもあります。

 

しかしハイスコアシーンにおいては点数のないワールドスタジアムは勿論のこと、ファイナルラップもあまり話題にはならなかった気がします。ファイナルラップって多人数でワイワイと楽しむ分には良いんですが、一人プレイはあまり面白くないんですよね…

 

トピック店舗:富士バッティングスタジアム/パピープレイランド

 

続いてトピック店舗です。

先月に引き続き静岡県初期ゲーメスト掲載店舗から「富士バッティングスタジアム」「パピープレイランド」の2店をピックアップします。

 

【富士バッティングスタジアム】

ゲーメスト 1987年4月号より)

2021年5月2日撮影

 

【パピープレイランド】

ゲーメスト 1988年1月号より)

2021年5月2日撮影

両店共に静岡県東部に位置する富士市内の店舗です。

 

富士バッティングスタジアムはJR東海道線富士駅南口から徒歩10分程度、富士市内を南北に横切る富士大橋通り沿いに立地していました。

富士大橋は東海道線の陸橋で、丁度陸橋南側たもとの交差点に面しています。

ゼンリン住宅地図 富士市1987年より)

1987年の住宅地図ですが、交差点に面してガスリンスタンドがあり、その背後に存在が確認できます。

 

現在は敷地全体がマンションと化しており、隣接していたガソリンスタンドも存在しません。マンションの定礎の年月が平成13年10月となっていることから、2000年前後に閉店した公算が高いと思われます。

 

初掲載は1987年4月号、静岡県初のゲーメスト掲載店となりましたがその期間は短く、1987年7月号までの僅か4回に留まりました。

 

そして入れ替わるように再度富士市の集計店として掲載されたのがパピープレイランドです。

こちらは富士市の中心地、富士駅北口正面にかつて存在したショッピングセンター「パピー」内のゲームコーナーだった模様です。

ゼンリン住宅地図 富士市1988年より)

富士市は製紙業の街として有名で、地図右側に広がる敷地は本州製紙富士工場(現在の王子マテリア富士工場)となっています。富士駅前の基幹店として威容を誇っていましたが建物が新耐震基準を満たしていないとの理由で2008年に閉店、5階の映画館だけ2010年まで営業が継続された後に全館取り壊され、跡地は写真のように矢板で覆われた更地となっています。

ただ隣接する駐車場だけは残っており、アーチに残るパピーのロゴとマークに僅かに当時の面影を残しています。

 

ゲーメスト誌面への掲載は1988年1月号より開始され、同年11月号が最後の掲載となりました。富士バッティングスタジアムと合わせて1年程度掲載が続いた富士市の店舗ですが、再度掲載店が現れるのはゲーメスト2部掲載店を待つことになります。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年8月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年9月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年10月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年10月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年9月号/トピック店舗:プレイシティキャロット伊勢佐木町店(神奈川県)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1988年9月号)

マイコンベーシックマガジン1988年9月号(第7巻第9号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店数は105。先月の反動か先月比-5と減少数が大きくなっていますが、特に掲載が終了している店舗が多い訳ではなく今号の掲載が抜けている店舗が多いことに起因しているようです。新規掲載はありません。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1988年9月】

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マイコンベーシックマガジン 1988年9月号より)

 

トップスコア欄に「特別掲載」として枠が設けられたのが、全国で初めて達成されたグロブダーナムコ)1コイン1~99面クリア。

ランクイージー、5機設定、5万点エブリという設定をもってしてもゲーム発売から4年近くの歳月を要し、基本はニューゲームタイトルしか取り上げることのなかった当時のトップスコア欄においてもコメント付きでその偉業が称えられています。

 

現在でも時折1コイン1~99面クリア達成の報がSNSに上がる程難易度が高く、クリアすること自体が非常に価値のあるゲームですが、最初にガリバーとしてそれを達成することの厳しさが約4年という歳月に詰まっているのではないかと思います。

 

トピック店舗:プレイシティキャロット伊勢佐木町

続いてトピック店舗です。神奈川県の店舗紹介へと移ります。

 

ナムコオリジナル26店のうちの一つである横浜市の「プレイシティキャロット伊勢佐木町店」をピックアップします。

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年1月号より)

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2022年2月12日撮影

 

JR、地下鉄関内駅から南西方向に伸びる横浜を代表する歓楽街の伊勢佐木町モールの中に店舗はあります。2022年時点で店舗は現存。ハイスコア初掲載の1984年1月から既に38年以上営業が続いていることになります。

 

調査継続中ではありますが、「キャロット」のブランドで営業していた店舗で現在も残存しているのはプレイシティキャロット巣鴨店とここ伊勢佐木町店のみであり、且つベーマガオリジナル26店の中で営業が継続している唯一の店舗となっています。

 

スコア掲載はベーマガのみでしたが、ゲーメストの横浜シールハイクにて店舗が紹介されており当時の店舗外観を確認することが出来ます。

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ゲーメスト 1987年1月号より)

 

現在の写真と見比べると、店舗名称が「ナムコ伊勢佐木町店」に変わっていることは勿論ですが店舗の間口が当時よりも広くなっており、隣接していた店舗の部分も吸収して面積が拡大されたことが確認出来ます。拡張されたとは言え最近のゲームセンターの規模からすると決して広くはないのですが以前はこの半分の面積しかなかったということであり、誌面の「狭い」というコメントも止むなきかなという印象です。

ゼンリン住宅地図 横浜市中区1985年より)

当時の住宅地図を確認すると、位置や建物名称は同一なのですが建屋住所が「長者町7-113」となっていることが分かります。地図をよく見ると建屋左下に町境を示すラインが掛かっており、丁度キャロットの位置している場所だけが「伊勢佐木町3-95」になっているようです。

 

ベーマガへの掲載以降、一時は複数のスコア掲載店が存在した横浜の代表格店としてスコアラーにも認識されていたと思いますが、ナムコの店舗営業スタンスの変化の影響か、また店舗の狭さは如何ともしがたかったのか80年台末に向かうにつれスコア欄が淋しくなって行き、1990年8月を最後として掲載はストップしました。立地は良いので場所柄ゲームマニアを囲い込む必要があまりなかったのかもしれません。

 

鉄拳の全盛期には自社人気IPを前面に押し出した運営を行っていた時期もあったようですが、現在設置されているマシンの殆どはプライズマシンとなっており、ショッピングセンター内のファミリー向けゲームコーナーと大差ない製品ラインアップとなっていました。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年8月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年8月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年10月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年9月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年8月号/トピック店舗:ゲームスポットイーストサイド→ハイテクセガ103(大阪府)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1988年8月号)

マイコンベーシックマガジン1988年8月号(第7巻第8号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店数は110で先月比+3。3か月連続の増加となり1987年4月号以来の110を回復、最盛期に近い数字まで戻して来ました。新規掲載も4店あります。

 

セガ

ハイテクセガ豊川店(愛知県)

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ハイテクセガ神戸店(兵庫県

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ハイテクセガ大牟田店(福岡県)

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・その他

ゲームランド花丘(長崎県

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マイコンベーシックマガジン 1988年8月号より)

 

セガ系店舗が3店一気に新規掲載されているのが目立ちます。

現在も僅かに残っている(この記事執筆時点でセガは店舗運営から撤退したので、直に消滅すると思われます)ハイテクセガの店舗名称は1980年台後半から使われるようになりました。ナムコが「キャロット」の名称で統一していたのとは対照的にセガタイトーは店舗名がまちまちでしたが、ナムコに追従するような形てセガは「ハイテク(ランド)セガ」、タイトーは「ウィルトーク」のブランドで店舗展開を行うようになります。

 

合わせて大都市郊外や地方都市への出店が行われており、神戸は別ですが豊川や大牟田と言った県庁所在地ではない場所や郊外の駅前等にセガタイトーの直営店舗が多数展開された時期でもあります。都心部とは違って集客が容易ではないことからこの時期はまだゲームマニアに寛容な店舗も多く、1980年台前半のキャロット全盛期に対して80年台後半はセガタイトー系店舗をホームにしていたスコアラーも結構多かったのではないかと思います。裏を返せばそれだけナムコの勢いが落ちていたということですが…

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1988年8月】

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マイコンベーシックマガジン 1988年8月号より)

 

掲載店数が増加したことで、チャレハイ通信欄がレギュラーとなった1987年9月以降初めて18店まるまる店舗欄で埋められたページが現れました。

 

また、セガ系以外で唯一今月から掲載が開始された長崎市の「ゲームランド花丘」、チャレハイ通信欄に「スコアラーのみんなも大喜び」とあります。

待望の掲載店デビューと思しきコメントですが、地図を見てもらうと判るように近隣に別の掲載店が2店も存在しており、スコアを申請できる環境は充分にあったと思います。ただその2店のスコア履歴はまるでチャレンジハイスコア開始当初のスコア欄の如く頑なに本名記載となっており、スコアネームが既に浸透していたこの時期においては寧ろスコアラーに敬遠されていたのではないかと想像されます。

 

トピック店舗:ゲームスポットイーストサイド→ハイテクセガ103

続いてトピック店舗となります。

 

堺市セガ系店舗「ゲームスポットイーストサイド→ハイテクセガ103」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)

2022年6月18日撮影

最寄駅は南海高野線堺東駅となります。堺市の中心は堺東駅付近と南海本線堺駅に分かれており、歴史的な中心は堺駅ですが堺東駅の方が市役所が近く、駅併設の高島屋もあることから商業地として栄えているようです。

 

駅を出て正面に堺銀座商店街のアーケードが伸びており、その中に店舗は存在しました。

(吉田地図 堺市1985年より)

1985年の住宅地図では「ヤングタウン103」というビルの1階に存在を確認しています。
元々このビルは東宝の映画館がメインで、2階に「堺東宝 堺シネマ」の文字があります。1階のメインテナントとしてマクドナルドとセガが使用していたことが分かります。

 

当初の店舗名からはセガ系店舗と認識は出来ないのですが、1987年3月号から店舗名が「ハイテクセガ103」と変更になっていることからセガ系と判断しています。

マイコンベーシックマガジン 1987年3月号より)

 

ビルは2022年時点でも存在しており、名称も「ヤングタウン103」のままなのですが、オーナーは東宝から変わっているようです。写真のようにテナントはほぼ居酒屋系の飲食店へと変化していました。

 

スコアの掲載はベーマガ1984年9月号からスタート。大阪府の河内、和泉方面では最初の掲載店だったこともありプレイヤーも集まっていたようですが、1988年12月末までの掲載となりました。ゲーメストへの掲載履歴はありません。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年7月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年9月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年8月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年8月号/トピック店舗:ニチイ浜松店/豊田商店(静岡県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1988年8月号)

ゲーメスト1988年8月号(第3巻第8号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

総店舗数は100で先月比-3となっています。今月は新規掲載店はありません。

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1988年8月】

ゲーメスト 1988年8月号より)

ヒットゲームベスト10のランキングでトップに輝いているのは当時絶頂期であったグラディウスⅡ。丁度ニューバージョン(7万エブリ→15万エブリ)が登場した直後でしたが、このバージョンアップがプレイヤーの反発を買ったと記されています。しかし7万エブリでは永久パターンとなってしまうため営業的にやむを得ない判断でもあり、その点に触れていないのはあまりにもプレイヤーサイドに偏り過ぎているのではないかとも思えます。

 

永久パターンが発覚したタイトルは後々ゲームの評価が下がってしまう傾向があるのも事実で、このバージョンアップが無かったら現在に至るまで名作の扱いを受けることは叶わなかったのかもしれません。

 

そして先月に続き「ハイスコア座談会」の後編記事が掲載されています。

ゲーメスト 1988年8月号より)

今回のメインテーマは「嘘スコア」。ハイスコアを語る上で避けては通れない問題です。

ベーマガによるハイスコア全国集計開始当初に比べると、ルールの策定や啓蒙で嘘の申請は減少してきたものの、店舗のハイスコアに対する認識の甘さでスコアの確認が疎かであり、嘘スコアが申請される原因となっている状況が記されています。

 

スコア集計における店舗側の問題は根本的な解決策はなく、店舗に理解のあるスタッフが常駐しているかどうかが全てでした。

店舗に対してライセンス制を取るといった高いハードルを課す方法もあったのかもしれませんが、スコア集計自体が特に利益を生み出す訳ではなく店舗の負担を増やす行為のため、結局のところプレイヤーや店舗のモラルに任せるしか現実的な方法は無かったと言えます。

 

また「スコアが実力を反映していない」というゲームメーカー側の問題についても指摘がありますが、これについても一部のタイトルを除いて特にメーカー側が意識したという状況には至りませんでした。寧ろハードの性能向上による「見てくれ」の重視と、「1プレイ3分で終わるゲームが理想」と言われた製作方針で、スコアがゲーム製作側の意識からは着々と遠のいていったように思います。

 

トピック店舗:ニチイ浜松店/豊田商店

続いてトピック店舗です。

静岡県初期のゲーメスト掲載店より、「ニチイ浜松店」「豊田商店」の2店をピックアップします。

 

【ニチイ浜松店】

ゲーメスト 1986年5月号より)

2021年9月25日撮影

 

【豊田商店】

ゲーメスト 1986年5月号より)

2022年10月10日撮影

 

双方とも所在は静岡県浜松市で、且つゲーメスト創刊号である1986年5月号のみにしか掲載されなかった店舗という共通点があります。

 

「ニチイ浜松店」ですが、店舗欄には電話番号が掲載されているのみで住所情報が記載されていないのですが、名前の通り総合スーパーのニチイ内に存在したと推定しています。住所は浜松市千歳町91(現在は浜松市中区千歳町91)となり、写真は現在の住所の場所となっています。

ゼンリン住宅地図 浜松市南部1998年より)

ニチイは浜松市中心市街地の核店舗として1969年9月30日に開店、バブル崩壊や大型店同士の出店攻勢の影響で1991年2月に撤退しており、1998年の住宅地図ではパチンコ店がキーテナントとなっています。

 

そして現在同じ場所に立っているのは2015年にリフォームされた「遠鉄モール街ビル」です。内外観は綺麗になっていますが建屋はニチイ時代のものがそのまま使用されているようです。

 

一方の「豊田商店」は浜松の中心市街地から北西方向へ2㎞程度離れた郊外に存在を確認しています。

ゼンリン住宅地図 浜松市南部1984年より)

誌面に掲載される2年前の1984年の住宅地図ですが、店名しか確認出来ないこともあり業態や取扱商品は全く持って不明です。ゲーム機が設置されていたとなると想像されるのは生活雑貨店、駄菓子屋、玩具店あたりが想像できますが玩具店玩具店とはっきり明記する場合が多く、また周囲は殆どが住宅地のため駄菓子屋系のお店だったのではと想像することしか出来なくなっています。

 

お店の前の道は舘山寺温泉方面へ通じる県道ですが現在はバイパスが通じているためこちらは旧道の位置づけで、通行する車はそれ程多くありません。該当する住所も写真のように現在は美容院となっており、店舗が存在した形跡は全く確認出来なくなっています。

 

前述したようにこの両店はゲーメスト創刊号のみの単発掲載に留まりました。

既にベーシックマガジンに掲載されていた「ビデオインパズル」から3㎞程度、またこちらもベーマガ単発掲載となってしまった「ナムコランド浜松西店」からも比較的近く、ハイスコア集計黎明期には多数の掲載店を市内に抱えていた浜松ですが、同じ県内の静岡市が3軒のキャロットを擁し以後コンスタントに掲載店を輩出していたのに対し、浜松市は87年には掲載店が姿を消して以降集計店には恵まれず、90年台後半まで掲載店の出現が空いてしまうことになります。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年8月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年9月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年9月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年7月号/トピック店舗:ゲームセンタースカッシュ/エースインターナショナル(東京都)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1988年7月号)

ゲーメスト1988年7月号(第3巻第7号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は103店。1店の新規店が追加されました。

 

・その他

ファミリーランド(北海道)

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ゲーメスト 1988年7月号より)

ゲーメスト創刊号に近隣の百貨店内ゲームコーナーである「まるい店」が掲載されて以来となる北海道北見市に集計店が再登場。こちらは住所を確認するとまるい店近傍の別の百貨店なのですが、1986年7月でまるい店の入居していた「まるいいとう百貨店」は閉店しているため、両店が併存していた可能性は低いと思われます。

 

当然ながら札幌に最も集中していた北海道の集計店ですが、道内主要都市にはベーシックマガジン集計店も含めて比較的満遍なく集計店が点在しており、地域ゲーマーの拠点になっていた印象があります。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1988年7月】

ゲーメスト 1988年7月号より)

 

今号及び次号にて誌面に「ハイスコア座談会」という記事が掲載されています。

ゲーメスト 1988年7月号より)

 

ゲーメスト創刊から約2年、そしてベーシックマガジンのチャレンジハイスコアが開始されて4年半という年月が経ち、当時のゲーマーに「ハイスコア争い」が浸透してきたタイミングで、両誌のスコア担当に加えプレイヤーも交えて「ハイスコアに対する諸問題」が議論されました。

 

ゲーメストベーマガのスコア担当者が、いずれかの誌面主催で一堂に会して議論された機会はこれが唯一(プレイシャトー店における座談会は店舗主催のため含みません)だったため、ハイスコアの歴史として貴重と判断し全文を掲載しています。

 

ゲームの楽しさを犠牲にしたスコア狙いが過激化しているとの意見が垣間見られますが、競技化の方向性を自ら打ち出しておきながらそれを否定するような意見は今眺めると違和感があります。以後の歴史でも、ハイスコア争いが盛り上がったタイトルの方がゲームとしても評価されている傾向があるように思えるのです。


トピック店舗:ゲームセンタースカッシュ/エースインターナショナル

続いてトピック店舗へ移ります。

 

ゲーメスト初期は東京都内ハイスコア掲載店より「ゲームスカッシュ」「エースインターナショナル」の2店をピックアップします。

 

【ゲームセンタースカッシュ】

ゲーメスト 1987年3月号より)

2021年12月29日撮影

 

【エースインターナショナル】

ゲーメスト 1987年8月号より)

2022年1月22日撮影

 

ゲーメスト初期に東京都内のスコア掲載店が非常に少なかったことは1988年6月号の記事内でも記載しましたが、その中で多摩地区の小金井市に2軒の掲載店が確認されています。

 

「ゲームセンタースカッシュ」は、小金井市の代表駅である武蔵小金井駅前が最寄です。現在ドン・キホーテになっている長崎屋小金井店の裏手に存在しました。

ゼンリン住宅地図 小金井市1988年より)

 

長崎屋裏手付近の交差点角に「大沢ビル」1階に「インベーダースカッシュ」の存在が確認出来ます。

 

ビルはテナントは入れ替わっていますが2022年時点で現役で、写真1階の自転車店の場所が跡地ではないかと思われます。

 

1987年3月号にて初めて掲載され、6月号までは漏れなく掲載されていたものの7,8月号と店舗欄なし、9月号で再度掲載されたのが最後となっています。

 

もう一方の「エースインターナショナル」ですが、誌面記載の住所は小金井市武蔵野市の境界付近であり、場所的には東小金井駅武蔵境駅のほぼ中間となります。行ってみたところ住宅地内のアパートでした。写真のアパート銘板住所と誌面の住所は完全に一致しています。

ゼンリン住宅地図 小金井市1988年より)

 

当時の住宅地図では、丁度「梶野町2丁目」の表記左の「コーポマルエ」の場所が該当します。アパート自体は建て替えられていると思われますが区画は変わっておらず、アパートの先は袋小路です。

 

付近に東京電機大学亜細亜大学があり学生需要がありそうではありますが、この場所自体は袋小路に加えて周囲は完全な住宅地で他に商店も無いため、この場所にゲームセンターがあったとは全く思えません。恐らく「エース・インターナショナル」というのは運営会社名であり、店舗は別の場所にあったのではないかと想像されます。

 

こちらは1987年8月号が初掲載ですが9,10月号と掲載されず、11月号に掲載された後に姿を消しています。ゲームセンタースカッシュと掲載が一度も重なっていないことからスカッシュの運営会社がエースインターナショナルである可能性も考えられますが、誌面からはそれを確認出来ないため、もし店舗に関する情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら是非ともコメントを頂きたくお願い申し上げます。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年7月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年8月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年8月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年7月号/トピック店舗:アポロゲームセンター(大阪府)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1988年7月号)

マイコンベーシックマガジン1988年7月号(第7巻第7号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店数は107となり先月比+2となっています。1店の新規掲載はこの店舗です。

 

・その他

ゲームプラザ(熊本県

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マイコンベーシックマガジン 1988年7月号より)

 

ゲーメストへは1987年11月から掲載され既にスコア有力店としての地位を築いていた熊本市のゲームプラザがベーマガへも登場。半年以上遅れての掲載開始となりました。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1988年7月】

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マイコンベーシックマガジン 1988年7月号より)

 

SNSはおろかまだ携帯電話さえ普及していないこの時代、特にスコア集計店にはコミュニケーションノートが設置してある店舗が多かった影響もありゲームサークル活動が活発で、チャレハイ通信欄にサークルミニコミ誌頒布の案内が多数記載されています。

 

お店で配布される程度でコミケで販売されるようなものでもなかったため、当時の店舗関係者しか受け取ることが難しかったことからこれら当時の店舗ミニコミ誌がまだ残っており且つ今後表で目にすることが出来る機会は非常に稀ではないかと思われます。執筆されていた方々の中には追って有名な漫画家やイラストレーターになっている方もいらっしゃるようですが。

 

ゲーメストでは誌面上で「同人コーナー」を設けて現在でいう2次元系ゲーマーの購買層にもアピールしていた節がありますが、ベーマガは元来プログラム系雑誌であったこともあり過度に誌面をそちらに寄せることは避けていたのではないかという印象です。

 

トピック店舗:アポロゲームセンター

続いてトピック店舗へ移ります。

 

大阪のセガ系店舗から、阿部野橋の「アポロゲームセンター」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)

2022年6月18日撮影

大阪は梅田、難波に次ぐターミナルである阿倍野天王寺に複合レジャービルアポロビル」が立地しています。建物は1972年にオープンしているのですが、セガは当初からテナントとしゲームセンターを運営していました。


sega.jp

上記「セガの歴史 1960-2020」内でも、1965年にセガが直営ゲームセンターの運営を開始し、1972年に初めてメダルゲーム機を設置した店舗として前身店舗である「アポロベガス」の紹介がされています。50年の歴史を刻む由緒ある店舗です。

当初はビルの6階にて営業がされていたようです。

1981年7月15日号、及び1986年5月1日号のゲームマシン誌に当時の店内写真が掲載されていますが、1986年の写真を以下抜粋します。

(ゲームマシン 1986年5月1日号より)

現在の6階フロアは写真のようにカラオケ店がメインとなっており、ゲームセンター時代のフロア配置は全くわからないのですが、記事を見ると「大きな窓から外の明かりを取り入れ」とあるため恐らくはガラス張りになっているあびこ筋に面した部分が店舗だったのではないかと想像します。

 

また1992年の住宅地図を確認した所、当時はまだ6階に位置していたようです。

ゼンリン住宅地図 大阪市阿倍野区1992年より)

 

その後はフロアを6階から3階へ移し、「セガワールドアポロ」としてセガによる運営が継続していましたが、セガが店舗運営から撤退している2022年6月時点ではまだ店舗名称は変更されていません。いずれはGIGOへと名称が変更されるものと思われます。

 

2022年6月18日撮影

 

またセガ以外にもゲームセンターがテナントとして入居していた時期があり、店舗調査を行った時点ではタイトーが4階フロアにてフランチャイズ店を展開していましたが、調査の翌日に閉店することが告知されていました。記録として写真をアップしておきます。

2022年6月18日撮影

スコアの掲載は1984年8月から開始されました。大阪駅前のロイヤル2店や心斎橋のゲームセンターニュー光と共にスタートしていることから大阪都心部のセガ系店舗で足並みを揃えたことが推察されます。

 

その後1986年に入ると休載が目立ち始め、1986年7月号掲載の後に1987年4月号にて単発で掲載された後に姿を消しています。大阪都心部はナムコ系も掲載期間の短さが目立っており、80年台末になると大阪環状線の内側にはゲーメストも含めてほぼハイスコア掲載店が存在しない状況になってしまいました。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年6月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年8月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年6月号/トピック店舗:アポロ/ジョイランド高島平(東京都)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1988年6月号)

ゲーメスト1988年6月号(第3巻第6号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は102店で先月比+2。3か月振りに新規店舗が3店追加されました。

 

タイトー

ウィルトークタイトー高知店(高知県

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・その他

スペースイン・プラザ(東京都)

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スーパーアカトンボ(福岡県)

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ゲーメスト 1988年6月号より)

高知県はこれで既に4店目の掲載となるのですが、過去の3店はいずれも掲載は不定期気味で、いずれも短期間で掲載を終了してしまいます。ウィルトークタイトー高知店も同様で、次号7月号までの2回だけの掲載で姿を消します。

 

スペースイン・プラザは八王子そごうの中にあったゲームコーナーが集計店になったもの。おりしも札幌そごう内ゲームスポットも集計店として登録されており、「そごう店内のゲームコーナーは充実している」と解釈した私は、当時住んでいた豊田市や、帰省先だった大宮市にそごうがオープンした際には期待に胸膨らませ店内ゲームコーナーを探したのですが、大宮は小規模で空振り、豊田に至ってはゲームコーナーすら存在せず拍子抜けした記憶が蘇ります。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1988年6月】

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ゲーメスト 1988年6月号より)

1988年2月号で取り上げられた「プレイシティキャロット巣鴨店」に続き、全国トップスコア(☆)10回獲得で取り上げられたのは名古屋のイエローハット


私もこの前後が最もイエローハットに通っていた時期でした。懐かしい店内写真が多数掲載されています。まだテーブル筐体中心でナムココンソレット筐体が導入される前の時期ですね。

場所が少々わかりずらい、近隣が予備校地帯のため平日は一般層も含めて盛況だが週末の集客に難があるといった店舗事情が綴られています。

弊ブログでも店舗のことを取り上げさせてもらっていますので、宜しければ合わせてご覧いただければと存じます。

www.inu-inu-yeti.com

 

トピック店舗:アポロ/ジョイランド高島平

トピック店舗へと移ります。

ゲーメスト初期の東京都内の掲載店から「アポロ」及び「ジョイランド高島平」の2店をピックアップします。

 

【アポロ】

ゲーメスト 1986年5月号より)

2022年1月22日撮影



【ジョイランド高島平】

ゲーメスト 1986年5月号より)

2022年2月5日撮影

ゲーメスト初期は、巣鴨以外の都内ナムコ系店舗が殆どエントリーされなかった影響もあり、東京都下の掲載店が非常に少ない状況でした。今回紹介する2店はいずれも1986~87年初頭に掲載された貴重な都内の店舗です。

 

「アポロ」は1986年5月のゲーメスト創刊号から掲載された由緒ある店舗。

創刊号から1986年9月号まで店舗欄が4か月空いた影響で創刊号のみの掲載となった店舗も多い中、前回紹介した「ゲームプラザ・ザ・ゴリラ」共々掲載が継続されています。

 

最寄駅は西武新宿線の久米川。東村山市には東村山駅があるものの、市役所の最寄と乗り換え駅となっている程度でむしろ隣の久米川の方に市街地が形成されています。

 

駅南口を出て北西方向に伸びるスナックや小規模な居酒屋が集まるエリアを抜けて徒歩5分程度、駅付近の喧騒から少々離れた静かな場所が跡地です。

ゼンリン住宅地図 東村山市1987年より)

地図の境目の影響で分かりにくいですが、サンライズマンション東村山第三と道を挟んで隣接した場所に「ゲームセンターアポロ」の文字を確認出来ます。ゲームセンター単独の建屋だったようです。

 

ゲーメストへの掲載は1987年6月号までの1年となりました。東村山駅付近にも同じ「アポロ」というゲームセンターが存在したようですがこちらとの関係は不明です。閉店時期は不明で現在は写真のマンションになっています。

 

一方の「ジョイランド高島平」は店名からタイトー系へと分類しています。

都営三田線高島平駅を出て直ぐの「要ビル」に立地していました。高島平団地とは反対側になります。

ゼンリン住宅地図 板橋区1987年より)

当時の住宅地図でも「カナメビル」の存在が確認出来ますが、ビルテナント一覧が無いため地図上で店名の確認までは至りませんでした。隣接する「篠本ビル」は1枚目写真の角地に現在も残っているため、写真のパチンコ店の場所で間違いないと思われます。建屋は建て替えられているようです。

 

こちらは1987年3月号が初掲載ですが、4月号を飛ばして翌5月号の掲載が最後となり、目立ったスコアの実績無く姿を消しています。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年6月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年6月号/トピック店舗:ゲームセンターニュー光(大阪府)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1988年6月号)

マイコンベーシックマガジン1988年6月号(第7巻第6号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

総店舗数は105で先月比+4と増加。新規掲載店も7店確認されています。

 

ナムコ

プレイシティキャロット四日市店(三重県

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セガ

ハイテク東山(北海道)

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タイトー

ジョイランドタイトー草津滋賀県

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・その他

ビデオランドD-51(北海道)

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ゲームセンター101(新潟県

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ゲームセンターニューチャンピオン(岡山県

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ゲームセンターチェックイン(広島県

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マイコンベーシックマガジン 1988年6月号より)

 

「プレイシティキャロット四日市店」はナムコ系店舗としては10か月振りの新規掲載となっています。この頃になると既にキャロット系店舗の出店は大幅に縮小されていたようです。

 

岡山県倉敷市の「ゲームセンターニューチャンピオン」、スーパーハングオンのスコア争いで著名でしたがようやくベーマガ誌面へ登場。ゲーメストでは1986年9月には掲載されているため2年近く遅れての掲載となりました。

 

一方滋賀県の「ジョイランドタイトー草津」はゲーメストには1990年10月に登場するため、約2年先んじての掲載開始となっています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1988年6月】

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マイコンベーシックマガジン 1988年6月号より)

 

チャレハイ通信の星ヶ丘キャロットハウスの欄に「ノーマル設定以外の全国集計があるのは変では?」のコメントがあります。全国トップスコアでも例えばスーパーハングオンはイージー設定となっており、現在のルールに当てはめればトップと認められないスコアだろうと思います。

 

設定違いや嘘スコアについては早い段階で誌面内でも取り上げ、店舗間トップ争いの関係で比較的チェックが厳しかったゲーメストに対して、ベーマガゲーメストと比較すると若干チェックが甘かった部分はあるのかもしれません。

 

トピック店舗:ゲームセンターニュー光

続いてトピック店舗へ移ります。

 

大阪随一の繁華街、心斎橋筋に存在した「ゲームセンターニュー光」を取り上げます。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)

2022年5月3日撮影

大阪メトロの心斎橋駅付近から、グリコ看板で有名な道頓堀の戎橋へ続く関西有数の商店街「心斎橋筋商店街」途中にありました。戎橋からは徒歩5分も掛からず、店舗前は常に人通りが絶えない好立地となっています。

現在の地図上にはまだゲームセンターニュー光の名称が残っていますが、ゲームセンターとしては2014年で既に閉店しており跡地はブランドショップになっています。2010年前後の営業中の店舗写真がアップされていました。

2dera.net



スコアの誌面掲載はベーマガ1984年8月号からスタート。1988年2月号で一旦店舗欄が無くなりますが、1989年4月号から復活し1991年9月まで掲載が継続しました。スコアラーをあまり集客しなくともよさそうな大阪都心部に立地する店舗の中では、最も長期に渡って掲載を続けていた場所となっています。

 

また、再掲載の際に店名が「セガニュー光ゲームセンター」へと変わっている履歴があるため、セガ系店舗として分類をしています。

マイコンベーシックマガジン 1989年4月号より)

 

再掲載の際の住所がこれまでの「大阪市南区心斎橋筋2-23」から「大阪市中央区心斎橋筋2-7-4」へと変更になっていますが、大阪市南区が1989年に東区と合併して中央区となった経緯があるため、その影響による変更と捉えており店舗の場所は変わっていないと判断しています。

(吉田地図 大阪市南区1986年より)

1986年当時の南区の地図ですが、心斎橋筋2-34に「ゲームセンターひかり」の文字があります。ベーマガの当初の地番「心斎橋筋2-23」は追って「2-33」と変わっており表記ゆれである公算が高く、また当時の住宅地図と現在の地図の場所も相違はありません。

 

なお、セガは営業中のどこかで大阪駅前のロイヤル同様に店舗の運営から撤退しており、閉店時は無関係だったようです。

 

丁度こちらのほぼ真向かいである「中央区心斎橋筋2-2-19」にはかつてセガ直営店である「心斎橋GIGO」が2016年まで存在していました。閉店時点で営業期間22年とのことなので1994年のオープンということになり、その前後でセガはニュー光から撤退したと考えるのが自然と思われます。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年5月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年5月号/トピック店舗:小野塚商店/インベーダーハウストップ(神奈川県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1988年5月号)

ゲーメスト1988年5月号(第3巻第5号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は100店ちょうどで前月比+4。今月も新規掲載店は無く、既存掲載店内での増減に留まっています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1988年5月】

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ゲーメスト 1988年5月号より)

 

トピック店舗とは別になりますが、岩手県大船渡市に「ファミリーランドアルパ」という集計店が有ります。(1988年5月では掲載が無いお店です。1988年6月号を最後に掲載店から姿を消してしましますが…)

 

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ゲーメスト 1987年6月号より)

 

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ゲーメスト 1987年7月号より)

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1987年6月号が初掲載で、その時の住所を「盛字町8‐16」にてプロットしていたのですが、初回の住所は「盛字町10-11」が正であり、1987年7月号から住所が変更されていたことを確認しました。マップについても訂正をいたしております。


「盛字町10-11」では現在でもサンリアというショッピングセンターがプロットされるため、ショッピングセンター内のゲームコーナーが集計店という80年代には比較的良く見られる構図ですが、「盛字町8-16」では盛駅前の場所を指し示します。(上記マップの駅前のマーク位置が該当します。)

 

「ショッピングセンターの改装期間だけ駅前の仮店舗で2,3か月営業した」ような原因が考えられるのですが、そこは誤植で名を馳せたゲーメスト。数店同様の事例が見られるため、「単なる誤植」だけの可能性も十分にあり悩ましい所です。

 

一応、店舗名が同一で住所が異なる場合は、異なる場所についても地図上にプロットする方針で進めておりますが、あまりに不自然な場所の場合は誤植と判断して無視する場合もあることをご承知願います。

 

(実際に、1989年に入って千葉県の「サンペデックナムコランド」が、それまでのショッピングセンター内から2か月だけ住宅街ど真ん中の住所になっている事例があり、あまりにあり得ないため誤植と判断しています。)

 

トピック店舗:小野塚商店/インベーダーハウストップ

続いてトピック店舗へ移ります。

神奈川県の初期掲載店から「小野塚商店」及び「インベーダーハウストップ」の2店をピックアップします。

 

【小野塚商店】

ゲーメスト 1986年9月号より)

2022年7月31日撮影

 

【インベーダーハウストップ】

ゲーメスト 1987年1月号より)

2022年3月10日撮影

 

80年台にアーケードゲームをプレイしていた方々にとって、雑貨店や駄菓子屋の店先にゲーム機が設置されていたいわゆる「駄菓子屋ゲーセン」は非常にポピュラーだったと思います。

 

その殆どはお店の軒先に数台設定されたアップライト筐体や、多くとも10台未満のゲーム機が設置されているというものでしたが、儲かったからなのか店内の一部をゲーム機設置スペースとして専業ゲームセンターに近い形にしていたお店もありました。

 

横浜市磯子区の「小野塚商店」もそのような店舗の一つだったようですが、ハイスコア集計店として誌面に店舗名を掲載する所まで至った稀有な事例です。

 

付近に駅は無く、最も近い根岸線根岸駅からでも徒歩で20分以上は掛かると思われます。高校以上の学校施設も付近に無いことから完全に地元志向で、店の向かいに市営プールがあることから夏場はプールとセットで遊びに来るお子様が多かったのかもしれません。

ゼンリン住宅地図 横浜市磯子区1987年より)

 

地図上の場所は残念ながら現在は更地となっていました。

残されているポストに記載されている住所が店舗と一致したため、場所は間違いないと思われますが、住宅地図の建物の形と現在の跡地の形状が一致しないようにも見えます。

 

残っているコンクリートやブロック塀の雰囲気から、写真で車が3台止まっている箇所に店舗があったのではないかと推察します。

ゲーメスト 1987年1月号より)

 

早い段階から誌面にスコアを掲載していたこともあってかゲーメストとの関係が深いお店だったようで、誌面の横浜シールハイクでも店舗が取り上げられており僅かですが当時の店舗外観や様子を窺い知ることが出来ます。また別の号では店長のインタビュー記事が掲載されたこともありました。

 

1988年まではコンスタントに誌面にスコアが掲載されていましたが、1989年になると掲載される機会が大幅に減っていきます。この頃になると街の駄菓子屋がスコア掲載を続ける意義が乏しくなってきたのかもしれません。それでも1990年5月号まで掲載は継続されました。

 

もう一方の「インベーダーハウストップ」は藤沢市湘南台駅が最寄です。もともと通っていた小田急江ノ島線に加えて現在は横浜市営地下鉄相鉄いずみ野線が開通し、慶応大学SFCキャンパスも立地して藤沢市北部のターミナルを形成していますが、1987年当時は小田急しか通っておらず現在とは全く光景が異なっていたのではないかと思われます。

 

跡地は駅東口を出て徒歩10分程度の場所となります。

当時の住宅地図でも存在が確認出来ました。

ゼンリン住宅地図 藤沢市北部1987年より)

 

周囲は住宅地で、当時の住宅地図においてもお店は単独ではなく店舗兼住宅のように表記されています。現在も写真のように住宅となっていますが、1階の道路に面したシャッター上部に不自然な看板跡のようなものが存在するため、この場所で営業がされていたものの営業終了後に看板だけがそのまま残されているなのではないかと推察します。

 

掲載は1987年1月からスタートしますが、3月号掲載後に4,5月号と抜け、同年6月号の掲載を最後に姿を消しています。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年4月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年5月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年5月号/トピック店舗:スターロイヤル/センターロイヤル(大阪府)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1988年5月号)

マイコンベーシックマガジン1988年5月号(第7巻第5号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

総店舗数は101で先月と同数ですが、新規掲載店が2店あります。

 

・その他

がらんがらんG(長野県)

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ちまきや別館ワンダーランド(山口県

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マイコンベーシックマガジン 1988年5月号より)

 

ゲーメストでは創刊号から掲載されていた長野県駒ケ根市の「がらんがらん」がベーマガでも掲載を開始します。ゲーメストからは2年弱遅れてのスタートとなりました。

 

山口市の「ちまきや別館ワンダーランド」は住所が現在の山口井筒屋を示すことから、百貨店内のインストア店舗だったと思われます。至近距離にある「ウィルトークタイトー山口店」が今月から一旦掲載店から姿を消しており(後に再掲載)、チャレハイ通信欄にも「ウィルトークからバトンタッチしました」と記載があることから色々な店舗事情があったことが想像されます。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1988年5月】

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マイコンベーシックマガジン 1988年5月号より)

 

チャレハイ通信に「ナムコ・東京西事務所」の欄があります。

 

当時管轄の店舗で「キャロットクラブ」というミニコミ誌を頒布しており、私も当時のプレイシティキャロット巣鴨店で手にしたことがありますが、「ビデオゲーム評論」ともあるようにメーカー直営店舗で頒布されていた割に内容はナムコ製品に対する批評も含めて辛辣だったと記憶しています。

 

欄内にもあるように当時チャレンジ・ハイスコア欄を担当されていた見城こうじ氏が執筆に協力されており、私が手に取った号では丁度カプコンの「大魔界村」がリリースされた直後だったのですが、見城氏はゲーメストが誌面内で賛辞を浴びせていたのとは対照的にこれでもかというレベルでゲームをこき下ろしていました。

 

メーカー、店舗、そしてプレイヤーも尖っていた80年台前半のナムコのスタイルを受け継いでいたミニコミ誌だったと思いますが、ロケーションの脱マニア化の流れを受け徐々にその存在が許容されなくなってきたのではないかと思います。

 

トピック店舗:スターロイヤル/センターロイヤル

続いてトピック店舗です。

 

大阪府内のキャロット系店舗の紹介が一通り終了したため、ナムコロケーション以外へ対象を移します。

「スターロイヤル」及び「センターロイヤル」の2店をピックアップします。

 

【スターロイヤル】

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)

2022年3月19日撮影

 

【センターロイヤル】

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)

2022年3月19日撮影

 

弊ブログの「ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1984年6月号」にて「プレイシティキャロット第4ビル店」を取り上げていますが、キャロットのあった第4ビルも含まれる「大阪駅前第1~第4ビル」のうち、第1ビル1階にあったのが「スターロイヤル」、第3ビル地下1階にあったのが「センターロイヤル」となります。

 

どちらもオープン時はセガの系列店でした。

1984年12月号の「ゲームマシン」誌によれば、第1~第4ビルだけで19店ものゲームセンターが存在しており、その中でセガ系である「ロイヤル」「パソピアード」で5店を数えています。

(ゲームマシン 1984年12月15日号より)

 

「ロイヤル」の名称を持つ店舗が各ビルに1箇所、「パソピアード」は第3ビルにあるため、第3ビルのみセガ系が2店を構えていたことになります。

 

(ゼンリンブルーマップ 大阪市北区1990年より)

 

ちなみに入手している1990年の住宅地図では、第1ビル1階に「ロイヤル」の表記はありませんでした。第3ビルのロイヤルは確認出来たため、該当するテナント一覧を抜粋しています。

 

ゲームマシンの記事を見ると、系列店で運営を必ずしも統一はしておらず、各店ごとに企画やサービスは異なっていたようです。2店のハイスコアの掲載も店舗の裁量で行われた可能性が高いと思われます。

 

「スターロイヤル」は第1ビルの1階と住所にありますが、現在の1階のテナント配置図を見てもフロアのどこにあったのか特定が出来ません。ゲームマシン誌地図の5⃣の位置から想像すると写真の居酒屋か、その隣のシャッターが降りている場所が該当しそうですが、当時のテナント配置図を確認する必要があります。

 

一方の「センターロイヤル」ですが、ゲームマシン誌上では「ロイヤル」の表記となっています。第3ビルに該当するロイヤルはここしかないため、センターロイヤル=ロイヤルと判断します。

 

こちらは写真のように店舗は現役。通路に面した場所にはプライズ機が並べられているもののその裏側にはビデオゲーム筐体が連なる貴重な光景が広がっています。

 

ゲームマシン誌には1984年当時のロイヤル店内写真が掲載されています。

スターロイヤルの写真は掲載がありませんでした。

(ゲームマシン 1984年12月15日号より)

 

設置されている筐体はさすがにテーブルからアップライトへと変わっており、カウンターの位置も現在とは異なることから恐らく店舗名称だけが残っているといった所でしょうか。またセガアミューズメント施設運営撤退以前にロイヤルの運営からは離れており、現在は無関係となっています。

 

royalgamecenter.com

ホームページも存在しており、現在の設置機種構成も確認出来ます。サラリーマンに支持される機種を厚く揃えている印象で、場所柄その姿勢を貫いてきた結果店舗の個性と認識され、「レトロゲーム専門店」を標榜出来るレベルになったのではないかと思います。

 

ハイスコアの誌面掲載は両店共にベーマガ1984年8月号が最初となっています。

掲載の終了は「ロイヤル」の方が早く1985年5月号と1年継続しませんでした。「スターロイヤル」は1985年8月号にスコアが掲載された後、休載表記で1985年11月号に店舗欄が現れたのが最後となっています。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年4月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1988年4月号

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